第三章 基底世界のイントリーグ

プロローグ

3-1-1 現代魔術聯盟



〝十万人に一人〟


 この数字は、古来より『神々の奇跡』をまつりし『地上代行者』のおおよその祝福率である。

 祝福の第一資格は血筋、然し其の全てに与えられるわけではない。

 祝福の第二資格は頭脳、陰陽の消長しょうちょう、宇宙の運行、人間の運命、の深遠な哲理を真に解さるる者だけが、代々あづかりし個人神こじんしんより特別恩寵とくべつおんちょうかずき、万物の根源たる魔力素マナをも隷従せさする『魔術師アーシプ』たりるのだ。



    *



 第三章 基底世界のイントリーグ



    *



 その声明は、実に唐突なものだった。


//我々[現代魔術聯盟げんだいまじゅつれんめい]は勧告す

//貴殿等が[別地球α]と呼称せし者共とは即刻縁を断たれるべし

//しからば千金せんきんをも見劣りせしめ一籌いっちゅうしざるを得ぬ特恵厚遇とっけいこうぐうを与えん


 そんな意味の分からない冒頭から始まる長ったらしい声明文は、つい三、四日ほど前、紙面で以て地球中にバラ撒かれた。[別地球β]から『地球』へ……というよりは、《MCG機関》へ向けて発せられた直接的な協力要請メッセージである。それに伴う混乱の収拾には俺たちREDも駆り出された為、未だ記憶に新しい。もし、この要求にMCGが従わなかった場合、[現代魔術聯盟]とやらは実力行使も辞さないそうだ。なんとも剣呑な響きである。

 新たな勢力の登場に際して、昨日は近衛旅団のお偉方同伴のもと、東京支部の交渉部レッドチーム総出で、宮城支部奪還作戦に於いて神辺さんが半殺しにした双子と面会し、“別地球βに関する基礎知識を叩き込んでもらった”。

 また基礎知識の他にも、双子は、自らの生まれが声明をバラ撒いた奴等と同じ[別地球β]である事、しかし現代魔術聯盟とは別の組織に所属していた事、その理由は忌術キシュプを用いるとして忌術師カッシャープの烙印を押されて迫害された血筋に起因する事、そしてその血筋に関係する何らかの目的を持って『蕃神信仰ばんしんしんこう』に送り込まれた事……と、そこまではスラスラと抵抗もなく話してくれたが、それ以上は記憶か認識をいじられている所為か今は思い出せないらしい。

 これらの情報は、場に同席した十二林杣入じゅうにばやし そまりという情報部の能力者ジェネレイターも嘘は吐いていないと保証した。そっくり偽装された記憶でなければ、と。

 ともかく、それ以上の情報は、情報部による記憶の引上サルベージを待たなくてはならない。

 正体不明、目的不明の現代魔術聯盟とやらが、いつ介入してくるかは未知数。しかし、それでも警戒はしておかなければならない。……面倒なことこの上ないな。


「……おはようございます」


 挨拶をしつつ交渉部レッドチーム部屋オフィスに入ると、既に全員揃っていて、俺が最後の様だった。珍しいこともあるものだ、六道さんまで来ているなんて。俺が遅刻でもしたのか? と、腕時計と部屋の壁掛け時計を見るが、どうも腕時計がズレているとか、そういうのでもない様だ。

 疑問に思ったが、このまま突っ立っていても仕方がない。そう思って俺が自席に腰を落ち着けると、香椎さんが「大丈夫?」と眉を顰めながら尋ねてきた。


「……大丈夫ですよ」

「でも……すごいクマだよ?」

「あ~……少し、考え事をしていて。何故でしょうかね。以前は、時間を忘れるほど長考する事なんて無かったんですが……途中で霞が掛かる所為で。しかし、今はそれが無いんです。いや、あるにはあるのですが、今はというか……」


 不思議なくらいに自分が自分の制御下にある。こんなに思考が明瞭なのは何時ぶりだろう……戦闘時を除けばとんと覚えがない程だ。どこまでも深く、深く、思考を続けることが出来る。生まれて初めての感覚に、俺はすっかり夢中になっていた。しかし、そんなことを言ってもクローンでもない香椎さんには伝わらないだろう。三歳児の感動だ。


「……つまり、俺が言いたいのは……『今は充実している』って、そういう事です」


 そう返すと、香椎さんは「そう……」と頬杖をついてそっぽをむいた。

 話は終わりかな、と漫画雑誌を手に取ろうとした時、今度は灰崎さんが声を掛けてきた。


「やっぱ、休んだほうが良いんじゃねぇのか」

「……大丈夫ですよ。それに天海が許さないんじゃないですか? そこにいる天海が」

「――気付いていたのか?」


 床の隙間から這い出てきた天海の分体を見て、思わず笑みが漏れる。こんな存在に気付かない筈がない。なぜ、俺は今まで……そう考えると久しぶりに脳裏に強く霞が掛かり始めた。

 その間に、天海が威風堂々と話を始める。


「四藏匡人の言う通り、休むなど以ての外だ。これからは更に忙しくなる。近衛旅団と協力し、蕃神信仰によって陥落させられた支部の奪還は大部分成功を収めた。が、今度は現代魔術聯盟とかいう訳の分からん連中が新たに現れた。国の枠組みを越えた対策を練らねばならん」

「そうかいそうかい。……で?」


 どうせ、また俺たちに面倒事でも押し付けに来たのだろう、と灰崎さんの顔がそう言っていた。

 しかし、マズイな……ちょっとでも意識を外すと持っていかれる。ああ、くそっ、今はここまでなのか……。


「安心しろ。今日はREDに仕事を押し付けに来たわけじゃない。四藏匡人に、だ」

「……どういう意味だよ?」

「四藏匡人の健全なる精神状態と緊迫する昨今の情勢とを考慮して、主観認識に施していたロックを限定的に解いたままにする事にした。これからは『送迎』にも携わってもらう」


 こんな朝早くに何の用かと思えば……続く話を聞く限りだと、現在の流れに於ける[3]の解除理由らしかった。相違点は“限定的”という所か。加えて、『MCGからの命令』という形でないと転移できない様に既に設定したらしい。(いつの間に……)

 そこで、大人しく話を聞いていた灰崎さんが再び口を挟む。


「なんだよ。既に匡人にロックを掛けてたのか?」

「当然だ」

「……まあ、そりゃ知ってたか。抜け目ない奴……」


 天海が即答すると、灰崎さんは、ぶっきらぼうにあらぬ方へと顔を向けて対話の意思がない事を態度で存分に示した。

 天海はその反応に肩を竦めてから話を続ける。


「毎日の予定と座標をタブレットに送るからキチンと確認しておけ。他の仕事と被った時は『送迎』を優先しろ。転移は行きと帰りの二回だけ許可される予定だが、他の能力行使には問題ない」

「ああ……そう、ですね。出来ます」


 机の上にあった紙資料を握ってみると、問題なく手中に収めることが出来た。俺は資料を机上に置き、支給品タブレットを取り出した。今日はやけに理路整然として見える項目の中に『リスト』と銘打たれたものが増えていた。反射的にそれを開くと、思わず「これは……」と呟いてしまう。


「多いか? 一応、他の転移系能力者が間に合わない時だけしか入れていない上に、ある程度は時間を纏めてあるのだがな。即応もない」

「……そう、みたいですね」

「安心しろ。業務に慣れる時間はくれてやる」


 天海は俺の思考を先回りして、懐から取り出したタブレットの画面を弾いた。ポン、という簡素な電子音が俺のタブレットと、望月さんの手元から響く。


望月要人もちづき かなめの新人研修その二だ。四藏匡人、お前はそれに同行しつつ『送迎』に慣れろ。前の新人研修からは、宮城支部陥落のゴタゴタで期間が空いてしまったが、別に問題はないだろう?」


 天海は興味なさげな視線を望月さんに向けながら、そう言った。




 数時間後、俺は直近にひとつだけ入っていた『送迎』を終えて、現地の座標を掴んだ。R-1地区――尾張の大都市、言わずと知れた愛知の県庁所在地だ。

 MCGの転移系能力者がよく用いるというその座標は、とあるビルの一室だった。そこには、先に現地入りしていた望月さんがソファに座って退屈そうな顔で待っていた。


「遅れてごめん、準備に手間取った。行こうか」


 まずは足を調達しなければならない。俺は免許どころか戸籍すら怪しい身、灰崎さんの様にレンタカーを借りて運転するのは無理。だから、選択肢は公共交通機関しかない。今日の所は近場の駅にタクシーを手配してあるので、これを一日中乗り回す予定だ。

 部屋を出ると自動で扉に鍵がかかった。オートロックなのか。そりゃあそうかと思いつつ、俺と望月さんはビルを出て駅に向かった。


「あの、四藏サン……」

「……ん?」


 その道中、人気の無い裏通りの真ん中で望月さんが不意に足を止めた。身を包む排気ガスと埃の混じった都会の匂いに親しみを感じながら振り向くと、彼女がおずおずと話し始める。


「この前は迷惑を掛けてすみませんでシた……」

「……この前? 何の話?」

「あの、前の新人研修の時は最初の方に戸惑ってしまってアンマリ活躍できなかったので……梵天王サンが『気にしているなら謝ったらどうでしょう』と、これも結構前に」

「ああ……」


 そういえば、傍観者と共に蕃神信仰の龍と戦った時、望月さんは妙に動きが鈍かった。しかし、いかんせん突然の出来事だった。戸惑いはあって然るべきだ。悔い、恥じる事は個人の自由だろうが、個人的にはそれほど引きずる必要性も感じない。


「別に気にしなくていい。俺も慣れないうちはそうだったし、なんなら今もミスするよ。それに、最後は望月さんが助けてくれなきゃ死んでたし。俺の方こそ、『あまり説明できずに悪かったなぁ』って思ってた。言うタイミングなかったけど。いきなり撃ったからビックリしたでしょ?」

「ハイ……でも、MCGではアレが『正義』なんデスね」

「違う」


 俺は、頭でどうだこうだと考える前に望月さんの言葉を反射的に否定していた。その所為で速やかに二の句を継げず、自分が何故そう答えたのかに付いて思考しなければならなかった。

 ……驚かせてしまっただろうか。見ると、望月さんは黙って俺の言葉を待ってくれている。

 複雑極まる感情を取りまとめて言語化するにはかなりの時を要した。俺は柄にもなく言葉を弄した。


「ただ、……特別な権限があり、罪に問われる事がないだけ……そんな表現の方がしっくりくる。MCGは……『正義』では、ないよ」

「そうなんだ……じゃあ――」


 すると、望月さんは、普通の女子高生が友人たちへ向ける様な、お転婆な雰囲気を纏って微笑んだ。


「『正義』は四藏サンなの?」

「……それも違う」

「どうして? 最近は色んな人に問答を仕掛けてるじゃないデスか、拘りがあるんじゃ?」


 俺は自身の眉根にシワが寄ってゆくのを感じていた。望月さんだって知っているだろうに、俺はΒベルカンだ。昔も、今も、変わらずに。


「必要だったんだ。この寄る瀬なき宇宙で生きる為には、何らかの指針が……人は何かに自分を縛り付けないと生きていけないから……見失ってしまうから……世界ばかりか、自分すらも……」

「へえ、そうデスか……宇宙、宇宙ね!」


 折角だが、この辺りで話を終わらせる事にした。これ以上は雑談の気配、時間を無駄には出来ない。「行こう」と、言葉少なに目的地へと体を向け直すと、すぐさま望月さんが俺の正面に回り込んできた。


「ねえ、私には? 私には聞かないんデスか? 『正義』について」


 急に年相応の振る舞いを見せ始めた望月さん。そのウザ絡みを、強引に歩を進めて振り解きつつ形式的に『正義』について聞いてやると、望月さんは勢いよく話し始めた。


「宇宙デス! しかし、取り敢えずは空の邪魔な――」

「あ~、やっぱりもういいよ、もういい。俺は地下で君の落書き読んでるから。もう知ってるから」

「えぇー」


 先に歩き出した俺を追いかけながら、望月さんがぶーたれる。既に道は大通りとなり、目の前には引っ切り無しの往来が現れていた。


「そんなんだから『狭量になった』って言われちゃうんデスよ」

「……誰に?」

梵天王ぼんてんのうサン」


 望月さんは、行き交う自動車のエンジン音にも負けない大声でカラカラと笑った。全く、何がそんなにオカシイのやら、箸が転んでもおかしい年頃なのか? ……それにしても、まさか神辺さんに陰口を叩かれているとは……。まあ、全面的に俺が悪いのだが。


「……このヤク中め、死に損ないが言うようになったな。もう薬は必要ないんじゃないか?」


 そう言って手元のポリ袋をチラつかせてみると、望月さんは途端に勢いを失ってしまった。「それは……ちょっと、まだ……」と。その様子に、だいぶ溜飲が下がったので、俺はポリ袋の中から取り出した舌下錠サブリンガルを一粒くれてやった。

 さてと、そろそろ駅に着く、今のうちに説明をしておくべきか。


「また言い忘れてたけど、今回は前回の新人研修と違って助っ人を用意してあるから」

「助っ人?」

「望月さんも良く知ってる人だよ。天海が興味なさそうにしてたから、好き勝手しても怒られないだろうと思ってさ。釘も刺されなかったし。使えるモンは親でも猫でも使わないとね。死にたくはないもの」

「知ってる人……誰だろう」


 今回の案件は、厳密には天海ではなく愛知支部経由の案件だ。愛知支部の連中が宮城支部の穴を埋めようとT-地区まで出張った結果、逆に自分たちの領分であるR-地区が手薄になってしまったのである。

 そういった経緯故に、標的ターゲット身上情報しんじょうじょうほうもかなり出揃っているのだが、その代償としてか、刻限は今日、明日、明後日の三日分しか与えられていない。別に、その刻限を破った所でペナルティなど大して科せられないのだろうが(減給ぐらいか?)、東京支部で待つ同僚たちへ負担を強い続けるのも忍びない。どうにか、三日での決着を試みようではないか。

 交差点を左折すると、右手の方に車線を挟んで駅前のバスターミナルが見えてきた。その端っこの方には、電光表示板に「予約」の表示を出しているタクシーが、一台停まっている。……ナンバーも、連絡されていたものと相違ない。横断歩道を渡ってそのタクシーに近づくと、扉が独りでに開いた。


「……遅かったじゃないか」

「――あっ!」


 仏頂面で助手席に座るラフな格好の男――陣場弘昌じんば ひろまさくんを見て、望月さんが大袈裟に驚く。


「陣場くんじゃん! 久しぶり!」


 陣場くんは、片手をあげてクールにこたえた。共に思い掛けない再開だろうが、久闊を叙するより先にする事がある。

 運転手に「名古屋市東区大幸xへ向かってくれ」と伝える。特に遠い訳でもない為、到着はすぐの筈。時間が惜しい俺は、今にもマシンガントークを開始しそうな隣の望月さんを手で制して陣場くんに話し掛けた。


「ごめんごめん、陣場くん。道が混んでて。遠路遥々岐阜からどうも。電話口でも話したけど、四藏匡人よつくら まさとだよ。宜しくね」

「……どうも」


 陣場くんはまだ学生の身分だが、MCGに対しては恩がある。彼の妹は重病を患っていた。それも現代医療では太刀打ちできない程の難病で、延命するだけでも金がかかる。真面目な彼が麻薬組織なんぞに所属した動機はそこだ。頼れる者もなく、自分でどうにかするしかなかった。

 しかし、そんな難病も《異能》を用いればなんて事はなかった。MCGの福利厚生は身内にも及ぶ為、彼の妹もその恩恵に与り、異能を用いた治療を受けて完治したという訳だ。

 今日は、その辺りをつついて来てもらった。連絡先は人事ファイルから勝手に見た。

 それにしても、ちょうど土曜日で学校が休みだったのは良かった。まあ、三日あるから内一日は平日に飛び出る予定だが、一日ぐらいは良いだろう。


「それじゃあ、まずは情報を共有しようか。……はい、これ。資材管理部からパクってきた支給品タブレット。まだ、貰ってないんでしょ?」

「四藏さん……良いんですか?」

「ああ――」


 その言葉は、「タブレットを貰っても」ではなく「ここで話しても」という意味であると、彼の視線がチラリと運転手に向けられた事から分かった。しかし、問題はない。


「運転手もMCGの関係者だから、気にしなくていいよ」


 俺の言葉を受けて、軽く会釈する運転手の堂上さん。彼とは、三日の付き合いになるかもしれない。

 その間に、俺はタブレットの画面を操作してデータを送った。先程も述べたが、今回、身上情報はかなり出揃っている。無いのは《異能》と、どうぐらいだ。


「今回の標的ターゲット須藤史香すどう ふみか、年齢は――昨日、34歳になった。独身、一人暮らし。ペットもいない。母親を子供の頃に自殺で失い、父親とは……疎遠な関係。職業は二年前までは地方公務員をやっていたらしいけど、今は辞めていて無職。生活の方は公務員時代の貯金がかなりあって、それで資産運用もしているから暫く暮らしていけるだけの蓄えはある……ここまでで質問は?」

「ありません……が、それで俺は一体何をすれば?」

「君にはコイツの『監視』を頼みたい」


 俺たちの仕事は、須藤史香すどう ふみかを三日以内に『保護』か『始末』する事。その為に今は少しでも多くの情報が欲しい。急を要する情勢ではあるが、準備期間が与えられている以上は出来得る限り万全を期す。

 生活習慣、行動範囲、趣味、癖、とにかく分かった事は何でも報告して欲しい、と伝えた所でタクシーが目的地周辺に辿り着いた。

 俺は、身を乗り出して正面のアパートを指さす。


「あのアパートの三階、右から三番目の部屋だ。交戦はしなくていい……というより、君は学生だから許可されていない筈だ。完全な正当防衛以外では免責されないから注意してくれ。後、MCG職員には守秘義務が課せられているから、そこも留意してくれ。一般の人……探偵とか雇っちゃあ駄目だよ」


 長々と口頭だけで説明してしまったが、経歴通りに聡明であった彼は一度で理解した様で、力強く頷いた。


「戦わなくていいと聞いて安心したよ。妹を一人で家に残してきている」

「陣場くん、妹さんは……?」

「元気だよ。お陰様でね。MCGが手続きまで肩代わりしてくれて、近い内に学校にも通えそうなんだ。学力の方は、病室でずっと勉強していて問題なかったから」


 望月さんも彼の妹の事は知っているのだろう。それを聞いて、安心と気まずさが入り混じった様な顔をした。

 同じく、陣場くんも顔を伏せ気味にしたが、彼の方は望月さんと違ってすぐに気持ちを切り替えたようで、平静な面持ちで俺の目を覗き込んできた。


「MCGには恩がある。だから、サボったり居眠りなんてする気は毛頭ない……が、流石に一人で三日は無理がないか?」


 確かにその懸念はもっともだ。俺としても、彼一人にそこまで負担を掛けるつもりはない。


「ああ、それなら心配はいらない。愛知支部の方からもう一人呼んでいる。夜はそっちと交代してくれ」


 実は、先程の『送迎』の時、俺は愛知支部にも連絡を取っていたのだ。そこで「人を借りれないか」と尋ねた所、暫く揉めた後に「一人だけ出せる」と返ってきた。それ以上は業務に支障を来してしまう、と。今日の業務が終わり次第、来てくれるそうだ。

 ちなみに、陣場くんに連絡したのはその後である。学生の身分であれば、業務に支障を来しようもないだろうと思っての選出だ。


「『監視』に穴を開けなければ、家に帰ってもらっても大丈夫だから」

「そうか、分かった。では……」

「――あっ、ちょっと待って」


 俺は、自分でドアを開いて降りようとする陣場くんを呼び止め、職員証の裏から取り出した白一色のカードを渡した。


「忘れる所だった。ハイ、MCGのカード。これがあれば何でも経費で落ちるから。食費、移動費。あんまり変なもの買うと怒られるけど、雑誌ぐらいだったら別にOK。俺のだから無くさないでね」


 今度こそ、陣場くんを快く送り出し、すかさず新たな住所を運転手の堂上さんに伝える。


「さてと、望月さん。こっちはこっちで忙しくなるよ」

「今度は何処へ行くんデスか?」


 俺は、手元の身上情報を眺めながらこたえた。


須藤史香すどう ふみかの前職場――『愛知県庁』だ」


 目的地へ向けて方向転換したタクシーが静かに発進する。

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