2-3-2 天幕内
気が付くと、俺は何もない空間の中に居た。音も、匂いもない。
辺りには一面の「白」しかなく、他には何も見当たらない。それは洗濯された医務室の「白」でも、公明正大、清廉潔白の「白」でもなく、ただ只管に「無」を意味していた。
何もない。それ故の「白」。白紙。
たちまち、俺は言いしれぬ恐怖に襲われた。このままじっとしていると、この「無」の中に呑み込まれてしまいそうで、堪らず走り出した。
その時、声が聞こえた。
「待って、怖がらないで」
聞き覚えのある声。……天海……? 俺は我に返り、幾ばくの正気を取り戻す。そして背後を振り向くと、そこには天海らしき人物が立っていた。しかし、さっきの口調もそうだが表情、雰囲気が変だ……見たこともないぐらい……穏やかで……まるで、母親のような慈愛に満ちて……。
「似ていないのは当たり前だよ。君の記憶から『神性』のイメージを借りてるだけだからね」
神性……確かに、天海の異能は、神に近しいとかいう
「そうさ、ここは『夢』。起きては消えゆく泡沫の空間……」
俺は、思考を声に出していないのに、いや、声を出せていないのに会話が成立している。
……ああ、そうなのか、やはり……。
天海の姿をした者は、創作上の幽霊のようにスーっと浮遊したまま近付いてきて、光る何かを俺の左手の中にねじこんだ。
「それは君のものだよ。この世界線では分からないかも知れないけれど……どうか忘れないで、それは常に君と共に――」
ジリリリリリリリ!
「ぐっ……うるせぇ……」
けたたましいサイレンによって、心地よい眠りから叩き起こされた時、本棚――皆から勧められた社会勉強に役立つ本が収められている――の上にある時計の針は午後3時直前を指していた。血の気が引いていくのを感じつつ飛び起き、日付を確認すると、なんと今日の日付は拠点を攻めた翌々日。俺は、急いで身支度を整えて出勤した。
しかし、二日も無断欠勤したというのに、特段それに付いて責められる事はなく、寧ろ心配された。考えても見れば、それも当然か。二日も急にプッツリ、音沙汰なしだ。心配もされよう。どうも、寝ている間に天海が生存を確認しには来ていたらしいが、全然気づかなかった。
俺はほっと息を吐き、取り敢えず、対龍戦の時に治療を担当した近衛旅団の医官と、普段の激務の所為にしておいた。
その一時間後、機関内通信で天海に呼び出された俺と灰崎さんは、東京支部の13階に赴いた。話は、もちろん、さっきのサイレンについてだ。
「匡人、もっかい聞いとくけどよ、体調は大丈夫なのか?」
道中、灰崎さんがそう聞いてくれた。が、こうして動いてみても、肉体的にはなんら異常を感じない。
「もう、寝すぎなぐらい寝ましたからね、バッチリです」
俺がそう答えると、灰崎さんは「……なら、良いけどよ」と、前を向いた。
目的の会議室前まで来ると、何処からともなく「遅かったな」と声を掛けられる。気がつくと、隣には天海が立っていた。
「こっちだ、付いてこい」
珍しく、天海が焦った様な顔をしている。いつもの余裕がなくていい気味だ、とは単純に思えない。むしろ、今回の事態の深刻さを表している様で、これから待ち受けているであろうゴタゴタを予期させる。かえって、気分は暗く沈んだ。
先導する天海に続いて、おずおずと会議室に入室すると、錚々たる顔触れが此方を一斉に振り向いて出迎えてくれた。いずれも、ニュースで見た事の有る顔で、そのどれを取っても辛気臭い雰囲気を纏っている。
あれは政治家、あっちは警視総監だな……あっ、螺湾さんも居る、小さく手を振られたのでこちらも振り返しながら、案内された席に座った。そこは、
天海の「遅かったな」との言葉通り、会議の参加者は俺たちで最後だったらしく、俺たちが着席するのと前後して、正面の壇上に東京支部所属の総務部長、
「初めに、此の場に居る者は皆、
形だけの挨拶もなく、飾り気の無い実利一辺倒の言葉から始まり、息をつく間もなく彼の話は現状確認へと移行した。
今日の午後2時50分頃――東北・北海道地方(T-地区)を管轄とする宮城支部が『蕃神信仰』の手に落ちた。
俺を叩き起こした例のサイレンは、それを知らせるものだったらしい。
落ちたのは宮城支部だけじゃない。彼等の攻勢は突然、多発的かつ電撃的に行われた。その為、支部ビルに掛けられていた《認識阻害》を過信して、警備を手薄にしていた支部、或いは人手不足を理由に手の回っていなかった世界各国の支部が全滅。その対応で、今は世界中が天手古舞であるらしい。
海外の支部は、現地MCG職員や情報部、天海に任せるとして、我々日本支部が取り組むべき目下の問題、宮城支部に話は戻る。
「一般職員を含むMCG職員、第二歩兵小隊は、たまたま外へ出ていた者数名を除き一切の連絡が取れていません。加えて、折からに宮城支部へ出向しておりました他支部の職員数名もまた……」
総務部長は言葉を濁しながら、チラと俺の方を見たような気がした。なんだろうと思っていると、隣で黙って話を聞いていた弓削清躬大佐が、大きな体躯から質実剛健の低音を響かせた。
「要するに、だ」
そして、顎に蓄えた立派な髭を撫で付けて続ける。
「宮城支部の者共は全滅の線が濃厚。故に『救助は諦める』……と、貴殿はそう言いたいのだな?」
「は、はい……」
その威圧的な声音に屈し、荒垣さんは震えながら頷いた。本来ならば、もう少しぐらいは段階を踏んで切り出したかったのだろう。言いづらい事を言わされる、非常に損な役回り。ちょっと同情する。
しかし、元はと言えば、別地球αの勢力が原因な訳だし、そこまで気を使う必要はないだろう。むしろ、被害はMCGの方が多大なのだ。
「話の腰を折って申し訳ない。が、余計な気遣いは不要だと予め言っておく。纏骸皇が各国の軍に下した勅命は『別ナル地球ノ民ヲ守護セヨ』……。宮城支部には第二歩兵小隊が駐在していたにも関わらず、
どうやら弓削大佐も、同じような感性らしい。立ち上がり、その巨体を折り曲げながら、謝罪した。
弓削清躬大佐は、最後に「玉砕」の覚悟を語ってから話を終えた。
彼の言葉には、無宗教な俺にはピンと来ない感性も多分に込められていたが、とにかく、此方の決定がどうあれ、基本的には従ってくれるという事だろう。
荒垣さんは、一仕事を終えた疲労の感を呈しながら、会議の参加者に意見を求めた。主旨は「一次対応」についてだ。
参加者各位から忌憚なき多様な意見が飛び交う。
核、爆撃、爆薬……。
倫理もヘッタクレもない意見は、また別の意見に封殺される。
憲法九条、異能をふんだんに用いた為に核シェルターをも凌ぐ程になってしまった支部ビルの馬鹿みたいな強度、そして予算、予算、予算……。
今回の一件、国はあまり予算を出してくれなかったらしい。支部ビルの再建費用もだ。なので、日本支部上層部は、建設に少なくない費用が掛かっている支部を、極力、破壊したくないそうで……。
他には「毒ガスを使ってはどうだろう?」なんて名案も出たが、支部ビルに施してしまった『化学兵器対策』と、構造的な問題が立ちはだかり、お流れに。うーん……嘗ては堂々と標榜された『正義実現』は今、
そうした喧々囂々の議論の間、天海は自席に踏ん反り返って、事を静観している。
早々に不毛さを感じた俺は、各自の手元に用意されていた資料へと手を伸ばした。簡素なレイアウトの資料には、MCGらしい簡潔な文が数文ほど記されている。
これによると、蕃神信仰は世界各国の支部を攻め落とした後はすっかり沈黙し、何の声明も発していないらしい。という事は、所謂「テロリズム」ではない訳で、
後は……『地下のワープゲートが被害を拡大させたのではないか?』という旨が書かれている。日本の場合は、速やかに次元断絶処置を取る事が出来た為に、被害は宮城支部だけで収束したが、人材に比較的余裕のある先進国でも、フランスなんかは対応に遅れが生じて大混乱だったらしい。それでも、駐在していた纏骸者(別地球αのフランス軍)が死力を尽くして、どうにか撃退したらしいが。
『ワープゲート』に関しては今後、幾らか是非を問われるだろうが、結局は利便性を取って残されるだろうと予測する。唯でさえ人材不足が叫ばれる昨今、そして情報部、安全だ何だと泣き言を言っていられないだろう。
そもそも、『認識阻害』が破られたのだってイレギュラーな事だ。今まではそれで十分だったのだから。論ずべきはワープゲートでなく『認識阻害』の方だ。そう考えながら読み進めてゆくと、『認識阻害』と支部ビル所在地の今後に付いても書かれていた。
……どうやら、これまで以上に強固な『認識阻害』を施す予定ではあるらしい。また、支部ビルをそっくりそのまま別の場所へ移動させる計画も、草稿の段階だがあるらしい。先に「カネ、カネ」と煩かったのは、これらに掛かる費用もあった為だろう。それならば理解できなくもない、が……しかし、う~ん……俺なんかではバッサリと言い切れないな。
ここで、右腕の腕時計が、会議開始から三時間が経過した事実を告げてくる。定時はとっくに過ぎていた。
参加者各位も迷走気味の議論に倦ねている様子。……というよりも、得てして『会議』などというものは、始まる前から結論が決まっているものである。こうなったら最後、あれよあれよと会議室内には安易な空気感が形成された。
『よし、REDに任せよう』
予定調和、既定路線である。普段と違うのは、厄介事を押し付けられる側に近衛旅団の連中も入っていることと、事が事だけに自衛隊や機動隊なんかも動いてくれそうだということぐらいか。
結局は、長々とした通達に過ぎなかった。
下っ端は辛いな。いや……REDか。
隣の灰崎さんが痺れを切らし、舌打ちを残して席を立った。迷ったが、それに続いて俺も退室する。咎める者は誰ひとりとして居なかった。
その後、『決行は翌日』という短文が支給品タブレットに送られてきた。
翌日、俺と灰崎さんは、朝早くから二宇さんの花柄の手を取った。短い暗転を介し、ビルの影に降り立つ。光量差からチカチカと明滅する視界をならしていると、先になれたらしい灰崎さんが感嘆の声をあげた。
「うーわっ、すげぇ事になってんな……まるで戦場だ……」
「……そうですね……」
段々と見えるようになってきた景色を見て、俺も同意する。
東北で最も発展した都市、T-1地区は物々しい雰囲気に包まれていた。東京支部より一回り小さい宮城支部の周囲百メートルは、本当に「戦場」宛らの様相である。
警察、機動隊のみならず
追って、神辺さんと六道さんもやって来るが、彼女らも俺たちと同じく驚きをあらわにしていた。
役目を終えた二宇さんが姿を消すと、入れ替わり今度は天海が現れた。
「来たか。まずは顔合わせでもしよう。REDの数が多い東京支部からは貴様ら四人を出すことにしたが、それだけでは不足だろうと新人を三人用意した」
返事も待たず、天海は勝手に歩き出した。もはや慣れたもので、俺達は戸惑いもせずにそれに追随する。その道すがら、神辺さんが「新人……とは、大丈夫なのですか?」と聞くと、天海は大袈裟に鼻を鳴らした。まるで、貴様らが心配することではない、とでも言わんばかりだ。
「フン、何れも殺人を経験している。処遇を決めかねていたが、これを機にREDとした。詰まる所、兵としては申し分ない」
大通りには仮設された天幕が幾つも建ち並んでいた。その中には、10tトラックも丸々入りそうな一際大きな天幕もあり、天海が案内したいのはどうもそのひとつらしかった。中に入ると、見覚えのある近衛旅団の面々の他、MCG制服を着させられた三人の男女が居た。その三人の方へ歩み寄ってゆく途中、遠くの
「右から
天海は、天幕の支柱に凭れかかる二十代後半ぐらいの女性、絡み合う二人組の女性側、男性側、という順番で紹介した。三人の首元には、目に悪い赤色の職員証が揺れていることもあってか、なんというか、言葉を交わす前から一癖も二癖もありそうな雰囲気が漂っている。
「あ、テメェは……!」
灰崎さんが、続く天海の言葉を待たずに、端っこで物憂げに黄昏れていた女性――
「私?」
藤さんは、突っかかってきた灰崎さんの全身を舐める様に観察した後、ポンと手を打った。
「ああ! その赤いTシャツには見覚えがあるかも。銃を投げた人でしょ?」
背後の神辺さんと顔を見合わせるも、彼女もピンと来ていない様子。六道さんは無表情なので元から良く分からない。
「……天海、これはどういう事だ?」
「説明するから黙って聞け。
蕃神信仰の名が出てくるという事は……もしかして、三日前、拠点を攻めた時に知り合ったのだろうか。それならば、俺と神辺さんが知らないのも頷ける。チーム分けが別だったからな。
「ちょい待てや。コイツは思いっきり『武装励起』とかいうのを使ってたろ。それはどういうことなんだよ?」
「分からん」
「……ハァ?」
藤さんは武装励起を身に着けている……? 地球出身で武装励起を身に着けた例はまだなかった筈。つまり、初めての実例ということ。にわかには信じがたいが、当人たちの表情からすると、どうやらそれは事実のようだった。
「この三日間、MCG情報部の総力を上げて彼女を調べたが、何も分からなかった。ただ、如何なる理屈か知らんが『出来なくは無い』のだろう。実例が此処に居るのだからな」
その説明に納得できず、灰崎さんはなおも食い下がる。だが、天海はごく冷淡に対応した。
因みに、今の天海の答えは『嘘』だろう。流石に、そんな貴重な実例をむざむざ他のRED同様に使い潰したりはしない筈。これは俺の完全なる推測に過ぎないが、恐らく、MCG情報部は、既に藤さんが『武装励起』を身に着けたカラクリを突き止めている。だからこそ、彼女はこんな死地に寄越された……要するに『用済み』という訳だ。
そうとも知らず、藤さんは、取り調べで風呂にも入れていないのか、ペトペトに脂ぎった髪を撫で付け、揚々と口上する。
「私は『主人公』だから! 特別なの、選ばれし者なの! きっと、隠された血筋の秘密がそうさせるのね!? 或いは、チラチラと出てきた『選定』とやらが伏線になるのか!? ……うぅうッ、胸がドキドキで炸裂するゥ!」
また、ほどほどに狂ってるのが来たな。
けれども、十万人に一人という確率。難病患者が抱く
特別と言えば特別、別に間違ってもない。
今の遣り取りで変なスイッチでも入ってしまったのか、藤さんの妄想独話はフルスロットルで走り出してしまい、とんと返って来る気配がなかったので、天海の紹介は自然と絡み合う男女の方へと移った。
「女の名は
金營さんの方は極普通の一般日本人といった風情。平均的な身長、痩せ型の体型、印象の薄い顔、見た目に特筆すべき点は何ひとつ無い。全体から漂う、ぼうっとして覇気の無い感じも珍しくはない。端的に言い表すと「生きてるだけでしんどそうな人」だ。
逆に、
「後は、個々人で挨拶でもしておけ」
天海は、そう言ってコンクリートに溶けた。
全体の準備完了には、あと数時間ほど掛かると天海から聞いている。ブリーフィングはその後に行われるらしい。それまで俺たちはフリー。「心の準備でも整えておけ」という事だ。
個人的な準備は既に済ませてから来ているので、灰崎さん以外の俺含む三人は、新人らの近くに並んでいた折りたたみ式の床几に座った。灰崎さんは「落ち着かねぇから」と、外を歩いてくるそうだ。
実のところ、落ち着かないのは俺も一緒である。戦い始めると気合が入るから別だが、戦う前はどうしても動悸が激しくなって、落ち着かなくなってしまう。カバンの中身と銃の点検でもしてようかと考えた所で、神辺さんが楽しそうに話しかけて来た。
「匡人さん聞いてくださいよっ! 実は昨日、
「へー。それは良かったですねぇ」
虚を衝かれたものだから、ちょっと無愛想な生返事になってしまった。しかし、流石は神辺さんだ。こんな時でも平常運転とは……尊敬するよ、本当に。
「やっぱり、こう……“親密感”が違いますよねっ! ほら、苗字だと他人行儀ですし……」
「あ! そういえば!」
神辺さんには悪いが、この流れは断ち切らせてもらう。わざとらしく大声で注意を引いた後、俺は口の動くままに適当な話題を繰り出した。
「望月さんと……最近、仲が良いみたいですが……どうです? 調子というか性根というか……」
見るも無残な拙い台詞だったが、神辺さんを誤魔化すには十分な働きをしてくれたらしい。神辺さんは、たいして気にした素振りも見せず、思案顔を作った。
「ふーむ……最初こそ心配しましたが、今は『宇宙好きの女子高生』といった感じでしょうか」
「――だから言ったでしょ、『三粒はキくぜぇ?』って」
横合いから、暇そうに左右に揺れていた六道さんが会話に入ってきた。すると、たちまち神辺さんが見たことも無い様な嫌悪を露わにした。眉根を潜めて、細目からチラリと覗く黄金色の瞳は、まるで睨みつけている様でもある。
「前々から思っていましたが……余り、
たまっていたものが有ったのだろう、神辺さんは鼻息を荒くして雪崩のように説教を始めた。対し、六道さんも引かず、小さな口を揺り動かそうとしている。そのまま口論にでも発展するかと思いきや、思わぬ横槍が場の熱気に水をぶっかけた。
「ねねねねね、さっきから気になってたんだけど、それって本物の修道服?」
空気も読まず、脳天気に話し掛けてきたのは、何時の間にか妄想の世界から帰還していた
振り上げた拳を、はからずも押さえつけられた形となった神辺さんは、幾許の逡巡を見せた後、怒りを引っ込めて対応した。
「……はい。そうですよ」
「ウッソ! 始めてみたぁ!」
しれっと嘘ついてら。……いや、嘘ではないのか? よく分からない。
それはともかく、俺は、これ幸いと尻の折りたたみ式床几ごと窮地から脱し、少し離れたところにあった簡易的な机に移動して、そこで荷物の点検を始めた。天海からもらった銃と、灰崎さんから横流ししてもらった物品たちだ。
「アンタもREDなのか?」
「ん……」
顔を上げると、正面に茱萸さんと金營さんが立っていた。「そうですよ」と、懐に入れていた職員証をチラッと見せた。いらぬ面倒が増えるから、必要のない時は隠しているのである。
金營さんは続けた。
「俺たちは『殺し』だ。アンタは?」
「主にスリとかの盗みです。異能がそういうのに向いてましたから」
俺は、点検の手を止めて、自分の異能を披露した。すると、二人は素直に驚いてくれた。復讐代行業をやっていた殺人経験者らしいが、神辺さんよりは話しやすそうだ。
「それで、いま気になっているのは、その銃についてなんだ」
「これですか?」
「ああ、俺たちの分はどこにあるんだ? あの天海とかいうヤツからは何も聞かされていないんだが……」
金營さんは、根は小心者らしく、不安そうに辺りを見回しながらそう言った。
しかし、天海から何も聞かされていないということは、「銃は用意していない」ということだろう。天海は、必要最低限のことしか言わないから。
「たぶん、ありませんよ。欲しいなら申請して下さい。一週間ぐらい掛かりますし、面倒な上、REDなので精神面を理由にまず通らないとは思いますが」
「冗談言うなよ、俺たちはいま欲しいんだよ! 銃も持たずにテロリストと戦えってか!?」
金營さんが怒号をあげる。まさに怒髪天を衝く勢いだったが、その彼をすかさず茱萸さんが暖かく抱きしめると、途端に静かになった。
「
「グミたん……」
何だコイツら。イチャつくなら余所でやって欲しいのだが……。
「まあまあ金營さん。能力があるじゃないですか。流石に、全く戦えそうもない能力なら連れてこられていないと思いますよ。それと、テロリストじゃありません。正しくは蕃神信仰です。敵は《異能》と【武装励起】と組み合わせて襲ってくると思われます。隣の彼女さんから、詳しく聞いておいた方が良いですよ?」
金營さんは、茱萸さんの胸に頭を埋めたまま静かに頷き、もたれかかりながらゆっくりと離れていった。
さて、点検に戻ろうかというところで、六道さんがじっとこっちを見ていることに気が付いた。相変わらずの無表情なのだが、今日は少しばかり嬉しそうに見えた。
だから、その理由を尋ねようとしたのだが、折からに勢いよく天幕内に駆け込くる者が居た所為で気がそれてしまった。誰だろうと思って入り口側を振り向くと、外に出ていた灰崎さんが、息を荒げて膝に手をついていた。切羽詰まったような顔の灰崎さんは、机の上に荷物を広げている俺を見付けるやいなや、小走りで駆け寄ってきた。
「匡人、今回ばかりは外してもらえ。天海には、じじいか香椎を代わりに連れてくる様に言っておく、だから――」
その余りの狼狽ぶりに困惑し、俺は言葉に詰まった。一体、外で何があったというのか。そして、その何かと、俺を外そうとする行動が、脳内で符号しなかった。思い当たる事など……。
「も、燃えカス……そんなに慌ててどうしたのですか? 訳を言わねば匡人さんも混乱してしまいますよ」
神辺さんが藤さんとの会話をやめ、灰崎さんに説明を求めた。俺も、それに便乗する。
「そうですよ、灰崎さん。取り敢えず、話を聞かせて下さい」
すると、灰崎さんはとても気まずそうに顔を歪めた。その表情からは、彼の心中に駆け巡っているであろう「迷い」がありありと見て取れた。暫く、そうして迷いに迷ってから、灰崎さんはようやく口を開いた。
「蕃神信仰が、宮城支部を襲撃した時……ちょうど、
視界の端で、神辺さんが目を見開き、黄金色の瞳をさらけだした。その瞳が、俺の方へ向けられ、激しく揺れ動くのを確認し、俺は反射的にさっと目をそらしてしまった。
「さっき、偶然にそれを知ってな……明言するかどうか……迷ったんだが……」
灰崎さんは、それっきり黙ってしまった。こういう時、何と言うのが適しているのかは知らないが、気遣いに「答える」という行為は不本意ながらも普遍的な社会性の発露である。
だが、そう思つつ放った俺の返答は、自分でも驚く程に冷淡なものだった。
「はぁ、そうですか」
ああ、外したな。俺は、灰崎さんの凄まじい表情変化からそう感じ取った。
俺は、更に言い訳がましく言葉を紡ぐ。
「灰崎さん、別に気にする事は無いですよ。瞳さんがどうなろうと作戦行動に支障が出たりはしません。このまま俺も同行しますよ」
「匡人……オメェ……」
俺は、机に広げた荷物を片付けて、ゆっくりと立ち上がった。そして「トイレに行ってきます」と、言い残して天幕を後にした。誰にも引き止められなかった……と思う。
外に出ると、気づかぬ内に遠ざかっていた喧騒が一気に戻ってきた。それが、妙に心地よく感じた。そんな、ふわふわとした意識を保ったまま、天幕に案内される途中で見かけた仮設トイレへと向かう。
仮設トイレは、一箇所に固めて大量に設置されていたので、イベントには有りがちな行列に並ぶことなく入れた。中は、存外に広く、小奇麗で豪華だった。鏡も洗面台もある。この予算は何処から出ているのだろう……。
「ふぅー……」
じょろじょろと流れ出てゆく生暖かい液体をじっと眺め、そして、思う。人の「出会い」と「別れ」なんてのは、極論、食事と排泄の様なものなのだな、と。
この例えは本質を突いているだろうか。物事を知らぬ自分では、今ひとつ判別しかねる。
が、例えが「正しい」「正しくない」の話は、ひとまず置いておくとして、親しい人物の喪失というものを初めて経験し、心中に浮かんだのは……「思ったより」という言葉だった。
何故だろう、これが二回目だからだろうか?
前は、ひょっこり生きていたから……。でも、その時は今と違って、スゴく、なんだろう……俺は怒っていたのか? あの時、天海に瞳さんを殺された時は。……何故?
二回目だから、「思ったより」……思ったより悲しく――
「――それが貴様の本音だ。四藏匡人」
唐突な声が、仮設トイレの外から響いた。中性的で、ハリのある強気な声音。壁ごしにも感じ取れる確かな存在感……心当たりはひとつしかない。
「正しさが形を得ることの出来ない世の中で、貴様の様な紛い物のゴミクズがのうのうと生きている事実には吐き気を覚える……。今、胸にあるのが貴様の本音だ。可愛川瞳のことを何とも思っていないのだろう? それとも、まだ勉強していないからか? ハハハハハ!」
天海は、一頻り嘲り笑う様にそう言った後、忽然と気配を消した。
閉め切られた仮設トイレ内は、途轍もない静けさで満ちている。ここは棺桶の中なのか。俺は、思考の海に浸りつつ深呼吸をし、汚れひとつない便器を見つめた。用は足し終えている。が、すぐには動けそうになかった。
「……下手だなぁ、天海」
下手すぎる。分かりやすいよ。それも何か意味のあることなんだろう? 意味のないことなんて、お前はしないからな。一体、今度は何がしたい……? まさか、瞳さんが死んだのも織り込み済みなのか? また、生きているのか? じゃあ、会議の時にみせた焦りはなんなんだ。演技なのか?
……暫く、そのまま眼球だけを忙しなく動かしていると、洗面台に取り付けられていた大きな鏡が目に付いた。そこには、見覚えのある自分の顔が映っている。その顔色は平静そのものだ。
嗚呼、しかし、見れば見るほど……やはり、似てるなぁ……。
MCG外の人間も交えた全体ミーティングが終わると、近衛旅団とREDは例の天幕に戻され、整列させられた。全員が落ち着くのを待たず、正面に出てきた天海が偉そうに訓辞を垂れ始める。
「対外的には、過激なテロ組織が立てこもっている事になっている。既存の勢力ではない。全く新しい蕃神信仰系の勢力としてな。解決までのカバーストーリーは適当にでっち上げて置くから心配するな。マスコミ各社への根回しも完璧だ。後のことも周りのことも気にせず、心置きなく死んでこい」
こんな時まで秘匿に拘るのか、それに意味はあるのかは甚だ疑問だが、今は口を挟めるようなタイミングでも無い。それより、近衛旅団の客将どもを前に、堂々と「死んでこい」とは、中々どうして豪胆な事で。
案の定、近衛旅団の連中、REDの新入り三名がむっとした顔をする。……いや、藤さんだけは何故か楽しそうな表情だ。
天海はなおも尊大に続ける。
「では、全体ミーティングでは話せなかった詳しい説明をする。まず、近衛旅団の副旅団長、
つまり、近衛旅団と俺たちで、敵を『挟み撃ち』するという訳か。別に異存はない。
さっきのミーティングの話によると、宮城支部の中には最低でも30人以上の反体制勢力が蠢いているらしい(目視による確認。例によって二宇さんは入れなかった)が、自衛隊や機動隊が支部ビルの包囲を固めてくれているので、取り逃がす心配もそうそうないだろう。
「決行は一時間後だ。それまでに昼食と準備を整えておけ。全体ミーティングで聞いていると思うが炊き出しもある。好きに利用してくれ。以上だ」
言いたいことを言い終えると、こっちの質問も取り合わずに、天海はコンクリートへ溶け入った。
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