2-3-3 宮城支部奪還 その1



 MCGの支部に似せた空間の中、アラビア語の男声が張り上げられる。


『急げ、もうすぐ奴等が入ってくるぞ!』


 部屋中を忙しなく動き回るクローン部門の研究員たちを前にして、彼等を率いる部門長は非常に焦っていた。

 現時刻は既に十三時。MCG機関に入り込んでいる蕃神信仰の間者によれば「決行は十四時」とのこと。つまり、猶予は残り一時間しか無いというのに、目下の撤収作業は全くと言って良いほど進んでいなかった。

 彼等研究員たちが居るのは、蕃神信仰が地球遠征に際して用意した二つの第三次元拡張領域の一つ。主に、研究スペースとして使用されている『胚胎はいたいの間』だ。現在、この拡張領域の一部を分割して「足止め」に用いる作戦が進められており、彼等はMCGに情報を渡さぬよう、資料や機材の撤収作業を進めているのである。

 大型の精密機器などは人力ではすぐに動かせない為に、そのまま新たな拡張領域に取り込む予定だが、そうでない小型のものを撤収するだけでもデスクワーク中心の研究員たちには堪えた。

 作業の最中、一人の研究員が、共に機器を運ぶ他の三人へ向けて小声で愚痴る。


『なあ、オカシイと思わないか?』


 マレー語だった。その隣で共に機器を持ち上げている別の研究員が、自分が話しかけられている事に気付き、辺りを見回して自分たち四人以外には廊下に誰も居ない事を確認してから、同じく小声で応じた。『何が?』とフランス語で。


『オレ達、クローン部門の研究は成功した。それはお前も同意する所だよな?』

『ああ、そうだな』


 成功という言葉に同意しながらも、フランス語の彼の喜びは薄い。研究は実を結んだが、求める所には結びつかなかったと、知っているからだ。


『しかし、どうも「駄目」らしい。まっさらなクローンには因果が「無い」とか「薄い」とか』

『いや、「駄目」なんかじゃない! 文句なしの成功だ! 恩賞を受けて然るべき成果だ!』


 マレー語の研究員は隠すことなく胸中の不満を表出させた。自己などは崇高なる目的の前に矮小なる一部に過ぎないと割り切っているフランス語の研究員に対し、マレー語の研究員にとって崇高なる目的に参加しているという事実は彼の自己を肥大化させるに十分なものだった。

 とどの詰まり、彼は、理想と、現実の辛い撤収作業の落差に、強いストレスを感じていたのだ。


『アレは成功……しかし、現実はどうだ。オレ達、クローン部門の研究は規模縮小、撤収作業まで押し付けられる始末。それに比べて……キメラ部門の奴等を想像してみろ。今頃は悠々自適にの面倒でも見ているこったろう――ぐっ、うぁ――』


 際限なくヒートアップを続けていた恨み節は何の前触れもなくプツリと途絶し、その代わりとして彼の口からは苦痛の呻きが漏れ出た。小型の機器を支えていた彼の手が脱力し、フランス語の研究員に重量が片寄る。


『うわ、重っ……! 一旦、降ろせ! 降ろせ!』


 慌てて機器を床に降ろすと共に、小型の機器に絡みついていたマレー語の研究員も地面に倒れ伏す。まるで、プツッと糸が切れた人形のように。それを見た研究員たちから血の気が引いてゆく。

 そこへ、アラビア語の怒号が響いた。


『クローン部門の規模縮小は地球遠征の指導者メンターである奔獏ほんばく様の決定であるぞ! 貴様如きが口を挟むな!』


 廊下内を反響する声に振り向くと、部門長がまっすぐに伸ばした右手を力強く握りしめていた。

 フランス語の彼が真摯に謝罪する。


『す、すみません、部門長。私語は慎みます』

『いい。では、お前と――そこのお前』

『わ、私ですか!?』


 部門長は、フランス語の研究員と、機器の反対側を持っていた二人の内の一人を指して、新たな指示を通達する。


『機器の類を運び終えた後に、その死体を拡張領域外に捨てておけ。ソイツは戦死したものとする』

『はい』

『は、はい』


 フランス語の彼と違い、とばっちりで仕事を増やされた研究員は露骨に反感の表情を形作るも、再び黙って機器を運び始めた。

 蕃神信仰は徹底した序列社会。纏骸者を含む信者たちは一~十二まである段級だんきゅうに分別されており、高段級者の言葉は絶対なのである。多文化、多国籍の信者をまとめ上げる為には必要な事だ。

 ――しかし、とフランス語の彼は思う。考えてみると、アイツの言った事にも一理ある。

 クローン部門とキメラ部門は、共に『二番目の解』を求めて設立されたが、足掛け二年、クローンの成功も、キメラの失敗も、共に『二番目の解』には繋がらなかった。けれども、クローン部門が露骨に冷遇され始めているのに対し、キメラ部門には未だ人員と資金が集まり続けている。今回のMCGに対する大規模侵攻だって、キメラ部門の研究の発展に寄与するものだ。


 ……まさか、存在するというのか? 

 我々には知らされていない『三番目の解』が……。


 その発想に至った瞬間、彼の脳内には濃い霞が掛かった。それは、確固たる隠蔽の企図きと、悪意によって施された「思考停止」の仕掛け。そうして、知らず、半虚脱状態へ導かれた彼は、残った僅かな理性の働きで淡々と機器を運び続けた。



    *



 時を同じくして、出撃を目前に控えたレヴィ少尉とその護衛である草部仍倫くさかべ なおみち准尉、草部萌禍くさかべ もえか上級曹長の三名は、通信士らが慌ただしく準備を進める司令部天幕内にて、旅団長、副旅団長、幕僚長の三名を前にし、弓削清躬ゆげ きよみ大佐の短い訓話に耳を傾けていた。

 間もなく、短くも濃い訓話が終わると、今度は佐藤誠さとう まこと少佐が分厚い資料を手に進み出た。


「我々の作戦目標は第一に『揺動』、第二に『敵戦力の剿滅そうめつ』だ。宮城支部一階エントランスホールの見取り図は頭に叩き込んだな? 入ってすぐは円形状に開け、天井も高い。然し、上層階には突き抜けていない為、上方からの攻撃には然程さほど警戒しなくていい。正面に位置する受付カウンターより先へ進むと、そこからは三方に続く細い廊下が碁盤目状ごばんめじょうに伸びている。深入りはするな。周囲の柱を盾にしつつ戦線を構築しろ。MCGから受け取った情報によると、宮城支部の強度は表面部分以外は基本的に不壊ふえと見なしていいらしい。なお、作戦終了まで撤退は許可されないものと思え。……此処までで、何か質問は?」


 生き急ぐ様に一息で捲し立てるブリーフィングが一段落つくと、誰よりも先に草部仍倫が敬礼を返した。


「はっ! ありません! 私はただ、此度の戦場に生命いのちを共にする覚悟であります!」

「えっ、兄ちゃんマジ!? 今回そんなヤバイの!?」


 すると、間髪入れずに無分別な草部萌禍が、状況を顧みる事なく大声で私語を飛ばした。「馬鹿」それを兄である草部仍倫が小声で嗜める。


「ここは嘘でもそう言っとくトコなんだよ」

「はぇ~、そうなんだ」

「……ちょっと黙ってな。後でアメかなんかやるからよ。……レヴィが」

「エッ、ワタシ!?」


 しかし、その草部仍倫からも既に緊張の色は抜けており、レヴィを巻き込んで瞬く間に場は弛緩してしまった。戦場には似つかわしくない軽薄な雰囲気が天幕内に充満してゆく中、佐藤が溜め息を吐き出し、「大丈夫なのか……?」と頭を抱えた。そのボヤきに弓削が応じる。


「大丈夫……な筈だ。なんといっても、兄を差し置いて纏骸皇がした女なのだからのう。あんなんでも」

「それは……初耳です。然し、言ってもどうにもならない時局である事は確かなようです……」


 どうにか気を取り直した佐藤誠は、場に厳粛なる雰囲気を復権させようと、大袈裟な咳払いを複数回して出来うる限り注意を引いてから、ブリューフィングの続きに入った。


「部隊編成についてだが、レヴィ少尉には今と変わらず第三歩兵小隊を、草部仍倫准尉には第一歩兵小隊を率いてもらう事となった」

「……司令部属の第一歩兵小隊を?」

「ああ、援軍も見込めない現状では、この馬鹿げた作戦にこれ以上の戦力は出せない。今後の蕃神信仰にも支障がでる。失敗した場合、我々の持ってきた核兵器を使う選択も視野に入ってくる」


 それを聞いて、草部仍倫に兵士の熱が灯る。この目、この熱だ。冷静沈着の底に燃える炎にこそ、北條嘉守ほうじょう よみもり代将は絶対的な信を置いていた。それ故に「愛人起用」との誹りを押し切ってまで、士官教育中かつ実績の無い彼を使者として、レヴィの護衛として選出したのである。

 弓削が、大きく頷きつつ口を開いた。


「草部仍倫よ。この作戦は全てお前の存在あっての事。粉骨砕身の精神で奉仕し、別地球間に於ける友好の礎を築く事、それが纏骸皇の望みであるのなら……!」

「任せて下さい。私は死にません」


 弓削が心中の懊悩を節々から噴出させながら放った言葉を受けて、草部仍倫はそう言い切った。正面をしかと見据える昂然たる眼には、陽炎の如き怜悧なる戦意が燃えている。


「一秒でも長く敵を引き止め、一人でも多くの敵を滅し、再び此場このばに舞い戻る事を約束します」

「頼んだぞ……!」


 草部仍倫が返事の代わりに秀麗な敬礼をすると、弓削も年季の入った答礼を返した。そこには、己が責務を思いて、死力を尽くす覚悟と男気だけが織り成す無言の対話があった。

 ……が、それも歴史的阿呆の草部萌禍には全く関係がなかった。


「ねーねー、私は?」


 自分だけ全く言及されない事を気にして、萌禍もえかが堪らず口を挟んだ。それが故に期待もされず、言及されていないというのに。隣のレヴィは、日本語の発音が未だ達者でない事を気にして、真面目な場では出来る限り黙っているというのに。

 佐藤誠がまた嫌気を吐き出す。


「はぁ……お前は――」


 と、そこで、今の今まで弓削と佐藤に話を任せていた北條嘉守が急に口を挟んだ。


「萌禍、貴女はレヴィの護衛をしておきなさい」

「なぁんだ、それだけでいいの? 前の地球にいた時とかわらない、何時もどおりじゃん。あいあいー!」


 状況を理解していないだろうその能天気ぶりに、佐藤と弓削は流石に顔を顰めるが、レヴィと北條、そして草部兄はさして表情を変えなかった。こんなんでも、いざとなれば雑兵三人分くらいの働きはすると長年の付き合いから知っているからだ。加えて言えば、彼女の生まれ持つ『天運』に関しても。


「……話は以上だ。健闘を祈る」


 佐藤の言葉で、その場は解散した。



    *



 俺、六道さん、藤莉佳子ふじ りかこさんの三人で構成される『第二班』は、二宇じうさんに連れられて東京支部の地下に待機していた。

 眼前には『宮城支部』と書かれた扉が控えている。蕃神信仰の襲撃時に物理、異能の両側面から次元断絶処置が取られたが、それを一時的に解除する事で逆にそこから攻め入ってやろうという訳だ。

 決行の時刻まで後十分という時、不意に「カタ、カタ……」という音が聞こえてきた。それは極めて小さなものだったが、辺りには静けさが満ちていた事もあり、妙に反響していた。気になった俺はその出処を探り、声を掛けた。


「藤さん、大丈夫ですか?」


 音は、膝を抱えて座る藤さんが、頻りに貧乏ゆすりを繰り返していた事に起因していた。

 彼女の座る床は清掃が行き届いており平坦だが、彼女に取ってはさも針の筵に居る様な座り心地の悪さを感じている事だろう、そう思っての気遣いの言葉だった。俺だって、最初の頃、それこそ『新人研修』なんてやっていた頃は、ゲロ吐くぐらいの緊張を感じていた。戦闘に入るとスッパリ忘れてしまうが。

 しかし、その気遣いは全くの的外れであったらしいと、バッと振り上げられた藤さんの表情に知る。


「大丈夫……大丈夫よ! ただ……興奮しちゃって。武者震い?って言うのかなぁ……な、なんか、今の状況って最高に現実味が無いじゃない? というかっ、MCG『正義の味方』て! イマドキ、そんな大それたコトを素面シラフで抜かすヤツが居るかぃ!? そ~~~~したら、もう、込み上げて来る『ドキドキ』がおさえきれなくて……っ!」


 イイ笑顔だ。気持ち悪いぐらいに。……というか、興奮しすぎて手元の床が《肉塊》に変換されているじゃないか。


「藤さん、床、床。《肉塊》になってますよ」

「あ、あぁ~! やば、ごめんなさい。どうしよ……これ、怒られちゃう?」

「いえ、大きく崩れてはいないので、ささっと形を整えて《還元》すれば……」

「《還元》?」


 どうやら知らないらしい。常識じゃあ……ないか。異能に関する事だもんな。なら、仕方ない……って、ん? それなら、俺は何処でそれを知ったんだ? 講習……なんて、受けてないよな……? 一体、何処で……。


「む~ん、還元……還元? ……還元しろ~! 床ぁ戻れ~い! うお~……ん、これ出来てない? 出来たわ!」


 藤さんの楽しげな声に意識が引き戻される。肉塊に変換されていた場所を見ると、すっかり元通りになっていた。


「おー、覚えが良いですね」

「そう? 才能ある?」

「かもですねー」


 適当に褒めると、藤さんは無邪気な喜びをあらわにした。


「でも、この使い方は思いつかなかったわ~! まさか戻せるなんてね。盲点だった!」

「んー、と……異能というのは、世界の理へ干渉する能力の事なんですが、これを現代風にゲームで例えると、『バイナリエディタを使って内部データをいじっている』みたいなものらしいんです。要は《世界》というのデータの一部を書き換えている訳ですから、同じ要領で戻すことも可能な訳です。『発想を柔軟にする事が大切』……だそうですよ。俺は変換系では無いので、あまり突っ込んだアドバイスは出来ませんが……あっ、相手の能力を考察する時もそうですね、柔軟に」

「発想を柔軟に……うーん、金言ね! 肝に銘じやす!」


 ……俺の適当な受け売りが役に立ったようなら良かった。が、この会話を機に、藤さんが割と一方的な会話を仕掛けて来る様になったのは困った。別に、仲良くしたい人種ではないからな、彼女。支部も違うし。それにREDだし、どうせロクでもない奴にきまっている。


「――でさぁ、MCG機関ってどんな組織なのん? ググったらWikipediaとかニュースとかだと『第三次元宇宙機関』って名乗ってて意味不! あの天海祈さんがトップなの?」

「……天海は政治家の娘だとかで、そのコネで日本のトップ……かな? 役職は知りませんけど偉い人みたいです。表では別地球の対応を担当していて、裏では変異者ジェネレイター――俺や藤さんみたいな人を秘密裏に保護しています。『正義実現』を標榜していますが……キナ臭い組織ですよ」

「あっ、それ、よくある奴だ。主人公が所属する組織も全く綺麗じゃなかったり、終盤に裏切ったり、裏切られたり奴~! 定番だよね!」


 藤さんは、まるで子供のように目を輝かせながら、他人事みたいに宣った。よくも、まぁ、そんな話を楽しそうに……。

 ノリ気にもなれず、かといって否定するのも癪に障り、ちょうどいい言葉が見つからずに閉口していると、思わぬ方向から同意の声が上がった。


「あるある、あるね」


 さっきまで存在感を消していた六道さんだった。そういえば、彼女は偶にライトノベルを呼んでいたな……カバーも掛けずに破廉恥な表紙のヤツを。


「よね! ね!」


 アア、キチガイ共が意気投合してしまった。トントン拍子に会話も弾んでゆく。

 楽しそうだな。しかし、俺としては深入りは遠慮したい。盛り上がり続ける喧騒を横目にこっそり距離を取りつつ、はやく決行時刻にならないものかと、今日に限ってやけに秒針が遅く見える腕時計をぼんやりと見つめた。

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