四章 1 探偵の元に集まるは……

 居ても断っても居られず、ヘレンがトーサカを追った直後、『豆と甘味料』の前に一台の黒塗りの車が停まった。

 まもなく閉店の為、来る客などほとんどおらず、店内の清掃を始めていたマスターとバーニルにとって、思いがけない事態であった。

 顔を見合わせる二人をよそに、黒塗りの車からは数人の影が降り始める。

「すいません、もうすぐ閉店で……」

 来店を示すベルを聞き、申し訳なさそうに断ろうとするバーニルの声が途切れ、マスターも入ってくる人影に目を向ける。

 そこには、依頼された写真の女と、長身の男、そして、捕まったはずのミスズの姿があった。

「分かってるんだけど、マスター頼む」

「それはいいが……」

 何事もなかったかのように話すミスズに、マスターとバーニルの二人は呆気にとられてしまう。

「どうしたんだ?」

「だって、ミスズさん……捕まったんじゃ?」

 死人を見たようなバーニルの表情に、ミスズは納得したように手をたたいた。

「もしかして、ヘレンが来た?」

「ああ。それで、トーサカが居たから……」

 それ以上は何かまずいらしく、ミスズはジェスチャーでマスターに口止めをする。

 気付いたマスターにミスズは安心した様子で、写真の女と隣り合うように窓際のボックス席へと座った。一方、長身の男は一人カウンターの端の方へと座る。

「そのヘレンは?」

「心配だって、走っていきましたよ」

 バーニルのわかりやすい説明に、ミスズがヘレンらしいと笑う。

 それぞれの注文を聞いたマスターがコーヒーを淹れながらにミスズへ疑問を投げかける。

「お前、捕まってたんじゃないのか?」

「だから、捕まってるよ」

 挙げたミスズの手首には、明るい店内でも淡く光っていることが分かるブレスレットがはめられていた。

「そこの怖い人から離れると、爆発するんだと」

 ミスズが目線で訴える先に居るのは、カウンター席に座る長身の男だ。よく見れば、彼も腕にブレスレットをはめているが、光る色がミスズのものとは別のものだと主張している。

 マスターもバーニルも薄々は気付いていたが、決定的証拠を前に、この男がオガミなのだと理解した。

「これは依頼の報告ってことでいいのか?」

「ああ。多分、もうすぐ来ると思うんだけど……」



 ミスズたちが店内に入ってからわずかに後、外から中を覗くダルクの姿があった。

 言われたとおり、『豆と甘味料』にやってきたものの、万全に万全を期すため、本当にエヴァンスを見つけたのかを確認していたのだ。

 ──エヴァンス……

 窓のすぐそばに座っていたため、すぐに分かった。

 髪型や雰囲気は随分と変わっているが、見まごうことなく、エヴァンスだった。

 一体、いつぶりになるのであろう。

 ダルクはすぐに店の入り口へと向かった。

 それが、全くの別人であることにも気付かずに。



 入り口が開いてベルが鳴り、オガミを除く店にいた全員が全員、同じ方向へ視線を向ける。

「エヴァンス……!」

 そこには、間違いなく写真の女を捜すように依頼をしたスーツの女が立っていた。

「エヴァンス! 会いたかった……どこにいたの?」

 初めに店に来たときのような態度ではなく、本当に心配していたかのように、女はミスズたちの元へと近づいてくる。

「ダルクさんですね? 探偵のミスズです。とりあえず、お座りいただいても?」

 丁寧な対応を見せるミスズの姿など、ダルクには見えていないようで、自分の思うままに、目当ての人物へと話しかける。

「どうしたの? エヴァンス? ダルクよ? わからないの」

 対面する形で席に着いたダルクが、エヴァンスと呼ぶミスズの隣に座る女性に必死で話しかける。

 そこへ、カウンター席に座っていたオガミが立ち上がり、彼もミスズたちの元へと歩み寄った。

「悪いね、姉さん。こいつら、うちの連れなんですわ。ちょっと、話し聞かせてもらえます?」

 外向きの態度でダルクへ話しかけるオガミに、ダルクも相手になめられないようにし続けてきた態度で応戦する。

「なんだ、お前」

「だから、言ってるじゃないですか。こいつ等の連れだって」

 オガミの発言を笑い飛ばして、ダルクがくってかかる。

「何言ってるんだ? エヴァンスは私が探偵に依頼して連れてきてもらった相棒なんだ。この男は知らねえけど、エヴァンスは私の連れだ。さあ、エヴァンス。帰ろう?」

 立ち上がるダルクをふさぐように、オガミが勢いよくテーブルへ手を付いた。

 長身のオガミからの圧に、屈しそうになるダルクだが、なおも虚勢を張る。

 なぜなら、今は、エヴァンスがいるのだ。

 エヴァンス自信が場の制圧であったり、強いこともあるのだが、エヴァンスが側に居るだけで、ダルクは強くなれるように思えた。遠い祖国の路地裏で暮らした日々、あの、弱々しいエヴァンスを、もう、見捨てようとは思わない。今は自分が守るのだと、決めたのだ。

 守るべきエヴァンスへ目を向ける。

 ──どうして……。

 ダルクの目に映るエヴァンスは、ミスズの隣に座ったままであった。

 それはダルクにとって最大の裏切りであり、彼女には理解し難いものであった。

「……ほら、どうしたの? 行くよ、エヴァンス?」

「彼女は行きたくないってよ」

 オガミの決定的な一言に、ダルクの心が壊れていく。

「なんで……? どうして? 楽しく暮らしたじゃない。何がいけなかった? 確かにあの頃のことは申し訳ないと思ってる。でも、その分、大切にしたじゃない。不満なら、ちゃんと言ってよ……私には分からない」

 誰に聞かせるわけでもなく、一人でしゃべり出すダルクに、ミスズもオガミも困り果ててしまう。

 彼らにとってもこんな予定では無かったのだ。

「あの……」

「何!」

 自分の中に閉じこもってしまったダルクへミスズの隣に居た女性が声をかける。

 反応したダルクは、声をかけてきた相手の姿を見て、目を大きく見開いた。

 自分の知らない女性の声は、何を隠そう、エヴァンスから発せられていたのだ。

「多分、人違いです」

 よくよく見ると、その女性は、同じ黒色で統一されたチョーカーやブレスレットを身につけている。それは、ダルクもよく知る、有角種の特徴だ。

 髪から覗く耳も普通のもので、妖精種のように、魔力によって空間をゆがめて誤魔化してもいない、れっきとした人の耳である。

 そういえば、なぜ、店には入る前に、魔力による本人確認をしなかったのであろう。

「私の名前はエマです」

 決定的ともいえる一言に、ダルクの思考は完全にショートして、頭を抱える。

「え? 何? どういうこと?」

 やっと落ち着いたダルクに、ミスズとオガミが話を始めようという瞬間、再び店のベルが鳴る。

「ミスズちゃん!」

「おお、ヘレン」

 入ってきた人影の一つが、すぐさまミスズへと飛びつく。

「ミスズちゃん。ミスズちゃん! 良かった! 平気? けがは?」

「大丈夫だ。だから、落ち着け?」

 やたらに抱きつこうとするヘレンを、腕で制しながら、ミスズは無事の報告をする。

「本当に? あのでっかい男に何もされてない?」

「それは、俺のことかい?」

「でっかい男!」

 オガミからミスズを引き離すようにヘレンが距離を取ろうとすると、またもや店のベルが鳴る。

「おい……助手……なんだ、あのピンク……本当に俺と同じ妖精種か……?」

「そのはずですよ」

「絶対、嘘だろ……助手より体力あるじゃん……」

 ほとんど引きずられるようにして歩くアリアと、それに肩を貸すトーサカは、ヘレンとは違って使い物にならないほど疲弊していた。

 アリアを床に捨て置き、ふらふらとしながらもトーサカは、ミスズたちの近くの席へとつく。

「探偵……いい加減、乳繰りあってる場合じゃねえって……」

「だから、違うって言ってるだろ!」

 マスターの計らいでバーニルが運んできた水を一気に飲み干したトーサカは、自分が得た情報を報告する。

「その女……切り裂き魔……かん、けいしゃ……」

 指をさされたエマを含めて、全員に衝撃が走った。


「ありがとう……」

 水を持ってきたバーニルに俺を言うのはトーサカだ。

「ったく、紛らわしいんだよ」

 水を持って、うなだれるトーサカを隣へと移動したミスズが小突くと、トーサカはそのまま倒れそうになる。

「やめとけ、ミスズ」

 マスターの苦言にミスズは押し黙る。

 走り詰めに加えて、いつもは寝ている時間のトーサカは、話し終えない内に意識を失ってしまったのだ。

「話せそうか?」

「なんとか……アリアさん、写真……」

「ん……? ああ……」

 オガミの言葉に、トーサカがドア付近で倒れているアリアから写真を借りようとすると、もはや言葉になっていないような言葉で、アリアは写真を取り出す。

 察したようにバーニルが写真を受け取り、ダルク、オガミ、ヘレン、エマの座るボックス席のテーブルへ、写真をおいた。

 逃がさないようにか、ダルクの横にはオガミが構え、通路に出られないようにされている。

 ミスズと入れ替わる形でヘレンが席に着いたため、ダルクの目の前にはエマが座ったままで、ダルクは未だ信じられないと言った様子だ。

「ん?」

「どうしました?」

 まだ、話し始めてもいないのに反応を示すオガミに、トーサカが尋ねる。

 それもそのはずだろう。

 アリアの持つ写真は、オガミ自身が持つ切り裂き魔の写真、そのものだったのだから。

 朝方、バイトとして雇っている少年たちから、受け取ったものであり、この写真を持っているのは、自分とバイトたちを除けば、あと一人しか居ないはずであった。

「聞屋」

「ああ?」

「この写真をどこで?」

 床に突っ伏したまま、オガミの問いを聞いたアリアは、少し悩んでから答える。

「それは言えないな」

 長身でただならぬ雰囲気を身に纏うオガミの正体を、腐っても新聞記者であるアリアは、同僚たちの情報から理解していた。

 理解しているからこそ、エリアスを助けるという目的の為には、言葉を濁すしかなかったのだ。

「そうか。すまん、続けてくれ」

 アリアの要領を得ない答えを追求することなく、オガミはトーサカに先を進ませる。

「その写真の人が切り裂き魔らしいです」

 不可思議な反応を示すオガミに首を傾げつつ、トーサカはミスズにも写真をテーブルに置くように指示をすると、ミスズは不平を言いつつも写真を置いた。

「エヴァンス……」

 出された写真に写る人の名前を呟くダルクに、本筋へと入る前にトーサカは尋ねる。

「ダルクさん。この写真、いつ撮られたものですか?」

「最近のだ。確か、五十年前かそこらだろ」

「は?」

 平然と言ってのけるダルクに、トーサカは納得のいく顔つきであったが、ミスズは声を上げる。

「ダルクさん、あんた、俺にそんな昔の写真で探させようとしてたのか?」

「落ち着け、探偵。それはお前の探偵としての尺度だろ。よく考えろ。妖精種としてのお前は、その数字をどう捉える?」

 疲労から復活したらしいトーサカに諭されて、自分もかつては同じように話していたことを、ミスズは思い出す。

 ほかの二人種よりも圧倒的に寿命の長い妖精種と、二人種では時間の流れ方に大きな溝がある。

 今でこそ、時間の感覚が半獣種たちに近いミスズも、探偵を始めたばかりの頃は、依頼者から出される期限に焦って町中かけずり回ったものだ。

 妖精種であるダルクも、同じような感覚なのだろう。

「でも、エヴァンスは妖精種だ。見た目もそんなに変わってないはずだ」

 ダルクのもっともな意見を、トーサカは棄却する。

「しかし、変わる術はあります。ね?」

 同意を求めるようにトーサカが視線を向けたのは、エヴァンスと同じ顔を持つ、エマであった。

「整形か」

 トーサカの意図を理解したオガミが何気なく呟く。

「整形の中でも、二人は顔を取り替えたんでしょう」

 下を向くばかりで答えようとはしないエマに代わって、トーサカが自分の見解を伝える。

 そこで、ヘレンも納得がいったらしく、トーサカへ確認をした。

「だから、二つの写真は体が同じで顔が違うのね」

「ヘレンさんがいなかったら気付かなかったでしょうね」

 初めてお礼とも取れる発言をヘレンに向けたトーサカは、再度、エマに確認をする。

「どうですか?」

 もちろん、この推理には多くの穴がある。

 かつてのエヴァンスの顔を今のエマが持っているからと言って、顔を入れ替えたとは限らない。

 エマがエヴァンスの顔を持つことで、エヴァンスが別の顔を持っているとは限らないし、エヴァンスと切り裂き魔が同じ体を持っていることなんて、ヘレンにしか分からないようなことだ。ただ、エヴァンスとエマが似ていただけという可能性だってある。

 全てを踏まえた上で、トーサカはもっとも突飛な推理を披露した。

 トーサカにとっては名前も知らないエマが、突飛なあまり否定して真実が見えることを信じていたのだ。

「その通りです」

 だが、エマからの返答は、予想に反して全てを肯定するたった一言であった。

「この街に来たとき、私はこの顔の女性と顔を変えました」

 認めたエマは自分の顔であり、他人の顔であった顔に触れる。

 その表情はさも当然であるかのような、トーサカの指摘も受け流すようなものであった。

「そして、確かに、これは私のものだった顔です」

 アリアが出した、元を辿ればオガミの写真を見つめたエマが、ヘレンの慧眼の正しさを証明する。

「やっぱりそうですか……探偵が帰って来たっていうから、急いで戻ってみれば、びっくりしましたよ。切り裂き魔と顔を取り替えた人がいるんですから」

「待て」

 推理の全てが正しかったことに少しの驚嘆を抱きながらも話すトーサカを遮るようにしたのは、黙って話を聞いていたダルクであった。

「エヴァンスがこのエマとか言うやつと顔を変えたことは分かった。だが、なぜ、エヴァンスが切り裂き魔だと分かる。違うかもしれないじゃないか」

 それは、やはり、精一杯の虚勢であった。

 もしかしたら、エマと顔を交換したあと、再び、誰かと顔を変えているかもしれない。もしくは、単純に整形を施しているかもしれない。

 しかし、ダルクには何となく分かっている。

 街で起き始めた異変がエヴァンスによるものだと。

 だからこそ、彼女は自分の元を去ってから数十年が経った今、エヴァンスを探すことにしたのだ。

 本当にエヴァンスが事件を起こしているのか。

 自分の持ちうる全ての手段でエヴァンスを探し、もしも、犯人なら自分が止めようと決めたのだ。

 心のどこかで犯人でないことを祈りながら──

「ええ、そうでしょうね」

 葛藤するダルクの無意味な反発を、トーサカはあっさりと受け入れる。

「それに第一、俺たちは貴方が依頼したエヴァンスさんを見つけだしていません」

「つまり、何がいいたい」

「あとは探偵に任せるってことですよ」

「え? 俺?」

 唐突に話を振られたミスズが驚いたように少し飛び跳ねる。

「エヴァンスさんを見つけられていない以上、俺たちの依頼は続いたままだ。もし、ダルクさんが依頼を取り下げても、エヴァンスさんを探すって言うなら、俺も付き合うし、取り下げなくても危ない橋は渡らないっていうなら、俺も探さない。俺は、探偵。お前の判断に従うよ」

 投げやりとも取れるトーサカの発言に、依頼主になるダルクが慌てる心に冷静さの皮をかぶって、一言告げる。

「受けろ」

 言葉には確かな威圧がこもり、やはり、ダルクも裏社会の住人であることを証明している。

「いいか、受けて、エヴァンスを探せ。報酬はちゃんと払う。お前に拒否権はない」

「あんたねえ!」

 危険なことへと足を入れることも常日頃のミスズだが、自分からではなく、強要されて危険へと落とされそうな状況に、立ち上がったヘレンが声を上げる。

「これはあんたの問題でしょう。ミスズちゃんは関係ないじゃない! 少しはあるかもだけど……あんたが依頼さえしなければ関係者じゃなかった。だから、なんていうか……決めるのはミスズちゃんでしょ……」

「そうか……」

 ヘレンの言い分を聞いたダルクは、理解したようにそう呟くと、立ち上がりながらスーツの内ポケットに手を入れた。

「なら、関係者にしてやる!」

 そのまま引き抜いた手には、白銀に輝くL字の物体が握られていた。オガミには見慣れた拳銃である。

 不吉な銃口はヘレンへと向けられ、いつでも、撃ち抜けるように眉間を狙う。

「ヘレン!」

「動くな!」

 助けに向かおうと腰を浮かせるミスズを見たダルクが叫ぶ。

「受けろ……! それだけでこと済む話だ」

 ミスズへと言い放つダルク。

 ヘレンがゆっくりと座るに合わせて、ダルクの銃口を下がっていく。

 緊張が高まっていく中で、一人だけ別世界にいるような人がいた。

「やめとけ、姉さん」

 オガミであった。

「あんたにゃ、できねえよ」

 やはり、慣れてしまっているのだろうか。ダルクへと忠告しながらコーヒーを飲む姿は、まるで先ほどと変わらない。

 それとも、本当にダルクには撃てないことが分かっているのだろうか。

 ダルクは人を殺したことがない。

 路地裏で誓って以来、どんなに憎い相手がいようと、どんなに虐げられようと、人を殺すことだけはしてこなかった。

 むしろ、殺すことができなかった。殺す訳にはいかなかった。

 自分と同じ悲しみを、家族を失う悲しみを、他人に強要することなど、ダルクにはできなかった。

 自分が直接手を掛けるのはもちろん、部下に殺させることも嫌がり、果てはドラッグで死にそうになっている人を部下として更正させ、売春宿で性病にかかった娼婦には自分の財をはたいてでも薬見つけてタダ同然で与えるほどだ。

 初めはファミリーを奪われ、金を取られて恨む人間はいた。

 だが、それも一時のことであり、すぐに彼女をボスと認める。

 彼女の街は恐怖による支配ではなく人望による統治によって平穏を保つ、ファミリーのシマと呼ぶには余りに美しい、国王の領地とも呼べる街だった。

 本当の彼女は優しい人間なのだろう。

 自分の行動で人が死ぬこと全てを受け付けなかった。

 それを、オガミはどこまで見抜いていて、どこまで知っているかは分からない。

 ただ、彼は確固たる自信を持って、もう一度繰り返す。

「あんたにはできない」

「できるよ!」

 眉間を前にした銃口は、居心地が悪そうに、上下左右へと身を逸らすが、ダルクによって無理矢理、元の位置に戻される。

 振動として現れる無意識下の現象を、手のせいにして、ダルクは両手で拳銃を持った。

「そうかい。だったら、俺もそれなりの対処をしなきゃね」

 立っているダルクはスーツ越しでも分かる太股に当たる、点と線を感じた。内腿に線が、その反対側を点が挟んでいる。

 見れば、獣化されたオガミの手が伸び、鋭く伸びた爪がダルクの足を捉えていた。

「うちの者に手ぇ出すなら、俺も黙っちゃいられんのでね。足、一本で済むと思うなよ?」

「は! 私の命一つくらい……ああ、そうか……」

 話している途中、何かに気付いたように、自らの手に持つ拳銃を見つめたダルクは、一度、腕を重力に任せて下げる。

「やり方を変えよう」

 そして、次の瞬間、おもむろに自らのこめかみへと、銃口を導く。

「探偵。エヴァンスを探せ。でなければ、私は死ぬ」

 正直なところ、ダルクの脅しは脅しの体をなしていない。

 目の前で自らに拳銃を向けるダルクという存在は、今、『豆と甘味料』にいる人にとって、危険をなしてまで助けようと言う存在ではなかった。

 何もその場にいる全員が冷たいわけでなく、ただ、最も助けようと思える存在ではないだけだ。

 致命的なまでの欠点を抱えたダルクの脅しは、唐突に終わりを告げる。

「……え?」

 破裂音が響く。

 気付くとダルクの頬には衝撃が走っていた。

 目の前には今の今まで黙っていたエマが立ち上がり、腕を振り抜いている。

「なんで、そうなんだよ……」

 呟くエマの手のひらはダルクの頬と同じように赤く染まり、かなり強く叩いたことを物語っている。

「そんなことして、誰が得するんですか……貴方は待つ側でしょう、待っている側でしょう。なのに、なんで! なんで、そんなことをするんですか……自分から待つのを止めようとするんですか……」

 悲痛なエマの叫びに、ダルクは思う。

 では、どうすれば良かったのかと。

 奪い続けてきた自分には分からない。

 分からぬまま、拳銃をオガミに取り除かれる。

「貴方は強すぎます……もっと、みんなに頼ればいい。人はみんな一人で生きているわけじゃないんだから」

 答えは、自分を殴ったエマから知った。

「……頼む、探偵。私を助けてくれ。この通りだ」

 頭を下げたのなんていつ以来だろう。

 立ち上がったミスズがオガミと位置を交換するように言って、ダルクの隣へと座る。

「報酬、ちゃんと払えよ」

 そう言って、エマから情報を聞き出し始めた。

「ありがとう……」

 お礼を言ったダルクも情報提供に加わった。

 その横で、オガミは座らずどこかへと向かう。

「オガミさんはいいんですか?」

「ん? ちょっとそこの彼女に用があるんだ」

「え……私ですか?」

 トーサカの心配に、オガミはバーニルへと近づいていく。

 体が触れそうな距離まで近づいたオガミは、唐突にバーニルの腰へと手を回す。

「きゃっ!」

「おい!」

 バーニルの悲鳴にマスターを初めとして、全員の視線がオガミに集中する。

 さらに言うなら、オガミの手に握られている、ダルクのものとは別の拳銃に注がれた。

「ガンドガンですね」

 武器商であるエマが冷静に分析をする。

 バーニルが持っていたのは、ダルクが持っていたような人を殺せる銃ではなく、相手を一時的に気絶させる程度の力しか持たない、魔力の固まりを撃つガンドガンと呼ばれるものであった。本来、半獣種がそんなものを使えば、一瞬で魔力不足に陥りそうなものだが、長い耳から魔力を集めやすいウサギの半獣であるバーにルにとっては、うってつけの武器だろう。

「あの姉さんが銃を取り出したとき、手を掛けたでしょう? 以外と見えるもんですよ。俺らと同じ世界の人だとは思わねえけど、誰から手に入れた?」

「えっと、その……ごめんなさい……」

「いや、謝って欲しい訳じゃなくてね?」

 聴き方が威圧的だったのか、謝られて困ってしまうオガミに、バーニルはちぎれそうなほど首を振る。

「そうじゃないんです……」

「ん?」

「そうじゃなくて……分からないんです……訪問販売で、買ったから……最近物騒だからって……ごめんなさい……」

「なるほどね……」

 途切れ途切れに話すバーニルの答えに、オガミの中である可能性が浮き出た。

「すまん。俺、先に帰るわ」

 切り裂き魔より最優先事項だと判断したオガミは、店内に聞こえるように話して外へと向かう。

 わずかな可能性だが、下手をすれば狼堂会は、シマの一部を失うかもしれない。

 シュマーフォで車内留守番をさせていたルーへと念話し車を回させる。

「ああ、そうだ。聞屋」

「あ?」

 未だに倒れてるアリアの横を通ろうというとき、オガミが話しかけた。

「もし、この後、エリアスのところに行くようなら、よろしく伝えておいてね」

「食えねぇな」

 舌打ちをしたアリアも立ち上がり、夜の町へと消える。

 マスター次第で延びる閉店までの時間、『豆と甘味料』は、エヴァンスを探す、本拠地となった。

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