第四章 三方世界のグラデュアル

プロローグ

4-1-1 漸進開始



 記憶を蝕む既視感デジャヴは現実と交わり、無視し得なかった不協和音ディソナンスは反射と分裂を繰り返して均一化した。それは、人知れずして蒔かれた陰謀イントリーグ種子たねが、数千年もの時を経て遂に芽吹こうという前触れに他ならない。

 そして、此処に集いし三方世界の猛者どもは、意図せずともその足並みを徐々に揃え、一糸乱れぬ漸進グラデュアルを開始する。



    *



 第四章 三方世界のグラデュアル



    *



 神辺梵天王かんなべ ブラフマーは異様な静けさを感じていた。人一人が居なくなっただけで、これ程までに変わるものか、と。

 食堂にて共に昼食を取る面々を見渡せば、そこにいるのは右に望月要人もちづき かなめ、左に六道鴉りくどう あと、たったの二名。

 灰崎炎燿はいざき えんようという男の存在が、如何にこの交渉部レッドチームを巧みに纏め上げていたか。失ってから初めて気付かされるその影響力の大きさに神辺は愕然とした。自分や、他の者ではこうはならなかった筈だ。

 あれから一週間半近くが経過しようというのに、未だその衝撃は抜けきっていない。リーダーの役割は最年長である岸刃蔵きし じんぞうが受け継いだが、その彼も香椎康かじ やすしと共に別テーブルにて辛気臭い顔でだまりこくり、偶に口を開いたかと思えばそれも業務連絡、最低限の会話。四藏匡人よつくら まさとに至っては食堂にも居らず、何処で昼食を取っているのか、何をしているのかも不明だった。

 てんでバラバラになってしまった交渉部レッドチームを見る度、神辺は後悔の念に駆られた。

 可愛川瞳えのかわ ひとみ鹿刎番しかばね つがい藤莉佳子ふじ りかこ、そして灰崎炎燿はいざき えんよう……立て続けに起こった「死」が、やはり四藏匡人を狂わせてしまったのだ。あの時、宮城支部奪還作戦の折、可愛川瞳の死亡が判明した時点でやはり外すべきだった。天海を無理にでも説得して四藏匡人に休養を取らせ、献身的なフォローをすべきだった。

 後悔先に立たず。過ぎた失態を嘆いても仕方ないとは思う。けれども、今からどうにか挽回しようにも四藏匡人と落ち着いて話す機会もなかった。疑いようもなく明確に避けられていた。

 神辺は、得体の知れぬ悪い流れを感じていた。どうにかしなければ、このまま望まぬ方向へ惰性で運ばれてしまうような、そんな漠然とした危機感だけがある。どうにかしなければ、どうにかしなければ……。


「――梵天王ぼんてんのうサン……梵天王ぼんてんのうサン?」

「あっ……はい。要人かなめちゃん、何でしょう?」

「四藏サンの事デス」


 望月もまた、神辺と同様に纏まりを欠いた交渉部レッドチームを憂いていた。幾ばくの正気を取り戻し、前向きに頑張ろう、チームに馴染もう、とその矢先にこれだ。


「やっぱり、私達でどうにかした方が良いと思うんデスよ。時間が解決してくれそうにはないデスし。香椎サンは四藏サンと仲悪そうデスし、岸サンは業務で忙しそうデスし」

「……私も、ちょうど同じ事を考えていました。なら、私と要人かなめちゃんの二人でどうにか――」

「んぇ? ちょいちょいちょーい!」


 心が同じならば、後は共に目的に向かって突き進むだけ。その思考を遮ったのは六道の抑揚のない声だった。


「なーに、自然にハブいてるのん? ウチら……仲間やん?」

「はい? 仲間? というか、急に会話に入ってこないでもらえますか? 吃驚びっくりしてくびり殺したくなってしまうので」

「えー、意地悪しないでー、いーれーてー、会話にいれてよー、ぶらふまちゃーん」

「ぶ、ぶらふまちゃん!? また珍妙な呼び方を……」

「てかー、よっちゃんに関しては絶対みんなより私のほうがくわしいしー。みんなよっちゃんのこと誤解してる!」


 六道はふざけながらも、言葉尻に自信を滲ませつつ言い切った。その心なしかドヤ顔っぽい無表情に苛立ちを覚えた神辺は、反感のまま殊更に邪険に扱ってやろうと意気込んだが、その前に望月が先手を打って神辺を諌めた。


「まあまあ、梵天王ぼんてんのうサン。聞くだけ聞きまショ。なんか誤解があるとか言ってるの、個人的には割と気になるんデスよ」

「へいへーい、ばっちこい、ばっちこい」


 やはり変にふざける六道に腹はたったが、望月の援護射撃もあり、神辺は折れた。


「……はぁ。ではその誤解とやら、言うだけ言ってみてください。出来るだけ手短にお願いしますよ」

「おっけぃ!」


 六道は、器用にも無表情のまま得意げな雰囲気を醸し出しつつ滔々と語り出した。


「まずはよっちゃんの心情について! みんなはよっちゃんがショックで落ち込んでるとか塞ぎ込んでるとかおもってるでしょ。チガウんだなーこれが」

「むか! いちいちマウント取ってこないでください。ドタマかち割りますよ!」

「ま、きいてきいて。ぶらふまちゃんは『心理の光』のトップに立った後、幹部連中が裏でやってた所業に失望し名誉回復の機会として修行荒行カトゥーをやらせたじゃん。あれって自分が売春まがいのコトをさせられてた恨み辛みまじりの復讐心も動機の一つでしょ?」


 神辺は言葉に詰まった。これは全くその通りだった。『心理の光』を受け継いだ後の神辺は、幹部連中の腐りきった信心を目の当たりにして深く失望し、その金に蝕まれた心を救うべく修行荒行カトゥーを科した。勿論、これは単なる建前でなく本心からだが、そこに信仰心から転じた復讐心がまじっていなかったとは言い切れない。


「よっちゃんにはそれがないの。感情はあるけどそれが動機にならない。よっちゃんには遺伝子レベルで埋め込まれた命令がただ一つあるだけだから」

「命令?」

「――。その障害となる敵には容赦しないし、利用できる仲間は助けるけど……人が死んだから、仲間が殺されたからといって『復讐してやる!』とか、そういう発想にはならない。死んだ原因、殺された原因が自身の障害になるなら別だけど、ならないのであれば何もしない。悲しいけど、悲しいだけ。悲しいどうこうするってならない。というか、そもそも藤莉佳子ふじ りかこなんかは自分で殺してるし」

「それ、四藏サンも自分で言ってたと梵天王ぼんてんのうサンから聞いてるんデスが……本当なんデスか? 過失ミスとかで自分が殺した、みたいな自責の念とかじゃなく? 六道サンは一緒にいたんデスよね?」

「ほんとほんと。ソリが合わなかったらしくて、すきをみてズバッと殺しちゃった。びっくりするくらいに迷いないだったよ。なんか蕃神信仰のせいにされてるけど……おとなの事情?」


 感情と行動を完全に切り離せる人間が果たして居るのだろうか? ――居る筈がない、と神辺は率直にそう思った。しかし、その一方で「有り得る」と囁く声も頭の片隅にあった。これまでの四藏匡人の振る舞いを見てきて、宗教家として多くの人間と接する事で培ってきた審美眼がそう言わしめている。けれど。けれども。


「そんな人間は――」

「『こわれてる』って?」


 神辺の表情に先読みの成功を知った六道は、おもむろに指を口内に突っ込むと、無理矢理に口角を左右に引き上げ、歪んだ笑顔を作ってみせた。


「でも、どこか異質で、どこかズレていて、どこかこわれてるからこその『RED』。私の言いたい誤解っていうのは、そういうこと。よっちゃんは『救い』なんて求めてない。むしろ、私たちがしなきゃならないのは『警戒』……『RED』が裏でなにかこそこそやってるんだから、きっとロクなことじゃない」


 言いたい事を言い終え、ピッと指を引き抜いた六道は、会話の間にすっかり冷めてしまった食べかけのステーキに再び手を付け始めた。

 望月は、助けを求めるかのように神辺の方を見た。どうするのか、六道の話を信じるのか。その無言の問い掛けに答えるように、神辺が厳かに低声を響かせる。


「……いえ、人間はそう単純ではありません。貴方は知らないでしょうが、彼は可愛川瞳を天海に殺されたと思い込んで甚く憤慨し、その場で天海の心臓を奪っているのです。これは間違いなく復讐心でしょう。不覚にも少しばかり説得力を感じてしまった事は事実ですが、それは私達の無知ゆえの誤解という事もあります。アナタとて『RED』であることをお忘れなく。根拠もない上っ面だけの言葉など全面的に信じる訳にはいきません」

「根拠なんていらない。私とよっちゃんは似たもの同士だからわかっちゃうだけ」

「とにかく! ……私達は私達で出来る事を探します。貴方は一人で存分に『警戒』したら良いでしょう」

「やれやれだぜ、ごーじょーな女だ」


 わざとらしく肩を竦めて残りの肉を詰め込み、六道は颯爽と席を立った。そして、REDを厭うた混雑が二つに別れて作り上げた道の先にトレーを戻し、まっすぐ食堂出口へ向かう。

 その時、突如として「キーン!」という耳障りなハウリング音が食堂内に響き渡り、皆の意識を射止めた。これには、さしもの六道も例外でなく、何事かと足を止めざるを得ない。

 ハウリング音の出処は明らかだ。天井に埋め込まれている連絡用スピーカーで間違いない。誰かが全館連絡用のマイクを取ったのだろう。しかし、何故? 何の為に? 最近の日本国内の情勢は落ち着き始めていた筈だが、全館連絡をせねばならぬ程の緊急事態でも起こったのだろうか、警報が鳴り響いていないという事は別の支部だろうか?

 誰もが不安を感じ、天井を見詰めて次の言葉を待つ中、REDの女三人だけは先程の会話の余韻もあって、揃ってある人物を思い浮かべていた。


「まさか」


 神辺は不安を押し殺すように、自分に言い聞かせるようにそう呟いたが、直後に響いた聞き覚えのある声が、無慈悲にもその想像が現実のものであると喧伝する。


「皆さん、聞こえますか? 東京支部/交渉部所属の四藏匡人よつくら まさとです。本日はお日柄もよく、新たなる門出には相応しい日であるかと思います」


 食堂がざわざわと騒がしくなる。こういった役目を担いがちな日本支部長の天海祈あまみ いのりや、総務部長の荒垣仁あらがき じんでなく、四藏匡人。馴染みのない名前に首をかしげる者、思い当たってREDがマイクを握っている事態を不安視して青褪める者、周囲との事実確認に努める者などが、その喧騒を形成していた。

 誰も彼もが四藏の唐突な話を掴みかね、一様に困惑だけが漂う食堂内で、ただ一人、神辺梵天王は至っていた。

 今日は、天海祈がアフリカ大陸へ出向する日だ。

 これは前々から機関内報で告知されていた。アフリカ大陸で滞っている蕃神信仰の掃討に協力する為、暫く日本を留守にする、と。

 バッと振り返って食堂の時計を見れば、時刻は昼、十二時三十分。確か……カイロ辺りと日本の時差は七時間。向こうでは大体、早朝の五時三十分……! 前後に一時間のズレを考慮しても、問題なく作戦行動中の時間だった。

 神辺は、一も二もなく立ち上がり、驚く望月を置き去りにして食堂を飛び出した。目指すは下の十三階。そこのオペレーター室にマイクはあるのだ。

 その間にも、四藏は一方的に意味不明な言葉を語り続ける。


「さて、誰も求めていない前置きはこの辺にして、早速本題に入りましょうか。俺が訴えたいのは『RED』の扱いに関してです。どうして、そのような刺々しい対応をするのでしょう。俺は悲しいですよ、悲しい……」


 ――嘘だ! 彼は嘘をついている!

 階段を飛ぶように降り、一直線にオペレーター室を目指す神辺には、それが痛いほど分かっていた。かつて、四藏は神辺に語った事がある。BLUEやYELLOWの視線は仕方のない事だ、と微苦笑しつつ、むしろ彼等の視線が自らを律し正しい方向へ導いてくれている、と。

 建前だ。偽りの動機。

 これ以上、彼に語らせてはならない……! 根拠もなくそう信じた神辺は、自身の直感に従い懸命に駆ける。だが、それも一歩及ばず――人だかりの出来たオペレーター室の前にまで辿り着いた所で無に帰す。


「だから、MCG機関を捨てて蕃神信仰に寝返る事にしました」


 あ、ああ……!

 四藏の言い放った内容を認識した瞬間、思わず脱力してしまう。間に合わなかった。勿論、それは自惚れまじりの勘違いだ。神辺が間に合おうと間に合うまいと、四藏は意見を変えず、発言を引っ込めなかっただろう。

 ――まだ、まだだ!

 けれども、神辺はすぐに脱力する全身を叱咤し、強く右手を握りしめて、開かない扉と格闘する人だかりへ向かって叫んだ。


「退いてください!」


 今なら能力は使えるはずだった。緊急事態と認識している今ならば。

 鬼気迫る様子の神辺に気付いた者たちが横へ退くと同時、神辺は體化光子を纏わせた二挺の手斧フランキスカを投擲した。狙うは蝶番――扉を扉たらしめる部位にして、最も脆弱なる構成部品パーツ。そして、狙い通りに見事、上下二つの蝶番を破壊した。

 神辺は、もはやただの衝立ついたてと化した扉に向かって走りながら、誰にともなく叫ぶ。


「鍵は!?」

「か、かかっていない筈ですが、何故か開かなくて……!」

「そうですか!」


 誰ぞの返答、蝶番以外の障害がない事を知った神辺は、勢いに任せて扉を蹴破った。



    *



「お、誰かと思えば神辺さんか。予想より早いお出でですね」

「匡人さん……」


 神辺さんの視線は最初の一瞬こそ俺だけを捉えていたが、すぐに周囲に散乱する待機要員オペレーターの死体へ向けられた。部屋内の生存者は俺一人だけ、ならば下手人は決まりきっている。

 程なく、はっきりと外から見て取れる憤怒をあらわにし、肩を怒らせて乱暴に此方に迫ろうとする神辺さんだったが、それも一、二歩の所で「ドン」と透明な壁に遮られた。


「それ以上は進めませんよ」


 そう言うと、神辺さんは手探りで正面を確認したり、體化光子で攻撃したりした。しかし、それでも一切ビクともしないので、すぐに破壊は諦めたようだ。


「貴方……! どうしてこんな事を……減給じゃ済みませんよ……!」

「はは、減給って、面白いジョークですね」

「フザケているのですか!?」

「まさか、俺は本気マジですよ。オオ本気マジ。MCGを離れて蕃神信仰へ行くつもりです。ま、これはちょっとした訣別けつべつの意思表示、挨拶がわりって所ですかね。天海の仕掛けたも、外してもらいましたし」


 俺は首を指差しつつ足元の肉片を蹴飛ばし、透明な壁に打ち付けた。MCG職員の悲鳴と罵倒が飛び交う「動」の雰囲気の中、対面する俺と神辺さんだけが「静」のまま空間から浮いていた。


「貴方は……違うと思っていました。他の、連中とは……。不遇な環境の所為で過ちを犯そうとも、その奥には必ず善なる心があると……怒ったじゃないですか、可愛川瞳の死にあれほど憤慨した筈じゃないですか……!」


 神辺さんの声は極めて小さな蚊の鳴くような音量だったが、この喧騒の中でもよく目立って響いた。


「……神辺さん。俺はアナタに感謝しています」


 伏せられていた神辺さんの黄金色の瞳が、俺の言葉によって引き上げられた。綺麗だ。いつ見ても。


「灰崎さんは俺の事を『弟のように思っている』と言ってくれました。俺も、多分、彼を兄のように慕っていたのでしょう。そして神辺さん、アナタもそうです。俺に肉親なんて居ませんが、それぐらいに思っていましたよ。初対面の時、アナタが俺にくれた言葉は今も胸の裡にあります」


 隣人愛アガペー――その良心を育くめば、より素晴らしい人間になれる。

 あの時の言葉は再三に亘って、迷う俺の指針となり、判断を助けてくれた。もはや、俺を構成する一部と言っても過言ではない。

 しかし――。


「しかし、もう、それに然程の価値を感じないのです」

「それは……『蕃神信仰のに共感した』という意味ですか? 可愛川瞳を、鹿刎番を、藤莉佳子を殺した蕃神信仰を……」

「んー、はい」


 少し考えてから肯定を返すと、神辺さんは再び目を伏せて小さく震えた。その目元には、光る何かが見える。

 ああ、彼女とはもう少し話していたいが……残念、時間だ。俺の背後から向かえのعَشَرَةアシャラがやってきてしまった。手だけを覗かせて、俺の衣服を掴んでいる。


「最後に予告を一つ。一週間以内に日本の何処かの支部を襲います。是非是非、準備をしておいてくださいねー。あ、神辺さん、次に戦場であったら悲しいですけど殺しますから、そうならないように祈っておいてください。それじゃあ」


 最後に言わなければならなかった事を残し、俺はعَشَرَةアシャラに引き摺り込まれるようにして異空閒いくうかんに潜った。

 これで俺は、プランC――その最初の一歩を踏み出した事になる。精々、騒いでくれると嬉しいのだが、どうなるだろうか。まあ、後で聞けばいい事だろう。彼女に。

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