3-2-6 微差は大差



 望月さんは、クソガキの言った通りに民家の中で眠っていた。目立った外傷は無かった。その隣の陣場くんと伊秩にもだ。念の為、医務室で診察を受けさせたが、そこでも異常は見られなかった。「異能行使による疲労が出たのだろう」とは診察した医者の弁。三人とも納得はしていなかったが、俺もそれを支持してその場は押し切った。

 それから数日経ち、俺は今、食堂で業務後の夕食を取っていた。


「――総書記は『中国の領海である』と強硬姿勢を崩さず、今後も戦艦による日本領海侵犯が続く可能性が高いと見られています。これに対し、ミラー米副大統領は『東アジアの調和を著しく乱す行為』と――」

「ふーん、中国はインドともやりあってる最中だってのに、日米こっちとも本格的に事を構える気なのかなぁ。マジに第三次世界大戦じゃん。怖いなぁ」


 香椎さんが、食堂で垂れ流されているニュース番組を見ながら漏らした呑気な感想を受けて、岸さんと灰崎さんも手元の食事から目を上げる。今日、食堂で夕食を取っている交渉部レッドチームは男性陣だけだ。女性陣は、神辺さん主催で食事会を開いているらしい(より正確に言うと、神辺さんが望月さんを誘った所へ、呼ばれもしていない六道さんもくっついていった形)。

 ズズと味噌汁を啜った岸さんが「まあ――」と応じる。


「口では表向き否定していますが、米国がインドを裏から支援している事は明らかですし、中国としては、そこに日本と米国が公然と加わっても『変わらない』という傲岸不遜な考えなのでは? 或いは、なにか勝算があるのかも知れません。北朝鮮やロシアもキナ臭い動きを続けていますし……朝鮮半島あたりで前哨戦が始まる可能性もあります」


 やけに心配症だな、シリアルキラーが。そう思った時には口が勝手に動いていた。


「別に、そう気にすること無いですよ」


 俺がそう言うと、テーブルの視線が一斉に俺を見た。中でも、灰崎さんが取り分けて険しい視線をぶつけて来たかと思うと、口中の魚の煮付けの咀嚼もそこそこに突っかかってきた。


「気にするに決まってるだろ。なんせ戦争だ。人が死ぬぜ」

「人は皆、死にますよ。何時かは」


 万物流転パンタレイ……仏教風に言うと有為転変、世の理のひとつを述べてみると、灰崎さんに加えて香椎さんの視線も悪化した。さっきまでの表情と声音からは読み取れなかったが、香椎さんも此度の戦争をだいぶ気にかけていたらしい。


「四藏くんは何が言いたいのかな?」

「……俺が言いたいのは、戦争で悩むのは政治家と軍隊、あと天海の仕事って事ですよ。俺のような不勉強な奴がナマ言うようですが、政治に対する正しい向き合い方とは、近視眼的で場当たり的なものじゃなく、大局的なものだと思います。今更になって気を揉んだからと言って何が出来るというのですか。どっしり構えましょうよ。それに俺たちはREDです。ここから出られないんですから、それはつまり国政に直接関われる訳でもないという事で……この問題に対し全くの無力です。また、それとは別に、そもそもこれは『茶番』ですし……心配するだけ無駄かと」


 俺が最後に言った『茶番』という言葉には、彼等も思い当たる節がある様で、視線が若干たじろいだ。

 中国が一方的にインドに対して吹っかけた宣戦布告により始まった戦争は、インドからパキスタンを通じて中東の戦火に繋がった。しかし、その何カ国かは核を保有しているだろうに、核はおろか単なる大陸間弾道ミサイルの一発だって打ちやしない。チマチマと豆鉄砲を撃ち合って、前時代的に塹壕なんて掘ってる始末。これが『茶番』でなくてなんという。互いの自制の成果か? そんな訳がないだろう。裏があるんだ。

 それ故に、彼の国との間に『海』という干渉地帯を有する日本は、それほど凄惨な事にはならないのではないかと予測する。韓国は地続きなので分からないが(そもそも日米側に付いてくれるのか自体、不安要素だ……)。


「ま、たしかにな」


 しばらくして、灰崎さんは俺の意見に同意した。


「それよか、俺たちが心配しなきゃなんねぇのはMCGの方だ」

「それって……中国MCGの事ですか?」

「ああ」


 俺が聞くと灰崎さんは頷いた。中国MCGの話は、以前に他ならぬ灰崎さんから聞いた覚えがある。なんでも、設立に際してかなり揉めたとかなんとか。それにんだ、あの国の変異者ジェネレイターは。具体的に言うと人口比で考えた適性人数より千人ぐらい少ない。国土が広い故に管理が行き届いていない、と中国MCGは言い訳しているが、そもそも中国当局が公表している人口が正しいとも限らない。所謂、黒孩子ヘイハイズだ。一人っ子政策に反して生まれた為、戸籍を保たぬ者たち。それを含めた場合、もっと少ないことになる。


「禁止されているビジネスや、軍事分野に利用している可能性大だ。ま、その問題は中国だけじゃねえが……ともかく、場合によっちゃ、俺たちも駆り出される事になるだろうぜ、戦場に」


 ゴクリと誰かが生唾を飲み込んだ。それ以降、テーブルにはちょっとした微妙な緊張感が漂い始め、皆、みだりに口を開かなかった。

 食事を終えた者から順に食堂を退室してゆく中、所用あって遅れて食堂に来た俺だけが残った。冷え始めたステーキの最後の一切れを口に押し込み、トレーをカウンターへ戻した。

 さて、これ以上食堂に留まる意味もなし、自室へ戻ろうかという所で、「四藏くん」と、食堂の入り口で待ち構えていた香椎さんが俺を呼び止めた。「何か?」と問えば、「話をしよう」と返ってくる。

 俺は周囲を見渡した。食堂内に残っている者はいない。RED以外のMCG職員はそそくさと食事を済ませて出ていったし、近衛旅団の面々はそもそもあまり食堂を利用しない。食堂勤務の職員たちも俺の注文をラストオーダーとして、とっくの昔に帰っている。廊下にも人影なし。ここにいるのは、正真正銘俺たちだけの様だった。


「数日前の仕事……お見事だったね。天海の押し付けた三日の刻限を守り、標的を生け捕りにした。正直、予想外だったよ。なんとなくだけど……殺すと思っていた」

「どうしてです?」

「さあ、どうしてだろうね」


 香椎さんは勿体ぶってはぐらかす。何を言いたいのか、したいのか、さっぱり分からない。彼が、何にのかも。


「聞いたよ、宮城支部奪還のこと。君と同じ班にいた藤莉佳子ふじ りかこって子が死んだんだってね」

「ええ、残念ながら。で、それが?」

「……もうひとり、可愛川瞳えのかわ ひとみって子もキミの知り合いだったよね。東京支部の事務二課の」

「ああ、確かに知り合いですよ。そっちは宮城支部が陥落した時に死んでます」

「だからさぁ……そういう所だよッ!」


 突如として香椎さんは激昂し、「ダン!」と勢いよく壁に握り拳を叩きつけた。彼がそういう分かりやすいアクションを取る前から、俺は彼の秘める激情に気がついていた。しかし、その正体が分からない。


「癪に障るってんだよ。キミ、命を軽視してるだろ。ジンゾー爺さんのとはまた違う。アレはアレで命に向き合いつつ殺している気狂いだ。けど、四藏くんは命を分かっていない」

「分かってないって、そりゃあ尺度ものさしにもよるでしょう。哲学的にアレコレ語るんでしたら、なるほど、たしかに俺はついて行けませんし分かってないかもしれません」

「チッ……やっぱり分かってない。他人の命を、自分の命を、道具か何かだと思ってる」


 他人の命、というのは利己主義の為に他人を軽視する、という意味で解せるが、自分の命、という部分はさっぱり皆目見当もつかない。自分の命は自分のものだろう、道具といえば道具、しかし掛け替えのないものであるから、幾らか重宝はされるだろう。

 ……分からない。

 だから、俺は抱いた気持ちをそっくりそのまま口にした。


「それを言うなら、香椎さんこそ命を特別視し過ぎている。俺は人も、人以外の生命も、それこそ単なる物言わぬ道具であっても、皆同じ様に大切に想っています」

「――バカがッ!」


 すると、香椎さんは再び声を荒げた。


「良いんだよ贔屓して! 人の命なんてのは、贔屓して特別視して保護して当たり前なんだッ! 今日の戦争の話題の時もそうだ! 危機感に欠けるというか、なんというか! 平和ボケした日本国民ですら、殆どが戦火の気配を感じ始めているというのに!」

「分かっていますよ、全部。けれども、俺には、感情的に戦争を止めることが正義だとは思えないのです。この戦争には何かある……単なる領土紛争や国益を目的とするものではなく――」

「巫山戯るなッ! 私は……私は死にたくない! 死んでほしくない! 家族にも、友人にも、恋人にも、そうでない大多数の人々にも! この地球上に住む全人類を……私は愛しているからだッ!」


 香椎さんは誰憚ることなく言い切った。人間至上主義、人間様中心の考え方というか、博主義なのか。なんなのか。まだその思想の正体までは至れぬが、その根源らしき物事にはひとつ思い当たるものがあった。


「そういえば……見ましたよ、香椎さんの略歴。日常的にレイプされてたんですってねぇ、家庭内で。父親と姉から」

「それが……!? それがどうしたって?」

「最近、精神分析の本を読みました。それによると、レイプされた――本では女性でしたが――被害者は、時に『性行為』が持つ社会的特別性、タブー的神秘性に耐え難く、自らの貞操を軽んじ、穢すような行為に走ってしまう事があるそうです。行きずりの男と寝たり、売春を繰り返したり、セックスなんて大した事ないのだと自らに言い聞かせるように放縦な生活に身をやつす……なんとも、まあ、憐れな事で」

「だから、何が言いたい!」


 怒気を滲ませ、息を荒げながら催促してくる。恐らく、もうこんなのは慣れっこなのだろう。強靭な……いや、狂人な精神。だが、それでもあえて言わせてもらおう。俺の為に。


「香椎さんは誰からも愛されていない」


 父親も、姉も、単に身近で手近な美形の香椎さんに発情していただけだ。そこに真っ当な家族愛など存在しない。し得ない。一般論ではそうなのだ。そういうのは愛とか、そういう風に形容される。


「そして、誰かを愛してもいない」


 一般論に則るならば、その愛の影響を受けて育ち、数多くの男女を半ば無理矢理に愛してきた彼の愛も又、そう形容されて然るべきだ。愛と。とどのつまり、香椎康という男はこの世で最も愛から程遠い人物なのである。

 香椎さんは怒りとも悲しみともつかない雑多な形相で黙りこくった。

 暫くの間、俺はそんな香椎さんと見つめ合っていただろうか。ふと、香椎さんが踵を返した。


「なんとなく、四藏くんとは気が合わない予感がしていたけれど……ここまでとはね」

「俺も……なんとなく、そう思っていました」

「ふっ……」


 自嘲とも罵倒ともつかない得体のしれない笑みを残して、香椎さんは去っていった。



 その足で俺は自室へは戻らず九階に来ていた。この階層には、常駐する近衛旅団第三歩兵小隊の居住スペースもある。そこで、今の時間は酒盛りでもしているであろう連中に、用があった。

 しかし、詳細な場所は知らない為、なんとなく喧騒が聞こえる方へ歩いていると、向こうからもラフな格好をした隊員らしき二人が楽しげに歩いてくるのが見えた。俺の背後には確かトイレがあった筈だ。連れションでもしにゆくのだろうか。そんなことを考えながら、俺の方から話しかけた。


「すみません。少し、お尋ねしたいことがあるのですが」

「――ん? あ、はい。MCGの方ですね。なにか御用でしょうか?」


 わりかし丁寧に対応してくれた隊員を、もう一人の隊員がしかめ面で「おい」と後ろから小突く。


「気をつけろ、そいつREDだぞ」


 そういえば、後ろの隊員は何処かで見たことが有るような無いような顔だ。つまり、前の隊員は事務方かなにかで、後ろのは現場の隊員という訳か。

 その言葉の所為で、一気に前の隊員の警戒レベルが上昇してしまった。しかし、生憎と、だからといって方法を変えられるほど器用じゃない。ここは直球でいく。


「近衛旅団 諜報部隊 隊長の二宇じう准尉にお会いしたいのですが、いまはいらっしゃいますかね」

「二宇准尉に……? ……用件によってはお取り次ぎするが……」


 まあ、彼等の立場ではそういうしかないだろう。事前の連絡がないとはいえ、MCG機関からの使いかもしれないのだから。けれども、今日の俺はそうじゃない。


「用件は言えません。個人的な用事です。二人きり、邪魔の入らぬ所で十分、いや五分ほどお話させて頂きたいのです」


 そういうと、彼等は分かりやすいほどに顔をしかめた。


「個人的なものならば、俺の一存でお取り次ぎする訳にはいかん」

「それは何故か、お聞きしても?」

「……信用できんからだ。『REDには気を許すな!』と他ならぬMCG機関の方から口を酸っぱくして忠告されている。悪く思ってくれるなよ」


 その時、後ろの隊員が背中に手をやったのが見えた。何を隠し持っている。銃か? ナイフか? いずれにせよ、それを使わせる訳にはいかない。揉めたくはないのだ。


「何も、そう警戒しなくても……彼女と俺の間にはがあるのです。ただ、それを深める為に行くのです」

「……帰れ」


 にべもなく断られてしまったが、ここで簡単に諦めるわけにはいかない。

 今日しかない。今日しかないのだ。今日はアフリカ大陸でMCGによる蕃神信仰剿滅作戦が決行される日。天海も現場に出張っている為、俺たちへの監視が薄れる。この絶好の好機を逃せば、次は何ヶ月も先になってしまう事だろう……! それは困る。ならば、このまま押し通るしかあるまい!


「そういう訳にも行かないのです。所で、俺の能力は知っていますか?」

「……ああ」


 唐突な俺の質問に、後ろの隊員が答える。


「その右手で二、三メートル以内の物――たいとやらを掴むのだろう」

「はい、その通りです」


 それを聞いて前の隊員が一歩下がった。けっこうけっこう。それで射程距離外だ。


「要は、この手がいけないのでしょう? 武器を持って要人と謁見する様なもの。ですから――」


 俺は壁に右手を突き、左手に隠し持っていたナイフで滅多刺しにした。利き手じゃないので少し手間取ったが……問題ない。何度も斬り付けてボロボロになった手首を強引にもぎ取り、彼等の脚元に投げ渡す。


「これでという事になりませんかねぇ」

「な……何やってんだテメェ――ッ!」


 あらかじめ用意していたハンカチで素早く傷口を止血すると共に、左手で上腕の、脇に挟んだナイフで脇下の止血点を抑える。迅速な都合三箇所の止血により、出血量は目に見えて減った。これなら……たぶん三十分はもつ筈。


「お取り次ぎ願います。どうか、話だけでも」

「おい! 一体、なんの騒ぎだ!」


 隊員の叫び声を聞きつけてか、周囲から近衛旅団の隊員が続々と集まってくる。その中には、近衛旅団副旅団長、弓削清躬ゆげ きよみ大佐の姿もあった。


「これはこれは弓削大佐ではありませんか。宮城支部奪還作戦以来ですね。覚えてらっしゃいますか? REDの四藏匡人です。今日は二宇准尉に個人的なお話があって来ました」

「お、覚えてはおるが……お主、その手は……」

「要らぬ警戒を招かぬように取りました。これで俺は異能を使えません。體を掴めません。一般人と変わりませんよ。さあ、さあ! 二宇准尉に会わせてください! きっと、向こうも俺に会いたがっていると――」


 その時、トントンと優しく肩を叩かれた。


「二宇准尉は、すでに……後ろにおるようだ」


 弓削大佐の声に導かれる様にして背後を振り向くと、何時の間にやらそこには巨大な影が現れていた。或いは、最初から……。


「二宇さん……どこまで、知っている?」


 すると、彼女は長身を折り曲げ、その顔を覆う、黒いキャペリン帽のつばから垂れる薄布を俺の耳元に触れさせるほど近付いてきた。


「なにも、知らない……」


 初めて聞く彼女の声は、存外に少女じみたものだった。

 やはり同じだ、俺と。不安で不安で仕方がないのだ。何処へ向かえば良いのか分からないから。思わず、俺は彼女の手を掴んでいた。止血点から左手が離れた事により若干ばかし出血量が増すが、そんなことは今はどうでもいい。

 一人より二人、二人より三人。志を同じくする仲間は多い方が良い。その分、視野が広がる。より高みを、遠方を望む事ができる……。


「二人きりで話をしよう。どこか、人の目のないところで……」


 彼女は、薄布の向こうで確かに頷いた。

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