第3話(3)リンデ、エミーリアと対面する


 大きな音がしたので、リンデは その音の元であるソーン侯爵を、従者用控室の窓から確認した。


 そして彼の視線を追って(彼女は そういう細かいが、絶妙の感性を持っている)その少女を見たリンデは、愕然とした。

 「エミーリアが、なぜ現時点でここに……」


 エミ、後のエミーリアは、その時 まだ7歳であった。彼女はリンデの予知より5年も早くソーン侯爵家の養女となったのだ。


 その日、侯爵邸に帰ってから暫くすると リンデは高熱を出し寝込んだ。40度近い高熱だった。

 意識が朦朧として仕事中に倒れたのだ。幸いにも負傷する事は無かったが、危うかった。


 4日後 熱が下がり回復した時、彼女の中で 予知に関する記憶の一部、エミーリアに関する『未来の記憶』が消えていた。


 だが これは良い事だったのかも知れない。

 もう既に、現実と(未来の)記憶とのズレが十分大きい。それがこれから起こる筈の、彼女達が造るを邪魔する事になる可能性だってあったのだから。


 ■■■


 ソーン候爵から エミーリアの『専任侍女』になる話を持ち掛けられた時、リンデは 正直なところ、心奥で不快感を持った。


 養女となり 現在は侯爵令嬢であるとはいえ、エミーリアは平民であった。別に平民に仕えるのは気にしていない。だが、『専任』となれば話しが違う。


 予知の記憶が消えてしまって、リンデには本来の記憶しか残っていない。この状態では悩むのも仕方ない事である。


 『専任』を冠する職名は 絶対の忠誠を、一生、家ではなく、その対象である誓うという意味なのだから。


 平民出身の少女を一生の主人あるじとする事に対し、もう3年も前に捨てた筈の、彼女の中に僅かに残っていた貴族としての矜持が、チクリと疼いたのだ。


 さすがに「いな」と即答するような事は出来なかったが、リンデにとって不本意である事には変わらなかった。

 「……」


 無表情になって黙り込んだリンデを見て、ソーン候爵は 彼女の心中を正しく理解した。

 しかし、彼は諦めていなかった。


 「返事は 直接、本人に会ってから決めると良い。

 エミーリアには、この件の詳細は伝えていない。世話をする侍女の、

候補の1人 程度だ。まずは先入観を持たず会ってみろ。

 会った後であれば、拒否する事も許す」


 いくら不本意でもリンデの立場では、雇い主の ここまでの譲歩に従わない訳にはいかない。


 「……はい。その方に お会いしてから回答致します」


 エミーリアとリンデの初対面は、少女が学校の寮に入る予定となっている日から 3箇月ほど前の朝だった。


 リンデにとって、それは あまりにも大きな衝撃であった。

 彼女は エミーリアが受けている教育は、現時点でたった3箇月間ほどの、「付け焼き刃」のようなものだと知っていたからである。


 それなのに 目の前の、8歳になったばかりの少女は、3年前まで本物の貴族であった15歳のリンデ自身より、遥かに それに相応しく見えた。

 彼女は、思わず臣下の礼をとってひざまずいていた。


 窓際に座る正装した小さな淑女は、美しいというより 可愛いと言うのが正しかった。


 「はじめまして。エミ、いえ エミーリアと申します。

 事情は ご存知だと思いますが、もし そちらに不都合がなければ、今後も お世話になる事になります。

 宜しければ お名前を教えて頂けませんか」


 呆然と見惚みとれていたリンデは、慌てて返事をした。


 「あ、はい。リンデと申します。この侯爵邸に勤め始めて まだ3年の若輩でございます」


 「お年を聞いても良いかしら。私は8歳です」

 「はい。15歳でございます。

 こちらこそ、どうぞ宜しく お願い致します」


 知る者は皆無だが エミの実年齢は、まだ6歳になったばかりである。8歳児としての、一般的な者と比べて体が小さいのは当然であった。

 しかし これを知る者は、本人を含め誰もいない。


 エミーリアの 現在の公式年齢は、8歳となっているのだ。


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