三重の百合

平中なごん

一 恋しき女生徒

「――位置について、よーい……」


 パーン! という乾いたピストルの音とともに、黄金色の夕陽に染まるトラックを女子部員達が一斉に走り出し、芸術的な等間隔に並べられたハードルを舞踏のように美しい動作で跳び越えて行く……。


 部活にいそしむ生徒達の喧騒に包まれるグラウンドの片隅で、わたしはフェンスに五本の指をかけながら、彼女達陸上部員の走る姿をじっと見つめていた。


 否……わたしが見つめているのは彼女ではない。


 その中のただ一人、先頭を走る少女の肉体に、わたしの眼は釘づけになっている。


 夕陽を浴びてほんのり赤く染まる、よく引き締まった小麦色の太腿……その下に続く若鳥の肉のように張りのあるふくらはぎ……無駄な贅肉はなく、それといって痩せすぎてもいない、女性らしいプロポーションを保ったまま必要な所にだけ筋肉のついた、まるでギリシア彫刻の女神のように絶妙な健康美……思わずこうして、時が経つのも忘れて見入ってしまう。


 円木楼蘭まるきろうら……女性のわたしから見ても、なんとも魅力的で蠱惑的な女の子だ。


 ……いや、それはちょっと違ったな。そもそもわたしは、男の子よりも女の子の方が好きなのだ。


 全体的に筋肉質で硬く骨筋張って、なんだか妙に脂ぎった臭いのする男なんかよりも、たとえ同じ筋肉であってもふくよかで柔らかく、甘酸っぱい薫りのする女の子の方をわたしは好むのである。


 中でも特に若くて瑞々しい、彼女のように健康そのものといった感じの美しい肉体を持つ女の子のことが……。


 しかし、彼女を見初めたのはこのグラウンドの上ではなく、わたしが彼女のクラス担任になり、最初のホームルームでみんなに自己紹介をしてもらった時のことだった。


 一目見た瞬間、大勢いる生徒達の中でも彼女が特別な存在であることはすぐにわかった。


 わたしの中の野生の感がそのことを潜在意識へと伝え、わたしは胸の高鳴りを覚えるとともに生唾を口内に溢れさせたのである。


 こんな出会いはなかなかあるものではない……なんとかして彼女をわたしのものにしたい……。


 ……でも、わたしと彼女の間には越えてはならない大きな障壁がある。


 わたしは教師、彼女は生徒……どんなに恋焦がれようとも、けしてその一線を越えてはならない立場なのだ。


 それでも、100mのハードル走を全力で駆け抜け、清らかな汗を陽光に煌めかせながら、肩で荒い息をする彼女から目を離すことができない。


 わたしは情欲と倫理観の板挟みになり、その耐え難い苦悶に五指をかけたフェンスをギュっと握りしめる。


 「……ハッ!」


 と、その時、不意に顔を上げた彼女の視線と、劣情を帯びたわたしのよこしまな視線が交錯した。


 気恥ずかしさと後ろめたさ……その気まずさに耐え切れず、わたしは慌てて後を振り返ると、咄嗟に見惚れていたことを誤魔化そうとする。


 これではむしろ見ていたことバレバレだし、余計に怪しく思われてしまうだけだろうけれども……。


 だが、もう今からでは後の祭りだ。


 恥ずかしさのためか、それとももっと別の感情のためなのか? わたしは顔の火照りと息苦しいほどの動悸を覚えながら、そのままグラウンドに背を向けて速足でその場を逃げ出した――。

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