第49話、記憶喪失。
──現代日本の推定三千万人の、異世界転生希望の、ヒキオタニートのお兄ちゃんたち、こんにちは☆
実は『ツンデレ気味の妹(しかも幼女)』という、あざといキャラ付けでお馴染みの、『転生法』だよ♡
すでにご存じのように、このコーナーはしばらくの間実験的に、『質問形式』で進行しているんだけど、今回は、異世界転生とかWeb小説とかどころか、小説そのものを始めとする漫画やテレビドラマ等の創作物全般において、あまりにもお馴染みのモチーフである、『記憶喪失』を取り上げるので、特に作家の皆さんは是非とも参考にしてちょうだいね♡
Q、異世界転生系の作品を読んでいたら、何と語り手である主人公自身が、転生以前の現代日本当時の記憶を失っていたり、その他重要な役所を演じるべきキーパーソンとかも記憶喪失だったりして、彼らに過去の記憶さえあれば、本来謎でも何でも無いことが、むしろ物語の鍵を握る重要な情報になったりするといった、いかにも『御都合主義』な作品が多々見られるので、馬鹿の一つ覚えみたいに記憶喪失を多用するのは、控えたほうがいいと思うのですが?
それでもどうしても、異世界転生系の作品の中で、記憶喪失を主要なモチーフとして使わざるを得ない場合において、何か気をつけなければならいことがあれば、参考までにお教えください。
A、基本的に『記憶喪失』を使うかどうかは、各作家さん次第だし、その際気をつける点を挙げるとすれば、異世界転生系の作品では、他人の記憶を意図的に奪うことすらも十分に可能な点と、記憶喪失の前後で安易に『同一人物を別人扱いしないこと』、の2点かしらね。
○まず最初のご質問だけど、『
ただし、異世界転生の円滑なる促進を図る意味からも、異世界転生希望者が嫌気のさすような、あまりに御都合主義の『記憶喪失』シークエンスの多用は、望ましくないと言わざるを得ないけどね!
まあ、その辺は、各Web作家先生の皆さんの、『良識』に期待するしかないかな?
※それで、ここから先は、あえて異世界転生
○まず何といっても、異世界における記憶喪失イベントの最大の注目点は、他人を──場合によっては自分自身をも、意図的に記憶喪失にさせることができるところだよね!
もちろん、ファンタジー異世界ならではの、『魔法』や『呪い』による記憶の消去や操作ってのがポピュラーなんだろうけど、ここは『
つまりもはやお馴染みの、『異世界転生』の真に現実的な実現方法とまったく同様に、現代日本におけるユング心理学が言うところの、ありとあらゆる世界のありとあらゆる時代のありとあらゆる存在の『記憶と知識』が集まってきているとされる、いわゆる『集合的無意識』に他者を強制的にアクセスさせて、量子論で言うところの『
もちろん、元の記憶に戻すことも可能で、ただ単に集合的無意識とのアクセス状態をカットするだけで、自然と元の状態に戻れるわけ。
そもそも他人や自分を集合的無意識にアクセスさせることができるなどといった、超常の力の持ち主自体が、ありとあらゆる世界においてありとあらゆる異世界転生を司っている『なろうの女神』と、その使徒である聖レーン転生教団の高位の術者以外だと、突然変異的にこの世に生を受けた、神様レベルの人間や魔族等に限定されるものの、このように意図的に記憶を失わせたり元に戻せたりできることで、異世界における各種イベントの展開を、非常にフレキシブルかつ多岐にわたらせることができると思うの。
○ただし注意点としては、記憶喪失や二重人格化と言っても、集合的無意識を介して一時的に『
『記憶喪失』とか『二重人格』とか言うと、最近のSF小説やラノベでは、別人格化の前後でまるっきり別人扱いして、例えば記憶喪失や二重人格の女性に対して、元々恋人だった男性が、相手はあくまでも同一人物だというのに、一つの人格ごとに一人の独立した女性扱いをして、記憶喪失が解消するとともに消え去った人格との『切ない別れ』を演出したり、二重人格の女性に対しては、『二つの人格=独立した二人の女性』と見なして、同一人物の女性の二つの人格の間で揺れ動いて、『擬似的浮気』をして自己嫌悪に陥ったり、記憶喪失同様に二重人格が解消する際には、消えゆくほうの人格に対して、『切ない別れ』を演出したりと、何が何でも無理やりに『切ない恋の物語』の方向に持っていこうとするのは、もういい加減やめて欲しいと思うの!(怒)
だって、これってあまりにも、『読者を馬鹿にしすぎ』でしょう?
何せ、記憶喪失の前後だろうが、二重人格状態にあろうが、たとえ別人のように思えたところで、同一の肉体である限りは、あくまでも同一人物に過ぎず、ぶっちゃけて言えば、『別人格』なんていうご大層なものではなく、記憶喪失や二重人格化を切っ掛けにして、これまで秘められていた『別の性格』が顔を出しただけの話で、別にSF小説やラノベのモチーフになるような非現実的かつドラマチックな話ではなく、極ありふれた日常茶飯事に過ぎないんだしね。
つまり要は、第46話で述べたように、人間にとっての『本質』とは、人格とか記憶とか精神とか意識などといったものではなく、『肉体』にこそあって、同じ肉体のままであれば、どんなに人格や性格が変わろうが、同一人物と見なすべきだってことよ。
ひどいのになるとプロの作品でも、記憶喪失になった途端、左利きの女の子が右利きになったり、二重人格の場合でも、学園きっての俊足アスリートの少女が、別人格では鈍足になってしまうなんてのがあったけど、人間の利き腕は脳の仕組みによって決定されるので、同一人物の利き腕が記憶喪失によって変化することなぞあり得ず、もちろん足の速さが変化するなんて、もっての外でしょう。
これぞ文字媒体である小説における致命的欠陥とも言えて、小説家の皆さんはプロアマ問わず、『記憶喪失』や『多重人格』モノの作品を創る際においては、『人間の本質は肉体にこそあり』という大原則を、けして忘れちゃだめだからね!
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