第39話、『作者』という名のチートスキル。(補足説明)

 ──さて今回は、前回に引き続いて、異世界転生を司る女神であるこの私が、『作者という名のチートスキル』についての、補足説明を行いたいかと思います。


 それというのも、前回においては、「異世界における『作者という名のチートスキル』は、その異世界に対して『精神的な改変』しか行えない」と申しましたが、これって一見(三流SF小説とかラノベとかによくある、普通に物理的な『世界の改変』に比べて)大したことが無いようにも思えますが、考えてみれば、この『精神的改変能力』にしたって、やり方次第では世界そのものを劇的に変え得る、とんでもない反則技チートスキルであることには違いなく、その実現方法についても、きちんと説明しておこうと思ったのです。


 とはいえ、あんまりぐだぐだと小難しい理論ばかり並び立てても、読みづらくなるだけでしょうから、できるだけ簡単に述べますと、現代日本における『ユング心理学』に則ると、ありとあらゆる世界のありとあらゆる時代のありとあらゆる存在の『記憶と知識』が集まってきているという、『集合的無意識』なる超自我的領域が存在しているそうなのですが、実はここで言う『作者としての精神的改変能力』は、他人を強制的に集合的無意識にアクセスさせることをなし得て、その人の脳みそに、小説内において書き換えた、当該人物に相当する登場人物の『記憶や知識』を刷り込むことによって、書き換えられた小説の登場人物そのままの言動を行わせるといったことを繰り返して、自分以外の異世界人たちを意のままに操っていくわけなのです。


 ここで注意していただきたいのは、集合的無意識の中に存在している、ある特定の人物の『記憶と知識』は、小説の中の『登場人物』の『記憶と知識』そのもの自体、小説の中の自作の異世界そっくりそのものではあるものの、けして架空の異世界ではなく、ちゃんと実在する異世界の住人の『記憶と知識』であると言うことです。


 これについての論拠となるのは、量子論における多世界解釈でして、これによると、いかなる世界であっても──たとえそれが『小説の中で描かれた世界』であったとしても、あくまでもでは、存在し得ることになるのです。


 ──だったら、小説の世界もれっきとした世界として認めて、集合的無意識にある『記憶と知識』にも、『小説の登場人物』それ自体の、『記憶と知識』が含まれていてもいいようですが、これは以下の二つの理由により、けしてあり得ないのです。


 一つは、小説の登場人物なんて、結局はインクのシミやデジタルデータに過ぎず、当然固有の『記憶や知識』なぞ持ち得ないでしょう。


 つまり、多世界解釈で言う、『いかなる世界であっても、あくまでも可能性の上では存在し得る』とは、小説で描かれた世界がそのまま存在することを保障するものではなく、この現実世界以外に無限に存在するという、『別の可能性の世界』──いわゆる『多世界』には、特定の小説に何から何までそっくりな、が存在している可能性も、十分にあるのだ──と言っているだけなのです。


 考えてみれば、これは非常にすごいことではないでしょうか?


 無限の可能性があると言うことは、これまで生み出されたすべての小説だけではなく、何と小説の内容とまったく同じ世界すらも、存在していることになるのです。


 ──そしてそれは、今回のテーマに沿って細かく言い直せば、作者自身が現時点で書き換える気なんてまったく無く、三年後あたりに何かの理由で書き換えを行う場合においても、何と多世界解釈的、書き換えられた小説そっくりそのままの異世界も、この時点でちゃんと存在しているのです!


 実はこれこそが、二つ目の理由そのものなのです。


 小説はいくら書き換えようが、当然、同じ小説であり続けますが、それに対応する現実の異世界においては事情が異なり、書き換えの前と後では、対応する異世界が異なることになります。


 その理由は、前回述べました、『世界と言うものはけして、改変も消去もすることができない』に尽きます。


 実は世界と言うものは、最初から『すべて』存在しているのであり、その『すべて』の中には、改変する前の世界と改変後の世界が両方存在しているのです。


 なぜ、世界と言うものが最初からすべて存在しているかと申しますと、多世界解釈に則れば、世界と言うものは可能性の上では、無限に存在し得るからです。


 つまり『無限=すべて』と言っているわけですが、これを理解していただくためには、世界に番号をつけてみれば、よりわかりやすいでしょう。


 世界が無限にあるとしたら、番号が『一番目』から『無限番目』までの世界が存在することになります。



 世界が最初からすべて存在しているとしたら、番号が『一番目』から『無限番目』までの世界が、最初から存在することになります。


 ほら、『無限』と『すべて』は、同じことでしょう?


 ……あまりにざっくりと説明いたしましたので、にわかには納得できないかも知れませんが、もしも反論がお有りなら、『無限』と『すべて』とを、『一番目から無限番目』以外の表現の仕方で表現できるかについて、一度じっくり考えてみてください。


 どうです? 『一番目から無限番目』以外には、表現のしようがないでしょう?



 ──更には、以上の諸々を踏まえまして、今度は、『世界と言うものはけして、改変も消去もできない』についても、立証することにいたしましょう。



『消去』については、簡単明瞭ですね、『一番目の世界』を消去してしまえば、多世界には『二番目』から『無限番目』までの世界しか存在しなくなり、『無限』でも『すべて』でもなくなり、多世界解釈的にあり得ない状態になってしまいます。


 実は『改変』についてもまったく同様であって、改変されると言うことは、簡単に言うと『別の世界になってしまう』ことであり、例えば『一番目の世界』が『二番目の世界』や『三番目の世界』になってしまうことなのであって、『二番目の世界』や『三番目の世界』が重複して存在してしまうことについてはそれほど問題無いかも知れませんが、それによって『一番目の世界』が無くなってしまうことについては、『消去』の場合同様、世界というものが『二番目』から『無限番目』までしか存在しなくなるので、多世界解釈的にけしてあってはならない状態になってしまうわけなのです。


 よって、いくら書き換えようが──つまり、改変しようが、同じ一つの世界であり続ける、小説内に描かれた世界に完全に対応できる、現実の世界などあり得ず、小説を書き換えるごとに、それに対応する現実の異世界が切り替わっていくことになりますので、集合的無意識内にはけして、小説の登場人物そのもの自体の『記憶と知識』は、存在しないことになります。




 ──ここまでお読みになられれば、前回ご紹介した、『精神面のみの世界の改変』というものが、どんなにすごいものかおわかりになられたでしょう。




 何せ、本来ならけして為し得ないはずの『世界の改変』だというのに、集合的無意識を介して、『現在の異世界から見れば改変が行われた状態にある異世界』から、改変を加えたい人物の『記憶と知識』を引き出してきて、その人物の脳みそに刷り込むことによって、精神面限定とはいえ、事実上の『世界の改変』を実現しているのですから。

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