2-3-5 宮城支部奪還 その3



 突如として屋上に現れた二人の童子、レㇻーグとアッㇳマー。謎めいた彼と彼女は、幼さの残るかおを寸分違わず同形に歪ませ、神辺たちに向けて余裕綽々、手招きした。


「むむ! なんてフテぇ挑発! お二人は下がっていて下さい!」

「い、言われなくともぉ!」


 へたれた金營は、伴侶たる茱萸グミを引き連れてそそくさと後退してゆく。その気配を背中で微かに察しつつ、神辺が仕掛けた。二人は信用できない。説得の時間もない。故に、単身、体を屈めて真正面から突っ込む。まんまと誘いに乗った形ではあるが、全くの無策という訳でもない。

 先程の青光、その集束に伴う灰崎の消失は自らの責任である。神辺はそう考えていた。緊張を和らげようという意図ではあったが、結果としてそれがこの現状を招いてしまった。私が、軽率にもドアノブを掴んだ事が引金――青光の発生点、また集束点も同じくそこであった事からもその推測は揺がない。

 しかし、現実に消失したのは引き手である神辺ではなく灰崎である。

 ここから立てられる推論として、ひとつは罠の性質――詰まる所、距離、範囲による制約が挙げられる。そして、この童子らの誘い! あからさまである。


「私の考えが正しければ――!」


 大股に伸び切った神辺の右足が屋上庭園のある瓦礫を踏み付けた瞬間、先程と全く同じ青光が瓦礫から溢れ出た。――来た! 目も眩む青光に飲み込まれながらも、これを予期していた神辺は、今度は硬直する事なく、すぐさま両足に高め、待機させていた干渉力を発現させた。足裏の隙間から體化たいかした光子フォトンは驚くべき速度で上下に延伸、たちまち神辺の小躯を宙空へ押し上げた。


「――集束前に距離を取ってしまえば消失は無い!」


 ……筈! 神様仏様――!

 どうか、推論が的中していますようにと神辺は全身全霊で祈願し、體化光子を更に延伸させる。程なくして、階位フェーズの限度を越えた高度に達し、地面にほど近い體化光子から減衰、崩壊が始まった。と同時に、青光の集束も始まる。神辺は、それらの変化を敏感に見て取り、體化光子が完全に崩壊する前にと宙へ身体を放り投げた。触れている足元の體化光子を通じて、自身も消失してしまう可能性を危惧したからである。しかし、結果から言うとこれは杞憂であった。青光が集束した後の體化光子は、一部が丸く削り取られてはいるものの範囲外と思しき大半は残っていた。


「……なるほど、體や範囲内の生命ではなく『範囲内の體』という事でしょうか? 灰崎の持っていたカバン、また服も……。範囲は起点から半径1メートル程度……。持っていけるのは足元だけだが機動力を削ぐ程度は出来る……ただ、一瞬のタイムラグが欠点……」


 落下の最中、小声で正解を呟いた神辺は、ジャンプ台たる體化光子から干渉力を引き上げ、また高めて迎撃の準備をしつつ、宙空で猫科動物の如き捻りを加えて危なげなく受け身を取った。

 発光の消失罠、破れたり! とばかりに、得意げな笑みを浮かべる神辺。対し、罠を破られた側である童子らだが、露ほども気にした様子などは見せず、何処までも真剣味を欠いた態度を貫く。


「爺の置いてった変なのがもう通じなくなった!」

「使えねぇな! 早急に攻め方を変えませう!」


 手を繋いだまま、つつかれた弥次郎兵衛ヤジロベーの様にフラフラと揺れ、それぞれ空いている手を天に掲げた。


双装ソウソウ励起レーキ


 それは――冥界Kurの脈絡。左右を司る門守かどもり

 淫祠邪宗いんしじゃしゅうこと双身一体ジェミニに連なる信徒けつみゃく一条ひとすじは、時代の趨勢すうせいに押され、恰も川を遡上さかのぼらんとする海嘯かいしょうが終には押し戻されるが如く日出処ひいづるところへと逃げ落ちた。

 斯様かようにして涵養かんようせらるる幽愁暗恨ゆうしゅうあんこんいだきし蒙昧の叛徒はんとは、𒀭𒈗𒄊𒊏d-LUGAL-ER9-RA(Lugal-irraルガルイラ)、左の【戦棍せんこん】を以て骨をにしくだき、𒀭𒈨𒌍𒇴𒋫𒌓𒁺𒀀d-MEŠ3-LAM-TA-E3-A(Meslamta-eaメシュラムタエア)、右の【戦斧せんぷ】を以てしんに彫り骨にきざめり。


參句サンノク - 緑波りょくは/西瀛せいえい/渦を巻く - 双骨鎖神棍ソウコツサシンコン

參句サンノク - 青波せいは/東瀛とうえい/せぐり上ぐ - 双星神鉞ソウセイシンエツ


「出ましたね……例の励起レーキとやらが……!」


 武装励起の弱点は、【骸】による攻撃を介さなければ能力を発現できない点と、容易には身体から切り離せない点にある。ならば、警戒は目視で十分と神辺は考える。注意すべきは體化光子の針を防いだ能力と、まだ見ぬもう片方の能力だ。

 童子らが演技じみた態度でこれ見よがしに漏らした情報によると、青光の罠は別の能力者――『爺』とやらによるものらしいが、神辺としても、そう簡単に信じる訳にはいかない。童子の片割れの能力である可能性と『爺』とやらの能力である可能性、神辺は両方の可能性を念頭に置いた。

 白兵の間合を開き、見つつ、あの防御を破る事が出来れば……ある! 勝ち筋はある! もちろん、不安要素も数え切れないほどあるが、今はそっちを気にしてもいられない。成功を夢見て進むしかないのだ。前へ、前へ。

 半ば、破れかぶれの思いで駆け出した神辺。それに併せて、童子らの片割れであるレㇻーグも動いた。

 全てに先立さいだちゆくは定義。


 #lætan[AdvancedSorcery現代魔術_v2103.22.105161.339.b]


 プリプロセッサ指令[#lætan]が呼び出したるは、AdvancedSorceryの最新バージョン。現代魔術聯盟げんだいまじゅつれんめいの弛まぬ努力によって日毎、時には分毎、秒毎にも更新される奇跡の抄訳ローカライズ

 それは、である童子らが服の裏に仕込んでいる魔術具インタープリターに於いても例外ではなく、常に自動で更新アップグレードされ続けている。


「我がまなじりけっせよ!」


 レㇻーグが定めた独自詠唱に応じ、バレーボール程の大きさの焔塊えんかいが忽然と現出した。――もう一方の異能はほむらか! 神辺は一見してそう判断したが、その実は異なる。

 第一階梯だいいちかいてい [BÆL]――現代魔術アドバンスド・ソーサリーに於ける初歩の初歩。使い手があらかじめ定めた相対座標へ[ほむら]を出すだけの、ごく入門的な基本スタンダードと称されるものの一つである。ほむらそのものが持つ汎用性が故に汎ゆる魔術具インタープリターにプレインストールされているが、年端も行かぬ幼子であろうと精々が水の用意を注意される程度で教導者の監視なしに練習できる様な、取るに足らない――[魔術まじゅつ]だ。

 そんな、知る者からすれば些か場違いにも思える焔塊えんかい。だが、それを形成するごく短い術式が完遂されるか否かという瞬間に――それは化けた。

 レㇻーグの詠唱と前後して振り下ろされていた、アッㇳマーの【戦斧せんぷ】が未成熟の焔塊を斬り付けると、途端にその表面に幾筋もの亀裂が走り、沸々と煮立った。双星神鉞ソウセイシンエツの霊験――【切断】の効果である。

 これは……何か、マズイのでは――焔を見ても一切怯まなかった神辺の足が鈍る。これほどまでに異様な雰囲気を前にしては、さしもの神辺も、来たる危機を予感し続ける生存本能を無視し得なかった。

 事実、本能の選択が正しい。

 切断されたのは表面みため上の事象ほむらのみにあらず。平行する世界線に生まれた、魔術という概念からすると埒外の超常――【骸】は、魔術の根幹たる[術式]すらも【切断】していたのだ。

 鈍る足が遂に止まる。その瞬間、切断された術式が暴走を始め、それにより歪み切った焔塊えんかいは自らに充填されたエネルギー量に耐えきれず、破裂した。

 術式とは、本来であれば人智を超えた[奇跡]を、神秘より見出したる魔力素マナを以て一定の法則下に再現せんとするもの。その暴走が如何なるわざわいを齎すかは、魔術を学ぶ者であれば誰しもが知る所である。

 無差別に周囲へ飛び散る破損事象ほむら。あれに触れたらヤバい。無知なる神辺にも、それぐらいは見て取れた。


「くっ――!」


 神辺は、襲い来る破損事象ほむらを避けきれないと悟ると、すぐさま、高めていた干渉力を用いて體化光子の盾を顕現させた。が、破損事象はそんじしょうとなったほむらの威力は、最早、初歩の範疇にない。

 それを知らぬ神辺は、ギリギリで挟み込めた盾に隠れて僅かばかり気を緩めた。何とか防げたか――と、しかし、その瞬間だった。グラリ、と、その身体が痛みも発せず揺らぐ。


「なっ……!」


 湧き上がる戦慄を探して足元を見やると、防いだ筈の破損事象ほのおが右の足先に食らいついていた。

 神辺は知る由もない事だが、これは還元と呼ばれる現象を利用したものである。還元とは、魔力素マナを魔術に変換する過程に於いて、周囲の體が別次元へと消えてしまう現象(生贄・供物)の事で、普段は初期設定デフォルトで術式に組み込まれている命令によって抑制されているのだが、破損事象の場合は抑制が十分に働かなくなってしまう。

 つまり、神辺の顕現した體化光子の盾は、破損事象に触れた瞬間に還元され、致命的な穴を開けられていたのだ。その穴を後から来た別の破損事象が通り、神辺の右の足先に食らいついた。カバーする範囲を優先して、なるべく薄く広くと意識して顕現させた事がアダとなった。

 第一階梯魔術という事もあり、然程の時間を待つ事なく魔力素マナを消費し尽くした破損事象ほのおが鎮火するが、周囲には還元された傷痕がありありと残り、それは神辺の右の足先とて例外ではない。

 どうにか転倒だけは堪えた神辺の耳に、先程も聞いた詠唱と一言一句違わぬ言葉が飛び込んでくる。


「我がまなじりを――!」


 無傷――先程に見た透明な防御によってか、童子らは神辺よりも破損事象の近くにいながら無傷であった。その上、破損事象の再装填も済ませかけている。

 対して、蹇跛あしなえとなってしまった神辺。防御の為に干渉力を高めて防ごうにも、身体を覆う盾の顕現には多少の時を要する。これほどまでに連発されては、遠くない未来に捉えられてしまうだろう。

 破れた右足が怖気づき、独りでに下がってゆく。しかし、すぐに灰崎に押された肩の衝撃を思い起こして、強引に押し留めた。

 退いて、たまるか――!

 神辺は半ばヤケになっていた。けして、高尚とは言えない呵責の心が、彼女を衝き動かしていた。神辺は、その身体をより前へ投げ出すように、無事な左足で地を蹴った。



    *



「ハァ、ハァ……フンッ!」


 息を荒げ、疲労困憊といった様子の草部仍倫准尉は、【怪力】に任せてネジリ切った敵首を床に転がした。その身に纏わる【当世具足】は、当初に放っていた輝きなど見る影もない程にボロボロで、至る所に罅が走っていた。

 骸は、その神秘性故に骸でしか破壊できない(破壊された骸は精神體アストラルの恢復に伴って修復される)。詰まる所、これは短くも濃い戦闘の痕跡なのである。


「これで……三人目か……!」

「第三歩兵小隊に於いてもアンノウン反応の消失を確認! 残る纏骸者は一名!」


 通信士が草部仍倫の耳骨を振動させる。

 残り一人。

 だが、彼の四望に動くものなど、同じく疲労を顕わにして蹲り、呻く、幾分か人数の減った第一歩兵小隊の姿のみで、黒衣を含む敵影は全く見られなかった。そこへ、ようやく一人の新手を片付けたレヴィが、ほぼ無傷の第三歩兵小隊と草部萌禍を引き連れてやって来る。


「仍倫サン! 此方ハ片付キマシタ!」

「兄ちゃん、御免ゴメン! 長引いた!」


 申し訳そうな顔で彼女らが言う。

 彼女らと第三歩兵小隊は、ヘッドセットから伝わる報告によって草部仍倫の窮状を知っていたが、相手取っていた纏骸者がまた難物であり、途中で戦闘を離脱したり、前倒しには出来なかった。彼女らは、偏に力不足と判断ミスが原因であると恥じ、負担を掛けた事を悔いた。しかし、今、草部仍倫の関心はそこにない。


「気を付けろ! 最後の一人の姿が何処にも――」


 ――その時だった。

 パチ、パチ、パチ……。脱力する様な乾いた拍手が、何処からともなく宮城支部一階に響いた。その拍手は戦場の意識を一手に惹き付け、周囲の騒然とした雰囲気を何処かへ遠のかせてゆく。


『凄まじい戦いぶりだね。いや、才能があるよ。部下に指揮しつつ、三対一の不利な状況をよく切り抜けた!』


 次いで、遍く背後から響いたのは、此場の誰にも理解できない『アルメニア語』だ。その声につられて、全ての視線が振り返ると、そこには民族衣装を纏う妖しげな男が悠然と立っていた。


「お前は――!」


 見覚えのある顔だった。

 別地球αに居を構える者ならば誰もがそうだろう。同世代に七人しか現れないという伍句ゴノクを賜りながら、その身の丈を超える叛意ほんいを抱きて末席を汚す愚者。若々しく活力に満ちた風貌、鷹を思わせる鋭い目、そして世界の狭間に揺蕩う海藻かいそうの如き髪……その手配書は汎ゆる街角に遍在するが故に、草部仍倫も彼の者の名を知っていた。


Յուսուֆ Իդրիսユスフ・イドリス……!」

『外国人にしては、まあまあ正確な発音だね。どうもどうも』


 誰にも届かぬ軽口を口遊む飄然のイドリスに、周囲の銃口が示し合わせた様に一斉に向けられる。脅しや牽制が目的ではない。その証拠にトリガーは絞られつつあり、今にも火を吹かんという気配を醸している。

 しかし、この時既に、イドリスの右手内には先手たる光が生じていた。


 励起գրգռվածություն


 それは――神の前身ぜんしん。文明の飛沫ひまつ

 多島エーゲ埃及エジプト米所波大迷亜メソポタミア印度インダス、中華、人類史の基底たるもろもろの文明は、恰も際限不定さいげんふてい、絶えず沸く水泡の如し。

 然れど、弾けた残滓は無為ならず、水底に沈んだよどみ銅錫どうすずの刀身へ、大気に霧散したかすみ土耳古石ターコイズ青水晶ブルークォーツ黒金剛石ブラックダイヤモンド象嵌ぞうがんへ、縦横無尽に交錯する有為エフィシエントは規則的菱形模様ロンバスパターンへと転じ、総じて一尺八寸、不変の【短剣】をたり。


飜譯不能ゴノク - vi/HfiAフィ/nG/d/oAtート - ագահ貪婪


 イドリスの精神體アストラルから引き出されたのは、成人男性の上腕部ほどの短剣である。その、ちっぽけな、しかし、決して無視し得ぬ存在感、心胆を押し殺す様な圧が兵たちの心中を席巻した。

 それは紛れもない――通達。

 卑近にして現在地たる『戦場』のみならず――『社会』――『地球』――『同次元平行世界線上の別地球』――そして『宇宙』。汎ゆる局面に於ける相対的にして明確な上下関係の位置付を通達するものである。

 そう自覚した途端、トリガーに掛けられていた指たちはピタリと凍り付き、また、小さく震え始めた。そして、短剣が軽々しく揺れ動かされる様を、皆、阿呆の如き顔付で眺め入った。


「――せよ! 応答せよ! 何があった!」


 この場に居合わせていなかった為に正気を維持していた通信士の呼び掛けによって、皆はハッと氷解する。けれども、応答する様な余裕はなく、未だ余韻の残る指を強引にトリガーに押し付けた。

 即座にバラ撒かれる9mmパラベラム弾。逃げ場もない緻密な弾幕――しかし、それらが着弾したのはイドリスの肉体などではなく、彼我の中程に忽然と現れたであった。

 この時、発砲をする代わりに一歩、踏み出していた草部仍倫は見た。裂け目、その形容し難い色彩で満ちた異様な空間の中心に、まるで豆粒の様な異物を。


『来たぜ来たぜ……』


 瞬く間に、その異物は視認できるまでに膨張し、空間の裂け目から身を乗り出した。


『ジェット機だ!』


 U-125――航空自衛隊の運用する双発ジェット機である。折柄に遠方を巡航していた筈のそれが、今、宮城支部一階のエントランスホールを遊覧飛行せんと巡航速度を一切緩めず現れた。

 既に、草部仍倫が走り出している。――間に合うかッ!? 操縦桿を必死に引く操縦手の怯えた目が最先鋒たる草部仍倫の目と交錯した。

 転瞬、両者接触。

 その衝撃は(自重7,350kg+燃料+乗員二~七名+装備) * (巡航速度Mマッハ0.61)……。仮に外郭を為す【当世具足】が耐えられたとしても、内部の人体は風に吹かれた落葉の如く忽ちに破壊される事だろう。到底、人の身で受け止め切る事は不可能。

 故に――草部仍倫は左腕を捨てた。

 普段、【当世具足】の守護を加味しても身体に影響を及ぼし兼ねぬと抑制していた【怪力】を最大限に引き出し、全身全霊を以て左腕を振り回す。それにより、迫りくる機体と接触前から彼の左手首、左前腕、左肘、左上腕、左肩とが粉々に砕けていた。しかし、問題はない。草部仍倫は、同時に右手刀を左腕に向けて落としていた。要は、怪力を左腕のみに託した上、衝撃の大部分を肩代わりさせようという算段である。

 空気そのものがひしゃげたかの様な異様な衝突音が響き渡ると、機首の下部を強かに叩かれた機体が、操縦桿を引かれていた事もあって大きく跳ね上がった。そして、天井を削りながら照明、柱に接触して大小の破損を増やしつつ宮城支部エントランスホールの奥へと突っ込んでゆく。

 これにて草部仍倫の目論見は達された。部下たちへの損害はなく、切り落とされた左腕に衝撃の大部分を肩代わりさせた。が、事故の衝撃は余波だけでも相当なものである。当然の如く、衝撃の余波に堪え切れなかった草部仍倫の身体が吹き飛ばされ、錐揉みに血液を撒き散らしながら付近の柱へと激突した。


『おおっ、なした! スゴイな!』


 イドリスは手放しに称賛を述べた。彼の予定では、この攻撃で全てを轢き殺せる筈だった。それがどうだ。欠員一人出ていない。


『しかし……その様子では次は無いだろう……惜しい男をなくしたものだな』

「仍倫サン!」

「兄ちゃん!」


 遅れて動き出した凡夫二人が、後方の草部仍倫を気にしつつ、怯えからか遠慮がちに前に出て各々の得物を構える。

 警戒でもしているのか、能力の仔細を見極めんとしているのか――否、それ。偏に、愚かしさからくるにぶさに他ならず、その愚鈍にこそイドリスはいている。


『こいつらに見込みはないな』


 もう、適当に方を付けて帰ってしまおうか――雑兵たちの銃撃を防ぎながら、そう思い始めていたイドリスだったが、その時ふと正面に生まれた光景を見るや、その相貌を喜色に歪ませ、考えを改めた。


『――まだ立つか! まだ立てるのか、お前は!』


 其処に草部仍倫は立っていた。フラつきながらも、その目に宿る闘志は些かも衰えを見せず。左腕の出血も、【怪力】を用いた常識外れの筋収縮によって既に止まっている。

 思わず、イドリスは欣然とした笑声を上げてしまった。


『ハハハッ! 俄然、楽しくなってきた! 今度の攻撃は防げるかッ!?』


 身構える近衛旅団の前に、新たな空間の裂け目が生みだされる。イドリスの攻撃の狙いは草部仍倫一点のみに絞られていたが、それを知らぬすくたれの凡夫どもは手前勝手に怖じ気付き、おっかなびっくりそそくさと左右にハケてゆく。


『お前は避けないのか!? 死ぬぞ! ハハッ――!』


 形容し難い裂け目からの先頭車両が飛び出した。ドップラー効果に歪んだ警笛が響く渡る。

 新幹線E5系――はやぶさ19号。11時20分東京発仙台行の10両編成。草部仍倫に迫る、その緑と白に塗られた車体の速度は、現在時速275km。先のジェット機と比べれば見劣りするものの編成重量は453,500kgと大きく上回っている。詰まる所、十分な致死性を帯びているという事。

 その衝撃を脳裏に実感させるには、実際の事故記録を参照するのが手っ取り早い。鉄道史に残る惨事『福知山線脱線事故』、その主演たる第5418M列車は、編成重量213,000kg、時速116kmでカーブ区間を脱線、線路沿いに建っていた分譲マンション「エフュージョン尼崎」に激突した。

 先に述べた「はやぶさ」のスペックと比較すると格落ちの感がいなめないかもしれないが、ひとたび、事故現場のこの世のものとは思えぬ惨憺たる有様を知れば、まかり間違っても軽んじる事は出来ないだろう。この事故に於いて最も被害が大きかったのは先頭の二両。この二両はマンションに激突した、続く三、四両目の車体に挟まれ圧潰。高い強度を持つアルミニウム合金の車体が、マンションの外壁に沿ってまるで車に轢かれたカエルの様にひしゃげ、原型を留めないほどペシャンコになった。当然、中に居た乗客、運転手もまた……。

 そして現在、かつての第5418M列車を遥かに凌ぐ重量、速度を以て、はやぶさ19号が迫っている。

 食らえば、待っているのは即、死の未来。それを理解した上で、草部仍倫は一歩も引かずに迎え討つ。ここで動けば、乱れた狙いが折角左右へ避けた部下たちへ及び兼ねない。それを危惧するが故、己に向いているらしい敵の攻撃を一身に惹き付けようという腹づもりである。

 怒濤の様な衝撃音。瞬く間に彼我の距離を駆けた車両が、エントランスホールの上に轍を刻みつつ草部仍倫の立っていた地点をなぎ払った。そして、彼が背負っていた柱にぶつかり、これを破壊できず跳ね返った所へ後続の車両が殺到する。

 さしもの支部ビルをも震撼せしめる大事故に、イドリスは熱狂と興奮をあらわに叫ぶ。


『死んだか? オイ、死んだか!?』


 散乱する瓦礫、巻き上がる粉塵。遠巻きに見ていた味方ですら死を確信する中、突如として車体を叩きつける様な音が響く。


『――クハハッ!』


 イドリスは尚更に笑う他なかった。

 くすんだ残光を靡かせて、草部仍倫は立っていた。残った三肢を欠くことなく、罅割れた面頬の奥には闘志をみなぎらせて。

 草部仍倫は、自らが足元へ空けた大穴の淵を蹴り飛ばした。防戦の先に活路はないと見て攻めに転じたのだ。されど、果たして本当に勝ち筋を見出だせるかどうか、そんな先の事など分からない。決死の猛進であった。

 相対するイドリスは、自らに肉薄せんと迫る必死の形相を諸手をあげて歓迎する。


『なんてこった。お前を殺せそうな攻撃なんて、もう……あと一つぐらいしか思い当たらないぞ!』


 指揮棒タクトの如く揮われた【短剣】の導きに従い、また新たな空間の裂け目が現れた。それに対し、先程は一歩も動かずに大穴を開ける選択した草部仍倫だが、今回は攻めに転じた事もあって右へ移動しての回避を選択した。彼は、【短剣】を揮う筋肉の兆候を察知した時点で動き出していた為、裂け目が完全に開いた瞬間には、その身体は正面からすっかり外れていた。

 裂け目から来るのは直線的な攻撃、ならばこれで当たるまい――草部仍倫ばかりでなく、その場の誰しもが同様にそう思った矢先、その先入観は脆くも崩れ去る。

 エントランスホールに足跡そくせきを刻みながら、右回りに裂け目の向こう側を覗き込んだ草部仍倫をの疑問が襲う。

 居ない――!? 忽然と、イドリスの姿が消え失せていた。それだけではない。踏み出した足が勢いよく空振る。――足っ、いや、体が――! 引っ張られている。そう認識した瞬間、賢しき草部仍倫は、裂け目を通じて【牽曳けんえい】されてきた物の正体を悟ってしまった。

 これは、この浮遊感は、偏に気圧差によるものであるのである、と。そしてイドリスが姿を晦ましたのは避難の為である事を。――奴は宇宙空間を持ってきたのか! しかし、分かった所で対処のしようがなければ、分かっていないのと同じ事。

 宙に浮いてしまっては得意の【怪力】も意味をなさない。必死の藻掻きも虚しく、草部仍倫の身体は裂け目へと吸い込まれてゆく。裂け目の向こうに広がる宇宙空間に投げ出される寸前、辛うじて振り回していた右腕が裂け目の端っこを掴むが、時を同じくして裂け目は急速に閉じ始め、指先は敢えなく切断された。





「草部仍倫准尉の靈氣レーキ反応消失! 生体反応、GPS信号ともにありません!」


 司令部天幕内にて通信士が放った悲痛な報告は、その周囲へ多大な衝撃を齎した。「まさか」と、弓削清躬ゆげ きよみも呻く。「あの草部仍倫が」と。


「彼ほどの者が……!? ユスフ・イドリスとは、伍句ゴノクとは、矢張りそれ程までに……しかし、うーむ、どうしたものか。第四、第五歩兵小隊は使えぬぞ……ここは海外の使者たちに助けを求めるべきかのう……?」


 動揺もそこそこに顎元に蓄えた野獣の如き髭を撫で、此度の敗北を前提に受け止めて今後の展望を練る。

 すると、その独言に噛み付くものが居た。


「だから、私は言ったのです!」


 先程から弓削の隣で激しい貧乏ゆすりを繰り返していた佐藤誠が声を荒げた。整ってはいるが神経質そうな顔を歪め、脂汗を垂らしながら泣くように叫ぶ。


「弓削大佐の【ずい】で殲滅してしまうべきだと! 突入する必要性など、何処にも感じません!」

「儂も最初はそう思っていたがのう。しかし、少佐殿よ、宮城支部の規格外の堅牢さを見たであろう」

「そ、それは……しかし、二度三度と繰り返し攻撃を加えれば……」


 そう言われて、佐藤は言葉をつまらせた。あの堅牢さは、彼にしても思う所があったからだ。

 弓削は続ける。


「不可能だ。聞く所によると『核が落ちようと奥部は安泰』とか。恐らく、先の攻撃も表面までで、内までは届いておらぬ。オマケに支部ビルは皆、東京支部と同じく地下空間を有するそうだ。どうしても生き残りは出来よう。詮ずる所、内部に侵入しての討滅は不可避。……まあしかし、まさかユスフ・イドリスなんて大物が出てくるとは……思わなんだが。兎角、少し落ち着き給えよ。将たる者はいついかなる時でも狼狽してはならぬ。貴殿、晴れて無事に帰還した暁には大佐になる男であろう」


 立場を越えた出過ぎた発言も含めて、チクリと釘を刺す。

 弓削の言葉を受けて、佐藤は今が遠征任務中である事を改めて認識し直した。息を整えてから落ち着いて切り出す。


「では、差し当たって、西南戦争の英雄たる大佐殿は腹案をお持ちで?」

「……待機だ。未だレヴィと草部の妹が生きておる。彼奴らの報告を待ち、イドリスとやらのずい、蕃神信仰でいう霊験れいげんの仔細を知ってから対抗策を練り――」

「その必要はありません、弓削様」


 説明の途中に横から口を挟んだのは、戦闘開始時より事を静観していた北條嘉守ほうじょう よみもり旅団長である。彼女は嫋やかに立ち上がると、男二人に流し目をくれてやった。


「私が出ます」

「……お、恐れながら申し上げます」

「なんでしょう。佐藤幕僚長」

「『ユメタタカカラズ』……纏骸皇の威光は別なる地球までは及ばぬ故、と。纏骸皇直々に釘を刺されている事を、まさか、お忘れでは――」

「そんなもの知った事ではありません」


 この女は何を言っているのか。佐藤は驚愕した。そして、その内容を呑み込むにつれ、抑え切れないほどに込み上げてくる笑みを若干ばかし外に漏らしながら、言葉をつないだ。


「……纏骸皇の言葉を『知ったことではない』……と?」


 不敵にして不敬な面構えから放たれた言葉に、北條はまず、自らの堂々たる所作を以て回答とした。


 むくろ、励起。


 それは――衛府えふに連なる高邁こうまい氏素性うじすじょう

 往古来今おうこらいこん貴種きしゅとは一日いちじつにしてらず、流離さすらい幻想でんしょう天神地祇てんしんちぎをも基趾きし心得こころえうずたかしかばねの上にのみって立つ。

 崩れゆく腐肉ふにくにぶくも玲瓏れいろうたる宝相華唐草文ほうそうげからくさもん金剛魚々子地こんごうななこじりし金無垢きんむく柄頭つかがしらつかつば帯留おびどめこじり、土中の万骨ばんこつが新雪の如く研ぎ澄まされし三尺一寸七分、毛抜形太刀けぬきがたたちの刀身、剥離はくりせし人皮にんぴ沃懸地螺鈿いかけじらでんさやれり。其故それゆえ、彼女は斯くもごうを打ちたりき。


飜譯不能ゴノク - YOuヨゥ/kUGクッ/t/yU/OK - 驕傲きょうごう


 北條の腰元に現れたる豪華絢爛、華美たる沃懸地いかけじの鞘。その鯉口に乗っかる、毛抜形太刀特有の透しを施された金無垢の共柄ともえが嘗ての箱入り娘の白く細長い指に握られるや、ほのかに濡れる凜冽りんれつたる新雪が現世に映し出されてゆく。


「私の記憶が正しければ、その文言には但書ただしがきが付きます。『余程の事情が無い限り』……とか、その様な。彼処に居るレヴィ少尉は私の友人であり、危機的状況下にある。それで事情は十分です。――弓削様、後は任せました」

「……応」


 現地に於ける最終決定権は旅団長たる北條が持つ。それ故、弓削は不服ながらも頷き送り出した。否、送り出さざるを得なかった。


「こんの、お転婆娘が……出るなと言っておるだろうに……」


 矢庭に遠ざかってゆく背を睨みつけながら、弓削は恨めしそうにポツリと呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る