第4話、日本語。

 ──転生法第54条、全異世界の共通言語として、読み・書き・会話の別を問わず、すべて『現代日本語』に統一する。




「……アホか」




「うん、どうした、条文の中に、何かおかしな箇所でもあったかね?」


 その日、某異世界『転生局転生法整備課』にて、ほんの最近制定されたばかりの『転生法』を読み直していたところ、目にとまった一文のあまりの馬鹿馬鹿しさに、『主事』と呼ばれる平課員である私が、思わず深々とため息をついてしまえば、すぐ近くのデスクに座っていた直属の上司の課長殿が、訝しげな表情で声をかけてきた。


「……ええと、ですね」

「ああ」

「転生法の条文を読んでいてですね、ちょっとひっかかったところがあったんですよ」

「ほう、どこだね?」

「54条ですよ、54条! 何ですかこれ、『現代日本語』を、全異世界の共通言語にするって⁉」

 堪らず、つい声を荒げてしまったところ、

 ──課長の反応は、予想の斜め上を行くものであった。




「ああ、それか。いろいろと物議を醸しそうな転生法の中にあって、珍しく良案だよな」




 ………………………………は?

「な、何が、良案ですか⁉ 知能を持つ生物としての人間にとって最も重要とも言える、言葉を無理やり変えさせられようとしているのですよ⁉ この前のクリスマスとかの比ではなく、これじゃ完全に『敗戦国』扱いじゃないですか⁉」

 あまりの言葉にいきり立つ平課員だったが、課長殿のほうは落ち着き払ったまま、穏やかな口調で更に話を続けた。

「まあまあ、気持ちはわかるが、少しは落ち着きたまえ。異世界人としてはともかく、転生局転生法整備課の課員としての立場で、考え直してみたらどうだね?」

「……異世界人ではなく、整備課の課員として、ですか?」

「ああ、我々整備課の人間にとって、転生者と異世界人との間の言葉の問題は、母体である転生局が設立されて以来、ずっと頭を悩ませてきた最難問の一つなのであり、そのパターンも多種多様に分かれていて、例えば一番最初に異世界に転生することが決まった際に、それぞれの異世界を司っている女神等から、翻訳スキルの類いを与えられたとしても、この時点ですでに、『スキルを与えることを明言する』パターンと、『何も言わずに与えられていて、異世界において初めて気がつく』パターンとの、二つのケースに分かれてしまい、更にそのスキルを細かく分けると、『会話もできるし文字も読める』パターン、『会話はできるが文字は読めない』パターン、『お互いに別々の言語を話しているが、自動的に翻訳されている』パターン、『明らかに日本語の読み書きをしているのに、「……ニホン語って、何ですか?」などと、あくまでも異世界人がすっとぼける』パターン等々、まったく統一が取れていないんだよな」

「た、確かに」

「現代日本からの転生者と異世界の人々との間の、円滑なる橋渡しコミュニケーションの実現を目指して、各異世界において設立された転生局の人間が、当時どんなに苦労したものか。何せ我々局員自身と転生者との意思の疎通がうまく取れるかどうかについてすらも、それぞれの異世界を司っている女神様のさじ加減一つだったんだからな」

「そ、そうだったんですか、課長たちのような、転生局発足当時からの古参の局員の皆さんの、ご苦労が偲ばれますね」

「転生者や異世界の一般市民はもちろん、我々のような転生局の職員も含めて、みんながみんな苦労するくらいなら、どんな女神様に司られているかにかかわらず、すべての異世界の統一方針として、『現代日本語』を共通言語にすることこそ、むしろ理に適っていると思うんだがね?」

「あ、でも、言葉が通じないなら通じないで、転生者が一から異世界の言葉を覚えていくといった、ある意味『現実的な』異世界物語も、最近結構注目を集めていますよ?」

「……おいおい、前にクリスマスとかハロウィンとかに関して言ったが、各異世界において、あれだけ大勢現代日本からの転生者がやって来ておいて、『現代日本語』がまったく伝わっていないなんてことはないだろうが? もはや異世界において『現代日本語』というものは、一般市民にはあまり馴染みがないが、知る人ぞ知る、ちょっと珍しい外国語的な扱いなんだぞ?」

「えー、またそんな、メタ的理論を」

「メタで、大いに結構。現代日本の『カクヨム』や『小説家になろう』等の小説創作サイトにおいて無数に公開されてきた、異世界転生作品や異世界転移作品の実現性を否定するということは、己自身の異世界系作品の実現性をも否定するということなのであり、その『一から異世界の言語を習得する物語』も成り立たなくなり、それが嫌だったら、どんな異世界転生物語であろうとも、すでに『現代日本人が異世界転生してくるのは当たり前』となっている世界観のもとで、すべてを考えなければならないだよ」

 いや、わかるけど! そもそも非現実的な『異世界転生』なんてものを、現実のものとして話を進めるには、メタを否定することはできなくなるのも、理解できるけど! それを言っちゃ、おしまいなんじゃないの⁉

「……大体がですねえ、『現代日本語』なんていう、各異世界における一般市民の皆さんにとっては、まったくの未知の言語を、そう易々と習得できるものですかねえ?」

 あまりに極論じみたことを言われて、辟易しながら言い返した、我ながら至極もっともなる意見。

 しかしその時課長の口から放たれたのは、更なる予想外な言葉であった。

「ははは、他ならぬ君が、何を言っているのかね? 異世界人が『現代日本語』を習得するのが、それほど困難なことでも無いのは、もはや自明の理ではないか?」

「ど、どうしてそんなことを、断言できるのですか?」

「どうしてって、そりゃあ当然だろう? そもそも今現在、君と私が使っている言語って、一体どこの言葉かと思っているのかね?」

 は? 課長ったら、何を当たり前のことを、聞いているんだ?




「──そりゃあ、『現代日本語』に、決まっているじゃないですか?」




 ………………………………あれ?

「そうだよな? 特に我々転生局の職員は、何かと転生者本人と直に交渉やりとりすることも多いから、『現代日本語』の習得は必須で、職員採用試験の最重要科目にもなっているくらいだし、こうして勤務中においても、常に『現代日本語』を使うことが、当たり前の状況となっているよな?」

「そ、それはあくまでも、我々が転生局職員として、必要に迫れて、自然と習得していっただけでして……」

「だから、現在においては、すべての異世界人が、『現代日本語』を習得しなければならない、必要に迫られているわけなんだよ。何せ何度も言うように、次から次と現代日本から転生者がやって来て、勇者や救世主等の世界の中心的人物のみならず、地方貴族の八男坊や下級役人の本好きの娘等の極ありふれた人物に、場合によっては蜘蛛とかスライムとかドラゴンの卵といった人外に至るまでが、何らかの形で現代日本ゆかりの『文化』を広めていっているのだ。彼らが前世で使っていた言葉──すなわち『魂の言語』であり、日本文化を理解するために必要不可欠な『鍵』である、『現代日本語』の習得は、現在における転生者たちの影響による、異世界そのものの大変革時代に乗り遅れないためにも、全異世界人必須の最重要言語と言えるだろう」

「……あの、何か、『異世界転生』と『異世界転移』とが、ごっちゃになっているようにも思われるんですけど?」

「ああ、また日を改めてじっくり述べるつもりだが、我が転生局においては、それこそ現代日本の物理原則に則って、『ある意味精神的現象である異世界転生は何とか実現可能だが、物理的に肉体そのものが世界間を移動する異世界転移なんてけしてあり得ない』こそをモットーにしているから、一見『異世界転移』的イベントと思われるものも、異世界転生によって行われたものと見なしたまえ」

「え、それって、異世界な居酒屋もですか⁉」

「うん、あれも単なる異世界の飲み屋のおっさんが、自分のことを現代日本人と思い込んでいるだけだから。──あくまでも現実性リアリティと物理法則に則れば──だけどな?」

「ま、まあ、そういった危ない話は、今回は置いとくとして、確かに『現代日本語』がすべての異世界に広まっていけば、我々のような転生局の職員を始め、転生者の現代日本人的行動によって利益を得ている勢力──例えば、転生勇者に魔王を退治してもらったり、転生八男坊や転生蜘蛛や転生スライムや転生ドラゴンの卵の腰巾着になってうまい汁を吸ったり、製本や活版印刷業に従事して莫大な利益を得たり、居酒屋チェーンを全異世界に展開したりしている、各異世界転生物語の主人公側の脇役的人たちはいいでしょうが、それらの敵対勢力や、それぞれの異世界ならではの言語文化を守るべきだと考えている人たちには、根強い反感や違和感があるのではないでしょうか?」




「いやいや、そんなことを思っているのも、最初のうちだけで、これからもどんどんと異世界転生イベントが続発し、現代日本の文化があらゆる異世界に根付いていけば、敵対勢力は転生者の何たるかを知るために、保守的考えを持つ者たちだって君がそうであったように本当に必要に迫られれば、自ずと『現代日本語』の習得に走ることになるだろうよ。なぜなら、もはや現代日本の文化がすべての異世界に伝播していくことは、避け得るものではなく、むしろ我々は無条件かつ前向きに享受していかねばならないのだからね。──ふふふ、いつの日か誰もが『現代日本語』を普通に操る時代となって、何と生粋の異世界人でありながら、『カクヨム』や『小説家になろう』等の異世界系の作品の愛読者たちが、異世界中で現れてくるかもな♡」

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