・幼年部のエミーリア

第5話(5)エミーリアの入寮


 リンデが 大恩ある先輩であり、その能力を高く評価している3人の侍女に エミーリアを引き会わせたのは、彼女が初対面を済ませた2日後であった。「善は急げ」ではないが、気がいて仕方がなかったのだ。


 結果は彼女の思惑通りになった。3人は、異口同音にエミーリアの価値を認め、『専任侍女』になる事を了承した。


 「あの子は、教えれば何でも吸収してしまいそうね。それに優しい目をしているわ。この奇麗で凄い魔力、本物のようね」


 「好奇心旺盛な積極性が好ましい。小さいが、鍛え甲斐がありそうな素材だな。私の全てを伝授しよう」


 「感じた事の無い 不思議な魔力の持主ね、興味が湧くわ。性格も、素直で好い子ね。上手に育てれば、良い主人あるじになりそうだわ」


 ■■■


 エミーリアの身長は1メートルに満たない(実際は80センチメートル程度のまま)。

 彼女が 侍女達に何もさせて貰えず、ベッドの上にいるのは、仕事の邪魔になるからである。


 「この部屋は あまり使わないのだから、家具や調度まで変える必要は無いと思うのですが」

 この エミーリアの言葉は、全く無視された。


 侯爵家において与えられた彼女の部屋は、本来 来客用として空けてあったものの一室だ。

 日当たりの良い、他の客室とは かなり離れた場所にある。それは特別な客用に造られた、ある意味では貴賓室と言って良い。


 侯爵の来客で 宿泊するような客は、このような小さな子供、ましで女の子など想定していない。

 彼には エミーリアが居住するに相応しい部屋を、ここしか思い浮かべられなかったのだ。


 この部屋にしつらえられた家具・調度は、重厚で上質なものが並んでいる。壁の色も 灰色を基調にしたモノトーンである。重厚な雰囲気の中、過度の飾りはない。


 実のところ、エミーリアがこの部屋に入るのは 寝る時以外では、ごく少ない。

 やはり子供、特に女の子には少し敷居が高い。重厚な雰囲気は圧迫感さえ与えているのだった。

 侍女達の手によって それを可愛らしいモノに換えて貰えるなら、それは それで、彼女も嬉しいのだ。


 「この部屋はソーン侯爵、貴女の義父様おとうさまが お決めになった貴女様のモノです。

 学校が休みの日とかで帰って来る必要があった場合には、この部屋を使用する事が決まっています」

 「でも、そんな事 何度もないと思いますが」


 「1度でも、その可能性が あるのであれば、整えておく必要があるのです」

 「そうなんですか。貴族って、無駄な事をするのですね」


 「無駄。だと思いますか」

 「はい」


 リンデは、微笑んで言葉を継ぐ。

 「じゃ、この部屋に ずっと居たいと思いますか。あと3箇月、いえ卒業したら何年も、ですよ」

 「嫌です!」


 間髪入れず答えたエミーリアであった。「あっ」次の瞬間、うっかり本音を出してしまい頬が朱に染まる。


 リンデは『か、可愛い! 抱き締めたい』という衝動と、心の叫びに耐えながら、何でもないように結論を下した。

 「そ、そうでしょう。だから改装しているのです」


 今までの3箇月は勉強に夢中(主に好奇心が故に)で、周囲が全く見えなかったのだ。

 最近は余裕が出来た筈のエミーリアが、あまり宛がわれた部屋に居ない事に最初に気付いたのは やはり、リンデだった。


 彼女から見れば その部屋は、確かに重厚ではあるが、落ち着いた雰囲気の特に気になるようには見えかった。

 しかし、と思案する。

 ここに住まうのは8歳の少女なのだ。


 リンデが改装を侯爵に進言し、許可を得た。

 「あの部屋は、小さな女の子向きではありません。改修して宜しいでしょうか」

 「そうなのか。別に構わないが」


 貴賓室に近い この部屋の位置は、元々良いのだ。内装を部屋の主人に合わせれば良いだけの話しである。


 リンデとしては、寮邸の内装を整えるための予行演習のような気分である。もちろん寮の内装とは趣旨が違うのだが。

 ここは思いっ切り可愛いモノにしても良いのだ。エミーリアの『専任侍女』達は皆 張り切っている。


 だがエミーリアとしては、自分が置き去りにされているようで面白くない。

 「私も何かしたないなぁ」

 これ見よがしに呟いてみる。

 しかし、誰からも反応がなかった。


 考える迄もなく、それは当然であった。

 1番小柄なレニンでも160センチメートルあるのだ、エミーリアが ウロチョロしていると、それが気になって仕方がない。

 仕事がはかどらない事もあるが、視界から消えると危険だからである。

 そのレニンでさえ80センチメートルほどの身長差、1番背の高いロミリに至っては、差は90センチメートル程にもなる。

 この差は想像以上に大きい。


 エミーリアは、最初こそ不本意な扱いに不服を抱いていたが、学校の校則や その歴史本を開いて退屈を紛らせた。

 しかし校則はともかく 学校の歴史は、読み始めると意外にも面白かった。

 読んでいる内に夢中になり、そのまま眠ってしまった。


 エミーリアの知らない間に、その部屋は、間違いようのない「女の子の部屋」になっていた。


 ■■■


 リンデと、彼女が選んだ3人の侍女達は、エミーリアより14日前から何度も、学校にある 主人あるじが入る寮邸へと赴き、その内装を整えた。


 寮邸の広さは、中規模商店の邸(平屋)くらいはありそうだ。主人の使う部屋2つと、居住用3部屋+応接室+食堂+台所、と水回りだ。


 一般的な建屋とは、随分違うようだから詳細を記す。


 エミーリアが2部屋(居間と寝室)、居住用の部屋は2部屋(2部屋共、従者5人部屋)は侍女達3人で使い、近侍用の部屋にはリンデが入る。

 近侍用の部屋とは、主人の寝室と繋がった 隣室にある部屋の事である。護衛用も兼ねているので10人が寝泊まりしても良い程の広さがある。

 ロミリが漏らした感想は、全員共通のモノだ。

 「いや、流石は貴族用の邸、寮だと言うのに広いな」


 この学校は全寮制ではない。

 通学する生徒も多いし、貴族の中には 近辺に土地・建物を購入するような、バカ親もいる。


 だから寮邸の全部が埋まるような事は、普通は あり得ない。

 特にエミーリア達が入る『貴族寮』は、入る者が少ないようで、5軒ある建物の内、使われているのはエミーリアが入る建物だけである。


 貴族寮の南端にある邸には『エミーリア・ソーン』の名札が付いていた。何でもないようだが、これにはリンデが驚いた。

 「えっ。……これって」


 他の侍女から聞いていた 今まで養子になった者達の名札とは、家名が違っていたのである。

 リンデが徐々に思い出して来ている エミーリアに関する予知の記憶では、他の養子と同じ家名で『エミーリア・ウ・ソーン』だったのだから。


 これの意味するところは大きい。ソーン侯爵は 公的に、ではなく私的に彼女を養女としたのである。

 「さすが、ソーン侯爵。人を見る眼があるわね」

 ルビイも気付いたようだ。


 部屋付きの侍女は彼女達4人だけであり、部屋付き以外の侍女は、エミーリアには存在しない。

 ソーン候爵は、数よりも質を選んだのだ。


 リンデ達は その部屋に持って行くべき、エミーリアの学用品などの持ち物から、衣類を始め家具・調度に至るまで慎重に吟味した。

 華美に過ぎず、品質の良いものを厳選したのだ。


 もちろん それはエミーリア本人用の品物だけでなく、彼女の傍にいるリンデ達 侍女の持ち物にまで及ぶ。

 彼女達が軽んじられるような事のないように、である。

 そのような事があれば、それは主人の恥となる。そんな事は決して許されないのだ。


 念入りな準備をする彼女達は、エミーリアのために働く事、そのものが嬉しくて堪らないようであった。


 ■■■


 準備万端整えたこの部屋に、主人を迎えた『部屋付きの侍女』を代表して、リンデが出来得る限り優雅な所作で、可愛らしい柄の入ったティーカップを、侯爵家から持参した(もちろん候爵には了承を貰っている)小卓子テーブルに置き、寝室のベッドに寝転がって本を読んでいるエミーリアを確認する。


 読んでいるのは『学校の歴史』である。よほど気に入ったようで、整えられた卓子の様子にも気付いていない。


 リンデが声を掛けた。

 「お待たせ致しました。どうぞ、お茶を召し上がれ」


 その声にエミーリアは身を起こし、本に栞を差してベッドから降りて居間に向かいながら言った。


 「ありがとう。あっ、貴女達も同席してね。1人じゃ つまらないもの」


 いつもの事である。エミーリアには身分感覚というものがない。これは平民(実は貧民)育ちという、差別される側の気持ちを知っているから とも考えられるが、本人も無意識の言動である。

 もちろん リンデは、何となく察しているようだが。


 「畏まりました」

 「ふふっ。畏まる必要なんてないわ。他に誰かが見ている訳ではないし、気楽にしましょうね。

 わぁ、可愛い絵柄の茶器ね」


 意識もしていないようだが、とても優雅な所作で席に着きながら そう言って、エミーリアはリンデの淹れた茶の香りを堪能した。そして一口含んで、満面に微笑みを浮かべ言葉を添えた。

 「うーん。美味おいしい」


 その笑顔と言葉は、彼女には知るよしもないが、侍女達の これまでの苦労を一気に解消させるものであった。


 この茶は、侍女達がエミーリアのためにブレンドしたオリジナルで、味と香りが彼女の好みに合うようにと創られたものだ。

 今回の 茶の仕様は『くつろぎの茶』である。


 これらはオリジナル・ブレンドではあるが、素材は普及品である。高級過ぎて入手が難しいようなものでは困るのだ。

 香りや味が良い品である事は必然ながら、何時でも必要とされる量を入手出来ないようでは意味がない。

 茶葉は幾種類も必要なのである。

 エミーリアの その時々の体調と心理状態を把握して、相応ふさわしいものを選ぶ必要があるのだ。


 侍女達は原料茶葉で12種類、そして その組み合わせ比率の違うものを、数多く揃えている。

 それは、リンデの発案で(これはエミーリアを意識して造った訳ではない、ソーン侯爵用のモノもある)2年前から研究されて来た成果である。

 現在検討中の原料茶葉も幾つかある。


 そして現在、実際にエミーリア用の飲料として使える完成品だけでも100種を超えている。

 茶を蒸す時間、茶の濃度や湯温、砂糖とミルクの種類や分量によって味は微妙に変化するのである。

 それが どこまで増えるかは本人達にも見当が付かない。


 それらを全て覚え、エミーリアに提供出来るのも リンデの技量である。


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