正当ならざる要件
3-2-1 ストレイ・シープ / 牧羊犬 その1
愛知県庁のとある会議室に通された俺と望月さんは、出されたお茶と菓子を適当に摘みながら、目的の人が来るのを待っていた。
「職員証の威光って結構スゴイんデスね」
望月さんがポツリとそう言ったので、俺も頷いておいた。理路整然とした静寂が漂う室内とは対照的に、室外からは慌ただしく動き回る気配がドア越しにも伝わってくる。
流石に門前払いとまではいかないが、少しは手間取るかもしれないとは覚悟していた。まあ、話を聞きたいだけなのだからやりようはいくらでもあるとは考えていたが、現実にはこれだ。予想外の快諾。
思い返してみれば、MCG職員証は警官なんか対しても結構な効力を示していた。どこかで、指示が下されていたりするのだろうか……と、そんなことを考えていると、最初に対応してくれた人事局長の
俺はすぐさま立ち上がって礼を言う。
「いやあ、すみませんね、堂林さん。突然、連絡もなしに押しかけたというのに、こっちはお茶まで頂いて寛いでしまって」
「いえ、良いんです……私も、そうですから」
そう言って、堂林さんはチラッとMCG職員証を懐から覗かせた。
堂林さんは、背後の女性を強引に前に押し出した。
「彼女は、
「……
錦戸さんが会釈すると、堂林さんは「一刻も早い事態の収束を願っています」と 抑揚なく言い、彼女を一人だけ残してさっさと退室していった。その時、彼の横顔が形作っていた表情には「恐れ」らしきものが混じっているように思えた。なるほど、REDの案件には深入りしたくないか。
俺は、連れてこられた女性の方に向き直って、俺の正面のパイプ椅子に座るよう促した。すると、錦戸さんは素直に椅子に座ったが、なにやら浮かない顔をしている。
「錦戸さんも、昼休憩でしょうにすみませんねぇ。私共は、第三次元宇宙機関の者です。彼……堂林さんから既に聞いているかもしれませんが、今日は、少しお話を聞かせてもらいたくて来ました。
「あの……! ふ、
錦戸さんは、出し抜けに弱々しくそう切り出してきた。まさか、こっちの目的を悟った訳じゃあないだろうが、少しヒヤッとした。
「どうして、そうお思いで? 我々は警察じゃありませんよ。第三次元宇宙機関……別地球に関する対応をしているだけの機関です。ニュースなんかでご存知でしょう?」
「それじゃあ、何の目的があって史香のことを……」
彼女がプライベートでも関係深い友人というのなら当然の疑問か。であれば、ここでバカ正直に『史香さんは危険な人物だから追い詰める為の手がかりが欲しい』なんて言ってもしょうがない。
面倒だが、「名目」なんてものはどうとでもなる。俺は、その場で適当な理由をでっち上げた。
「実は史香さん、今は第三次元宇宙機関に入っていましてね」
「えっ、そうなんですか?」
「はい。史香さんが愛知県庁を止めた後、連絡は取っていなかったのですか?」
「……取っていません。他の同僚たちも、そうだと思います」
「なるほど、そうなんですか」
なら、やりやすいな。俺は、レコーダーによる会話の録音許可を取りながら、手元のタブレットに情報を入力するフリをした。
「端的に、我々の目的は『素行調査』です。彼女は、第三次元宇宙機関で少し特殊な地位に居るものですから、過去に何か後ろ暗いことがないかを精査しているのです。仕出かした訳じゃ、ありません。していたとして、判明するのはこれからです。はは。ですから、リラックスしてくれて構いませんよ」
そういうと、錦戸さんは安心したような、納得したような表情を見せた。ちょろいものだ。
それから、気と共に口も緩んだ錦戸さんは色々と教えてくれた。
須藤史香の勤務態度は真面目そのもので極めて優秀だったこと、プライベートでは仕事終わりに飲みに行ったり休日に食事に行ったりしていたこと。そして……。
「
突然、錦戸さんは、驚いたように言葉を切って口元を軽く押さえた。余計なことを言ってしまったらしい。
「話しづらいのでしたら、他の方に……」
「あ、違うんです。確かに話しづらくもありますけれど……セクハラを受けていたなんてことを言うと、史香さんに取ってマイナス要因になってしまわないか、と。……私、ウッカリ言ってしまいましたけど……」
「安心して下さい。マイナスにはなりませんよ。した側ならともかく、被害を受けてマイナスというのも酷な話でしょう」
「そ、そうですよね、普通は……。すみません」
誤魔化すような照れ笑いを浮かべる錦戸さんに、優しく続きを促す。「そういった過去があったことを把握しておけば、こちらとしても今後配慮ができますので、是非話していただきたいです」とか言って。彼女は、少し準備をした後に口を開いた。
「さっき、話しづらくもあるって言いましたよね。実は……セクハラのことは周知の事実だったんです。段々とエスカレートしていって、みんなの前でもお尻を触ったりしていましたから。でも、史香さんが先に『
「それは何故か、錦戸さんはご存知で?」
「はい……。『早く出世したいから』って、言ってました。確かに、新島に気に入られることで多少の便宜もあったし、出世も皆より少しだけ早かったです。それで、一部の同僚たちから僻みを受けたり、陰口なんかを叩かれたりもしてました。けど……二年前に突然、何も言わずに辞めちゃって……やっぱり、そういった色んなことが精神的に苦痛だったのかもしれないって思うと、私、私……行動すべき、だったのかな、って……」
うつむいた錦戸さんの目に光るものが見えた。俺は、望月さんが神辺さんに持たされていたハンカチを彼女のポケットから勝手に掠め取って、錦戸さんに差し出した。
「胸中お察しします。……それでは、今日はこの辺りで――」
「――それだけじゃなくて!」
俺は、錦戸さんの状態を見て話を打ち切ろうとしたが、彼女はなおも話したい事があるようで、俺の言葉を遮ってまで大声を張り上げた。
「そのセクハラ上司の
「それで……最初、史香さんが何か仕出かしたんじゃないか、と疑ったんですね」
俺の言葉に頷きながら、錦戸さんは遂に号泣し始めた。責任感の強い人なのだろう。それが正義感から来るものかどうかはともかく。また、想像力豊かな杞憂家でもあるようだ。二年前に起こったタイミングの良い死について妄想を繰り広げたあげく、勝手に不安になっているのだから。
けれども、確かな事実として、須藤史香には《異能》なんてものが備わっている。彼女の妄想も
それから、錦戸さんをどうにか落ち着かせた俺は、愛知県庁を後にした。もう来る事は無いだろうから放っておいても良かったが、第三次元宇宙機関の名を名乗っている以上、いたずらに関係を悪化させるのも憚られた。それに、万が一、もう一度話さなければならなくなる事も有り得るだろう。連絡先の交換は素行調査の名目上出来なかったが、それは堂林さんというツテがある為、掛け合えばどうにかなる。
タクシーの後部座席に乗り込み、次の目的地を告げると、隣の望月さんが深いため息を吐いた。
「望月さん、疲れた?」
「マァ……少し」
思い出すなぁ、俺も最初の頃はそんな感じだったかもしれない。少し懐かしく思った俺は、
「次の場所に行ったら、俺がまた『送迎』をしなきゃいけないから、一時間ぐらいは休憩できるよ」
そう言いながら、俺はタブレットを操作し、須藤史香の昔の上司、
「次は、何処へ行くんデスか?」
「名古屋大学……須藤史香の母校だね。その後は距離が近い順に高、中、小と行くよ。今日の実地調査はそれで終わりかな」
本当は、今日中に親戚や近隣住民にも話を聞いておきたかったが、そっちまで行くと時間がかかり過ぎてしまう。夜分遅くにいきなり押しかけて、満足に取り合ってもらえるとは思えない。それに明日は明日で別の予定があるし、明後日は決行日だから、諦めるほかないだろう。
ああ、せめて、後もう一人ぐらい慣れている人員がいればな……たったの四人……堂林さんを合わせても五人では……。ないものねだりを自覚しながら、俺は暫し目を閉じた。
*
日も傾き始める頃、陣場弘昌は与えられた役割を愚直にこなし続けていた。彼の
「ど~おして~♪ 僕の~♪ ふふんふんふんふ~ん♪」
ちょうど辺りに人気がないこともあって、スウェット姿の須藤史香は、うろ覚えの鼻歌交じりにゆっくりと自転車をこぐ。彼女は昼食を外で済ませた後、街中を適当に散策してから買い出しを行い、帰路につく最中であった。
REDに該当する人物の要件は、陣場もYELLOWの職員証を渡された時に聞かされて知っている。だが、目の前の監視対象がそうである理由を未だ悟れていなかった。陣場の目に、彼女の振る舞いは、キャリアウーマンが休日にのみ見せる、隠された緩い一面と映っていた。すれ違う他人や店員への対応で、クールぶった社会性の発露が見られるものの、ちょっと人目が途切れると途端にこれだ。
「ふふん、ふふ……あっ」
あと一つ道路を渡ればアパートに到着するというところで、不意に鼻歌が途切れる。向かいから、人がやって来るのを見たからだ。
それと同時に、陣場がわずかに驚きをあらわにする。
「アイツは……!」
非常に見覚えのある人物。硬質な髪の側頭部に漢数字「七」を剃り込んだ、かつて所属していた麻薬組織では何故か行動を共にすることの多かった男――伊秩半七。
四藏さんが言っていた人員とは、伊秩のことだったのか。陣場は、得心が行くと同時に、一抹の不安を覚える。
こちらにやって来る私服姿の伊秩は、普段にも増して目つきの悪い三白眼をつりあげ、一目見て分かるほどの苛立ちを周囲に撒き散らしているのだ。こうなっている時の伊秩は、ただのタチの悪いチンピラそのものである。
頼むから、余計なことをしてくれるなよ……!
しかし、陣馬の必死の祈りも通じず、伊秩は、正面から進んで来る故に否応なく視界に入った須藤史香に向かって苛立ちを叫んだ。
「てめぇ、なに見てんだ、コラ! 見世物じゃねぇーぞ!」
マ、マズイ……! 陣場が現状をそう評したのは、当たってほしくない予想が的中してしまったからではなく、風の動きから不穏な気配を察知したからだ。急いで道を駆け出し、曲がり角から身を乗り出す。そして――須藤史香の有する紛れもないREDの一面を、その肉眼で捉えた。
「こちとら、変な仕事を押し付けられて気が立って――」
その時、須藤史香が纏っていたのはキャリアウーマンの社会性とは程遠い、能面のように限界まで装飾をこそぎ落とされた、純粋なる蔑視だった。暗く沈んだ漆黒の瞳が醜く歪む。
「チッ、クソオスが……」
「アァン!? なんだ、てめ――!」
ブレーキを軽くかけ、自転車をゆるやかに一時停止させた須藤史香は、慣性と風でなびく黒髪を振り払い、粛然と待機する楽団を前にした指揮者のように厳かな動作で左腕を軽く持ち上げると、スッ――と左へ動かした。すると、伊秩もそれに従って同じ方向へ勢いよく振り向いた。
「――あ、あん?」
何か……何かわからないが、このままだと取り返しのつかないことになる……! そんな漠然とした予感に駆られた陣場は、一も二もなく風に乗って角を飛び出し、彼らの間に命がけで割り入った。
「すみません!」
そして、突然の乱入者に面食らった須藤史香が、状況を把握し終えてしまう前に捲し立てる。
「こいつは俺のツレです! ちょいと、頭が弱くて! 俺が目を離したばっかりに……迷惑をおかけしました!」
「あぁん? 陣場か……? どこにいるんだ? お、おい……」
阿呆のように戸惑うばかりの伊秩を引き連れ、陣場は脱兎の如くその場から逃げ出した。
須藤史香は、虚を突かれたという表情で黒目をパチクリさせながらそれを見送っていたが、やがては気を取り直して鼻歌を再開し、アパートの自室に入っていった。
「ふ~ふ~ん♪」
*
時刻が定時をまわる頃、俺と望月さんは須藤史香の母校、一宮市立T小学校に来ていた。目的は、標的が幼少期に書き残した絵や文章だ。将来の夢やら、アンケートやら、卒業文集やら。そこには、理性で覆い隠される前の剥き出しの彼女がいる筈だ。
素行調査の名目を持ち出したところ、案の定、他の母校と同じく「個人情報がどうこう」と言って、当たり障りない話を聞く以上の事は断られてしまったが、正攻法が駄目なら絡め手を使うだけの事。まずは手堅く、と金をチラつかせてみると、学年主任の後藤さんが目の色を変えて食い付いてくれた。事情は知らないが、金に困っているらしい。良かった良かった。
交渉が上手く言ったことを、グロッキーになっていた為に外で休憩させていた望月さんに報告しようと来客用下駄箱から出ると、そこには子どもたちの人垣が出来ていた。
「なんで、ねーちゃんコスプレしてんの?」
「これはコスプレじゃなくて、第三次元宇宙機関の制服――あ、ちょっと! 引っ張らないで!」
「あー、けんた、スカートめくりしてるー。イケないんだー」
最近の子供は控えめで警戒心が強いとか昨日の新聞に書いてあったが、あの光景を見る分には、とてもそうとは思えない。何かが、子供たちの琴線に触れたのだろうか。
「あっ、四藏サン!」
望月さんが、助かったという安堵の視線をこちらへ向けてくる。明らかに助けを求められているが、子供たちをぞろぞろと引き連れて後藤さんとの待ち合わせ場所に向かう訳にもいかない。俺は涙をのんで手を振り、俺は彼女をスルーした。
「薄情者ー!!」
……校舎を裏手へまわると、人気のない教職員用の駐車場が見えてきた。俺たちの乗ってきたタクシーは別の駐車場に停まっている。児童たちの目も、他の目も少ないここで、受け渡しをするそうだ。
学校に残っているものを粗方持ってきてくれる手筈であるが、それには少々時間がかかるだろう。俺は、駐車場への出入りを見渡せる位置に移動し、支給品タブレットを開いた。待っている間、これまでに得た情報の整理でもしようと思ったのだ。しかし、それは未遂に終わった。
「にいちゃん」
それは普段あまり聞き慣れない関西弁のイントネーションだった。
声の方向である背後を振り返ると、T小学校制服を着た女の子が笑いながら立っていた。背丈からすると十歳あたりか。毛先にゆるいウェーブのかかった黒髪を、眉の辺りで綺麗に切り揃えており、それがなんとなく育ちの良さそうな雰囲気を醸し出している。
周囲には彼女一人のようだが、どうしてこんなところに……望月さんに集っていた子たちのように学校に残って遊んでいたのか?
「……車が出入りするから、ここで遊ぶと危ないよ? それとも……なにか、用でもあるのかな?」
「用って程のことじゃ、あらへんよ?」
そう言って、彼女は益々笑みを深めた。確かな幼さが残る筈のその笑顔は、何故だかとても大人びて見えた。
「にいちゃん、悩んどるよな。仕事に……人生に……正義に……」
顔を見れば分かる、と彼女は知った風な口をきいて、制服の内側から細い棒状のものを取り出した。杖か? 全体的に白く、子供用の玩具のような色彩と見た目だが、それにしては所々に鋭利な部位を有し、青い輝きを放つ宝石のようなものがテッペンにはめ込まれており、全体的にツクリがしっかりしている。
予想だにしない展開に戸惑うが、小学校の敷地内かつ子供相手ということもあり強く突き放せないでいると、彼女は、珍妙な呪文を唱えながら俺の左手を取った。
「むにゃむにゃむにゃ……せやから、これはウチのおまじないや! この混沌渦巻く世界で迷わず生きてゆけますようにー!」
そして、棒状の玩具で手の甲をポンと叩いた後、俺が何か声をかける間もなく、すたこらさっさと運動場の方へ駆けていった。
なんだったんだろう、今のは……。
俺は、そう思いながら、じんわりと彼女の体温が残る左手をしばらく眺めていた。
子供らしく、漫画やアニメの真似だろうか。いや、しかし、そういう遊びに熱中しているにしては、どうも大人びた雰囲気が引っかかる……。
考えども考えども、なかなか答えは見出だせない。そのうち、学年主任の後藤さんがキョロキョロと辺りを見回しながらやって来るのが見えた。その対応の為に、思考は一旦打ち切られる事となった。
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