エピローグ

2-4-1 エピローグ その1



 東京支部九階。普段、近衛旅団の司令部として北條嘉守ほうじょう よみもり旅団長らが待機する部屋にて、先の宮城支部奪還作戦に於ける活躍を賞する場が開かれていた。さして格式張ったものではない。敢えて呼称するならば「お褒めの場」とでもいうべき場であろうか。

 出席者は旅団長、副旅団長、幕僚長、そして作戦に参加した纏骸者三名。何時もは周囲の空席を賑わしている司令部の他の構成員たちは、今は別室にて待機か祝捷会しゅくしょうかいの準備に勤しんでいる。

 別地球αから持ち込んだ機材たちが物理的にスペースを圧迫する中、ひとりだけ自席に座る北條は、事前にレヴィと草部仍倫くさかべ なおみちより提出されていた戦闘詳報にもう一度目を落とした。

 最初の衝突から、敵の援軍である纏骸者たちを処理するまでは文句のつけようがない。多少の負傷者は出ているものの、何れも死することなく戦線を離脱し、医官の治療を受けている。実に華々しき内容だ。

 あのユスフ・イドリスが現れるまでは。

 伍句ゴノクの人智を超えた遠大なる攻撃によって兵たちは半壊。何度か持ち堪えた草部仍倫くさかべ なおみちも裂け目に堕ち、更には屋上の第一班が足止めされるという不慮の事態も重なり、終盤に立っていたのはレヴィと草部萌禍くさかべ もえかのみ……勝利は絶望と思われた。

 しかし、北條嘉守、天海祈あまみ いのり、そして“予定通りに地下から敵を掃討しつつ登ってきた第二班”がここで参戦したことにより、ユスフ・イドリスを撃破、辛くも勝利を収めることが出来た。


「ふぅ……」


 沈黙を破り、北條が深い吐息を漏らす。反対に、正面に直立不動するレヴィと草部兄弟は腹の底に力を込め、息を止めた。

 言い訳の出来ない『辛勝』である。

 戦場いくさばに絶対はなく、誰にも、纏骸皇にも、その行く末を計り知ることは出来ない――別地球αのとある将校が何処かで述べた言葉だ。独り歩きし、「纏骸皇に対する不敬」との批判も受けたが、内容に就いてとやかく言う声は少ない。装飾はともかく、普遍的な真実を述べているからだ。北條は今、それを噛み締めていた。

 けれども、辛勝といえど、勝利は勝利。中国の古い思想家、韓非子の言うように信賞必罰は滞りなく行わねばならない。

 それを分かっているからこそ、北條は重い口を開いた。


「よくやった!」


 予想外の大声に当惑する出席者一同。

 北條は、まず手始めにレヴィの方を見た。


「レヴィ少尉!」

「……ハッ!」

「よくぞ、第三歩兵小隊を指揮し、纏骸者一名を被害なく倒した。そして何よりも草部仍倫准尉を宇宙から無事帰還させた功績は、現状で推量することも出来ぬほどの価値がある!」


 纏骸者一名に対し、第三歩兵小隊を全て引き連れて赴き、草部仍倫率いる第一歩兵小隊に負担を押し付けたことは――結果論だが――判断ミスだった。しかし、戦闘後に当人のずいを用いた草部仍倫帰還の功績はそれを帳消しにしてあまりある、と北條は思っていた。

 思わぬ言葉に驚きつつもレヴィが敬礼すると、北條は頷いて草部萌禍に向き直った。


「草部萌禍上級曹長!」

「は、はっ!」

「よくぞ、逃げずに最後まで戦い抜いた。レヴィの護衛という務めを十全に果たし、ユスフ・イドリス戦に於いては陽動として獅子奮迅の活躍。勲章ものだ」


 彼女には毛程も期待していなかった。北條は言葉にこそしなかったが、彼女の生まれ持つ『天運』が全てを執り成した結果だろうと考えていた。その点に関しては、力量よりも遥かに信用していたからである。

 鈍い草部萌禍が遅れて敬礼すると、北條は最後、草部仍倫を見た。


「そして、草部仍倫准尉!」

「はっ!」

「貴殿の活躍は特に目覚ましい! 第一歩兵小隊を指揮しつつ死者なしで纏骸者三名を撃破したばかりか、複数回にわたってユスフ・イドリスの攻撃を防ぎ、皆の生命を守った! 我々の期待以上の戦果だ!」


 殊更に声を張り上げての手放しの称賛は、金蘭之契きんらんのけいたるレヴィを守り通した功績を含めた私情まじりのものである。誰もがそれを知る。

 あの時は草部仍倫とて必死だった。けして意図して助けた訳ではなかったが、結果的にそうなったのは事実。ならば、この評価は願ったり叶ったりだ、と草部仍倫は余計な口は挟まずに敬礼で以て受け入れた。

 北條は、別地球αへ帰還した暁には多大なる恩賞が与えられるであろうことを皆に約束した。

 一通り褒賞も終わると、北條は幾らかその顔を弛緩させた。


「――皆も知っての通り、今日はMCG機関のご厚意で『祝捷会しゅくしょうかい』が開かれる。この様な時期にと思うかも知れないが、換言するならば今しかないのだ」


 奪還が成功した日本含む先進国と違い、人材に余裕のない他国では未だ予断を許さぬ状況が続いている。

 加えて、屋上で足止めされていた第一班が捕えた双子のこともあった。その双子によると、第一班の足止めは内通者による手配で、また自分らは別地球βの者だという。

 深刻化を続ける事態を前にして、腰を落ち着けて祝える余裕は現在にしかなかった。


「その間の業務は他の隊が穴埋めをする。皆、存分に英気を養え」


 北條が退室を許可すると、たちまち私語を漏らし始めた阿呆な妹の頭を引っ叩いて、草部仍倫がさっさと退室する。

 しかし、レヴィの方はというと、その場を一歩も動かない。これを訝しんだ北條が、すっかり立場を取り払った素の声をかける。


「レヴィ? どうかしたの?」

「実ハ……折リ入ッテ、オ話ガ……」


 なにやら、浮かない顔である。他でもないレヴィの申し出だが、生憎と北條には先約があった。北條は背後の副旅団長、幕僚長を一瞥する。


「ああ、申し訳ないのだけれど、私はこれから祝捷会しゅくしょうかいの準備が――」

嘉守よみもり、少しぐらいなら構わぬよ」

「弓削様……」

「レヴィ、そう長くは掛からぬだろう?」

「ハイ。十分……イエ、十五分モアレバ……」


 ならば行ってやれ、と弓削は北條に向かって言った。北條は暫し逡巡した様子を見せたが、やがては腹を決めてレヴィに歩み寄った。「デハ人ノ目ガ無イ所ヘ行キマショウ」ということで、二人は寄り添って退室していった。

 部屋に残された佐藤と弓削の二人。先程も述べたが、何時もは周囲の空席を賑わす司令部の構成員たちもいない……これは千載一遇の機会だった。胸の奥に秘めた本音を曝け出すまたとない機会チャンス

 弓削が、椅子の背もたれに体重を預けながらボソリと言う。


「――にしても、纏骸皇は何処まで見通しているのかのう

「結局、彼の言った通りになりましたね……」


 そして、二人して軽く天を仰いだ。

 宮城支部奪還作戦。兵たちに被害は出たが、纏骸者は一人も欠けていない。その要因は幾らか思いつくが、最も大きなものは『纏骸皇自身が、近衛旅団旅団長に北條嘉守を指名した事』だろう。それが、他の纏骸者――レヴィと草部兄弟、弓削清躬を呼び込んだ。

 纏骸皇……自らが君臨する地球のみならず、別なる地球にまで介入してみせるとは……。

 その心胆を寒からしむる神の如き所業は、密かに体制側への叛意を抱く弓削派――といっても、現在はまだ数える程にしかいないが――の二人も認めざるを得なかった。


「敵は巨大ですね……」

「怖気づいたか? 佐藤誠少佐殿?」

「まさか!」


 弓削の戯けたような物言いに、佐藤も喜劇を演ずる三文役者のように応えた。


「なにも直接的に敵対、相対する訳ではありません。その巨大なる爪の先を、幾らか切り取って潰そうというだけであります。纏骸皇に取っては、それこそ蚊に刺された程度の事でもないでしょう! ……歴史を顧みる分には」


 最初は調子よく、最後だけ忍ぶようにボソッと。

 時の政府が変わった例など、歴史を紐解けば星の数ほど出てくる。けれども、纏骸皇は求められれば多少の介入姿勢をみせるだけで、強引な采配を振るった事は一度もなかった。

 敵は纏骸皇自身ではないと佐藤誠は考える。あれはまだ利用できる、と。

 敵は体制側、その肥大化した権力。

 これは別なる地球に来てから悟った事だが、故郷の別地球αに於いて、時の政府は、秩序を守る為に纏骸者という属人的な「武」を徹底的に管理する必要があった。その為に抑圧的権力が度を越えて高まり、現在の惨状へ繋がっている。

 忌々しい! 何が忌々しいって、その功績を否定できぬのが忌々しい! MCGにだって、似たような管理理念が所々に見て取れる! 合理的だ!

 だが、今が御役御免の時だ。民主主義革命とまではいかぬが、後世に続く子々孫々を思えば、幾らかその権力を削っておくべきだ。

 彼ら弓削派は蕃神信仰に感化され、その様な帰結に至っていた。

 もちろん、蕃神信仰の戦闘狂的な無軌道ぶりは論外であるが、その主張には心惹かれる部分があった。それもその筈、「おためごかし」なくして民衆からの支持など得られる訳がない。神辺梵天王かんなべ ブラフマーの信仰する『真理の光』が、神に依らぬ善行を奨励しているように、『蕃神信仰』の主張もまた、子々孫々に資する端緒を含んでいた。


「むしろ、纏骸皇は味方と言って差し支えないでしょう。新たに噛んできた別地球βも、その助力のあるうちは今回のように敵ではありません」

「しかし、それは儂らが努力を怠る理由にはならんぞ?」

御説おせつ御尤もであります」


 含み笑いを交わしながら、弓削は時計を見遣った。まだ、北條が帰ってくるまでは時間がある。MCGの部屋は防音対策が施されている為、ドアが開くまではそれほど神経質になる必要もない。

 弓削は、手元で祝捷会しゅくしょうかいの手筈を確認しつつ、目先の問題も確認した。


「それで『勧誘』の方はどうだ、進展はあったか?」

「ええ、今朝にありました。何時、報告したものかと時機を伺っていた所です」

「ほう、是非聞かせてくれ」


 始めたばかりの手を止めて促すと、佐藤は揚々と報告を始めた。


「第四歩兵小隊の隊長殿が遂に此方側に付いてくれました。元々、纏骸皇を絡めただけで揺らいでおりました所へ今回の一件があり、それで心を決めたようです」

「そうかそうか!」


 予想以上の吉報に弓削の顔もほころぶ。既に第五、第六歩兵小隊の隊長は口説き落としてある。やはり、この近衛旅団内で最も権力側に寄っている名家当主、弓削清躬ゆげ きよみが先陣を切っている事実が大きかった。


「これで……残る纏骸者は、第三歩兵小隊の連中を含む『嘉守嬢お友達一派』だけとなったのう


 しかし、ここが最も難関である。孤立していた他小隊の纏骸者たる隊長らと違い、第三歩兵小隊の纏骸者は他の小隊より多い三人。北條が、レヴィの護衛として学舎時代からの繋がりのある草部兄弟を無理矢理にねじ込んだからだ。そこの繋がりがある所為で、何処かから順に切り崩すという事が困難を極め、どうしても「一挙に」ということになってしまう。

 弓削派は正義を御旗に掲げるつもりだ。それ故に外道な手段は取りたくない。ひとたび、「蕃神信仰の関係者」というレッテルを張られてしまえば、現状では一巻の終わりだからだ。限界まで水面下に顔を沈め、何者にも悟られぬよう慎重に動かねばならない。


「北條代将は……纏骸皇を絶対的に信奉している訳ではなさそうです。我々の義を以てすれば説得できるかもしれません」

「ああ……。しかし、嘉守嬢はともかくとして、問題はレヴィの奴よ」


 草部萌禍は、兄を崩せば自ずと付いてくるだろう。が、その兄、草部仍倫は義では靡かない。此方が勝ち馬であると明確に示さなければ、彼の心は寸分たりとも動かないだろう。しかし、逆に言えば優勢を示しさえすれば、いとも容易く靡くということでもある。

「触らぬ神に祟り無し」……草部仍倫はそういった日和見思考のもとに動く、と弓削派は予想していた。正義に関心がないからこそ、弓削派の叛意を知ったとして、積極的に邪魔をする手合いでもない。だが、勝ち馬に乗れず、自らと妹の身が脅かされるとすれば……。

 それ故に、直近の問題はレヴィであった。


「此方に来て幾日と経つが、相変わらず奴の得体が知れぬ。森から救助された異邦人という素性もそうだが、ずいの底も未だ見えぬ」


 レヴィ当人が中道の秘術オカルティズムと称するずいは、敵の攻撃を防ぐばかりか、不可視の攻撃も可能であり、更には今回、宇宙に放逐された草部仍倫を救助までしてみせた。

 かてて加えて、レヴィには後ろ暗い過去もある。




 むくろを自覚した纏骸者には義務が課せられる。その力を社会の為に役立てるべく、政府管轄の元、各地の『纏骸学舎』にて、ひとりひとりの適性に沿った教育を受けなければならない。

 八年前――それは、日本語を覚えたレヴィが北條嘉守に少し遅れて本格的な士官教育を受け始めるようになった頃、そして草部兄弟がまだ野を駆けずり回っている頃である。

 青天の下、北富士纏骸学舎の講堂には、土塊川聘樓どかいがわ へいろう教官の怒号が響き渡っていた。


「この蛆虫ども!」


 彼は普段からこの調子ではあるが、今日は北條嘉守とレヴィが遅刻をした為に一段と声量が激しい。遅刻の理由は、慣れていないレヴィが講堂の場所を分からずに迷っていたのを探しに行っていたからだ。


「貴様らはもはや人間ではない! 乞丐こじきのクソ以下の値打ちしか持たぬ愚図だ!」


 この学舎に於いては家名など関係ない。そういう建前に支えられたサディズムが、常日頃の階級社会の抑圧からくるルサンチマンと重なり、単なる指導以上の叱責を引き起こしていた。

 学舎に来てから初めて経験する常軌を逸した剣幕に、箱入り娘の北條は縮こまるばかりだった。しかし、その隣に立つレヴィはというと、透き通る海の様な瞳を以てじっと彼を見つめていた。


「ド、カ、イ、ガ、ワ……ヘイロウ……」

「なっ――教官を呼び捨てにするとは何ごとだッ!」

土塊川聘樓どかいがわ へいろう


 その三秒後の事だった。皆の前で聘樓へいろうの頭が爆ぜたのは。




 学舎時代、レヴィは纏骸者の教官を一人殺害している。ただ、遅刻をキツく叱責されたというだけの理由で。

 その後は、北条嘉守が初めて使った「北條家」の権力によってどうにか執り成したが、当時は物凄い騒ぎであった。学舎内での殺人など、そうある事ではない。


「……弓削大佐、いかなる所存で?」

「ふむ……」


 始末するか? と、佐藤は言外にそう聞いている。

 弓削はシワの多い顔に、事さらにシワを寄せた。


「儂としては……面目が立たなくなる以上、やはり安直な真似は避けたいのう。嘉守嬢も、我々の関与があったとしれば、殺しにかかるであろうし……」


 後半は冗談まじりの口調であったが、レヴィと北條の密な繋がりは誰もが知るところである。かと言って、このままレヴィごと味方に引き込むには、得体が知れなさ過ぎた。


「もう少し、奴の本質を見極める時間が欲しい。対応を考えるのは、それ以降とさせてくれんか」

「……弓削大佐が、そう仰るのなら……私は……」


 以降、二人は沈黙した。

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