3-4-3 エピローグ その3



 自分の受け持った仕事を手早く片付けた俺は、『送迎』の名目で座標を右手内てのうちに《掴み》、転移した。

 そこは何時かと同じ森の中。十二林杣入の工作により、俺はこれから艶島九蟠つやしま くばんを指定された座標まで送り届ける手筈となっている。滞りなく行われる筈だったそれは、突然のが起こった所為で遅れてしまう。けれども、この後は昼休憩に入る予定だったので、俺の仕事にも艶島九蟠の仕事にもさしたる支障はなかった。そういう事になる。

 程なくして、何時かと同じように茂みの向こうから艶島が出てきた。


「匡人様、これから向かう所ですか?」

「ああ」


 すると、噂をすれば影、عَشَرَةアシャラ(10の意)というヒジャブを身に着けた女が、異空閒いくうかんからこちらの世界へ半身を乗り出した。彼女は別地球αから派遣されてきた兵の一人、クローンだ。蕃神信仰の所有する第三次元拡張領域へ向かうには、例外なくこの異空閒いくうかんを経由せねばならない。


「10分もかからない」


 俺はعَشَرَةアシャラの手を取って異空閒いくうかんを一息に通り抜け、拡張領域内に用意された小部屋に降り立った。عَشَرَةアシャラは、異空閒いくうかんに潜って何処かへ消えた。彼女も仕事の合間を縫って来てくれている、他の仕事を片付けに向かったのだろう。後で、再び向かえに来てくれる事になっている。

 黒を塗り固めたような壁に隔離され、心地いい静謐の満ちるこの小部屋には、当分の間、誰も立ち入らぬよう厳命してある。邪魔が入る心配はないだろう。

 懐から灰崎さんの携帯端末を取り出す。こいつに電源を入れるのも久しぶりだ。あまりに、あまりにも忙し過ぎた故、この中に入っていた『匡人へ』と題打たれた動画ファイルをゆっくりと閲覧する時間も作れなかった。

 動画ファイルの作成日時は6月22日……これは、デジャヴ解消の為に灰崎さんと話した日付だ。その後ろに続く細かな時間を見る限り、直後に撮ったものだろうか。

 ここに来る前から覚悟は決めていた。逡巡する事なく動画ファイルを再生すると、映像は自室のソファに座った灰崎さんが画面を占有していた手を戻してゆく所から始まった。


「よう」

「灰崎さん……」


 生前の灰崎さんは、俺の中に残る記憶のものと相違ない声音で、表情で、仕草で、画面越しの俺に向かって呼びかけてきた。きっと、自分が遠からず死ぬとは知らずに。


「この動画は……俺自身の考えを纏めてみようと思って撮ってる。最悪、上手く纏まったらこのまま匡人に渡しちまおうって下心よ。というのも、だ。匡人。オメェは事あるごとに俺の『正義』について尋ねてきたよな? その度に俺は……はぐらかしてばかりで、あまり真剣に向き合ってやれなかった。……これでも、ちっとは申し訳なく思ってるんだぜ?」


 灰崎さんは何時もと変わらぬ眠そうな目をしたまま、自嘲の笑みを浮かべた。どこか、恥ずかしそうだ。


「けどよ、一つ見苦しい言い訳をさせてもらうと、それは自分の中でも上手く言葉に出来てなかったからなんだ。もちろん、気恥ずかしさもあったがな……」


 ふと、灰崎さんは目を伏せ、暫く黙りこくった。その表情は、顔の前でガッチリと組まれた両手に遮られて見えないが、恐らく思案顔だろう。


「俺の『正義』は……そうだなぁ、そんな七面倒臭いものを初めて意識したのはあの時か。オメェも聞いた事あるよな、覚えてるか? 俺がフランスで森やら街やらを焼いちまった話だ」


 覚えているとも。それにしても、やはりこの話には思う所があるのだろう。ひどく神妙な顔付きだ。辛気臭いと言っても良いほどに。


「フランスって国は結構、国粋主義ナショナリズムの強い国でな、それは良い面では自国文化の尊重とかいう形で表れるんだが、悪い面では排外主義っぽくもなる。最近は移民問題も絡んできて大変そうだが……それは置いといて、アジア人差別も苛烈でな。かく言う俺も『chinoisシノワ』だの『チン・チャン・チョン』だのと色々からかわれた口よ。まあ、当時まだ六歳だった幼い俺は、何を言われてるかなんて分からず、適当な遊び……サッカーだのゲームだのを通じて割と馴染んでいったんだがな」


 昔を懐かしんでか、思い出を語っている時の灰崎さんの表情は、言葉を紡ぐ度に幾らか和らいでいった。なにも、悪い思い出ばかりじゃないらしい。

 けれども、「だが――」と発してからは、再び悲痛に引き締まってしまった。


「Collège……中等教育を受け始めた頃だ。まあ、良い奴もいりゃあ悪い奴も居るって当然の事なんだが……初等教育の時は居なかったようなクソ野郎に目を付けられてな、執拗な嫌がらせを受けてた。それも最初は可愛いもんだったが段々とエスカレートしていきやがってよ、その所為で初等教育時代の友人ダチなんかとは距離ができちまって。こっちも同じアジア人同士で固まってみたり、大人を巻き込んでみたり、告発したり、実力行使に出てみたりと色々対策を講じたが、如何せん多勢に無勢でな……その上、奴等……ああ、くそっ! 奴等、中心人物だった俺を逆恨みしやがって! 俺だけならまだしも、俺の家族にまで手を出しやがったんだッ!」


 戦闘時でも冷静さを保つ灰崎さんの、珍しい激昂だった。怒りに任せて振り上げた握り拳が、ソファの木製の手すりに叩きつけられる。その拳が離れた後の手すりには、焼け焦げたような痕がありありと残されていた。

 感情を吐き出して落ち着いたのか、灰崎さんは幾らかトーンダウンした声音で続ける。


「……それで、プッツンきちまってよぉ……もう、怒りだけが盛り上がって丸っきり制御不能になって……燃やしちまったんだ。良い奴も悪い奴も関係ねー奴も関係ある奴も……友人も、も……全部……。これでちったぁ分かったろ? 上手く言葉に出来ないって意味が」


 思えば、灰崎さんの家族について聞いた事はなかった。意図的に、彼はそういう話を避けていたのかもしれない。そして、俺の方も、家族と呼べるような存在が居なかったから、そういう話を切り出したりしなかった。

 ふぅと息を吐き、灰崎さんは再び自嘲の笑みを浮かべた。


「いや全くもって滑稽だ。あの時の俺は家族を守るためにやったんだよ、それは確かだ。しかし、結果がこれなんだからお笑い草でしかない。本末顛倒も良いトコだぜ。責任は俺にある。責任は、全て俺にあるんだ……そして、それを分かっていながら、俺は――今でも、あの時に抱いた『感情』は間違っちゃいねぇと思ってる!」


 間違いを冒し、周囲に致命的な被害を与え、また自ら被ってもなお揺らがず、自らの『感情』を押し通す。それは紛うことなき『我儘エゴ』だ。狂気的ですらある。

 しかし、だからこそ――。迷いを孕む故に頂きにまでは至らぬΔダグスだが、神辺さんのΓギバを凌ぐ。

 かつて、彼の手が触れた胸にあの時の熱が蘇ってくる。

 ――ああ、そうだ。

 俺にもができたのだ。


「……ああ、やっぱり駄目だな。全然、纏まらねぇわ。匡人、オメェの事は弟のように思っていたからよ、答えてやりたかったんだが……チッ、何いってんだか、やめだやめだ」


 灰崎さんが腰を上げて前に手を伸ばす。そして再び手が画面を占有した所で映像は止まった。

 終わった……のか? 淀みない手付きで携帯端末を操作してみると、どうやらこれで映像は全てらしい。

 知らず識らずの内にかなり集中して見ていたらしく、俺の身体はすっかり固まっていた。全身のコリを順繰りにほぐしつつ、脳に血を回して思考する。


「それが……灰崎さんの『正義』ですか……」


 その間、他の動画や写真なんかも改めてざっと一覧で見てみたが、捜査中の記録や戯れに撮ったであろう交渉部レッドチームが映っているものばかりだ。今、この場で改まって閲覧する価値はない。


「――思ってたより、くだらないな」


 手帳型ケースにはめたままの携帯端末を一部だけ《握る》事で強引に中をこじ開け、露出した内部部品を徹底的に破壊する。原型を留めぬ程にあらかた叩き潰した後、俺は重労働をした訳でもないのにの染みる右目を拭った。


「しかし、おかげで道が定まりました」


 だから――ありがとうございます。貴方の人生を無為なものには絶対にしない。貴方から受け取った全てを糧とし、俺は……俺の道を行きます。

 ああ、見てよかった。

 掛け値なしにそう思える動画だった。心の何処かに蟠っていた無用な影をすっぱりと晴らしてしまうぐらいの。

 右腕の時計を見ると、そろそろ艶島に宣言した十分を経過しようかという頃合いだった。それと前後して、タイミング良く背後から物音がした。誰も立ち入らぬように厳命してある小部屋だ。俺は当然、迎えに来たعَشَرَةアシャラがそこにいる事を期待して振り返った。しかし、そこにいたのは全く想定外の人物――中旗ちゅうき、ジェジレㇿだった。俺は遠慮なく落胆のため息を吐いた。


「なんだ君か。聞いたよ、なんとか生き延びていたんだって? 唯一、から生還した人物って事でここじゃ噂の的になってるよ」


 ジェジレㇿは、蕃神信仰の黒尽くめの正装ではなく、幾らかラフな格好をしていた。それもその筈、彼女はさっきまで治療を受けていた怪我人なのだから。

 開いた扉の隙間から、かすかに喧騒が聞こえてくる。恐らく、許可もなく勝手に抜け出した重傷患者を、担当者たちが必死で探しているのだろう。その心中穏やかでない事は容易に想像がつく。後で労ってやらねばなるまい。

 そんな部屋外の気配を遮るように、ジェジレㇿは扉をゆっくりとしめた。音を立てて気付かれぬ様に、という意図ではない。扉すら満足に力強く動かせないほど彼女は弱っているのだ。


「怪我の具合はどうだ? 見た目は綺麗になったようだが、どうにも不自由しているそうじゃないか」


 顔面は蒼白、膝もがくがく、立っているのもやっとで、唯ひとつ、左掌上で廻転する傷ついた探針プローブだけが元気に俺を指し示していた。


「お前……! また、増えているじゃないか……! 何故だ!? 三倍どころではないぞ……! 答えろ!」

「はぁ? 何を意味不明な事を……というか、言葉に気を付けろよ。君は今、奔獏ほんばく御前おんまえにいるんだぜ?」


 奔獏ほんばくとは、かつてゼㇰセスとかいう忌術師の爺に与えられていた神號しんごうである。『別地球遠征作戦に於ける総指揮権』を俺が余さず掌握した為に、失踪したゼㇰセスに成り代わって俺が奔獏ほんばくを名乗っているという訳だ。


「ク、クローン如きが調子に乗るなよ……!」

「おいおい、差別主義者か? ははっ、ふふふ」


 その時、今度こそ向かえのعَشَرَةアシャラがやって来て、俺の隣に半身を乗り出した。異空閒いくうかんから差し伸べられた彼女の手を取って、俺は首だけでジェジレㇿの方を振り返った。


「まあ、積もる話は山ほどあるけれど、それはまた今度にしようよ。これから、そういう時間はいくらでもあるんだからさ」


 今はまだ、やらなきゃならない事がある。暇ができるまで彼女には待っていてもらおう。怪我を直して、な。

 辛そうに歪む顔から視線を切って、俺は異空閒いくうかんに飛び込んだ。

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