4-3-7 宮城支部襲撃(裏) その1



「――あと、ずっと言ってるけど、研究者は可能な限り生け捕りにしてね。情報を引き出したいからさ」

「了解しました。奔獏ほんばく――いえ、四藏匡人よつくら まさと様」


 指示を出し終えた俺は、怒号と悲鳴の飛び交う研究施設の廊下を、護衛も付けず悠々と闊歩した。MCG機関/研究部に所属する変異者ジェネレイターたちの制圧は、他の者だけで十分に間にあっている。終わるまで暇なので、ちょっとした散策気分だった。

 俺たちの狙いははなから宮城支部にはなかった。それは、誰もがMCGとて薄々は知るところだろう。

 あんな所に何があるというのか。宮城支部襲撃に参加している者たちには、率先して派手に暴れまわってもらい、MCG機関の注意を少しでも惹いてくれればそれで良い。

 その間、俺たちは目星を付けておいた各国の研究部を襲う手筈だ。俺が順に、上から中国、日本、ラオス、アイスランド、南極――その内、俺の率いる『二班』は日本の研究部へと赴いていた。


「私も驚きました。まさか、東京の地下にこのような大規模研究施設があったとは……」


 周囲から俺以外の二班班員が消えた所を見計らったように隣に現れたジェジレㇿがそう言った。随分と前触れのない登場だが、俺に驚きはない。なかば、予想していた。


六道鴉りくどう あのおかげだよ。彼女に教えてもらったのを……。恐らくは、一巡……いや、の時にだろうな」


 今回、俺たちがここまで大それた事をした目的は、『資料』を見つける事。中でも、『に関する資料』を最優先に探している。

 逃げた忌術師が処理していったのか、それとも最初から存在しなかったとでもいうのか、拡張領域内をひっくり返してみても、クローンに関するものは一切残されていなかった。研究者も、研究施設も、研究資料も。

 聞く所によると、『宮城支部作戦』の折、クローン研究に使っていた拡張領域を防衛に転用したという。まさかとは思うが、『処理』はこの時から始まっていたのだろうか? ……考えすぎかもしれない。しかし、仮にも成功した部署を縮小、解体するような真似をする他の理由も思い当たらない。

 とにかく、『資料』は先程挙げた中国、日本、ラオス、アイスランド、南極の五つの研究施設に保管されている可能性が高い。この情報の提供者は『キメラ部門』の研究者だ。『クローン部門』の研究者は全員処理できたようだが、こっちまでは手が回らなかったらしい。時間的な制約か、うっかりなのかは知らないが、俺の【短剣】を使うまでもなく単純な精神干渉を介して情報は引上サルベージできた。

 彼曰く、『クローン部門』の纏め役――恐らく忌術師――が、何度か利用していた座標があるらしく、それを偶々盗み見て覚えていた、との事。そして、その座標と六道鴉りくどう あが二巡前に齎した情報と擦り合わせる事で浮かび上がってきた五つの内の一つがここという訳だ。

 遠く戦闘音が聞こえる研究施設の廊下を、なおも余裕たっぷりにゆっくりと進みながら、俺は退屈しのぎに世間話を振ってみた。


「なあ。一体、どんな気分なんだ? 何ものにも縛られぬ自由人生を謳歌する気分というのは」

「え? ふふ、それはもう『格別』という他ないかと。頭の中に燻っていた雑事のことごとくが取り払われ、まるで爽やかな風が常に吹き抜ける草原に寝転がっているかのような解放感です」

「そりゃ羨ましい。【これ】は……自分には刺せないからさ」


 俺は左腕という鞘に収まっているであろう【黒い短剣】へ目を落とした。

 ためらい傷、というものがある。人が自刃を試みる際、幾ら頭で決心していようと、いざ自身へ刃を突き立てる段になると途端に怯え、震え、深く突き刺す前に周囲の皮膚を浅く傷つけてしまうらしい。それが、ためらい傷だ。

 これは仕方のない事なのだと俺は思う。人間だけでなく、全ての生命体に深く根ざす本能だろう。恐らく、俺自身に【短剣】を突き立てられないのも同じ理屈なのだ。持って生まれた生存本能――『生きろ』という至極単純な命令がためらいを生み、自信へ刃を突き立てる行為を阻んでいる。

 しかし、こうして鞘に収めている間にも、その【効能】は俺の身体に影響を及ぼしているようだ。何故なら、の記憶を思い出せるし、さっきジェジレㇿが言ったような感覚を微々たるものながら俺も感じているからだ。


 第??次情報開示


《體》

 [■■師]用語。感覚質クオリアとも。

 主観認識によって定義される。その性質上、有形無形、[規模]を問わない。

 五感によらずアプリオリに定義したい場合は[座標]か[名]を用いる。

 特に[名]を知れば、その個体をほぼ掌握できるが[■名]でなければ意味がない。


《異能》

 誰しも定量の干渉力を持つが、どれほど引き出せるかは行使者の[6正義感]に左右される。


 もう少し……もう少しで完全に解放される……。

 感覚的にはそう分かるのだけれど、最後の最後、一番肝心な所がこびりついた油汚れのように中々拭いきれない。他の奴等に聞いても、紙に書いてもらっても、認識できないのだ。呆れ果てるほど厳重にロックされているらしい。

 とその時、「ポーン」という例の音がジェジレㇿの左掌上から鳴り響いた。もはや、今更どうこう言うことは特にない。ジェジレㇿが礼をし、モナド嚮導みちびきに従って消えてゆくのを、俺は無言で見送った。他国で何かあったのだろう。俺としては、それが計画に支障を来たすような凶事でない事を祈るばかりだ。

 一人になった俺は、何の気無しにその辺の一室に入ってみて、混乱で床に散らばってしまったらしい資料の一つを手に取る。それは、個人的な推測や実験結果を纏めた報告書のようで、『異能の根源・干渉力導出どうしゅつ量を決定づける要因』と題されていた。要は、[6正義感]がどうたらというやつの学術的な説明が書かれているのだろう。そう思って内容の方に目を向けて見るが、認識阻害でも掛けられているのか、上手く読む事ができない。

 ……まあ、いいか。

 気にはなるが、これは目的のものではない。

 資料を机の上に戻した所で、二班副班長・古鵄こてつフェイクヮ (本名・नकुशाナクシャ रुद्रルドラ शास्त्रीシャーストリ)――の日本語通訳――から連絡が入った。向こうはもうカタが付いたそうだ。

 一般人の研究員266名、変異者ジェネレイターの研究員24名。

 今日、研究施設内にいた全員を捕らえ、味方死者なし、敵死者12名 (内、変異者ジェネレイター2名)との事。

 見事な仕事だと感心する一方、そういうのに向いている能力を集めたのだから当然かとも思う。本音はともかく口頭では労いの言葉を返して、さっきよりも幾らか汚くなってしまった廊下を進むと、広い空間に《異能》と【靈驗れいげん】と[魔術]で三重さんじゅうに縛られた研究員がズラっと並んでいた。前の方に固められている者たちが変異者ジェネレイターらしい。今は、班員による尋問が行われている。

 とはいえ、来たは良いが別にやる事はない。トップなんてものは踏ん反り返って威厳を醸し出しておけば良いのだ。態々現場に足を運ぶのは単なるアピールと監視が主な理由である。

 その時、ふと眼をやった居並ぶ変異者ジェネレイターたちの中に、見知った顔を発見した。


「おおっ? 君はもしかして『MUL.APIN』にいた井手下椛いでした もみじじゃあないか? 久しぶり、元気してた? どうしたよ、辛気臭い顔して」

「あ、貴方は……っ」


 薬が抜けているのか、今日はだいぶ正気の様子だ。こうしてみると、普通に女子高生ぐらいの女の子だな、発育は悪いが。いや、あの時は悪いことをした。


「支部を襲うなんて言って、最初からここが狙いだったのね……?」

「ん、まあ、そうだね。けど『嘘』を吐いた訳じゃないよ、支部を襲ってもいるから。安心してよ。抵抗しなけりゃ殺しはしないから、そんなには。大人しくしてな」


 俺が、隅に山積みになっている死体をチラと一瞥してみせると、彼女は大げさに青ざめた。そんな風にいい反応をされると、俺のいたずら心が刺激されてしまうじゃないか。

 しかし、折悪しくも背後から一人の班員が非常に畏まった感じで近寄ってきたので、ここで俺のいたずら心が発揮される事はなかった。


『――――――――、――――』

「ああ、そう。お疲れ」


 何を言っているのだかサッパリ分からないが、複数のUSBメモリを手渡してきたという事はデータのコピーが完了したのだろう。中身の確認は後回しにして、ひとまず懐に収めた。

 残すは紙資料の物色だけとなったが、間をおかず副班長のフェイクヮが通訳を引き連れてやってきた。どうやら、奥の金庫に何やら怪しげな紙資料が仕舞われていたらしい。このIT時代でも、結局は物理的な(+能力的な)セキュリティが最強という事なのだろうか。

 こっちは即座に確認できる為、パラパラと流し読みしてみると、思わず頬が緩んだ。目的の資料の存在がその中に確認できたからだ。


「やはりここにあるじゃないか。が!」


 これで皆も喜ぶだろう。取り敢えず、発見の事実をサムズアップで班員らに伝えると、大きな歓声が広がった。クローンの資料に加えてもう一つ、俺が個人的に探していた別の資料もある。

 全てが順調だ……順調すぎて怖いぐらいに。


「しかし、これで天海に聞く事がまた増えたな」

「クローン……? 貴方たちは一体、何をしようと言うの?」

井手下椛いでした もみじぃ……何も知らぬメクラが水を差してくれるなよ。――と、言いたい所だが、知りたいなら教えてやろう。この頭をかち割って直接叩き込んでやるよぉ!」


 水を差された仕返しに、彼女の頭をガッとワシ掴み、凶器たる右手をちらつかせて面白おかしなセリフで脅してみると、彼女は期待通りの怯えようを披露してくれた。これには俺のいたずら心も大満足である。


「はっははは。な~んて、冗談冗だ――ぐぉぅっ!?」


 しかし、あまりにも怯えるので、適当にタネ明かしでもして安心させてやろうとしたのだが、そこで思わぬ横やりが入った。


『四藏匡人様ッ!』


 制圧に喜び、警戒を緩めていた班員たちが悲鳴をあげる。ちらつかせていた俺の右手首から上を持っていきやがったのは、非常に既視感のある《體化光子》の針。


「神辺さんかぁ……ふふふ」


 振り返ると、向こうの物陰に何時もの連中レッドチームの姿が見えた。一人、堂々と身を晒す神辺さんを後ろから引っ張る望月さんの表情を見るに、恐らくは神辺さんが先走ったのだろう。はて、俺が本気で井手下椛を殺すようにでも見えていたのかな?

 班員たちの肉壁によって囲われた俺は手早く止血しながら考える。

 こちらの研究部狙いがMCG側に気付かれていたのか、どうか。

 感応波、靈氣レーキ魔力素マナの漏出は[魔術]により秘匿してあるし、研究員たちは連絡する間もなく即座に制圧した筈だ。もし、情報が漏れていたとしたら、それはMCG内にいる近衛旅団か六道鴉りくどう あからだろうが、それらにしても『宮城支部襲撃作戦は揺動』くらいにしか伝えていない……或いは、他国の奴らが下手を打ったのか? さっきのジェジレㇿのやつがそうだったのかもしれない。

 ひとまず、そっちの疑問は置いておく。

 事が露見した以上、俺たちは早い所ここを脱出しなければならないのだが、向こうの先制攻撃によって唯一の足である右手での《転移》が使えなくなってしまった。頭数だけは多い蕃神信仰に於いても転移系の『能力』はそう多くなく([現代魔術]や[祈禱咒術]で補っていた)、他の四班に一人ずつ割り振ったので全てだ。

 全く……こちらの手の内が知られているというのはどうもやり辛い。けれども、という事は、俺たちだけでどうにかなる状況か、全滅するのが運命か、二つに一つだ。

 止血を終えた俺は、現状を打破すべく人質を取る事にした。


「動くな! こいつらを殺すぞ!」

「きゃっ!」


 三下のような脅しを突きつけながら、手近な井手下椛いでした もみじの首根っこを捕まえて胸元に抱き寄せた。《異能》と【靈驗れいげん】と[魔術]で三重さんじゅうに縛られている為、研究員一同はもはや抵抗を試みる事すらできない。


「も、椛っ!」

「ごめんねぇ、望月さん! 君の無二の親友を人質に取るなんて……『悪い』とは思ってるんだよ? でも、しょうがない事だと理解してね。――神辺さんも! 次に会ったら躊躇なく殺すと言ってあったよね。マジに殺すぜ?」

「――やってみなさい!」


 おお……吠える吠える。神辺さんは冷静とは言い難い雰囲気だな、ヤケを起こして突っ込まれたらそれはそれで困るぞ……。

 とその時、班員の一人――被驗體ひけんたい番號ばんごうハチKahdeksasカハデクサスが俺に合図を送ってくる。【能力】の仕込みは完了しており、何時でも行ける、との事。

 把握した……頼もしいぜ。

 Kahdeksasカハデクサスに対する返事として、俺は何人かの研究者 (なるべく役職の高い者)を確保するよう新たに指示した。全員からこの場で情報を聞き出す事はできなくなってしまった為、一度情報を知っていそうな者を持ち帰って尋問しようという訳だ。後は、準備が整うのを待つだけ。


「四藏匡人!」

「おっと、香椎さん! 息災そうでなにより!」


 今度は香椎さんが飛び出してきた。まずいな、この調子だと岸さんと六道鴉も――もしや、これは揺動のつもりなのか?

 ――どうする!?

 やるか? やるか? やるべきか? 今すぐ動くべきなのか!?

 視線をほうぼうに巡らしながら迷っていると、香椎さんが神辺さんを庇うように更に前に出てきた。


「見損なったよ! よりにもよって蕃神信仰なんかに付くなんて! 考え方は違えど『正義実現』を志すキチガイだと思っていたのに!」

「あ~、とんでもない。俺の思いは最初から変わっていませんよ」

「何処がだッ! 無辜の民を大量に巻き込みやがって……!」


 香椎さんの目は、隅に積まれた死体の山に向けられている。


「どう贔屓目に見たって、それは『正義』じゃなく『独善』に類するものだッ!」

「そうかもしれませんね。所で、貴方の狙いは分かっていますよ。貴方は甘っちょろいですが、無策のまま飛び出してくるほど合理的思考に欠けた人間ではないとは買ってます。そこの神辺さんと違ってね」

「――な、何ですとぅ!?」


 なぜか怒り心頭の神辺さん。本当の事じゃないか。神辺さんの隣で香椎さんが苦い顔をする。これは図星の反応か? すると、その先触はすぐに来た。

 ――今!

 


「飛べ!」


 咄嗟に出た日本語での指示だったが、奇しくも注意を惹いた直後に俺の取った行動を見たのか、察しのいい班員には伝わったようだ。宙空に退避した俺たちの足元に、鋭い《諸刃もろは》が生える。案の定、近付いてを狙いに来たか。俺の手の内が割れているように、そちらの手の内もまた割れている。想定の範囲内を出ないな。


「《透明化》だ! 出てくるぞ!」


 《諸刃もろは》を避けて着地しつつ指示を飛ばすと、すぐに班員が俺の言葉を訳して全体に伝える。そして、その言語でもまだ分からない少数の班員へ向けて更に訳される。

 しかし、ここにきて伝達のロスがいちいち響くな。予め、ある程度の符号は決めているが、それだって短時間では大した情報量も伝えられない。

 さっきまで楽勝ムードだったというのに……参ったぜ、クソがっ。

 直後、予想したように虚空より岸さんが単体で現れる。位置的には一度引いたか? という位置。賢明な判断だ。しかし、六道鴉の姿がどこにもない。別の所へ隠れたか? 頼むからバレないように手加減してくれよ……?


諸刃もろはを飛ばしてくるぞ、防げ! Kahdeksasカハデクサス、もう秒読みカウントダウンに入れ!」


 俺の右方を守っていた二人の班員の肩を叩き、岸さんの相手を任せる。と同時に、さっき仕込みを終えたという【能力】を発動させる。大した時間稼ぎは出来なかったが、何とか準備は間に合いそうだ。

 こっちの不穏な動きに気付いたか、神辺さんらも急いで飛び出してくるが――もう遅い! 三本、二本、一本とKahdeksasカハデクサスの指が折れて行き、ちょうど他の班員たちが研究者たちを連れてきた所で、それは0となる。

 Kahdeksasカハデクサスの【靈驗れいげん】――【闢邪へきじゃ】!

 それは、ありとあらゆるよこしまなるものをしりぞける【能力】。彼のこの力ならば、イサの【風化ろうか】と同じくMCG支部の基礎に施された《防御》を突破できる。

 天井には網目状にヒビを入れて出口とし、床は俺たちを下から押し上げるように隆起させる。そんな二つの動きが地響きを伴って同時に始まった。崩れた瓦礫の降り注ぐ頭上に望むは、星々瞬く雲一つ無い夜空。脱出だ。


「そういう訳で、さらばだ! 諸君!」

「――させんぞ」


 突如、隆起する床から何者かの声が響いた。今度は誰だ? と混乱するには、如何せん聞き覚えがありすぎる声だった。


「天海ぃぃ……!」


 しかし、声の正体が割れたからとて対応が間に合う訳でもなく、まんまと不意討ちを許してしまう。床から滲み出てきた、人の頭部ほどの水塊から発射された槍によって、俺の左太腿が貫かれる。その衝撃は人質として拘束している井手下椛にも伝わったか、「きゃっ」と小さい悲鳴が胸元から上がった。


「四藏匡人! お前にはここで死んでもらう」

「はっ、流石にお前も来ているか……!」


 マズイな……!

 俺たちを下から押し上げている足場はかなり狭い。人質含めて全員が収まるギリギリだ。これ以上ここで暴れられたら落ちかねないぞ。

 その時、更に足元が大きく揺らぎ始めた。これは……【闢邪へきじゃ】による揺れではない。

 そうか――既に床下にも侵食し破壊していたか!

 気付いた時にはもう遅く、上昇中の足場の前方半分が支えを失い崩れ出した。俺の立っていた所もまたそこに含まれており、たちまち嫌な浮遊感が全身を包み込む。「落下」という最悪の未来が頭を過ぎったが、すぐに後ろにいた班員が俺を掴んでくれたおかげで事なきを得た。あとは俺が他の連中を掴めば良い。


「掴まれ――! お、おい! Urmasウルマス……!」


 俺の差し出した両足に目もくれず、提婆だいばミュウㇱア (本名・Urmasウルマス Järviイェルヴィ)は【mõõk】の腹で俺に取り付かんとしていた水塊を叩き落としたかと思うと、悟ったような笑みをたたえてそのまま落下していった。

 何を、笑ってやがる。

 Urmasウルマスだけじゃない……その後ろの二人も!

 ここに残って足止めでもするつもりか?

 それでしたつもりか?

 ……アレほど!

 アレほど俺が『野垂れ死んでくれるな』と命令したろうが!

 止血した右手を伸ばし、ずり落ちそうになる俺を、班員たちが慌てたようにひしと抱きとめる。


「四藏匡人様! ここは資料と情報を――」

「――ああ、分かってる! これをもって帰還する事を最優先とする! くそ天海ィ……! お前とは色々と話したい事があるが、今はその時ではないようだな! ここから脱出させてもらうぞ!」


 俺たちが夜の路上に飛び出ると共に、隆起した足場が天井に空けた穴を塞いだ。これで数秒ぐらいは時間を稼げるだろう。

 すると、タイミングをはかったように、大型のバンが後方から走ってきた。あれならば、残った二班とMCG研究者含む総勢十名が乗り込めそうだ。少し手狭かもしれないが。


「よし、あの車を奪っ――いや、待て!」


 班員に下しかけた攻撃指示を慌てて取り消し、【骸】を構える皆を制止する。あのバンを運転しているのは――。


「ジェジレㇿ! ジェジレㇿじゃないか!」


 戸惑う俺たちの隣に、バンは急ブレーキをかけてアスファルトに跡を残しつつ停まった。


「皆様、早くお乗り下さい!」

「よしきた! 乗り込め野郎ども!」


 俺たちは我先にとバンに殺到し、後部座席に研究者たちを詰め込むやいなや、自分たちの身体も押し込んだ。俺は助手席に乗った。


「乗ったぞ、ジェジレㇿ! このまま拡張領域へ戻ろう!」

「――いえ、どうも、そういう訳にもいかないのです」

「ええ?」

「私の能力はモナド嚮導みちびきに従う事しかできない……今はまだ、! 他所ものっぴきならぬ状況故、ここで失礼!」


 車中に「ポーン」という音を残して、ジェジレㇿは何処かへ消えた。

 くそぅ、不便な能力しやがって!

 しかし、泣き言を言っても仕方がない。今はとにかく、このバンを運転して可能な限り遠くへ逃げる事が先決だ。他所が片付くまで逃げ切ってやる……!


「誰か運転してくれ! 免許もってるやつは!?」


 助手席から車中を振り返る。しかし、さっきまでは視線を向ければ頼もしいほどに自信を漲らせて応えてくれたというのに、今は気まずそうに視線をそらすばかり。


「……おいおい、マジかよ。運転免許だぜ? それぐらい誰も持ってねぇのかよ」

「すみません。免許はちょっと……ミュウㇱア――Urmasウルマスなら持ってた筈ですが」

Urmasウルマス!? あの野郎……!」


 しかし、ここで嘆いていても始まらない。思えば、こいつら蕃神信仰は別地球αのハミ出しもんの集まりだ。免許を取る余裕すらねぇ、その日その日を生きるだけでも必死な境遇の奴ら。更に言えば、車すら満足に手に入らない国出身の奴だって少なくない。無免許で運転する機会すらねぇんだ。Kahdeksasカハデクサスに至っては俺と同じく三歳児。……現状を認識し終えると、なんとなく笑いがこみ上げてきた。


「ふっ……くくく……!」

「よ、四藏……様……?」

「はっ! これもモナド嚮導みちびきってのかよ、ジェジレㇿ。――上等だ! 人間、やってやれない事はない! アクセル踏んだら進む! ハンドル切ったら曲がる! やってやらぁ!」


 俺は、素早く運転席に移動し、ハンドルを握る。後ろが騒がしいが、そう揉めてもいられない。既に窓から望むアスファルトからは、見るのも嫌な《水》が染み出してきている。

 エンジンはさっきまでジェジレㇿが走らせていたのでかかったままで、しかもAT車。レバーもDドライブレンジに入っているし大丈夫だろう!


「発進するぞ! いいか、自分の身は自分で守れ! 俺は守れねぇぞ!」


 横目にアスファルトが爆発する様を捉えながら、俺は目一杯にアクセルを踏みしめた。


「――楽しくなってきたなァ! ハハハッ!」

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