3-3-2 環太平洋緊急議会



 普段の業務と『送迎』を慌ただしく交互に繰り返す日々。そのどちらの忙しさにも慣れてくる頃、俺と灰崎さんは少し変わった仕事を申し付けられた。


「ちょっとした会議がある」


 と天海は言った。

 今日と明日の二日間、太平洋上に浮かぶ人工島で、ちょっとした会議が開かれるらしい。参加するのは、環太平洋地域の国々からMCG機関や各国政府の要職たち。当然、その身そのまま護衛も付けずに出席する訳でもない。俺と灰崎さんには、日本MCG支部から会議に参加する情報部の者たちを護衛して欲しいとのことだった。


「最近は色々と面倒が増えただろう? 現代魔術聯盟とかな。それらへの対応の方向性を決するという意味でも重要な会議だ。貴様ら二人の力量を見込んで任命アサインしたのだ。頼んだぞ」


 別にいいが、当日に言うなよ。

 言ってどうにかなるものなら遠慮なく文句の一つや二つくれてやる所だが、そうでもないからと口を噤んだ。そして、急な予定変更の後始末を心苦しくも他の皆に任せ、俺と灰崎さんはすぐに人工島に跳んだ。

 転瞬、そこは何もない広い部屋だった。あらかじめ「転移用の部屋」と説明を受けているので混乱はない。部屋を出るとビルの廊下らしき場所に出て、目の前にはせせこましいコンクリートジャングルが広がった。人工島の狭い土地を互いに奪い合うかの様に、視界いっぱいにビルが建てられている。

 今の部屋もビルの一室だった。手すり壁から下を覗いてみると、大体十階ぐらいの高さだった。

 そして、島らしく、遠くで打ち寄せる波飛沫の気配、むせ返るような潮の香りが鼻先をくすぐった。……なんだかなぁと思ってしまう。嫌でもあのレユニオン島での一件が頭を過ぎり、気分が悪い。

 そんな俺とは恐らく全く別の原因だろうが、同じく顔をしかめた灰崎さんは、デスクワークで凝り固まった身体を手すり壁にもたれて大きく伸ばした。


「ふい~ったくよ、天海の横暴にも困ったもんだぜ。連絡ぐれぇはキチッとしろよな」

「……そうですねぇ。唐突に仕事を放り投げてくるのは何時もの事ですが、改善する姿勢ぐらいは示してもらわないと」


 MCGは、普段は仕事が早いのにREDが絡むと途端に停滞する。その具体的な弊害として、通販サイトで頼んでいる本棚がまだ来ない。REDが危険物を持ち込まないようにどこかの部署が入念に検品でもしているのだろうが……残念、それはただの棚だ。購買部の品揃えが良ければ、通販サイトなんて利用しなくてもいいのだが……。

 そんな風に軽く雑談でもしながらその場で待機していると、件の情報部の連中も予定通りに転移してきた様で、隣の部屋の扉が同時にガチャリと開いた。


「あれ? 予想外に見知った顔じゃん。護衛ってのは二人の事?」


 右の扉から顔を出した法倉螺湾のりくら らわんさんが軽く手を振りつつ気安く話しかけてくる。こちらとしても、よく見知った顔である。彼に続いて左の扉から出てきたのは、つい先日、“双子から情報を聞いた時”に同席していた十二林杣入じゅうにばやし そまりと……艶島九蟠つやしま くばん……。連絡通りだ。


「そうだぜ。なんか文句あるか?」

「いや? 逆にちょうどいいよ。後で――」


 灰崎さんと螺湾さんは、俺たちから離れてこそこそと小声で二人だけの談笑を始めた。自然、残された俺と情報部のお二方は向かい合う形となる。……あんなことがあった後だ。もう、目を合わせても大丈夫だろうと思って油断していると、不意に胸元に衝撃が飛び込んできた。そこから漂ってくる強い香水の匂いが、潮の匂いを掻き消す。


「また再び逢える日を心待ちにしていました……っ! 匡人様……!」

「……そうか……はやく、離れてくれ」


 俺は、灰崎さんと螺湾さんの目を気にして艶島を強く引き剥がした。この阿婆擦れが。昼間っから何を発情しているんだ。

 かすかに潤んだ捨て犬の様な紫瞳から目を背けると、今度は細いフレームの眼鏡ごしに十二林の鈍色の両瞳と目があった。彼は、後ろでまとめた肩甲骨辺りまで伸びる金髪を揺らして軽く会釈してきた。


「四藏様の話は九蟠より何度も聞いております。期待していますよ」

「それは、有り難いことで……」


 予想より遥かにマトモな言葉を使ってくる。どうやら、彼の方は艶島より幾らか話が通じそうだ。態度は理知的、外見は白人風だが日本語ができるなら灰崎さんでもないし気にしない、狂気も控えめ……首にかかる職員証が赤色な理由は気になるが……まあいいだろう。俺もそうREDなのだから、あまり人のことは言えん。


「こちらこそ、宜しく頼む」


 十二林は、情報部設立時からMCGに所属している最古参にして、だ。友好的に行こう。俺は握手をする為に左手を差し出した。

 しかし、その手が掴まれる事はなかった。十二林は、途中まで俺の手を握り返そうと手を伸ばしたものの、手と手が触れ合う寸前、まるで意図せず針先に触れてしまった時のようにバッと手を離した。


「な、なんて事を――!」

「どうした?」


 なにやら、彼は混乱しているようで自分の左手と俺を交互に見ている。すると、横合いから艶島がおずおずと話しかけてきた。


「あの、彼の能力は表層心理の読心です。今はある程度能力が制限されているそうですが、いま近付いた時に心を読んだのではないかと思われます」

「成程……で」


 説明を受けて状況を理解した俺は、十二林の顔をまっすぐに見据えた。


「握手をするのか? しないのか?」

「あ……」


 クローンにはありがちな起伏に乏しい表情が、わずかに歪んでいる。俺には彼の気持ちが痛いほどに良く分った。


「そう、深く考えないほうが良い……かけられているのだろう? 煩わしいロックを……艶島もそうだったし、俺は今もそうだ。だから、分かる……なあ、どこまで? その先を知りたくはないか? くびきから開放されたくはないか? 俺と共に……素晴らしき未来を思索する気はないか?」


 十二林の喉がゴクリとツバを嚥下する。話は既に艶島から通っている筈だ。そして、俺の手を握る決心もしている筈。十二林には、これまで積み重ねてきた実績もあり、監視の目も薄い。むしろ、他職員を監視する側の立場……ここで断られるのは痛い。

 だが、無理強いはしない。それ故に俺からは歩み寄らず、こうして左手を差し出し、掴まれるのをただ待つ。

 やがて、十二林がゆっくりと俺の手を掴もうと――したところで、邪魔が入る。


「お~い! 何時まで話してんだ、そろそろ行くぞ~!」


 振り返ると、階段に足をかけながら灰崎さんが俺たちを呼んでいた。その所為で、十二林は一度は決めた心に再び迷いを生じさせてしまったようだ。手が離れてゆく。

 舌打ちでもしたい気分だが、この場では控える。こんな時にこんなところで長話をする俺が悪いのだ。灰崎さんを責めても恨んでも仕方がない事。

 俺は、心中の未練を振り切り、「また、話そう」と言って灰崎さん達と合流した。



 人工島の中心部に建てられた一際巨大なビルの中が、今回使われる会議の場所らしい。そこに向かって歩いていると、周囲からも徐々に人が集まってきた。時間はズラしてあるそうだが、やはり会場が一つである以上、多少の混雑は避けられないようだ。ビルの入り口に出来ていた短い列に並び、しばらく待つと俺たちの番になった。


「May I see your stuff ID, Please?」


 受付の黒人が使ってきたのは英語だった。参ったな、聞き取れればなんとかなるかもしれないが、流暢すぎてなんと言っているのかさっぱり分からない。支給品タブレットの翻訳ソフトでなんとかなるだろうかと勘案していると、灰崎さんが振り向きざまに「職員証を見せろってさ」と訳してくれた。言われるがままに職員証を提示しつつ、俺は感嘆の念を抱いて尋ねた。


「英語、できるんですか?」

「ああ。多分、その所為で俺が選ばれちまった部分もあるんだろうなぁ。因みにフランス語もまだいけるぞ」


 外人嫌いなのに。

 その後も、灰崎さんは受付と流暢な英語で会話し、俺たちは軽い身体検査を受けて先へ通された。俺は銃を持ってきていたが、ここで回収されてしまった。電子機器――タブレットと探知機レーダーは持ち込みOKらしい。

 ビルの中は広々としていて、MCG所有の建物らしく清潔な白で満たされており、その上をMCGの白制服と別地球αの軍隊らしき種々様々な民族衣装の集団がまばらに行き交っていた。


「会議場は二階にあるみたいだぜ」

「行きましょうか。寄り道する用事もないですし」

「……そうだな」


 案内板を見た灰崎さんの先導に従ってゆっくりと進んでゆく。会議の開始時刻である十五時まではまだ一時間近くある。その為か周囲の人間も余裕を持った足取りだ。

 すると、突然「お~うい!」と声をかけられた。日本語、それも田舎っぽい発音だ。声の方に振り向くと、近衛旅団の連中三名がそこに居た。彼等がいつも持っている武器類も今日はない。その中から一人、灰崎さんと同じくらいの背丈の男が歩み出てくる。


「おはんら、日本MCG機関の連中か? おいは第六歩兵小隊隊長、厨川半心軒くりやがわ はんしんけんと申す」


 さっき、「灰崎さんと同じくらいの背丈」と言ったが、軍人というだけあって鍛えているのか身体の厚みは比べものにならない。いざ近付いて面と向かってみると傷だらけの顔と相まってすごい威圧感だ。

 灰崎さんが代表して「ああ、そうだ」と答えると、彼は威圧感をかき消すほど柔和に破顔した。


「いやぁ良かった。ちょいと道に迷うちまった上に、どこもかしこも外国語ばっかで心細う感じちょった所じゃ。なあ、そっちの席はどん辺りだ?」

「AY-15~19だとさっき聞いた」

「おお、どうやら、おいたちは隣同士に配置されちょるらしい。会議場まで共に行かせてもろうても良かか?」


 断る理由もなかった。俺たちは共に会議場へ向かう事となった。道中、厨川さんは九州の方の生まれで、まだ訛りが残っていると言った。意味が分からなかったら遠慮なく聞き返してくれ、と。

 厳つい顔に似合わず親しみやすい人柄をしている。背後の隊員二名(通訳か? 護衛か?)は、五人ものREDを前にして警戒心をあらわにしているというのに、厨川さんは全くそれを感じさせない。

 単に肝が据わっているのか、それとも自信の表れか。まさか、REDの意味を知らぬ訳ではあるまい。

 その胸中が読めない。一応、警戒しておくことにした。



 会議は時刻通りに始まった。

 俺たちは半円状にズラッと並んだ椅子に座って、穏やかに交わされる議論を他人事のように静観した。蕃神信仰の動向、奪還が遅れている地域に於ける今後の作戦活動、別地球αからの援軍が送られてくる可能性、そして現代魔術聯盟について……いずれも非常に興味をそそられる議題だが、その大半が英語含む外国語で展開される為に何を言っているのか全く分からない。

 少し離れた位置にいる日本政府関係者らしき人たちには、別の護衛の他に通訳が付いている様だが、当然の事ながら会議に参加しない俺には通訳などいない。

 途中までは適宜、暇をしている灰崎さんに訳してもらっていたのだが、日本の異能者ジェネレイターを代表して意見を求められた後は、「俺の役目は終わった」とばかりにトイレに行ってしまった。それからもう三十分近く経つのにまだ戻ってこない。

 螺湾さんとクローン二人はというと、なにやら周囲の出席者を指差しては小声で相談を繰り返しており、かなり忙しそうだ。十二林は英語が出来るそうなので、後で内容を聞いても良いかもしれないが、今は迷惑だろう。

 完全に俺だけが手隙になってしまった。ここは俺も離席して、しばし休憩でも入れようかと考えていると、予想外の方向から声をかけられた。


「あなた日本人……カ?」


 背後から声をかけてきた彼は、恐らく外国の別地球αの軍人だろう。短髪は見慣れた黒で顔立ちもモロにアジア系だが、雰囲気や佇まい、日本語の拙さ、鼻先に仄かに香る匂いが日本人とは異なっている上、着ている軍服の民族的なデザインとカラフルな意匠は、日本の近衛旅団とは若干ばかし趣をことにする。


「……ええ、そうですよ」


 対外的には、日本人の分類に入れても良いだろうと思ってそう答えると、彼は「良かっタ」と顔を綻ばせ、人懐っこい幼気な笑みを浮かべた。


「じゃあ、ヨツクラマサトって人、知ってるカ? 今、いるカ?」

「四藏匡人……それは俺ですけれど」

「えっ、そうなのカ? 二宇から聞いてたのとスコシ想像が違ったから……私はイサ(isa)です。タガログ語で『1』って意味ダヨ」


 ああ、成程……二宇さんの言っていた会議出席者とは彼の事か。これなら、しばらくの間は退屈しないですみそうだな。




 会議後、俺たちは同ビル三階の共用食堂で良くわからない不味いエセ中華料理で夕食を済ませ、人工島内の宿泊施設に向かった。

 今回、任務が『護衛』の為か、転移系の能力を持つ者には制限ロックが課せられている。俺の制限ロックは[会議が終了するか、不測の事態が起こらぬ限りは座標転移不可]、また[同行者である他四名を伴わぬ場合は座標転移不可]となっている。要は「不測の事態が起こった時には座標転移を解禁するが、情報部の貴重な人材を置き去りにして一人で勝手に帰ってくるなよ」ということだ。

 そんな訳で今日は帰らず人工島で一泊する。明日は朝から午前と午後の二回、会議をする予定だそうだ。

 シャワーを浴びた俺は、ふかふかのソファに体を埋めた。

 正面の防弾ガラスの大窓から望む夜景は中々に壮観だ。夜の闇がコンクリートの味気ない灰色を覆い隠し、実に人工的ないくつもの光源が星のように瞬いている。降って湧いた休息だ。

 一人一部屋が割り当てられている為、他には誰もいない。なんとも贅沢な孤独だ。

 ちょっとした役得を満喫していると、急に何処かから「ポーン」という軽いチャイム音が鳴り響いた。それと同時にノック音と灰崎さんの声も。


「匡人! いるか~?」


 すぐに立ち上がって部屋の鍵を開けると、俺が開けるまでもなく扉は独りでに開いた。


「よぉ、上がっていいか?」

「いいですよ」


 と、言い切る前から、灰崎さんは遠慮なくズカズカと奥に上がりこんでくる。俺は苦笑いでそれを追いながら、途中でお着きの飲み物と菓子を手に取った。


「こんなものしかありませんけど」

「気にすんな、すぐ済む」


 菓子をテーブルに置く。そして、俺と灰崎さんは向かい合うようにしてソファに座った。


「それで、どうしました? 明日の事でまだ何か打ち合わせる事でも?」

「いや、なんていうかな。ま……ちょいと、確認したい事があって来たんだ」

「確認?」

「そうだ」


 灰崎さんは両手を固く組み合わせて浮かない表情のまま俯いていた。さっきから妙にせかせかしている。言い難い事なのだろうか。

 やがて、灰崎さんは「前に……」と切り出した。


「少し話したな。アレは昼休憩の短い時間だったか」


 灰崎さんが言っているのは、俺がデジャブ解消の為に行った対話の事だろう。まだ記憶に新しい。俺が覚えている事を告げると、灰崎さんは静かに続けた。


「あの時……オメェはレユニオン島に居たと言ったな。そしてインド洋上で救助されたとも」

「はい。正確にはそういう記憶があるという話ですが」

「実は……あの話の中で、俺は話さなかった事がある……」

「……それは」


 俺には、灰崎さんの言わんとする事が分かっていた。

 灰崎さんとの話をもう一度思い出す。宮城支部奪還の折、灰崎さんは神辺さんを庇ってアフリカの森の中に転移され、そちらにも待ち構えていた蕃神信仰の襲撃に遭ったが、どうにか切り抜けてその日の内に救助された……。

 後から知った話だが、そのアフリカの森というのはマダガスカル島のアツィナナナの雨林の事らしい。

 ならば、位置的に灰崎さんも見ている筈だ。


「俺は『切り抜けた』と言ったが……あれは嘘なんだ。俺は完膚なきまでに負けたんだよ。そして、得体のしれない温情をかけられた……」


 灰崎さんは、おそるおそるといった風に、直接的な言明を避けて曖昧に言った。


「なぁ……オメェも……のか?」


 間違いない。灰崎さんも" "を目撃している。そして、その脳裏には今も" "が焼き付いている。

 俺は、その一点に強烈なシンパシーを感じつつ、灰崎さんの問いを肯定した。


「見ましたよ。忘れようにも忘れられないあの存在感……三つの存在、そして三番目の解」

「ああ、そうか……分かったよ。何故、知っているのかは分からないが、その通りだ。……ありがとう、もう用事は済んだ。それだけのことなんだ、確認ってのは」


 灰崎さんはそれ以上の無用の口出しを拒むように素早く立ち上がると、そのままノンストップで足早に部屋を出ていった。ガチャン、というオートロックのかかる音が遠く聞こえた。

 一体、灰崎さんはそれを確認して何を得たかったのだろう。俺は、灰崎さんが去り際に見せた覚悟を決めたような表情が気になって仕方がなかった。

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