4-3-6 宮城支部襲撃 その5



 艶めかしく、【金地螺鈿毛抜形太刀きんじらでんけぬきがたたち】の鋒がレヴィに向けて構えられる。これこそ、北條嘉守という一個の戦士が完全に[祝融zhùróng・lieg]側に付いたというこれ以上ない意思表示。

 しかし、まだ少し凝り固まった心境の北條嘉守に対して、レヴィの方は極めて柔軟だった。敵に回った北條嘉守を認識しても「ああ、そうか」と淡白に思うだけで、即座に意識を切り替え動き出した。


「元ヨリ、生カシテ帰ス積モリハ無イ!」


 容赦なく殺しにかかる。人工島で強いられていたようなもなく、[現代魔術]であれば第五階梯にも相当する[咒術じゅじゅつ]を、速攻で恣行しこうする。狙いは北條嘉守の頭部。嘗て土塊川どかいがわ聘樓へいろうを一撃で死に至らしめた回避不可能の破壊――[𒉆𒋻断命]! 𒉆𒋻num - kudと綴る通り、相手の命運num断つkud[咒術じゅじゅつ]である。


 嗚於おお、天と地の、秩序と混沌をいだMardukマルドゥクよ! 広く、魔力素マナの代価を以て御力みちからを知ろしめし、の者にのろいを、堪え難き至極ののろいをあたえ給え!

 の者の名を――北條ほうじょう 愛染魏石鬼あいぜんぎしき 嘉守よみもり


 捧げられた魔力素マナに比例し、第三次元宇宙に於けるMardukマルドゥクの支配域が広がる。その際に溢れたが、ついでのように奇蹟を顕現する。それは、異空閒いくうかんを経由し襲いかかる、不可視にして超高速の追尾弾。『必中』を弾殻に義務付けられし故、標的に待つは死の未来。

 だが、北條嘉守の手にかかれば、『必中』の義務などは単なる言葉遊びの代物に成り下がる。


「もし――」


 北條嘉守は、音もなく空間に【剣】を滑らせ、自らに纏わりつくを斬りつけた。


「もし、私が貴方の事を知らなければ、その[マホウ]で決まっていたのかもしれなかったわね」


 濡れた様な白刃に導かれ、固着されし因果が【顛倒てんとう】する。

 天は地、地は天、秩序みだれ、混沌やすく、神が定めた『必中』の決定すらも容易にくつがえる。一瞬の無音。後、爆音と共に支部ビルの壁が爆ぜ、ガラガラと大小の瓦礫が崩れ落ちた。

 当然の如く、北條嘉守は健在。

 今、何が起こったのかは、祝融zhùróngには全く知る由もなかったが、とにかく生存を良しとした。


「スキをツクってくれ! ワタシがキめる!」


 レヴィを無闇矢鱈に傷つけたくない北條嘉守にしてみれば、それは願ってもない申し出だった。北條嘉守は即座に「応!」と返し、レヴィに向かって走り出した。

 これを迎撃せんと、レヴィは反射的に身に纏う魔力素マナを揺らがせるが、すぐに踏みとどまった。このまま直線的に攻めても暖簾に腕押し。因果を【顛倒てんとう】させられてしまう。北條嘉守を殺し切るには、快刀乱麻を断つような何某なにがしかの工夫ブレイクスルーが必要なのだ。

 とその時、祝融zhùróngの姿が霞がかったようになり空間に溶けた。

 視野を広げていたレヴィは瞬間的に理解する。この応用性は恐らく[恩寵]ではなく《異能》であり、さっき急に現れたタネもこれだ、と。

 厄介だ。北條嘉守だけでも手一杯だというのに、素性の知れぬ現代魔術聯盟の乱入者魔術師は[魔術]に加えて、こちらの動きを止める【瑞】に、任意に出ては消える《異能》までも扱うらしい。何れ一つ取っても極めて厄介。

 ――だが、対処は可能だ。

 レヴィは、一度は止めた魔力素マナを再び揺らがせ、今度は最後まで練り上げる。そして、溢れ出る魔力素マナの一部を濃い霧に変じさせ、周囲の空間を満たした。すると、目に見えて北條嘉守の足が鈍った。迷ったか。これは一石二鳥、とレヴィは一寸先も見えぬ濃霧の中でほくそ笑んだ。

 分かった事がある。それは、祝融zhùróngは消えたままでは攻撃できないだろうという事。出会い頭に姿を現してから[牆壁]を展開した事、姿を消してから間をおかず[攻撃魔術]を仕掛けて来ない事。根拠はこの二点。

 この推論が正しければこれで対処は可能。何故なら、この[霧]はただの霧ではない。その隅々にまで[咒術]による擬似感覚器官が張り巡らされており、その厳重さはアメリカのホワイトハウスと比べたって引けは取らない。

 来るなら来い。

 そう考えながら、北條嘉守が当てずっぽうで進みだしたのを[霧]の動きに知り、余裕を持って距離を取る。彼女に纏わる因果だけでなく、己に纏わる因果までも【顛倒てんとう】されるとその時点で詰み、どうしようもなくなってしまうからだ。

 間をおかず、今度は想像通りに祝融zhùróngの攻撃が来た。右後方――突如として、[霧]が人一人分押し出される。すかさず、レヴィはその方向へ[牆壁]を展開した。


「――ほう、もうフセぐのか!」

「当然ダァ! クタバレ下郎!」


 熟達した戦闘センスも相まって完璧に魔力素マナ量を調整された[牆壁]は、祝融zhùróngの突き立てた【独鈷剣プルパ】を受け止めた後、拮抗する事なく即座に割れた。と同時に、レヴィが迎撃の[弾丸]を放つ。

 不意を打つ見事な反撃カウンターだが、祝融zhùróngの方も簡単にはやられない。【独鈷剣プルパ】を防がれた時点で、その姿は再び霞み、消え初めていた。攻撃する以前から『牽制』と割り切っていた事が功を奏した。

 直後、『必中』を義務付けられた[弾丸]は確かに命中した。だが、その着弾点を正確に言うと、「祝融zhùróngに」ではなく、「第三次元宇宙と同化した祝融zhùróngに」である。そのまま、第三次元宇宙に命中し続けた[弾丸]は、やがて魔力素マナを使い切って虚空に消えた。

 物理攻撃は両者に相性が悪い。では、精神から攻めようかとレヴィは思案するが、それには幾らかの時間を要してしまう為に無理。その上、祝融zhùróngの名を握れていないとくれば、途中で邪魔されてしまう可能性が非常に高い。使うにしても隙を作り出してからだ。[魔術]は同時に一つしか恣行できない。攻撃をすれば、防御面は手薄になる。

 ならば、その「隙」とやらは如何様に?

 概念的な攻撃で攻めれば両者にも通るだろうか、祝融zhùróngが消えた辺りの空間ごと隔離して……と考えた所で、レヴィは己の発想の貧弱さを嘆いた。

 そうじゃない。

 そうじゃないのだ。

 もっと、多角的に思索を広げねば勝利は掴めない。纏骸学舎時代にも、イケ好かぬ教官連中からウンザリするほど繰り返し教わった筈だ。

 ――攻めるは北條嘉守!

 まずは捻じ曲げられた因果を突破する!

 ほしいままに因果を【顛倒てんとう】させる等と嘯けど、何事にも限界があって然るべき。

 今回の場合、それは射程距離だ。【金地螺鈿毛抜形太刀きんじらでんけぬきがたたち】に限らず、遍く【骸】に共通する弱点! 他人に纏わる因果を【顛倒てんとう】させるには、相当の至近距離に近づかなければならない!

 であるならば、北條嘉守一人の因果を捻じ曲げた程度では、どうしようもない程に大きな因果の流れに巻き込んでしまえば終い、という寸法である。例えば、地球ごと破壊し、生命維持も困難という状況に追い込めば、さしもの彼女も死ぬだろう!

 方針は決まった。さあ、罠を張り巡らせよう。

 退けば溺死し、止まれば壊死し、進めば頓死とんしする、悪辣にして致死性を持つ罠を。

 それに先だって防護を固めようかとも考えたが、まだ相手の《能力》の底を見た訳ではない。あの神出鬼没ぶりを見れば、[防護]の中にまでやすやすと侵入してくる事も十分に考えられる。要らぬ慢心をせぬよう、レヴィは敢えて無防備のまま罠の設置作業に取り掛かった。

 時限式、感圧式、引張式、レーザー式、遠赤外線式……思いつく限り、なんでもござれの大盤振舞だ。

 複雑に、乱雑に、煩雑に連鎖する罠は、それ一つの因果を【顛倒てんとう】させた所でどうしようもない。

 こうして、無秩序なまでに絡み合わせれば……そら来た!

 複数回の爆発――これは囮としてバラ撒いた因果。それに付属する[砲]・[刃]・[矢]・[石]が本命だ。四方八方から迫りくる致死性の攻撃が、再び別の因果を引き起こし、無際限に連鎖してゆく。その内の一つが今、北條嘉守の鼻先を掠めた。遠からぬ未来、【顛倒てんとう】の間に合わぬ攻撃がその身を貫くであろう事は明らかだ。手応えを感じたレヴィは、更に力を入れて罠を張り続ける。


「勝ッタ! コノママ擦リ潰シテヤル! 息絶エロ――!」

「――いや、勝つのはコッチだ」


 祝融zhùróngの声が地面から響いた。


「この《能力》には、こういうツカいカタもある」


 今――祝融zhùróngは『支部ビルの床』と《同化アシミレイション》していた。

 その状態のまま、體A大気體Bに働きかけて《同化アシミレイション》させ、北條嘉守の周囲に即席の防護壁を作った。

 祝融zhùróngの《異能》は體Aと體Bを自在に同化アシミレイションさせるという強力なもの。しかし、階位フェーズΒベルカンであるが故に触れなければ干渉できない。つまり、レヴィを打ち倒すためには北條嘉守の協力が必要不可欠なのだ。故に守った。


「マエへススめ! むかうべきホウガクはワタシがシメす!」

「――ありがとう。よく、見えるわ」


 地面に、真っ赤な血液の標識ラインが引かれた。それに沿って、鈍っていた北條嘉守の足が再加速し、やがて地を離れる。重力を局所的に【顛倒てんとう】させる事よって引き起こされる真横への高速自由落下! 重力加速度さえも彼女の意のままだ。

 高速移動により、地上に張り巡らされた数多の罠の動作速度を超越しくぐり抜け、更には空中の因果を【顛倒てんとう】させる事で、遂に両者は霧中にて相まみえる。


「――レヴィ!」

「北條嘉守――!」


 迷いが無かったのは北條嘉守の方だ。小細工は弄せず、落下の勢いを十全に活かして全身を浴びせかけるような大ぶりで正面から斬りかかる。刃は横に、峰打ちだ。

 対するレヴィは及び腰。予期せぬ急な接近戦もそうだが、一合でも斬り結べば因果を絡め取られるのだから、攻撃するにしろ防御するにしろ慎重に行かねばならない。

 ここは適当な[咒術]で触れずにやり過ごし、今一度、距離を取って安全に罠で嬲り殺すべきだ。殺す為の罠ばかりを張り巡らせる事だけに終始していたのが失敗だった。次は移動を制限する罠を――。

 レヴィの脳裏で高速展開される思考。しかしその全てが皮算用に終わる。

 敵は北條嘉守一人ではなく、二人――床と《同化アシミレイション》している祝融zhùróngもまた、北條嘉守の一太刀に合わせて攻撃を仕掛けていた。

 出し抜けにレヴィの足元へ姿を現す祝融zhùróng。即座に気付いたレヴィが対応しようとするも、その時には既に北條嘉守が目前にまで迫ってきており、丁度そちらに対して[防御咒術]を恣行しこうした瞬間であった。

 しくじった。そんな思いが思考を塗り替えたのと前後して、レヴィの足首がガシッと掴まれる。正面に展開された[壁]によって北條嘉守の一太刀は防がれたが、そんな事は今はどうでも良かった。レヴィは【大杖】の先に[刃]を伸ばして、自らの足ごと祝融zhùróngを切り離そうと振り下ろす。しかし、それよりも祝融zhùróngが能力行使する方が早かった。


「《同化アシミレイション》!」


 触れ合っている祝融zhùróngの手とレヴィの足首が、まるで最初から一つの體だったかのように、境目など分からないほど原子レベルで密接にくっつく。

 それはほんの始まりに過ぎず――まるで互いに引き寄せ合う磁石のように二人の身体が急速に近づき始め、やがて一つに重なった。



    *



『ええか、一度しか言わへん! 天海祈の分体を一体捕縛し、持ち帰る! これからその為の作戦を伝達する!』


 指揮官[やまなみ・treow]の幼声が辺りに響き渡ると、否応なく魔術師たちの意識も引き締まる。と同時に、戦場いくさばには似つかわしくない相反する感情――安堵も生まれていた。目的が曖昧で、なあなあに戦わざるを得なかった所に、一つの目的意識が生まれたからだ。

 分体を捕縛し、持ち帰る。

 まず、その二つの行動が魔術師たちの脳裏に深く刻み込まれた。


『そこの傍観者を釣り餌デコイとして利用する! 分体のどれかが食い付いた所をウチが[棺]で囲うから、その時点で即、帰還や! 今から部隊を三班に再編するで!』


 一班は[Filthフィルス・wræcca]が取り仕切る。この戦線に置いてけぼりにされた傍観者、ジェリコ・ラジュナトヴィッチへの攻撃を継続して試みると見せかけて、幾らか仕込みを行う。

 二班は[Mukosoムコソ・secan]が纏め役となって分体への対応を受け持ち、全ての準備が整い次第、ジェリコの元へその内の一体を誘導する役割。

 最後、[やまなみ・treow]率いる三班は、準備中のやまなみを護衛しつつ、事態に応じて他二班の援護に入る。


Εエイフゥースを相手にウチらのヘボな《異能》では決定打に欠く! 壊れへん【骸】を軸にして[魔術]でとっ捕まえる!』


 やまなみの下した『行動開始』の号令に従い、魔術師たちはそれぞれに塊を成して飛び立った。その中の一人、先頭を行くFilthフィルスが、ぼけっと突っ立っているジェリコを指して叫ぶ。


『一班! 攻撃開始!』

『……お? なんだ、急に。やんのか?』


 ジェリコは、殺気立つ魔術師たちを前に余裕の表情で諸手を広げた。これが、彼のいつものやり方だった。必死になって手を変え品を変え、無駄な攻撃を試み続ける敵をあざ笑いながら、まるで散策でもするかのようにゆっくりと歩み寄り、疲れ切った所を適当に斬り殺す。そんな戦術ともいえない戦術で、今日こんにちまで勝ち抜いてきた。【産衣】の防御性能は、それ程までに絶対的だった。今回も同様、さもシャワーでも浴びるかのように降り注ぐ攻撃を全身で受け止める。それらは、やはり何の暖かさも、冷たさも、衝撃どころか命中した感覚さえも伝えてこないのだから、それこそ画面越しにCGエフェクトでも眺めているかのような感覚だ。ジェリコには、その多彩さを鑑賞して楽しむ余裕さえあった。そのおかげか、ふと違和感に気付く。


『一向にとめないなァ。無駄と分かっているだろうに。多少は攻め手を変化させるものじゃないかね?』


 見た所、相手の統率は取れているようだ。しかし、無駄に思える攻撃を彼等はなおも続けている。これが仮に上役リーダーの指示だとしても、一人ぐらいは非生産的な攻撃行動にうんざりしたような表情を覗かせても良いものだ。けれども、彼等にはそれがない。この攻撃には意味があるのだ、と確信しているような淀みない連携、表情。

 戦いを生業とするジェリコだが、単体の傍観者や近衛の纏骸者ならともかく、『統率の取れた異能集団』と事を構えた経験は数えるほどしかない。それに加え魔術師となると、今日が初めてだ。

 異質――ジェリコは、彼等からMCG機関とも蕃神信仰とも一般兵とも違う印象を受けた。しかし、だからといって警戒はしない。


『何か企んでいるのか?』


 代わりに、攻撃してくる連中から目を離して興味深く周囲を見回し、遠くに固まって動かない一団を発見した。やまなみたち三班だ。


『なら、殺すのはそれを見てからでも良いか。ハハハッ!』


 ジェリコの気まぐれによって図らずしも負担が少なくなった一班。

 一方、天海祈の分体を担当する二班は苦戦していた。宮城支部内があらかた片付き始めたのか、分体の参戦ペースが上がり、さきほど遂に二桁の大台に乗った。


「逃げないのか? このままでは十分もかからず全滅するペースだぞ、魔術師ども。まあ、好きなだけ消耗してゆくと良いさ」


 何をされても平気で進撃し続ける不沈艦の如き分体と違い、魔術師は斬られれば死に、打たれれば死に、呼吸を阻害されても死ぬ、張子はりこの小舟だ。当初は上手く相手取る事に成功していたが、分体の数が増えるにつれて死傷者が出始めた。一人落ちると後は崩れるばかりで、あれよあれよという間に二班の構成員は不幸な順に捕らわれ、沈んでいった。ほどなく二班脱落者は四名を数え、作戦方針が定まる前の分も合わせると七名。戦意減退には十分すぎる数字だ。

 けれども、完全に崩壊してしまう前に、横合いから援軍が遣わされた。三班にいた人員だ。


『三班! 役割を終えた者から二班の援護! もう、生存優先でええ!』


 やまなみの指示が飛ぶと、一班を任されているFilthフィルスもすかさず便乗する。


『[ພູມີプーミ・cæg][ทักษิณタクシン・stæf][檮杌táowù・blew][Chandrababuチャンドラバブ・ƿind][আফরোজীアフロジ・lufe]! 以上五名は[Mukosoムコソ・secan]の指揮下に入り、二班の援護を!』


 一班から浮いた人員を抜き、天海祈の分体の相手に宛がう。思わぬ柔軟な対応に、やまなみは心中でFilthフィルスへ褒め言葉を送りつつ、全体へ向かって新たな指示を飛ばす。


『十五秒後に撃つ! 今すぐに分体の誘導を開始してくれ!』


 上意を得た三班が、それぞれの統率のもとに動き始める。何人もの黒衣の集団がなめらかに跳梁跋扈する光景は、宛ら一個の生命体のようにも見えた。

 対し、ジェリコはこの段に至ってもまだ呑気に「見」に回っており、分体の動きは遠隔操作ゆえ時たま変化を見せるものの基本は愚直。それも徐々にジェリコの近くまで誘導されている。

 行ける……!

 成功の確信がやまなみの胸中に広がった。

 計画成就まで秒読み5秒、4、3、2、1――



 ――《雨》が降った。



 その異変が、看過できぬ異変である事に気づけた者は、二班の班長Mukosoムコソのみだった。Mukosoムコソが戦闘開始から発動させ続けていた【能力】により知り得た情報によると、降り注ぐ《雨》の一滴一滴が自然環境では到底ありえないほどの密度を誇っていた。更に《雨》に混じって降り立たんとするが一つ。

 まだ芽生えて間もない【能力】ではあるが、Mukosoムコソは既に生まれ持った五感と同じくらいには、この【能力】を信用していた。本能にかられるがまま、思い切り叫ぶ。


『この雨は何かマズイ! 撤退を――』

「――遅い。全てが手遅れだ」


 最後の「0」をカウントする事なく、やまなみの計画は破綻し、水泡に帰す。

 足元、宙空、衣服、果ては体内から……ありとあらゆる箇所に付着していた《雨》の水滴一つ一つがその潜在能力を発揮。爆発的にその体積は膨れ上がり、宮城支部ビル周辺に暴力的なまでの《靈瑞みず》が氾濫する。封じ込まれていた《靈瑞みず》が解放されたのだ。瞬く間に、辺りは《靈瑞みず》の底に沈んだ。


「懺悔の時間も与えん。数人のみ生かす。選ばれる事を祈れ」


 上等な黒衣のローブを翻し、天海祈が力強く右拳を握ると、《靈瑞みず》は獰猛なピラニアのように魔術師たちへ群がり襲い始めた。外皮を食い破ると同時、穴という穴からも侵入した《靈瑞みず》が内部からも破壊する。多くの魔術師は抵抗する暇もなく死んでいった。

 唯一、やまなみだけはΔダグスの干渉力を寸前で用いた事により(なおかつ天海祈が他の連中も同時に攻撃している事もあり)、ギリギリで耐え凌いでいた。

 しかし、それも時間の問題。

 後、一呼吸もすれば飲み込まれる。

 ――確かにコイツの《異能》は半端ない。

 正直、舐めていた所はある。Εエイフゥースの中のΕエイフゥースと称される天海祈だけでなく、《異能》という存在そのものを。やまなみはこの時、ようやくそれを認めた。そして、同時に腹の底から湧き上がってくる反骨心を自覚した。

 ――けどなぁ! こっちだって《異能》は持ってる! その上、【骸】に加えて十八番オハコの[魔術]があるんや……!

 現代魔術とは、別地球βの魔術師たちが5000年もの歳月をかけて練り上げ続けた、洗練されし技術の結晶。高々、発見から十年も立っていないような《異能青二才》ごときに覆せる差ではない。

 やまなみは、確固たる信念と自負を以て攻めに転じる決意を固めた。

 励起レーキ……!

 やまなみの右手に収まる【長柄錫杖】の石突がアスファルトを叩くと、メリメリと音を立ててアスファルトの表面が盛り上がる。

 触れたものを【破裂】させるだけの使えない能力だと思っていたが、まさかこんな使い方があるとは。

 一見、観念したかのようにも見える薄笑いを浮かべながら、やまなみは飛び散るアスファルト片の一つと自己を《接続ジョイント》させ、共に吹き飛んだ。立ち塞がる《靈瑞みず》を前方に突き出した【長柄錫杖】によって【破裂】させて退けると、たちまちやまなみの小さな身体は宙空に投げ出された。あまりに強引な脱出方法ゆえ、意識が吹き飛んでしまいそうなほどの衝撃がやまなみを襲うも、気合でこらえる。

 この戦い、なにもかも計画通りとは行かなかった。しかし、最後の最後に決死の想いが実を結ぶ。


「第五階梯――[COFIN]!」


 予め指定しておいた相対座標、[正面20m]の位置に[隔膜]が立方体の形状で現れ、天海祈をその中心に閉じ込めた。中の様子はうかがい知れないが、《靈瑞みず》の動きが一瞬、乱れたように感じられた。


『[転移]!』


 やまなみは、自分以外の誰かも生き残っている可能性に賭けてそう叫んだ後、返事や反応を待たずに立方体の[棺]ごと合流地点へ[転移]した。

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