一章 2 待ち人来たらず
カフェ『豆と甘味料』
町で唯一のコーヒー専門店で、一杯ずつ淹れられるコーヒーには、マスターのこだわりが凝縮されている。
朝早くから夜遅くまでの長い営業時間に加え、テイクアウトもできるため、人足が途絶えることはない。
ただし、満席になったこともない。
どちらかと言えば閑散としていて、一人だけいるウエイトレスも暇を持て余している。
理由はひとえに、マスターの強いこだわりのせいだ。
店名からも分かるように、マスターはコーヒー豆はもちろん、甘味料にも力を入れている。
多岐に渡るメニューにはそれぞれ専用の豆と甘味料が用意され、マスターの飲んで欲しい味が提供される。
それだけなら、まだ人も来るだろう。
問題は、マスターが大の甘党という点だった。
例えどれだけこだわっていたとしても、液体がやや粘性を持つほどに甘味料を投入されたコーヒーなど、万人には受け入れられない。
甘味料の有無、または調整という選択肢も、存在しない。
結果として、来店するのは時間を持て余した人か、マスターと同じ甘党くらいなのだ。
常連客もいるにはいるが、ウエイトレスを口説くためであったり、何かしらの作業をするためであったり、その目的のほとんどがコーヒーにはない。
ミスズも常連客の一人だが、やはり、コーヒー目的ではなく、仕事を受ける場所として使っているためだ。
とは言え、来店時、メニューの注文を必ずお願いしている『豆と甘味料』にとって、常連客の存在はマスターとしても有り難いもので、手放さないよう、何かと苦心している。
そんなカフェで本を読む女性がいた。
誰かとの待ち合わせだろうか、彼女が初めのコーヒーを注文してから、かれこれ、映画を三本は見てしまえそうな時間が過ぎていた。本もすでに二週目が終わろうとしている。
間もなく底を着きそうなコーヒーに、致し方なく追加を注文したところで、頭の中に音が響いた。
本を閉じた女性は、少し緊張した面もちでこめかみに指を添える。
『あ、繋がった。ファーグ?』
『よお! 聞こえるか?』
頭の中の音が二種類の男声へと変わる。
『何だ……。どうしたの?』
魔力を介して頭の中だけで行う会話──念話が掛かって来たのだ。
この技術は魔力の扱いに長けた人同士でなければ難しく、主に妖精種同士で行われる。他の人種、魔力の技能がそこまで達していない、または魔力が足りない妖精種は、『シュマーフォ』と呼ばれる透明な板を介すことで、遠く離れた人との会話を行う。
シュマーフォは念話だけでなく、写真を撮ったり、様々な情報が集まるデータベースへ接続できたりと、今や一人一つは持っている便利な道具だ。
ファーグと呼ばれたこの女性は、シュマーフォを使わないところを見ると、相手の男達も含めて妖精種なのだろう。
『そろそろ用事、終わったかなと思って』
『まだ。あいつが来ない』
『おいおい、マジかよ! 俺たちが最後に連絡してから、かなり経ったよな? お昼くらいだっけか。もっと早くから待ってんだろ? 待ち惚けだな! なんか、本でも持ってってやろうか?』
早口でやかましく話す男の声に、思わず念話を切ってしまおうかと思うも、せっかく話しかけてきてくれたのに、それは失礼だとファーグは話を続ける。
『大丈夫。同じ本を読んでるから。ありがとう。あと、レコ。ちょっと静かにして?』
『僕もそう思うよ』
『おいおい、なんだよ、アレーまで!』
辛辣な言葉を掛けられたレコ。
しかし、彼は挫けることなく、楽しそうに不平を声にする。
『退屈だろうと思って、せっかくいつもよりテンション上げてんのに、それは無いだろ?』
『いつもの間違いでしょ?』
『お、今日のアレーは切れ味が鋭いな?』
『ファーグ。今、本屋にいるんだけど、何か買っておくもの有る?』
『おっと、話が聞こえていないのかな? 直接、話しかけた方がいいか?』
どうやら二人は一緒にいるらしい。
いつもはいるはずの自分がそこにいないと思うと、ファーグは心の底から残念でならなかった。
『今は特にないかな……』
『そう。帰りはどれくらいになりそう?』
『そうだね……。日付が変わるまでには終わるんじゃないかな』
来るべき時間に間に合わず、いつ来るかもわからない男を待ち惚けているのだ。最悪、閉店までいることになるだろう。
周りでは、代わる代わる席に別人が座っていくのに、ファーグだけは見送るばかりで、一向に立てる気配がない。
自分と同じくらいの時間に入った、店の端の席に座っていた男も、先ほど外へ出てしまった。
何故だか敗北感に殴られた後、ファーグの中には怒りに近いものが湧いてきた。
帰れる時間がわからないことを、はっきりと自分で口にしてしまうと、後回しにしていた事実を、知覚せざるを得ないのだ。
『ごめん、アレー。やっぱり買っといて貰っていいかな。やけ読みする』
『いいよ。何を買えばいい?』
『何だったら、届けてやるぜ?』
言われた通り静かにしていたレコが、同じような軽口を叩くも、今はファーグを逆なでる。
『レコ。もうちょっと黙ってて』
『はい。ごめんなさい』
明らかに険の籠ったファーグの声に、流石のレコも引き下がる。
『分かればいいよ』
『なあ、アレー……、お前の彼女、怖い……』
この時、ファーグの中で、もう一つの八つ当たり先が定められた。
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