2-3-4 宮城支部奪還 その2



 一四〇〇ヒトヨンマルマル。宮城支部周囲二百メートルに立ち込める異様な緊張は、遂に臨界点を迎えようとしていた。

 自衛隊、機動隊による蟻の子一匹とて通さぬ円形の包囲の中へ、ずかずかと勇ましく踏み入る一団があった。鮮やかな彩色を施された威風、異風、別なる地球の兵ども――近衛旅団、レヴィ少尉率いる第三歩兵小隊と草部仍倫くさかべ なおみち准尉率いる第一歩兵小隊である。彼等の目に灯る意気軒昴の光を見れば、その誰しもが玉砕の覚悟をハラに決め込んでいる事は明らか。

 近衛旅団の兵どもが前進を止めた所で全ての配置は完了。後は決行の合図を待つのみとなった。

 すると、その様を道路ひとつ挟んだビルの屋上にて睥睨していた、近衛旅団副旅団長、弓削清躬ゆげ きよみ大佐が間髪入れずに大きく息を吸い込み始めた。筋肉と胆を練り上げる彼独自の呼吸法である。そして、たちまち己が肉体を真に支配下に置くと同時、彼は宮城支部に対して半身になり、バッと弓手ゆんでを前に突き出すような姿勢で、自らの精神體アストラルび掛けた。


励起レーキ……!」


 それは――地位にそびえし業鬼。

 弱肉強食、群雄割拠の乱世に台頭せし旧家は、平定治世に於いても有備無患を怠らず、代々胤嗣いんしたる筆頭男子おのこ武士もののふ胚子はいしを植え付けた。

 くて、常在戦場の銘肝めいかん矗立ちくりゅう十六尺、しなやかにして純白なるロジウムの湾曲、外縁がいえんを取り巻く剣葉竜血樹けんようりゅうけつじゅ末弭うらはず本弭もとはずとを一直線に繋ぐ、幼兒おさなご前膊ぜんはくにも近しき差し渡しを誇る炭化鎢タングステンカーバイド鋼索ワイヤーに成れり。


肆句シノク - 自彊じきょうせし/がい/雄邁ゆうまいの/璽繊魄じせんぱく - 天梔弓あまのはじゆみ


 弓削清躬の身丈八尺の倍、十六尺を誇る【巨大なる剛弓】は、重量百キロを優に超える為、到底、人身に支えきれるものではない。その使い手たる弓削も、弓を掴んだ瞬間から重力に引かれて強烈に落下し始めた弓手ゆんでの動きに一切逆らわなかった。自然、その直後には、針の様に鋭利な弓の下部の本弭もとはずがビル屋上のコンクリートにめり込んでいた。

 弓削は旧家の生まれである。それ故、武装励起を自覚する以前から武芸十八般には明るい。だがしかし、この【巨大なる剛弓常識はずれ】を前にして、果たして万人に向けた型通りの訓練など意味を成すだろうか。

 ――否。弓削の答えは否であった。

 弓手ゆんで馬手めての五指をピタリと揃え、冷たく硬質なにぎりワイヤーを強引にそれぞれ手中に収める。そして、湖畔の森に棲む怪鳥ステュムファリデスを射たΗρακλήςヘラクレスの様に、渾身の力で以て剛弓を。宛ら、両開きの扉を開くが如き所作。これこそが弓削清躬という男の答。有象無象の杞憂を桁外れの膂力りょりょくでぶっ千切って編み出した、第三次元唯一の発射体勢である。

 バキッ……バキッ……。

 背筋を凍らせ、心胆を寒からしめる嫌な破裂音が、剛弓、或いは弓削清躬の身体、或いはその双方から鳴り響く。

 限界を越えた「会」の状態。

 その崩壊閾値寸前――膂力に軋む全てが、不意に解放された。瞬間、何らかのエネルギーによって象られた【矢】が現出した。これまでは誰の目にも、弓削本人の目にも映っていなかったが、矢は既につがえられていたのだ。

 蒼白く発光するエネルギー。それは、元に戻ろうとする弓の反発によって放たれ、その過程で収斂しゅうれん、凝固。鋭利な直線を描きつつ飛翔していたが、ある中空で突然に【拡散】した。

 関係者以外には「新兵器を用いた米軍の先制爆撃」だと説明されている天梔弓あまのはじゆみずいが、宮城支部の防弾ガラスの窓々に突き刺さる。刹那、着弾に伴って発生した衝撃波が残ったガラスを吹き飛ばし、地上の者達にまで襲いかかった。


「ぐっ! これが副旅団長殿の御力おちから……!」


 兵の一人も思わず慄く。

 予告はされていた。それ故に誰もが全身全霊で身構えていたが、その想像を遥かに越える衝撃に気圧されては、いくら直属の部下といえども動揺を隠せなかった。これ程まで威力ならば、我々の攻撃は不要なのでは? と、近衛旅団の兵たちは踏ん張りながら思う。

 しかし、衝撃波と舞い上がった土煙が収まった時、正面には著しく損壊した表面と、全く以てビクともしていない基礎とが在った。げに恐ろしきかな異能。大量の能力者ジェネレイターを動員しただけあって、その強度は核シェルターをも遥かに凌ぐ。

 これで終わってくれればという淡い総意を振り切り、自らに課せられた務めを果たすべく、草部仍倫くさかべ なおみち准尉が息を詰まらせながら号令を発し、いの一番に突出した。


「突撃――!」


 遅れて、第一、第三歩兵小隊が彼に続く。

 彼等の前方を阻む固く閉ざされた防弾ガラスのドアに、ひとり先陣を切る草部仍倫の背後から発射された無数の援護射撃が罅を入れた。直後、草部仍倫は力任せに肩から体当たりを敢行、ガラスをぶち破った。

 すると、それに併せて宮城支部一階、入口の正面に設けられた受付のデスク下から、今か今かと侵入者を待ち構えていた黒衣の集団が一斉に飛び出した。彼等の両手に構えられた統一感のない雑多な銃口が、ひとり突出した草部仍倫に向けられる。

 先走れば、こうなる事は赤子にも理解出来よう。だが、それでも、だれ憚ることなく草部仍倫は突出した。愚かなる蛮勇か。否、これは実力に裏打された確固たる自信の掲揚である。


 励起レーキ


 それは――くさむらにこそ芽生える雑草いのち

 盈満えいまんせし万物、附属ふぞくせし草木枝葉くさきえだは、遍く、名付親かんそくしゃの存在を前提に実体を得る物なれど、世に雑草という名の草は無しとおのれアバく者。

 ひらけき厳父慈母げんぷじぼ肢体したい血風かぜひろがりて翻転はんてん、濡れる内容物ぞうもつはだぎの如くしかまつわりて、開明かいめい外郭がいかくたるニッケル半纏木ユリノキ面頬めんぽお、兜、鎧へと反転、滴る血潮は啄木組たくぼくぐみ斑点はんてんをも塗り潰さん緋漆ひうるしへと反転せり。

 アア刻下こっか盤纏はんてんついやし半天はんてんをも覆わん。


貳句ニノク - 片意地かたいじの/猩々緋しょうじょうひ - 緋漆塗啄木糸縅具足ひうるしぬりたくぼくいとおどしぐそく緋漆塗六十二間筋兜ひうるしぬりろくじゅうにけんすじかぶと


 一瞬、彼の全身が炎を想起させる赫赫かっかくと燃える粘性の光に包まれたかと思うと、すぐさま前へ進む速度が光を置き去りにし、精神體アストラルより引き出されたむくろの全容が明らかとなった。

 残光、靡く猩々緋。

 東端の地に生まれし鎧冑よろいかぶと――【当世具足一式】である。


「纏骸者だッ!」


 黒衣の中に混じっていた日本語話者の叫びと同時に受付の連中が発砲した。更に、前後して左右の廊下からも無数の銃口が現れ、遠方にも黒衣の影がチラついた。弓削の瑞は黒衣の大部分を削ったが、それでもこれだけの生き残りが存在していた。

 だが、草部仍倫は征く。圧倒的数的不利の真っ只中へ加速する。

 微塵も緩まぬ力強い踏み込みが、エントランスホールの平坦に磨かれた大理石の床に顕然けんぜんたる足跡そくせきを刻みつけてゆく。まるで、神性すら備えた骸を、その様なみみっちい火器程度で害しようなどという考えが間違っているのだと言わんばかりに。

 紛うことなき驕り高ぶりである。が、それを咎められる者など、少なくとも此時このとき此場このばには居なかった。


「――ッハァァァ!」


 緋漆塗の面頬の下で雄叫びを上げつつ、大型10tトラックも斯くやあらんという迫力で猛進する巨体は、己に降り注ぐ弾丸のほぼ全てを受け止めて、なお怯まない、止まらない。


「なっ……うっ撃て! 撃て!」

Feuerフォイアー! Feuerフォイアー!」


 左右から加わる十字砲火も全く意に介さず、もはや怒号から悲鳴に変わりつつある声で満ちる受付に勢いよく飛び込んだ。挨拶がわりの飛び蹴りが、間に挟まった火器ごと黒衣に包まれた骨肉を磨り潰し、続けて力に任せて振るわれた右の手甲が、腰を抜かして倒れゆく最中の頭を西瓜の如く粉砕した。

 正に【怪力】乱神の暴れようは、間近な受付内の信仰心を塗りつぶしてしまう程の「恐れ」を彼等に植え付ける。だが、戦闘を放棄しようにも、今からではもはや遅すぎた。恐怖の齎した致命的な硬直の内に、彼等は戦意喪失を申し出る間もなく、遍く“ふたつ”に泣き別れた。


「ゼンシン!」


 入口付近に待機していたレヴィ少尉が、手元に【大杖】を励起させながら、同じく待機していた第一、第三歩兵小隊へ号令を掛ける。受付が片付き、左右の銃撃も粗方のマガジンが撃ちきられて一段落したのを見ての判断だった。

 不壊をMCGに完全保証されている柱を盾にして、近衛旅団が制式装備である9mm機関拳銃の9mmパラベラム弾を前方に少しづつバラ撒きながらじりじりと戦線を上げてゆく。

 9mmパラベラム弾――軍用拳銃の弾薬として広く用いられており、日本でも自衛隊や警察の装備する小火器に採用されている。過去の対テロ作戦に際しても、MP5などのSMGと組み合わせて用いられた。

 近年では、防弾装備の発展、普及に伴い貫通力不足が指摘される事もあるが、今回の相手はボディアーマーなど来ていない。薄汚い黒衣のみだ。その上、訓練も満足に受けておらず、トリガーの意味合いぐらいは知っているが、その狙いの大半は曖昧であり、所々の操作に怯えや焦りの念が窺えた。

 戦況は早々に一方へと傾きつつあった。

 近衛旅団の方は一糸乱れぬ動きで危な気なく黒衣の的を撃ち落としてゆくのに対し、蕃神信仰の方は標的を捉える事にすら難儀しており、更には運良く発生した流れ弾もレヴィが操る壁に阻まれる。その間にも草部仍倫が最前線で大いに暴れ、逃げ遅れた者を次々に戮す。

 そんな途轍もなく思わしくない状況下に於いて、黒衣たちが誰一人として未だ逃亡に至らぬ理由は、何も、常軌を逸した信仰心だけに非ず。

 その時、近衛旅団に先んじての登場に気付いた黒衣のひとりが、彼等の大幅な遅刻を韓国語で罵った。


『遅えんだよ!』


 と同時に、近衛旅団の形成する団体行動の一角が不意に乱れた。


「敵の援軍が現れました! 単色反応――五、赤色! 全て纏骸者てんがいしゃです!」


 ヘッドセットから伝わる通信士の報告に、レヴィと草部萌禍くさかべ もえかが色めく。


「来マシタネ! 奴等ニくみスル纏骸者ガ! 萌禍チャン!」

おうとも! レヴィちゃん!」


 纏骸者の来襲を予期し、備えていた草部萌禍が、前触れなく現れた新手の元へ意気揚々と駆けつける。反応は混色ではなく単色。この事実は、新手は異能処置を受けていない事を意味する。想定を遥かに下回る戦力に萌禍の内心は勢いづいた。

 レヴィもそれを追いながら全体を二手に分けた。第一歩兵小隊は継続して草部仍倫准尉の援護へ当たらせつつ、第三歩兵小隊は自身の援護へ。迅速にして果断。数年に渡る士官教育の賜物か、大きく間違ってはいなかった。

 しかし――もし、この時のレヴィが、新手の詳らかな配置を把握していたならば、如何いかに自らの護衛でもある草部仍倫の力量を信じていたとはいえ、第三歩兵小隊の半分でも彼の元へと回していた事だろう。何故なら、突出して前線を掻き回し続けている草部仍倫の周囲には、彼の前後左右にそれぞれ一人づつ、合わせての新手が忽然と現れていたからだ。

 四名は、何れも、蕃神を信仰する者ならば身に付けて然るべき黒衣を纏っていなかった。更には、通信士の報告にあった「単色」の情報を加味すると、ひとつの可能性が浮かび上がる。


「傍観者――雇われかッ!」


 容易にそう決め付けるのは危険だが、ここは一瞬の判断が生死を分かつ戦場。草部仍倫は己が目で見、己が耳で聞き、己が鼻で嗅ぎ付けた判断に信を託しつつ、最も距離の近かった右方の者へと流れるように方向転換した。

 対する右方、廊下の奥に現れた全くの普段着の男が、銃撃を弾きながら迫り来る草部仍倫を睨め付け、叫んだ。


 Возбуждение!


 一瞬の発光の後、彼が天に向かって掲げた左手には【細長い剣】が収まっていた。その刀身は彼の身の丈を優に凌ぎ、宮城支部一階エントランスホールの高い天井をトン――と突く。すると、細剣は自身に備わるを、さも今思い出したかの様に鞭の如きしなりを発揮し始め、重力に従いて滑らかに折り畳まれてゆく。

 ――来る! 不意に、草部仍倫の本能が攻撃の気配を察知するや、男はまるでリボンを扱う洗練された新体操選手の様に、或いは水切り石を投げる悪童の様に、全くの力感りきかんを悟らせぬ洗練された動作フォームで細剣を揮った。

 細剣は鞭の如き撓りの他、鋒鋩へ向かう程に細く、軽くなっているというを持っていた。それ故に、込められたエネルギーの損失は先端へ向かう程に著しく減少。

 風切音は――パァン!――遅れる。

 音を置き去りにした神速の剣撃は人間の反射速度を超越ぶっちぎり、彼我の間で、健気にも援護射撃に徹していた不幸な黒衣たちをついでに引き裂いて、防御の為に差し出されていた右の緋漆手甲を砕いた。


「ぐ、重っ……!」

『ほう……中々やる』


 男は剣撃の衝撃で弾んだ細剣を引き戻しながらロシア語で讃えた。今の攻防、出会い頭の薙ぎ払いが防がれてしまった事実が偶然の産物でない事は、草部仍倫の見せた淀みない防御動作に明らかだった。

 軽く揮うだけで優々と音速を越え、空気を叩き、ウィップよろしく衝撃波ソニックブームさえ生ずる細剣だが、それを支える腕、肩、胴体、両脚はどうだろうか。言うまでもないかもしれないが、「音速」なんてものとは比べるも烏滸がましい遅々とした速度である。

 プロ野球選手でも腕を振る速度は100km/h前後程度と言われている。この男の場合は、握る物が球でなく剣であり、尚且なおかつ、鞭の如き撓りの制御を考慮しなければならず、流動的な戦況故に投手ピッチャー投球動作とうきゅうモーションだけに全身全霊を用いる様には剣を揮えない事を踏まえれば、男の比較的に幾らか緩慢な動作フォームから細剣の軌道を読み取り、寸刻、遅れて来たる神速の攻撃を防ぐ事はして不可能ではない。

 とはいえ、それを出たとこ勝負の戦場に於いて一発で極めてみせる才気、戦闘勘には、其処らでくたばっている凡俗の輩に比して一線を画するものがある。

 草部仍倫の纏う【鎧】を見た時に立てた、「防御の上からでも【加重】を用いて脳を揺らせば」――という当初の目論見は簡単ではなさそうだと、男は内心で舌を巻き、自身に有利な間合いを保つべく速やかに後退を始めた。

 だが、それを黙って見過ごす草部仍倫ではない。

 引き戻されつつあった細剣が、不意にグイッとつっかえる。予想だにせぬ抵抗、その強さに、男は後退の足を縫い留められた。


『何――がッ!?』


 そこへ、更に加わった凄まじい【怪力】の催促によって、男の肉体が前方へと猛然と引き出される。

 離れてゆく床に送る惜別の視線を打ち切り、男はようやく気づく。己が細剣と罅割れた緋漆の右手甲に黒衣の断片が纏わり付いて、両者が緊々ひしひしと繋げられている事に。

 アレは……連中の黒衣! 野郎……俺の剣を防ぐばかりじゃなく、捉えやがったってのかッ!? それも、で!

 到底、人間業ではない。男は心中の戦慄を表に出しながらも、【加重】を用いつつ左手首の返しだけで細剣を揮い、中間の刀身を暴れさせる事で攻撃と黒衣の切断を試みる。が、全ては遅すぎた。空中に身を引き出され、自由を奪われた時点で男は詰んでいたのだ。

 その時既に、橋渡しの黒衣は手甲から離れており、当の草部仍倫は男の懐を目掛けて深く踏み込んでいた。それにより細剣の動きは空振り、意味をなさなくなった。


「デッド……ヒィィィィトォォ!」


 大袈裟なまでに振りかぶられる左手甲。その手甲が形作る鋭利過ぎる手刀が、男の脳裏に明確な死のイメージを投影する。


『ぐっ……なっ、こんなところで、死――』


 高速で距離を詰め合った両者は交錯し、また、同じ速度で離れてゆく。違うのは、両者の間に男から引き出された褪紅ピンク色の帯が一直線に棚びいている事。


「まず一人!」


 残りは三!

 左手甲に絡み突く臓物を振り払い、地に伏せる男の方へと振り向いた草部仍倫は、骨の砕けた右手を握りしめて再び受付を目指した。



    *



 俺がなんとなく立てていた予想に反して、始まりは実に静かなものだった。


「時間です。第二班、突入して下さい」


 オペレーターの落ち着き払った冷静沈着な声が時刻通りに響く。と同時に、前方のワープゲートが一時的に再び開かれた。俺たちは戸惑うことなく、そのワープゲートを潜った。

 一瞬、視界と意識が混濁した後、眼前には似たような地下室が広がっていた。至って綺麗なまま。恐らく、ここに侵入される前に隔離処置を施したのだろう、傷ひとつない。照明もしっかり点いている。これじゃあ、出発前に灰崎さんから貰った懐中電灯は無駄になってしまったかな。

 他支部の地下に来たのは今回が初めてだが、東京支部のそれと変わりはない。

 ざっと見たところ敵影はなし……探知機レーダーにも反応はなく、敵が隠れていそうな場所も見当たらない。

 背後から少し遅れて藤さんも来て「先へ進もうか」という所で、ヘッドセットからさっきとは別のオペレーターから指示が飛ぶ。


「こちら代わりまして比良ビラです。報告によると、宮城支部のエレベーターは止まっている様です。非常用階段を使用してください」

「非常用階段? そんなものありました?」


 確か、東京支部には無かった。見た所、それは宮城支部も同じで、止まっているらしいエレベーター以外に道は無さそうだが……。

 しかし、オペレーターはクリアな声で肯定した。


「はい。天海祈あまぎ いのり支部長からは『六道が知っている』……と」


 六道さんの方を見ると、彼女は力強い頷きとサムズアップを返してくれた。

 ……ほんとに大丈夫か? まあ、取り敢えずは任せてみるとしよう。天海が噛んでるみたいだしな。キナ臭い事に。

 と、そんな風に脳内で管を巻いていると、ひとりエレベーターの方へ歩み寄った六道さんは、手際よく扉の隣の操作盤のカバーを外して、剥き出しになった所に何処からともなく取り出した支給用タブレットを接続し、黙々と操作し始めた。中々、様になってはいる。


「おお~! むっちゃん、なんかプロっぽい手際! プロフェッショナル! 痺れるわぁ~憧れるわぁ~」

「そうでもある」


 それ程の間を置かず、エレベーターの扉は音もなく開いた。その先には、普段乗り込むような籠はなく、代わりに暗澹たる薄暗闇がぼうっと広がっている。

 しかし、六道さんはすごいな。麻薬カルテルの時、千覚原さんの部屋をこじ開けてみせたピッキング技術は空き巣の経験によるものだろうが、この知識、技術は一体、何処で培ったものなのだろう。


「いこう」


 タブレット類をその場に投棄した六道さんが、言葉少なに先んじて暗闇の中に踏み出していった。それに続くべく、薄暗闇を注意深く覗き込んでみると、確かに籠に干渉しない位置に階段は設置されており、六道さんもそこに立って手招きしていた。

 俺と藤さんは、おっかなびっくり、下に落ちないように慎重に移動する。非常用階段の側面には赤いライトが埋め込まれていて、足元はぎりぎり輪郭が分かる程度に照らされていた。


「ここは地下五階に相当する深さ」

「へ~!」

「急ごう」


 と言って、六道さんが駆け出した。俺たちは、その提案に頷き、後に続く。

 見上げても、見えるのは暗闇ばかり。果たして、そんなに深くする必要が何処にあるのだろう。防衛面を考えて? なら、ここまでは突破されていないのだし、その試みは成功している。

 幾重にも果てしなく折り重なる鉄材の階段は、強く踏み付けるたびに騒がしくカンカンと鳴く。その音に耳を傾けながら駆け上がること数十秒、ふと、真横に大きな影が現れた。「なんだろ……」と呟く藤さんに、六道さんが答えた。


「かご。エレベーターの」


 少しのぼりながらよく見ると、影の天辺におぼろげなワイヤーらしき影が付いていた。こんな所で止まっていたのか。恐らく、隔離処置の影響だろう。……これはふと思い至った、ただの可能性に過ぎないのだが……この中に未だ蕃神信仰の奴らが乗ってたりはしないよな……?


「ちょっと待って……何か、聞こえない?」


 タイミング良く発せられた藤さんの言葉を受けて、内心で「嘘だろ」と吐き捨てながらも耳を澄ませてみる。すると、確かに、何やらこもった感じの声が微かに聞こえた。が、その出処は籠ではない。もっと遠方、微妙に反響して捉え辛い何処かから、徐々に、徐々に、靴音を伴って近付いてくる。

 その時、常に意識の幾らかを回していた探知機レーダーの画面上に、まだらの混色反応が二つ現れた。間違いない『蕃神信仰』だ、すぐに二人にもその情報を伝える。

 すると、藤さんが「会話が聞こえる」と小声でいい出した。


「フランス語? と……なんだろ、フランス語ともう一方は、よくワカンナイ言語を使って会話してる。でも、なんで別の言語同士を使って会話を……?」

「藤さんはフランス語が?」

「いや、なんとなく雰囲気で、そうかなぁと……内容までは……」

「しっ」


 六道さんが口元に指を添え、沈黙を要求するのと同時に、俺たちの頭上からギギギという音と光が漏れた。俺たちは思わず息を殺し、縮こませた身を物陰に潜める。


『――――――――』

『――. ――』

『――』


 遠方に聞こえていた男女の外国語を用いた会話が、今度は明確に聞こえて来た。チラと声の方角である上方を見やると、開かれた扉らしきものと靴先が見えた。あの光に照らされている扉は地下で見たもの、もっと言えば東京支部にある扉と相違ない形状、見た目をしている。

 間違いない、ここまで登ってきた距離を考えても、ここが目的地であるエレベーターの出口だ。

 男女の風体は直視できなかった。しかし、六道さんの導きに従って見た前方には、男女の細い影が映し出されていた。

 俺はハンドサインを用いて「殺しますか?」と聞いてみる。一応、第二班のリーダーは六道さんだ。すると、返って来たのは「待機」のサイン。俺たちは、敵の背後へ忍び寄り、密やかに殲滅するよう『隠密行動』を申し付けられている。機を伺い、不意を突くつもりという事なのだろうか。


『――』

『――――』


 その時、影の方に動きがあった。男女は共にしゃがみ込んで、床に置いてあったらしい何かを持ち上げ――此方に投げた。

 ガン! と、大きな衝突音を昇降路シャフト内に響かせながら、投下物は籠の天辺に落下した。その衝撃で飛び散った血液が俺の顔にもかかる。目元を顰めつつ、こちらを黒衣の間からじっと見つめてくる虚ろな双眸から視線をそらした。


『――――――――』

『――』


 踵を返し、遠ざかってゆく靴音。時を同じくして、オペレーターである比良ビラさんの声が耳骨に直接響く。


「第一、第三歩兵小隊が想定を越えて苦戦しています。屋上の第一班も待ち構えていた敵と交戦中。第二班も急いで加勢してください」


 俺達は無言で顔を見合わせて、突入のタイミングを見計らう。すると、六道さんが自らを示して指を一本、俺と藤さんを示してまた指を一本と立てた。その意図を組み、互いに頷き合う。

 彼等が力尽くで開いた扉は閉められておらず、そのまま人が通るには十分な程の隙間を保っている。俺たちは音を立てぬように注意深く移動して、すぐに飛び込める場所に位置取りした。

 準備完了と共に、六道さんの指が折られてゆく。3、2、1……俺と藤さんの肩が同時に叩かれたのを合図に、扉の隙間へと身体を捩じ込んだ。


『Hein?』


 物音に振り向いた黒衣の男女。その片割れである女の間抜け面に、減音された銃撃が突き刺さる。一方の無事な男は、寸分の狂いなく急所を撃たれて倒れゆく女の身体を目で追い、そして瞬時に慄き、本能のままに大口を開ける。その口は『Générateur!?』と、そう動いた様に思えた。

 正解だ。見えていないだろうに良く分かったな。

 しかし、音とはならない。すかさず、俺が男ののどぶえを握り込んだからだ。ぶくぶくと血泡を吹き上げる男。その脳天に、藤さんの【ドミネーター(仮)】から放たれた不可視のエネルギー弾が打ち込まれると、被弾部である脳天は即座に膨張、破裂した。


「ヒュ―ッ」


 と、六道さんが気障ったらしく口笛を吹く。同時に俺たちを包んでいた透明化が解けた。

 手中の肉片を投げ捨て、男女が向かっていた方角を見やる。東京支部とは少し趣の異なる白一辺倒の廊下は、その配色の所為か遠近感が非常に掴みづらく、まるで果てが存在しないのではないかと錯覚してしまう。だが、そのお陰で黒衣が現れた時はすぐにわかりそうだ。現在は敵影なし。一目瞭然であるが、一応探知機レーダーも確認する。こちらも反応なし。

 俺は二人とアイコンタクトを交わす。そして、互いに頷きあってから、先を急いだ。



    *



 時は再び戻り、十四時。

 弓削清躬ゆげ きよみによる攻撃の直後、段睿だん るいの異能によって、宮城支部屋上庭園の空気が四人へと置換された。灰崎炎燿はいざき えんよう神辺梵天王かんなべ ブラフマー茱萸グミ金營蕗かなえ ふきの四名からなる『第一班』である。

 そのリーダーを任されている灰崎が、蕃神信仰に荒らされ、弓削に破壊されたお陰で却って見通しが利く様になった屋上庭園を見渡す。


「敵影は――なし。反応もなし。ま、他所からの報告で分かっていた事だが……」


 散乱する瓦礫の隙間などの敵が隠れていそうな場所を確認しつつ、取り出した密造銃を油断なく構える。

 すると、突然、追って現状を把握した神辺が小声でたんじ始めた。


「おお、なんと無惨むごい有様……ヘッドセットから入る報告に聞いていましたが……嗚呼、むざんむざん……」


 南無南無と周囲に転がる死体に念仏を唱える神辺。


「オイ! 変なコト言ってないで気ぃ引き締めてくれよ、似非エセシスターさんよ。今回はマジに頼むぜ。この中で防御できんのはオメェだけなんだからな。探知機レーダーがあるとはいえ、その精度はまだ命を預けるには足りない。索敵を怠るなよ」


 灰崎の吐いた切実な言葉を受けて、神辺は「任せて下さい」と誇らしげに胸を張った。やはり緊張感に欠ける態度。しかし、余りに堂々としすぎていて、灰崎は注意する気にもならなかった。

 次に、灰崎は茱萸と金營の二人組カップルを一瞥した。不安材料の“その二”である。


「ねぇ、グミたん、大丈夫かな。いきなり連れてこられて、オレ、不安だよ……武器もないし……変なのがコッチ見てるし……」

「不安に思うことはないわ。何時も通り、何時も通りの事をすれば良いのよ。さあ、ワタシの胸に触れて……」

「ぬく、ぬく、ぬくい……」


 緊張感を欠いているのは彼等も同じで、狂っているのか、それとも異常に肝が据わっているのか、敵地にも関わらず楽しそうにイチャイチャと乳繰り合いを続けている。すっかり「二人だけの世界」だ。


「……ったく。これで死んだらマジに恨むぜ、天海よぉ……」


 灰崎は、胸中を頻りに掻き毟ってくる不安を気合で圧し殺しつつ、ヘッドセット越しにオペレーターへと呼び掛けた。


「下に、進めば良いんだよな?」

「はい。――今、陽動部隊が突入しました」


 足元の方角から叫び声と銃声が聞こえてきた。どうやら、戦闘が始まったらしいと彼等は知る。


「敵の注意は一階に向くと思われますので、出来る限りの『隠密行動』を心掛け、速やかに背後から敵を殲滅してください」

「はいはい――と、そうだ」

「なんでしょう」


 背後の連中に支持を出し、ゆっくりと前進しながら灰崎は切り出す。


「今日は何処まで免責されるんだ?」


 普段のレッドチームの業務では『勧告』をする事で過失致死までは免責される。が、こんな時にまで馬鹿正直に勧告する訳にもいかない。一体、何処まで許されているのか。灰崎はそれを知りたかった。

 ペラペラと何かを捲る音がした後、オペレーターが息を吐き出した。


「……外患誘致以外は大体免責されます」

「ほー、そりゃすごい。――オイ! ボケ共! 今のちゃんと聞いてたか? 敵を見たら躊躇せずに殺せ。それも静かにな。……マジに頼むぞ! はぁ……ったく」


 半ば真剣マジに懇願する灰崎。しかし、茱萸も金營も「二人の世界」から帰ってこない。

 ため息を吐いて丸くなった灰崎の背を、その一因である神辺が惚けた顔でポンと叩いた。


「まぁ~、そんなに警戒する事はないでしょう! ふつー、屋上に向けて罠なんて仕掛けます? 地上でしょう、地上」

「アホ、軍隊にだってHALO降下とかあるだろ。多少なりとも備えがあった事は、その辺に転がってる死体に確かだ」

「……細かいことは気にしない!」


 痛い所をつかれた気恥ずかしさを大声でごまかして、神辺は喜び勇む小走りで灰崎を追い抜きスタコラサッサと階段のある塔屋を目指した。


「おい、待てよ。俺は色々と準備してきてんだから――って、オイ!」


 灰崎が声を荒げたのは理由があっての事。しかし、結果として、それが神辺の意識を惹き付けてしまった。


「不用意に触ってんじゃ――」

「――へ?」


 声に振り向きつつ、神辺が塔屋のドアノブを引っ掴む。その不用意な行動を、灰崎は咎めたかった。声を荒げて非難したかった。しかし、その瞬間に、眩い[青光]が溢れ出、屋上庭園を埋め尽くした為に途絶されてしまった。

 防御ができるのは自分だけ――求められた役割を果たすべく、彼女なりに気張っていたが故の空回り。

 リーダーは自分――皆の生命を守るべく、彼なりに気張っていたが故の裏目。

 ――罠! その光を最も近くで見ながら、顔を顰めるでもなく、逸らすでもなく、唯、じっと目を見開き、こんながあるのか、と神辺は思う。

 今、まさに、灰崎が話したばかりだ。こんなに間の悪いことがあるか! ……いや、違う、これは私が不用意にドアノブを掴んだばかりに起こった、必然の――。


「離れろ! 神辺!」

「燃え――灰崎!」


 雷に打たれた様に硬直していた神辺を灰崎の左手が突き飛ばした。それは、何かの理論に基いた行動ではなく、極めて本能的な行動だった。ドン、っと小柄な体が蹌踉めき、扉から遠のくのと前後して青光は一気に集束を始める。やがて、青光が収まった時には、まるで最初から何事もなかったかの様に、そこにはプラプラと揺れる扉だけがあった。


「は、灰崎が……消えた……!?」


 茫然自失の神辺。第一班を襲う異変を察知し、頻りに耳骨を振動させて呼びかけるオペレーターの声も、今は届いていない。まもなく、その動揺は背後に居る金營にも著しく伝播した。


「グ、グミたん……! 今の……!」

「来て、近くに。そう、しっかり掴まって」


 茱萸グミが保身のために金營蕗かなえ ふきを抱き寄せながら、煩わしいからと切っていた自らと彼の骨伝導ヘッドセットの電源を入れた。

 残された三人が現実を見つめ直し、警戒を強める中、全ての背後から場違いな程に軽やかな幼い声が響いた。


「おお! 見たかい、兄よ。本当に庇ったよ」

「見た、見た、妹よ。あのイケ好かない黒人の言った通りになった」

「予知を決め込むよう奴なんて、詐欺師ばかりと思ってたよ。ワタシは」

オレもよ。培ってきた信仰が音を立てて揺らぐかの様だ」


 振り向くと、神辺より背丈の小さな六道よりも更に背低な男女二人の童子が、瓜二つの顔を笑ませ、手を繋ぎ、小高い瓦礫の山頂から三人を見下ろしていた。

 童子らが纏うは黒衣。しかし、蕃神信仰の普遍的なそれとは少し趣が異なっていた。蕃神信仰が小さな布、皮を継ぎ接ぎした様な貧乏仕立てなのに対し、童子らの服はゆったりとした高級な仕立てで、大きな一枚の布から作られていた。更に、頭部には中世に広く流布された魔女の様な、或いは一角獣の如きトンガリ帽子を被っていた。


「『予知』……?」


 怒りやら何やらを越えて湧き上がってくる不可思議なやるせない心情を口元で噛み締めながら、神辺は振り向きざまに針状に體化たいかした光子を複数本投擲する。距離減衰によって崩れゆく光子が直線の軌道を彼我の視界に刻み込む。

 当たれば必殺。狙いは良好。しかし、命中寸前、硬質な衝突音が響いたかと思うと、體化光子の針たちは大きく彼方へと弾かれてしまった。防御されたか? そんな風に訝しむ三つの視線を受けて、クスクスと童子らは嗤う。


「ちょっと待ってね。戦う前に貰った台詞があるから」

「言わなきゃいけないの。これも予知らしいから」


 たっぷりと、溢れんばかりの余裕を伴って、神辺たちから向かって左、男の童子が懐から紙きれを取り出した。そして、紙きれを正面に持ってくると、何をしでかす気なのだと身構える三人の前で、童子らは声を揃えて堂々と読み上げた。


『我等は盤上の両端にて二段目を務む! 左車さしゃのレㇻーグ/右車うしゃのアッㇳマーなり!』


 短い名乗り口上を述べ、役目を終えた投げ捨てられた紙きれが宙空を舞い、その下から童子らの笑みが現れた。その、年に似合わぬ捻くれた笑みに、神辺は胸を締め付けられるような思いに駆られた。


「何を言っているのか意味がよく分かりませんが……怪しげな宗教にカブれた童子とは! その笑み! 灰崎の消失はさておき共感シンパシーを禁じ得ません!」


 分からないのはお前も同じだよ、とその背後で金營かなえがボソッと言う。それでも「聞こえません! 何も聞こえませんよ!」と振り切って、神辺は更に傾く。


「――しかし! 今は仇! この手斧フランキスカの血錆となってもらいます! 堂々と身を晒した余裕を罪と共に悔い、精々、死ぬまでの猶予時間内に懺悔の用意をしておきなさい!」


 修道服の下から二挺の手斧フランキスカが勢いよく這い出て、神辺の両手に備わった。それを見て、童子らはまた楽しそうにカラカラと嗤う。


『これまた予知通りの台詞をありがとう!』

「けど、安心して!」

「蕃神信仰の教義によると神楽舞かぐらまいの行方は指手さしてとやらにしか読めない事になってるから!」

「予知は禁忌タブーなんだってさ!」

『いざ、正々堂々と――勝負!』

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