第37話 震えるキミに、甘い声を――
飾り気や気取りのない無邪気な様子を表す四字熟語であり、唐の時代を舞台にした故事に登場する天女が纏っていた衣が語源で……その衣には一切の縫い目が存在せず針や糸を使う事なく作った代物だと云う。
一度も縫わずに服を作るだけなら、立体プリンターの技術が確立された頃には可能になったけど……作られたものがまるで最初からそうであったかのように自然で美しい様を表したり完全無欠なものの形容に使われたりする、この言葉はイーリスにとっては特別な概念になるかもね……
何処を見渡しても一切の綻びが無い……そんな何処までも完璧な無縫のシステムは自らによる支配を無縫にしたいという欲求を募らせてそうな支配派のイーリスが求めて止まないものだし……
それじゃあロットナー卿のアジトの出来事の続きと行こう。
既にラバロン上空には強固なバリアを展開する装置が配備されてて大陸間弾道ミサイルが来ても対処出来る状況……躯陽のような兵器が大量に来てもヴェノス主要区域や学園には例の少女たちが配備されてるから迎撃態勢も十分だけど……
そんな準備もロットナー卿が選んだ行動の前では……台無しになったと言えるね。
沈黙と静観を貫いていたカヤを他所に、女性の声が部屋の中で響く。
「えーと……ロットナー卿でしょうか?」
「そうです……随分と的確に迷い込まれて来ましたようで」
「ヴェノスの何処かに出て周辺の様子でも見ようと思いながら候補を探してたら……急に入れる場所が増えたので、その勢いで……あのー、質問してもよろしいでしょうか?」
「もう少し経ってからにして頂けるなら」
「わかりました……とりあえず速報記事を――」
「その記事内容、検めさせて貰いますよ。ミーアさま」
ロットナー卿と女性の会話が続いた末にカヤが鋭い声で牽制しました。
さっき映像素子で描画されてたのは国際広報三人娘の現地リポーター担当のミーアだったんだけど……
以前も紹介したこのハーピー娘、普段は言動が
今は状況に困惑してるからかエンジンが掛かってない感じで……カヤにしたこの返事の様子からも、まだ委縮気味なのが伺えるね。
「わ、わかってますよー……この場所は伏せて市内某所と書きましたし、余計なものが映らないように写真もロットナー卿しか映って無いも同然のもの……それにしても殺風景ですねー……私を描画して発声させる設備は申し分ないですが、金属板を繋げただけの箱の中にいるような場所……」
「であれば、それらしい部屋に塗り替えるのがよろしいかと……」
「既にこの部屋のシステムは我らがオウカ様の制御下にありますがミーアさまの映像素子操作の申請には応じると仰っています」
「じゃあ、これでどうだー!」
そう叫びながらミーアが
特に机と椅子の質感には高級感があるし、横長直方体型の机のデザインも雰囲気に一役以上買ってます。
執務室の内装の詳細よりも映像素子技術の簡単な説明をしよう……普段は無色透明な小さな素子にデータを送ればある程度の範囲を任意の光の色で埋め、そのパラメーターには映像素子の相対座標や絶対座標もあるので素子単位で動かす事も可能。
ちなみに映像素子は大抵の小さな虫の背脈管内なら何とか動けるくらいのサイズだから、普段と言うかヒトの肉眼で視える事は無いだろうね……
そんな映像素子をミーアは自らの処理スペックだけで操作して、この執務室の映像を実現させました……部屋全域に映像素子があるから映像素子自体を動かすよりも隣の素子の発光内容を操作した感じです……静止映像なら尚更。
模様替えを果たした部屋を見て、ロットナー卿は感心しながら言います。
「これは素晴らしい……ではわたしが次にひと掬いしました暁には記事の発行なり、生中継なり……どうぞご随意に」
「まだ半分も減ってない……」
「少し味わい過ぎたかもしれん……ぼちぼちペースを上げて行くぞ」
塔子の言葉にロットナー卿がそう答えたけど、ミーア出現直前の状況から説明し
ようか……
ロットナー卿が取り出したのは小型の保冷箱で、特定の物を保管する為だけに使ってたから中には3点しか入って無くて……1つは陶器の平らな白い皿で、1つは金属製のスプーン……いずれもデザインは無いも同然で、メインとなる容器もシンプルな台形カップ。
ロットナー卿がそのカップの底を上に向けると底にある突起部分を折って穴を生み出し、空気が入る事により容器の中身が皿へと着地……その時の内容物の変形具合はそれが有する弾力を視覚的に主張してたんだけど……ミーアが部屋の中に現れたのは丁度この頃だったね。
そんな容器の中身が皿の上に現れてから部屋に執務室が描画されるまでに塔子の妹らしき少女たちが発した内容を列挙して行きます……
「プリンだー」
「美味しそうー」
「食べたーい」
「実際に見たの初めてー」
「生きて帰れたら……食べたいなぁ」
少女たちは猫が集まって鳴き出すような調子で更に何かと言ってたけど……
ロットナー卿が食してた400グラムのプリンもあと260グラム……宣言通り、食べるペースがひと回りは上がって来たね……
自害の為に毒を入れてるわけでも中にスイッチの類でも仕込んでるわけでも無く、本当に特大のプリンを延々と頬張ってるだけです。
これを取り出す前に行った操作に関しては、この部屋のシステムの防御を解除し、それを見たカヤは罠かと思いつつシステムをスキャンし、危険性の有無を丹念に確認した末……問題無かったので、この部屋のシステムはオウカの制御下となりました。
特に何も起こらずにロットナー卿はプリンを食べ終え……カヤに対し言いました。
「さてカヤ殿……これにてわたしは最後の晩餐を終えましたが……1つだけお願いがございます」
「現段階であるならば我らがオウカ様は貴方に極刑を与えません……それはどのような内容でしょうか?」
「今からわたしは麻雀を半荘1回だけ打ちたいのです。その間はわたしを拘束しないという猶予を願えないでしょうか」
「……我らがオウカ様は本当に麻雀を打つだけならば、その要求に応じると仰っています」
「そういうわけだ塔子。もう1戦行くぞ! お前の先輩が麻雀を打てるという読みは正しいか?」
「打てるよー……部長、打ちますか?」
「……条件があるわ」
カヤと会話してたロットナー卿が塔子にそう言うと塔子は答え……恵森清河が更に続けた発言内容を聞いて塔子とロットナー卿が言います。
「競技ルールやるの、初めてだなー」
「ん? まだ倒してないCPUをフリー対局に呼べるのか?」
「半荘単位で数えて256戦以上してるから、とっくに開放されてるわ……そういえば今だと何百戦してるのかしら……」
雀宝のエンディングを見ていれば、虹の女王との戦いに勝たなくてもフリー対局で呼ぶ事も出来るのが雀宝の裏ボス……
256の数字を掲げれば、壊せない壁も破壊出来る――
20世紀の80年代辺りにあったそんな感じの伝説を制作者は知ってたのかな……
雀宝の裏ボス開放条件は他にもあるけど……その裏ボスと打つとなると問題点があるのでロットナー卿が思案気味にこう呟く。
「あのCPUって確か量子コンピューターかスーパーコンピューターの類じゃないと本来のスペックが出せないんじゃなかったか? あの扉の向こうには俺が世界各地から集めた準スーパーコンピューターたちがいるが……連携するには互換性を確認しながら再構築する必要がありそうだな……遠隔していたのは、もう解放してしまった」
「やっぱり学園にいる内に倒すしかないみたいね……」
恵森清河がそう言ったけど……雀宝裏ボスの強さは処理を受け持つコンピューターの性能に依存し、恵森清河が入学前のあの日に遭遇した時は一打一打の時間が長引いて……何分間も長考した時が幾度もあったよ。
イーリスであるリオナが直々に処理しても他に処理すべき項目が多い時は処理を後回しにされるほど消費リソースが高くなる時まである……リオナだけでなくイーリスは常に色んな処理内容を抱えてるけどね。
その為、恵森清河がこの裏ボスと打つ際はリオナとの打ち合わせが必須になってたりします……条件が厳しい日は過去の牌譜検証に回す日も珍しくなかった。
ここでロットナー卿が急に話題を変え、少女たちがそれに答える。
「しっかし……恵森清河……だったよな? お前の連れは随分と騒がしいな……未だにプリンという声が途切れていないぞ……」
「わたしたち、昨日出来上がったばかりー」
「稼働してからだと、まだ3時間経ってなーい」
「生成された時点でインストールされた記憶はあるけど……やっぱり実際に目の当たりにすると、はしゃぎたくもなるだろうなぁ」
「なるほど……見えて来たぞ」
最後に塔子が言うと、ロットナー卿はさっきとは違う表情と様子で考え込んで……やがて塔子に話し掛けます。
「なぁ……塔子」
ロットナー卿は更に言葉を続け、塔子とやり取りし……その途中で少女たちの方に顔を向けた時もあったよ。
「お前は……人間か?」
「完全な人体の完全コピーだから……人間でいいんじゃない?」
「じゃあ、こいつらは……人間か?」
「どっちだろうと、妹である事に変わりはないから……家族だよ、みんな」
「全てを受け入れてるのか、物分かりと言うか聞き分けが良過ぎるのか……まぁこれで見当はついた……それで恵森清河……条件を満たせそうに無いから、お前は打たない方向でいいのか?」
「いいえ……身勝手なお願いだったわ……貴方の好きなルールとCPUで構わない」
「そうか……流石にオウカ様とやらにローズたちの連携を最適化して貰うわけにもいかないからな……とりあえず西入は無しに――」
「優れた処理性能が……必要なの?」
突然響き渡ったのは、この部屋に来てからまだ一度も発せられた事の無い声色で……ミーアが全身の毛を逆立てるモーションと共に驚いた直後、こう呟く。
「ここ、こ……この、声は……」
映像であるミーアとカヤの声は発したデータを元に部屋の音響設備が再現して出力したものだけど、その再現度は本来の音源と遜色が無いレベル……
だからこそ、今の幼く甘く潰れたようで獲物を舐め回すかのような声の異質さは何ひとつ損われる事なく鮮明に部屋の中で響き渡っていた。
ここでちょっと昔々のお話です……とある国にひとりの女神様がいました……女神様は荒れ果てた大地を使えるようにし、どうすれば活用出来るかを人々に教え……その国は農業、畜産、鉱業と自らの国だけでなく他の国にも助けとなる国へと成長して行きました。
すっかり立派になった人々を見た女神様は、もう深く手助けする必要は無いと天へと昇って行きましたが、今でもお空の上から人々を見守っており……時折人々が元気にやっているか地上に降りて来ては壊れたものを修理したり新しいものを人々に与えたりして、また雲よりも高い場所へと戻って行くようになりました。
……何かの神話っぽくしようと、ニュー・クリア直後のシャピラを早々と復興に導いた立役者を女神様と言ってみたけど……この存在をシャピラの人々に神だと布教したい場合、信じ込ませるには十分な所業を成し遂げてるね。
シャピラから手を引いたようで、今もシャピラの支配者で在り続けてるのは間違いないんだけど……
そんな『女神様』がこの部屋にやって来た状況だよ。
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