ドライブに出発

井古駅に着く。


南口は長面駅より建物も人も多い。

ホームから見える南側のロータリーを注意深く見るが、先生の姿はない。


僕らは北側の出口へ向かった。


階段を降りると、校長先生が笑顔で出迎えてくれた。


「あーよかった。電車に乗れたのね、ごめんね、長面駅までの道がわからなくて」


人気の少ない北口のロータリーに、緑の軽自動車止まっていた。

2ドアの小さな軽自動車。中古車のなかの中古車と言わんばかりにぼろい。

大きな初心者マークが貼ってある。車が小さいから大きく見えるのだろう。


俺は担任の山西先生が、1週間前に朝の会で言っていたのを思いだした。


「校長先生が自動車の免許を取りました。すごいですよね。先生は毎日運転の練習をしているそうです」


記憶が蘇る。校庭のわきの細い道を走る緑の軽自動車を思い出した。

授業中に見たのだ。

『なんだ、あの、のろのろ走るぼろい自動車は』そう思っていた。


あれが校長先生だったのか。


オートマ限定免許制度がない時代。マニュアルの乗用車が圧倒的に多かった。


「じゃあどうぞ、」

少しだけ恥ずかしそうに自動車のドアを開ける先生は、学校で見る校長先生とは違って見えた。


聡が自動車に乗り込む。

2ドアだから、助手席を倒して後ろに乗る。俺も後ろに乗った。校長先生の横に乗るなんてありえないから。


狭い。


後部座席の窓は開かない。乗った瞬間に息苦しさを感じる。

『これからこの三人でドライブ?』

不安を感じる間もなく、エンジンが始動。


ブオーーーーーン ブオオオーーーーン

すごい音だ。白い煙がマフラーから上がる。後ろが見えない程だ。

窓は開いていないのに、排気ガスの匂いが車内にもろに入ってくる。

建付けの悪い家のような車だ。


校長先生の手が小さなシフトノブを掴み、1速に入れると発車。


それにしてもすごい音だ。


ブオーーーーーーーーーーーン ブオーーーン

音だけ大きいが、車はトロトロしか動いていない。

次の瞬間、ガクンガクンと車は止まった。


エンストだ。


校長先生は半クラッチが出来なかった。

だから思い切りアクセルを踏んンで、クラッチを怖々と離す。

典型的な下手。


エンジンを始動し、再度出発。

とにかくすごい音をたてて、車はなんとか走り出した。


聡も俺も無言だった。

『こんなに怖い車は乗ったことが無い』

まだ数メートルも進んでいないのに、そう思っていた。


俺は父親の事を考えた。

無口で自分勝手。思った通りにしか行動しない。生まれつき左の耳が聞こえないから、助手席に乗ると、運転する父親に何を話しても頓珍漢な答えしか帰ってこない。父親と二人で車内にいると、宇宙に放り出されたような、孤独感が漂う。


でも、今だけは、父親の運転技術を心の中で称賛していた。

『天と地ほどの差がある』


聡の家の車に乗せてもらった事もある。聡の父親は怖い。聡は父親といると緊張しているのがわかる。怒られる時の聡は直立不動だ。喧嘩上等というタイプの父親。だから運転は粗い。


でも、聡の父親の運転技術も心の中で称賛した。


『自動車って、運転技術でこんなに違うの?』

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