2-4-2 エピローグ その2



 俺は、その日の内に“宮城支部”から救助されたらしい。翌日には医務室で目を覚まし、数日もすれば何時ものように全快。医者からは速やかに退室するよう促された。宮城支部奪還作戦の方はというと、聞く限りでは無事に終わったみたいだ。今は主に一般職員を動員して、瓦礫の撤去作業に着手している所だとか。

 そうか、奪還は成功したのだな、めでたしめでたし……と、簡単にいかないのが悲しい所。意識を取り戻してからというもの、俺は激しいデジャヴに悩まされていた。こうして――意識を取り戻してから既に一週間と少しが経とうというのに――勤務時間後などの空き時間に、色んな人と会話の機会を設けているのも、その解消の為である。

 存外に宗教らしさの欠片もない神辺さんの自室A-009にて、俺は落ち着いた配色の椅子に座りながら、目の前の来客用カップに紅茶が注がれてゆくのを漫然と見つめた。


「紅茶です。葉は購買の安物ですが、どうぞ」

「……ありがとうございます」


 出された紅茶を儀礼的に一口なめて、すぐにソーサーの上へ戻す。


「予後は、いかがですか?」


 神辺さんは、微笑を湛えつつ尋ねてきた。


「……良好です」


 俺がそう適当に答えると、神辺さんは「それは良かった!」と、ニッコリと笑って自らの紅茶に手を付け始めた。


「左脚が吹き飛んだのはともかくとして、話によると凄まじい衝撃だったのでしょう?」

「あぁ……その、最終的に気絶した所為かあまり覚えていないのですが、俺の左脚はどんな風に吹き飛んだんです? あれから東京支部の移転やら認識阻害の強化、間者の炙り出しにビラの回収と異様に立て込んでいて、他の人にはうっかり聞きそびれてしまいまして……」

「……そうなのですか?」


 神辺さんは不思議そうな顔をした。俺は神辺さんの他にもこうして会話の機会を設けている。当然、そこで聞かなかった訳がない。しかし、俺がすっとぼけて「はい」と答えると、神辺さんは「私も屋上での戦闘で負傷したので、人伝ひとづてなのですが」と前置きしてから答えてくれた。


「確か……“ユスフ・イドリスの差し向けた自衛隊のジェット機の主翼に切り飛ばされた”と聞いています」


 ……そう、これだ。

 言うまでもないが俺の記憶……デジャヴの内容は違う。宮城支部の地下から突入した俺は、まず藤さんを殺し、ジェジレㇿと一悶着あった後にレユニオン島で" "に会遇し、インド洋上で漂流、最後は力尽きて気絶した……はこうである筈なのだ。

 だというのに、どいつもこいつも! 四藏匡人は六道鴉りくどう あ藤莉佳子ふじ りかこと共に地下から突入し、“予定通り一階で敵戦力を速やかに挟撃した”と言いやがる。

 被驗體ひけんたい番號ばんごう陸――いや、デジャヴに決着がつくまでは、六道さんと呼称を戻した方が良いだろう――も、からは外れている様で、以前とは打って変わっていとも容易く二人きりになれた時に蕃神信仰の事をこっそりと尋ねてみたのだが、六道さんは連中との繋がりなどすっかり忘れてぽかんと呆けていた。しかし、それも当然のことなのか。思い返してみれば、あの黒い部屋で六道さんは「わたしも今思い出したけど」と語っていた。つまり、今は“思い出していない事になっている”のだろう。断片だけでも思い出してくれないものかと熱心に尋ねる俺に、六道さんが向けてきやがった「気グル」を見る目は、とても演技には見えなかった。

 ……じゃあ、今までのお前は何を何処まで覚えていて、俺に知った風な口を聞いていたんだよ。殺すぞ。

 不意に震え始めた左腕を押さえつける。この鞘に納剣されている黒い短剣だけが俺の正当性の証明。“誤った流れ”では誰もこの存在を知らないのだ。俺が正しい、俺だけが。

 俺は、短剣の先を神辺さんには見えないように少しだけ掌に励起させてじっと見つめた。そうすると、ざわつく心が落ち着いてゆく様な、そんな気がするのだ。


「……俺、最近おかしいんですよ。記憶がダブるっていうか、デジャヴって言うんですか? 既視感……今も、インド洋上で見た『鮮烈なイメージ』が脳裏に焼き付いて、こびりついて、取れなくて、取れなくて……」

「イ、インド洋……? 燃えカスはともかく……匡人さんは“ずっと宮城支部に居たのでは”……? デジャヴは単に『疲れているだけ』とよく言いますが……」


 疲れているだけ、か。俺としても一週間ほど休暇を貰いたい気分だが、そうも行かない。というのも、時期が悪いのだ。陥落した支部の大部分を奪還し、断行的な大規模攻勢の所為で幾らか勢力を削がれた蕃神信仰が主な活動拠点をアフリカ大陸へ移したとはいえ、新たに現れたの所為で、きっとこれからも忙しくなるだろうし、天海は休暇など許してくれないだろう。


「――あ、天海も! 相変わらずとんだ食わせ者ですねぇ、“命の危機にならないと解けないようなロックをしかけていた”だなんて。私にも似たようなのが掛かっているのか、上手く脳内で形になりませんし、上手く言葉に出来ませんが……良かったじゃないですか!」


 俺がジェジレㇿに解かれたロックは、どうも今は“そう”処理されているらしい。“命の危機”? バカな事を言わないでほしい。死にそうな目にあったのはこれが初めてじゃない。REDなら、そんなものしょっちゅうだろうが。

 どうして「今回」なんだ。そこも分からない。

 解かれたロックは共通している、[3] = [座標]の筈だ。“今”の方は前後関係が曖昧だが、座標を認識して《掴み》、手中を起点に移動させるという疑似的な転移が今も可能である事を。まず間違いない。


「――さ、最近! ……色々な人を捕まえては話をしているそうですね。昨日は、燃えカスと話したとか……」


 考え込み、黙りこくってしまった俺の為に、神辺さんは気を回して話題を変えてくれている。誘ったのは俺だと言うのに。けれども、悲しい哉、大して変わってはいない。


「……はい。灰崎さんとも少し話しました」


 奪還作戦の時、灰崎さんは、屋上で敵の罠に掛かった神辺さんを庇い、アフリカの森の中に転移されていたらしい。そちらにも蕃神信仰の敵が待ち構えていて襲撃に遭ったが、どうにか切り抜けてその日の内に救助された、と語ってくれた。


「その時に、もうひとつの本題である『正義感』に付いて、また彼自身の『正義』に付いても尋ねたのですが、さっぱり教えてくれませんでした」

「ああ、アレはアレでシャイですから、あまり真面目な話はしたがりません。私で良ければお相手しますよ」

「……お願いします……」


 ここ最近、俺はずっと……正義感とやらによって上下する異能の階位フェーズに付いても考えていた。

 自覚していないだけのΑアハサは除くとして……、

 Βベルカンであるという事、

 Γギバであるという事、

 Δダグスであるという事、

 Εエイフゥースであるという事、

 これらは全て地続きの筈である。なら、それを分かつ境界線は何処にある。

 俺は良くあろうと努力してきた。手探りではあったが日々邁進してきた。それでは不足なのか? 今でも俺はΒベルカンだ。頻りに「正義に目覚めた」と嘯いている岸さんもそうだ。

 何が違う。Γギバであるこのキチガイと、俺は何が違うんだ。


「とはいえ、どう申したものでしょう。私の『正義感』が他人に取って中々に度し難い代物である事は承知しています。宗教的な文脈からくる教えに加え、現代的な倫理の影響も多分に含まれていますし……どう表現したものか……」

「じゃあ、俺の方から少し質問を」

「はい。どうぞ」


 神辺さんは、茶菓子のビスケットを摘みつつ俺の言葉を待った。その惚けた様な顔に向けて、俺は真正面から質問をぶつけた。


「神辺さんは……『正義』の為に殺人を肯定しますか?」


 一瞬、咀嚼が止まった。今度は神辺さんが黙る番だった。

 壁掛け時計の秒針が妙に煩く聞こえ始める中、ゆっくりと咀嚼音が再開した。そして、暫くのインターバルを要してから、神辺さんはようやくビスケットを嚥下し、口を開いた。


「『人の世に熱あれ、人間じんかんあれ』……日本最初の人権宣言、水平社宣言です。私は……私の『正義感』は、如何なる理由があろうと殺人を肯定できません。大の為に切り捨てられる小を助けたい。無辜むこの市民へ犠牲を強いる事を許容しません。人命に貴賎はないのです」

「それは『真理の光』で死人を出す前から持っていた『正義感』ですか?」


 そう聞くと、神辺さんはまた口を閉ざした。「痛い所を突かれて」というよりも、ただただ、心配そうに、怪訝そうに。


「もちろん、理想の話です。現実的に私の『正義』が実現不可能なのは理解しています。それでも、私は人命を救うために死力を尽くしたい。例えそれが敵の命であったとしても」


 詰まる所、答えは「消極的な肯定」という訳か。神辺さんは殺人を肯定する。

 この矛盾を神辺さん自身も理解しているのだろう、拭いきれぬ懊悩の痕跡あとが伺える。なるほど、それ故のΓギバなのだろうか。図らずも、この狂信者がΔダグスに至らぬ理由の一端を垣間見た。


「神辺さん、今日はありがとうございました。もう、帰ります」


 要件は済んだ。答えを受け取り、期待以上の成果を得た。これを自室に持ち帰ってまた思考を深めるべく、俺は礼を述べてサッサと立ち去ろうとしたのだが、そこで神辺さんが「待って下さい」と俺を呼び止めた。


「……なにか?」


 それに応じつつ、浮かしかけていた腰を静かに下ろす。


「私には分かります。匡人さんが悩んでいる事」


 人の心を断言しやがった。たちの悪い売卜者ばいぼくしゃの様に。最近は望月さんに向いていた宗教家らしさが出てきたじゃないか。……なんて、はしたなく悪態をついてみても、俺のざわつく心は収まらない。当然だ、この後に続く言葉を俺は何度も聞いてきたのだ。


可愛川瞳えのかわ ひとみさんの事で……気に病んでいると聞きました。藤莉佳子ふじ りかこさんの事も、短いながらも仲良くしていたと、六道から。同時に『アレは事故だ』とも――」

「それ以上!」


 勢い良く立ち上がった俺は、大声を出して神辺さんの話を遮った。それ以上は聞く意味を見出だせない。どうせ、瞳さんと藤さんが“今”の方でも死んでいる以上の情報は得られない。ただ、それだけ。一言一句、そらで唱えられる。だのに、むかっ腹だけはしっかり立ちやがる。


「……それ以上、し、知った風な口を聞くな……! 人が一人死んだからどうだと言うのだ。REDが一人死んだから何だと言うのだ……!? 死人なら世界中で大量に出ている!」

「そういう言い方は良くありません! 罪の意識から逃れる為、自らに言い聞かせている様な言い方は! そういう事を繰り返していると――」

「だから、止めろと言っているだろうッ! は、腹が……むかっ腹が立って……殺したくなる……っ!」


 閉口する神辺さんに向かってそう言い放った俺は、を押さえつけながら、逃げるように部屋を後にした。

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