第5話、日本語(裏ヴァージョン)。

 新人の平課員君が外回りの職務のために課を後にしたので、結構広々としたスペースを有する、転生局転生法整備課の室内に残っているのは、課長である私だけとなり、先程の彼との会話を苦い想いで思い返しながら、ちょっと喫煙室で一服しようと席を立ちかけたところ、


「……やれやれ、あんなおためごかしで、本当に信じてくださったのでしょうかね、あの方?」


 唐突に横合いから聞こえてくる、いかにも慇懃無礼な声。

 うんざりとため息を漏らしながら振り向けば、そこは予想通りの人物が、見るからに聖職者然とした法衣を均整の取れた長身にまとい、縁なし眼鏡をかけた彫りの深い端整な顔の中で、靑灰色ブルーグレーの瞳を煌めかせていた。


 ──わずかな温度も感じさせない、作り物の笑みをたたえながら。


「……司教殿、ここは職務上秘密厳守の、お役所の中なんだが?」

 いつから潜んでいたのか、課内に設けられている物品倉庫から出て来た上級聖職者は、私の皮肉めいた言葉も何のその、いつもの通りに『お題目』を口にする。

「嫌ですなあ、こと『転生法』に関しては、我々『聖レーン転生教団』には、隠し事無しにしていただきたいものですね」


 聖レーン転生教団。

 それはまさしく、異世界転生推進派の、最大の擁護団体であり、全異世界的統一宗教組織であった。




 ──いやむしろ、影ながら、全異世界における現代日本からの異世界転生を推進し、各異世界の為政者に転生法の制定を半ば強引に推奨し、現在においても各種の政治経済団体を裏から操っている、文字通りの『すべての黒幕』的存在と言えよう。




 もちろん、名目上は各異世界の政府機関であるはずの、我々の転生局自体も、実のところは教団の意のままに動く手足みたいなものでしかなく、秘密厳守もクソもなかった。

「……別に我々は、教団に隠し事なぞしておりませんよ。毎度月末には、すべての業務に関する報告書を、必ず上げているでしょう?」

「あんな書類かみきれでは、うかがい知れないことも多々ありますからね。こうして抜き打ちに調査しているわけなのですよ」

「お偉い司教様が、自らですか?」

「ふふふ、ご謙遜を。この世界における転生局の創立メンバーであるあなたについては、教団上層部においても、常に注目しておるのですよ? ──ねえ、『勇者殺し』様?」

「……それは、若気の至りで名乗っていた、何の意味の無い仇名コードネームのようなものですよ」

「おやおや、そんなしかめっ面なぞなされて。もしかして、古傷にでも、触りましたか? ──主に、心のね」

 ──っ。

 ……このクソ坊主が、いつもいつも、人の神経を逆なでしやがって。




「それにしても、先程は面白い話をなされてましたね? ──くくく、『現代日本語』が異世界人のためになるですって? これはまた、大変皮肉の効いたお言葉でしたな」




 こちらの内心のいらだちを見て取ったかのように、ズブリと差し込まれる、言葉の刃。

 それはまさに、今一番聞きたくない台詞であった。

「……あいつにはまだ、『裏の話』は早すぎる。これは上司としての判断だ、余計な口は挟まないでもらおう」

「そうですかねえ、若者の希望に燃える心を大事にされるのもいいですが、『真実』を知った時の絶望のほうも、その分大きくなってしまうのではありませんか?」


「──その絶望的状況を仕組んでいるのは、まさに貴様ら教団だろうが⁉」


 もはや堪りかねて、ついに口を突いて飛び出してしまう、罵倒まじりの本音。

 しかし目の前の機械のごとき冷徹極まる男は、微塵も表情を揺るがすことなく、とどめの言葉を突き付けてきた。




「絶望ですって、とんでもない! まさにこれぞ、全異世界の人々の宿願であり、我ら転生教団の最大の目的なのですから。──そう、『現代日本語』を統一言語としたのは、むしろ異世界人に日本の言葉に慣れさせて、現代日本からの転生をスムーズに進行するようにさせるためなのです。何せ言語中枢が異なると、日本語を使うどころか、『日本語で考えること』すらも難しくなり、せっかく異世界よりも格段に進んでいる、現代日本の科学技術等の有益なる情報をもたらしてもらう前に、『現代日本人としての前世の記憶アイデンティティ』が消失してしまい、ただの異世界人に逆戻りしてしまうだけですしね。そうなると、我が教団が最終目標にしている、全異世界人を現代日本人と融合させて、真に理想的な新人類『神人』を誕生させることが、ますます遠のいてしまいかねず、たとえ異世界人の脳みそを変質させることになろうとも、全異世界人の『現代日本語』の習得は、何よりの急務なのですよ」

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