A・α 正答

3-3-1 A・α 正答



 A・αアルファ 正答コレクト



 時は少し戻り、宮城支部奪還作戦から二日後の昼間。

 宮城支部ビル内外には、急遽動員された多数の一般人だけでなく重機やトラックなどの車両も忙しなく動き回り、瓦礫の撤去作業と復旧作業が並行して急ピッチで進められていた。

 そんな中、安全の為に通行を制限しているとある警備員の元へ、一人の男が歩み寄ってゆく。まるで、警備員や通行止看板など一切見えていないかの様な淀みない足取り。警備員は己の責務も忘れてしばし面食らってしまった。が、すぐに正気を取り戻し、慌てて制止した。


「ちょ、ちょっと、ちょっと! 『工事中・立入禁止』の看板が読めないの? 関係者以外は立入禁止! 帰った帰った」

「……おいおい、これはMCGの制服だぞ」


 そういう男が指で摘み上げてみせたジャケットは、確かにMCGの白い制服であった。しかし、本日雇われたばかりの警備員はピンと来ていなかった。その様子を見て、男はため息を吐いた。


「教育がなってないな、顔パスじゃないのかよ。職員証は――っと……あ」


 宮城支部ビルの所有者であるMCGの職員である事を証明しようと職員証を取り出した男だったが、その赤い職員証に書かれていたを見てピタっと固まった。


『宮城支部/交渉部 安倍浄浜あべのきよはま


 安倍浄浜あべのきよはま――それは男、[しらかげ・wilde]が以前使っていた古い方の偽名である。

 もう一度、カバンや懐を探ってみるも、これ以外の職員証は入っていない。どうやら、うっかり間違えて持ってきてしまった様だった。

 参ったなあ。真面目一徹で鳴らし、エリート街道を突っ走ってきたしらかげに取って、初めての経験となるほど単純なミス。しらかげはもう一度、ため息を吐いた。

 これでは、せっかく顔と背格好を変えていても、警備員やらを通じて正体がバレかねない。参ったなあ、実に参ったと数秒ほど迷った末、ここで徒に時間を消費してもいられないとしらかげは手っ取り早く強行突破を選択した。

 訝しげな目をしらかげに注ぎ、不審者として報告しようか、いや一人で対応した方がいいのか、と心中で悩む新人警備員の眼と眼の間――鼻根筋の辺りにピッと肉体労働も知らなそうな細い人差し指が向けられる。


「[窪田くぼた]」


 殊更に困惑する警備員の名を、その胸元に付いていた名札から読み上げる。

 これで――しらかげは[いみな]を握った。

 無論、一部(名字)でしかないが、万物の根源たる魔力素マナをも隷従せさする『魔術師アーシプ』に取って、何ら物理、概念、精神、魔術的対策を施していない一般人の精神に一時少しばかり干渉するにはそれでも十分すぎる。


「[小便がしたい] [小便がしたい]」

「小便が……したい……」


 それこそ、赤子の手を捻る様なもの。二度、そう唱えただけで警備員、窪田の脳内には同様の語句が焼き付けられた。


「[お前は何も見なかった]」


 終いとばかりに刻み込まれたその語句によって、窪田の脳は視界に映り込むしらかげを認識できなくなった。そして、尿意に引きずられ、よろよろと付近に設置されていた仮設トイレへ向かって歩き出した。すぐ隣を悠々と通り抜けてゆくしらかげに一切見向きもせず。

 しらかげは、監視カメラを避けつつ同様の手口で障害を退け、宮城支部ビルを屋上まで登りきった。屋上、庭園跡からは既に瓦礫などは綺麗サッパリ除かれており、後は資材を運び込んで復旧作業に入るだけという段にあった。今は、その作業と作業の合間に生まれた、ほんの僅かな無人の時間。わざわざ狙いすましたこの時間を有効活用すべく、しらかげは、MCG謹製支給品カバンから様々な機器類を取り出した。


「まったく……」


 機器類をいじくり回しながら、しらかげは独りごちる。


「蕃神信仰……忌術師カッシャープの連中が余計な事しなけりゃあ、こんな事には……俺が、お叱りを受ける事もなかった。経歴キャリアに傷が付いたぜ……」


 蕃神信仰が突如として各国MCG支部ビルへの同時侵攻などという血迷った事を試みなければ、しらかげは現在も宮城支部の一交渉員として変わらず潜り込めていた筈である。まさか、外出していた者を除いて職員が全滅した中で、一人だけ偶然に生き残っていましたと名乗り出る訳にもいくまい。

 遣る瀬ない思いを奥歯で噛み締めていると、機器の一つが「ピピッ」と電子音を鳴らした。しらかげは、タブレット状の操作盤を取り出し、そこにズラッと並ぶ検査結果を眺める。


魔力素マナの痕跡は多数みられるが……魔術ばかりじゃねえな」


 平凡な魔術に混じる特殊な反応は、壁や地面といった平面の中から出ていた。恐らく、設置型であろうとしらかげは考える。


「かといって[忌術きじゅつ]でもねえ。とすると、これは……[咒術じゅじゅつ]に属するものか」


 [祈禱咒術きとうじゅじゅつ]と分類カテゴライズされる、古臭い奇蹟の下位概念に位置するものが[忌術]と[咒術]である。

 その区分は紀元前にまで遡る。当時のメソポタミアでは、血筋があづかる個人神の名を揚げようと、都市国家間での諍いが絶えなかった。その勢力争いに負けたもの達をんだ事が、[忌術]と[咒術]という分類カテゴライズの始まりだ。誰もおおやけには口にしないが、誰もが知っている暗黙の黒歴史。

 そして、それを知っていながら現代魔術聯盟は彼ら忌術師カッシャープを一人残らず滅しようとしている。全てを闇に葬ろうというのではない。そうするには既に手遅れである。理由は偏に責任感からだ。「我々は責任を取らねばならない。権力と生存の闘争の中、他を蹴落とし繁栄した責任を」――それが彼等の標榜する理念なのである。加えて、過程や原因はどうあれ、現代に於いて忌術師カッシャープという存在が社会に仇なす不届き者である事に変わりはないからだ。


「くっそ、わかんねぇ……こんなもん専攻してねぇよ。こちとら院生時代は『創作魔術の申し子』と褒めそやされた生粋の現代っ子だぜ。[咒術じゅじゅつ]なんて、長生きだけが取り柄のジジババしか覚えてねぇだろ……ふん、なら、そっくりそのまま持ち帰って見せつけてやればいいだけか。まさか、不敬とは言われまい。ふはは」


 そうこうしている内に刻限は迫っていた。周囲から迫りくる物音の気配を感じ取ったしらかげは、先のMCG潜入任務から増え始めた舌打ちをここでもし、予め調べておいた人の少ない面から地上へ飛び降りた。



 その数日後、しらかげ青白磁せいはくじ色の髪眼を晒して、現代魔術聯盟のお歴々が居並ぶ前に立っていた。通常、しらかげの様な新入りが――画面越しであるとはいえ――会合に参加する事はない。直属の上司に報告を投げて終わりだと軽く考えていたのに、どうしてこうなったのか。目の前で喧々囂々の議論が行われる中、一人考えども答えは出ない。


『時に――[しらかげ・wilde]よ』

『――は、はいっ!』


 唐突に名を呼ばれた事に躊躇いを見せつつも、すぐさま日本語でなく統一言語で返答すると、画面の向こうの老人らしき声が続ける。


『あれは不運であったな。まさか、お前を潜り込ませておいた宮城支部が狙い撃ちされるとは』


 さも同情しているような声音に、責められる事はないと安堵したしらかげだったが、返答の言葉に難儀した。肯定しても、否定しても、礼を欠く様に思えた。


『す、全ては、私の不足とおぼえます』

『そうか、お前の不足か!』


 そう答えると、どこか嬉しそうに老人らしき声は笑った。


『では、お前に名誉挽回の機会を与える。この任務は《異能》間近で見て知っているお前が最も適任だ。ああ、そう、FIFTAの末席もひとり付く』

『FIFTAが!?』


 現代魔術聯盟の言う[‘5=1, FIFTA]は、魔術師の最高位を意味する。いかに末席の謂れが付属しようとも、[‘3=3, ÞRIDDA]であるしらかげに取っては雲上人にも等しい相手である。

 一体、どれほど重要な任務なのか……。ゴクリと生唾をのんで身構えるしらかげに、存外、老人は軽々しく告げた。


『何、気負う事はない。お前は、ただ、返事を聞いてくればいいだけだ』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る