一章 1 境界を歩く 2

「探偵。まずはどこから行くんだ? 端から捜せっての無茶だぞ?」


「聞屋と連絡付かなかったから、こっちからだ」


 二人は町の中でも、この時間から動き出す場所──歓楽街へと向かう。

 ビルの上や側面には電飾輝く看板が点灯し始め、わずかに明かりの点いた店が並ぶばかりで、まだまだ人通りはまばらだ。


 スナックやバー、クラブなど、酔いたい人が集まる、大きなメイン通りを少し進んで路地を曲がると、明るい雰囲気は一転し、どこか妖しいものへと変化する。

 人通りはさらに減り、車が通れるかどうかの細い通りでプラカードを持つ男が数人立っている。


「よう、シロ」


「おう! 探偵! 久しいな! なんだ今日は助手も一緒か!」


 中でも、一際、目立つ『ヘブンリー・バス』と書かれたプラカードを持つシロと呼ばれた男にミスズが声を掛けた。

 すると、まだほとんど交わしてもいない話し声を聞きつけたのか、すぐ横にある建物の窓から女性が顔を出す。


「ミスズちゃん? ミスズちゃんだ!」


 直後、女性は叫びながら、外へ飛び出して来ていた。

 今にも抱きつきそうな距離感の女性を、ミスズは彼女の肩に触れて少し離す。


「おお、へレン。おまえ、寒くないのか?」


「ミスズちゃんといれば寒くない!」


 肩の出た薄手のドレスに明るい茶髪をしたアルバイトのホステスのようなヘレンと、黒い髪に黒い服のまるで夜にとけ込むような出で立ちのシロ。

 一見、無関係な二人の共通点は、シロが持つプラカードとヘレンが出てきた建物に、同じ店名が記されていることだった。


「仕事中だぞ。乳繰りあうのは後にしろ」


「俺は何もしてないだろ? 相変わらず節穴の目だな!」


「俺がいないと人探しもできないやつが良く言う」


「なに、こいつ。ミスズちゃんに喧嘩売ってんの?」


 からかうトーサカを、ヘレンが怪訝そうに睨む。


「そういうやつなんだよ」


 トーサカが会釈をしながら微笑むと、ヘレンは警戒しながらミスズの背後へ身を隠す。


「ハハ! 嫌われちまったな!」


「何を騒いでるんですか……」


 やや引いて様子を見ていたシロが笑い出すと同時に、店から線の細い男が現れた。

 イヤホンの片耳側とヘッドセットマイクを融合させたかのようなコードレスの道具を耳に着けており、『ヘブンリー・バス』の裏方だろう。ネクタイを上まで締めて纏う黒地のスーツは、確かな高級感があるものの、男には不釣り合いで着られている印象を受ける。


「ジェイ……。まだここにいたのか」


「ミスズさんこそ、まだ探偵なんかやってるんですか?」


 ジェイと呼ばれた男の小馬鹿にするような態度に気付いての上なのか、ミスズは胸を張って肯定を返す。

 軽く舌打ちをしながらこちらに向かってくるジェイに、ミスズは懐から写真を取りだした。


「丁度いいや。おまえ等、こいつ、見なかったか?」


「なんだあ? 今度は人捜しかよ?」


「まあな。どうだ、シロ」


 写真をまじまじと見た後、シロは顔を横に振る。


「そうか……。ジェイはどうだ?」


 見やすいよう、ジェイの目の前にミスズが写真を立てるが、反応はシロと同じく芳しくない。


「わかった。何でも良い。情報が入ったら教えてくれ」


 最後に協力の要請をし、ミスズは腕を背中に回す。


「一応、聞くが、ヘレンは?」


「え? ヘレンさん!? いつの間に! もうすぐお客様が来るでしょう!」


 慌てて近付いて来るジェイに、ヘレンは苦虫を噛んだような顔で、ミスズを見上げる。


「もう! なんで私なんかに聞くのよ! 頼ってくれるのはうれしいけど、知るわけないじゃない!」


「意外なところから情報が入るんだよ」


 ミスズを挟んで追いかけっこを始めたジェイとヘレン。

 しばらくして二人は立ち止まり、お互いの様子を探り合う。


「ほら、ヘレンさん戻りますよ! 予約の客が来ますから」


「嫌! 私はミスズちゃんと逃げるの!」


 ミスズに身を隠しながらの突飛なヘレンの発言に、トーサカを除く男たちが三者三様に驚きを見せた。


「何言ってるの!?」


「ついにか! 探偵!」


「どういうことですか……、ミスズさん……」


 矛先を切り替えたジェイが、ミスズを睨めつける。


「いや、俺も何のことだか……」


「だからさ、そういうのは仕事が終わってからにしろって」


 我関せずを決めていたトーサカによって、ジェイの疑いの目がより鋭さを増す。


「トーサカ、おまえ、ちょっと黙ってろ! 何かの誤解だ。ヘレンも何とか言え」


「言ったもん。『俺が連れだしてやるから』って。あの日、ベッドの上で……」


 場が凍る。

 正確に言うならば、口笛を吹くシロと相変わらずのトーサカなど目に入らないほど、ミスズとジェイの間に緊張が走っていた。


「ちょっと、お話を聞きましょうか?」


 ミスズの肩にジェイの手が乗せられる。指が服だけでなく肌まで沈ませ、とても細腕の握力とは思えない。


「ちょ、ちょっと、待とうか、ジェイ。それは、ヘレンがビデオ業者に騙されたときの話で……」


 強制的に店の中へ連れ込まれそうになるミスズは、どうにか逃れようと身をよじる。結果として振り返った先で、視界の端にトーサカを捉えた。


「そうだよ。トーサカ、おまえも居ただろ。何とか言ってくれ!」


「俺、一回、戻るから。終わったら呼んで」


「おまえって奴は!」


 悲鳴にも近いミスズの声は、店の奥へと消えていった。

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