第2話(2)不思議少女、エミ


 夏、暑い最中さなかである。


 世界的には 小氷期に入っているとはいえ、ここは南国、真夏になれば暑い日もある。


 例年であれば この時期には、家族と共に母国で休暇を満喫していたであろうソーン候爵が、西王国ウェストンに残ったのは 彼が『東公国イーステンの大使館』の館長であるからだ。今年は交代要員の都合が付かなかったのだ。

 結果、大使館・館長だけが居残りとなった。

 こんな事は、彼がこの職に就いて初めてである。


 ソーン候爵が 今いる場所は、彼が投資して建設した孤児院の一つ、つまり視察という訳だ。


 侯爵は貧民を対象にした、幾つもの こういう施設を建設・管理している。

 これは母国の意向で、人権の無い貧民であれば 簡単に引き取る事が出来るし、出国も容易だからである。

 実際 簡単な書類を作成して申請すれば、その時点で養子縁組は完了である。審査もない。こうなれば出国に支障などある筈がない。


 彼の母国は有能な人材を欲している。才能ある子供を見出し、養子にして教育を受けさせ、母国に送る。それが大使館・館長であるソーン侯爵の、重要な仕事の1つなのである。

 彼は これまでに、30人以上もの 才能ある子供を本国に送っている。


 ここは建設後8年になる そういう施設の1つである。


 ■■■


 ソーン候爵は建物の中から、外で元気良く遊ぶ子供達を眺めていた。


 その中に、ひと際 目を引く少女がいる。

 零落した貴族の末裔かもしれない。整った顔立ちに淡い朱金の髪、濃い緑色の瞳をしており、卵色をした肌は『黄色いヒト』である事を表している。

 ――少なくとも この国では、直近に貴族の親族はいないだろう。


 身長は1メートルには、全く届かない。

 「今は 80センチメートル近くは、きっとありますよ」

 成程、見たまま 小さい訳だ。

 しかし おそろしく敏捷すばしこい。今は『陣取り』をしているようだ。

 ――ここの院長が薦めている対象者で、エミという名前だと聞いている。


 孤児院の院長は 少女、エミと会った時の事を思い出していた。それはの事であった。

 彼女は孤児院の仕事が忙しく、貧民街への訪問は定期的に行うと決めていた。そうしないと、暇を見つけて訪れる事など、事実上 不可能だったからである。

 その日は この孤児院を開院して初めてだったが、彼女の時間が空いた。何も予定の無い時間がポッカリ生まれたのだ。

 院長は この際だからと、貧民街に その時多忙だった何時も連れて行く供とは違う、魔術師として独立するには魔力の量も質も不足だが、一般の生活魔法よりは少しばかり上等な魔法を使える人物を連れて行った。


 そこでガリガリに痩せた、天涯孤独な小さな子供を発見した。それがエミである。

 供の者による「この子は、大きな魔力を持っています」との言葉で、少女の身辺調査をしたが、何も分からなかった。

 年齢さえハッキリしなかった。「5歳くらいじゃないか」という者がいたので、それを信じる事にした。名前も同じ、本人は知らなかったのだ。

 当然だが 少女は自身の誕生日も知らなかったので、その 邂逅の日を誕生日と決めた。忘れもしない10月20日である。


 エミは、院長が保護する前の記憶が殆ど無い。よほど辛い事があったのかも知れないと、深く調べる事はしなかった。


 少女の身長は 70センチメートルに満たない程と、非常に小柄で、しかし とても元気になった。人懐っこく、座学にも積極的で、恐ろしく記憶力が良い。


 好奇心も旺盛で、何でも知りたがった。

 「これは何?」「この言葉の意味は?」「ねえ ねえ、あっちにある草は、薬草だよね」等と、皆が困惑するほどだった。

 孤児院の職員は、そんな彼女をとても可愛がり、請われるままに多くの知識を与えたようだ。


 そして 当然というべきか、エミは魔法が使える。


 ソーン侯爵が見ていると、ようやく『陣取り』の状況が動き始めた。捕虜にした者達を何度も彼女に奪い返され、ついに エミの存在が勝負のカギだと、相手側に気付かれたのだ。


 少女が8人の男の子に、大きな木の根元に追い詰められた。

 8人で掛からないと、動きを止められなかったのだ。木が無ければ、それでも難しかったかも知れない。


 囲んだ者達が非常に慎重に距離を詰めていく。候爵からすると その慎重さが不自然に見えるほどだ。


 {なに!」

 次の瞬間、ソーン候爵は突然立ち上がった。座っていた椅子が大きな音をたてて倒れた事にも気付かない。

 院長は この侯爵が、こんなにも動揺するのを初めて見た。


 この世界には魔法が存在する。

 西域は分からないが、東域では住人の殆どが魔法を使える。だがそれは生活魔法といわれるレベルのものだ。

 魔法を使う錬金術師とか魔術師と呼ばれるほどの才能を持つ者は、10パーセント未満である。

 ただし、これは一般魔法についてであり、特殊魔法については更に少ないし、発見する事すら難しい。


 それが目の前にいるのだ。彼が驚くのも無理はない。


 ■■■


 1人の少年が少女、エミに手を伸ばし捕まえようとしたが、それは空を切った。

 少女の姿が消えたのだ。


 男の子達は 彼女の姿を見失ったようだが、離れた位置から観察していた候爵には見えた。

 エミは何の予備動作もなく、真上に跳躍ジャンプしたのである。地上から3メートルほどの位置にある枝に。


 「サイキックか」

 ソーン候爵は思わず声を出した。質問ではない、ただの呟きだ。


 「そうとも限りませんよ」

 思いも掛けず彼の言葉に答えたのは 同席していた当施設の院長で、小太りの中年女性だ。笑顔が とても優しい。


 「どういう意味だ」

 少女が起こす こういう事例を何度も見ているであろう女性に対し、侯爵は 今度は、明確な質問を発した。


 「意識を集中しているようには見えません」

 彼は眼前で起きた事と 自身の知識とを比較し、確かに彼女の言葉が正しい事を認識した。


 特殊魔法の1つであるサイキックの類は、集中しないと発動しないのが常識だ。そのため あまり実用には向かない能力だ、とされている。


 「では、何だと思う? あの少女に、自力であそこまで跳躍する筋力があるとは とても思えない」

 ――予備動作が全くなかったのも不自然だ。


 少女は更に上の枝に飛び移り、枝の端まで走り、そこから地上に飛び降りた。5メートル以上もの高さであった。

 それに 着地した位置が離れ過ぎている。あれでは まるで、飛行んだように見える。

 やはり 精神を集中しているようには見えない。


 「サイキックではなく、精霊魔法である可能性もありますが、それでも……」

 「あんな事は まず無理だろうな。

 ふむ、結局 分からない、か。だが、このまま放置は出来ないな」


 「……そうですね」

 院長は、明日から この孤児院は少し静かになるだろうな。と思い、少し寂し気に答えた。


 少女、エミは その日の内に侯爵邸に迎え入れられ、ソーン侯爵家の養女となった。


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