1-4-5 前哨戦を終えて、本戦前
麻薬組織の構成員と思しき男二人を無事に拉致した俺たち。だが、事はすぐに相手方にも知れ、R-92地区にはより切迫した空気が満ちるだろう。
そんな中、俺と六道さんを治療する必要に迫られたが、セーフハウスを離れて医務室で安静にする訳にも行かず、天海の例外的な便宜で特別な能力者に来てもらった。
セーフハウスの自室のベッドを血で汚さぬようタオルを敷き、その上にズボンを脱いでパンツの格好で寝転がり、さあ治療を始めようという段になって、
「目隠し……する?」
「……どうしてですか?」
思わず聞き返すと、彼女は眼鏡の位置を直しながら笑みを浮かべた。
「私の能力はちょっとグロいのよ。嫌がる人も居るから、ね」
「へぇ。興味があるので、折角だから見ててもいいですか?」
「良いけど、あまり気持ちの良いものじゃないわよ?」
鉤素さんは、俺の下半身に触れ、毛先が緩くカールしている上品な茶髪を揺らして「ふぅ……」と疲労感のこもった息を吐き出した。すると、見る間に銃創がゆっくりと蠢き始める。おお、これはグロいグロい。
宛ら、被弾の逆再生とも言うべき光景を暫く眺めていた俺だが、そのあまりの遅々とした回復ぶりに、すぐに飽きてしまった。
あてどなく視線を彷徨わせる内に、鉤素さんの治療を遠巻きに見守る男が目についた。細身長身、短髪黒髪の彼は、このセーフハウスまで鉤素さんを運んできた搬送役だ。名は教えてもらっていない。二人は、緊迫した現場に引っ張りダコの人気者らしいから、その度に一々自己紹介などしていられないのだろう。
「彼、気になる? 勘違いしないであげてね、無口なだけで悪い人じゃないわ」
「いえ、ただ――随分と、お疲れの様子だなあ、と」
「アハハ……怪我人にまで言わるようじゃ、オシマイね」
疲労の色は、レンズの奥で沈んだ茶色の目に顕著だ。有用な能力だけに、昼も夜もなく酷使されていると見える。聞くところによると、欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じている様で、日本人にはピンと来ない宗教、移民難民の問題に加え、中東、アフリカの情勢も関わってきて大変らしい。
「待遇改善とか、要求しないんですか?」
鉤素さんは首を横に振って肩を竦めた。
「交渉部の労働環境は知らないけど、私達は首輪付きなの」
そして、自嘲と諦観に塗れた、力無い笑みを浮かべた。
俺は、その気取った言い回しの中身を、もう少し突っ込んで聞きたかったのだが、折しも開かれた扉に意識がそれた所為で、タイミングを逸してしまった。
そこ居たのは、次に治療を受ける筈の六道さん。待ち切れなかったのだろうか? その手には小さな黒いバッグを握っている。
「六道さん、それは?」
と聞くと、六道さんは「銃」と端的に答え、負傷した足を引きずりながら床に座り込んだ。そして、白布を広げ、その上にバッグの中身、銃の部品らしきものずらずらと陳列してゆく。
さっきの戦闘に於いて構成員らしき男の銃撃を受けた六道さんの銃は、素人目にも致命的に歪んでいた。「命を預けるには不十分」と帰路で言っていたが、天海にでも新調してもらったのだろうか? ……随分と手が早いな。まるで……いや、考え過ぎか……。
慣れた手付きでパーツを点検してゆく六道さんを眺めていると、足元から大人びた声が発された。
「終わったわよ」
「あれ、もうですか?」
当初の遅々とした蠢きで、あと数分はかかるものと見込んでいた。が、両足を見ると確かに銃創は綺麗さっぱりなくなっている。そればかりか、全身に感じていた痛みも何時の間にか消えていた。
「私の能力は徐々に加速するの。見極めが大変で気が抜けないのよ」
「へぇ、そうなんですか。ありがとうございました」
本当に苦労のにじむ様な彼女の声音に、俺は思わず苦笑してしまった。
軽く礼を言いながらズボンを履き直し、感覚を確かめるために足腰を伸ばしてみる。……よし、問題ない。
「次は……そこに座ってる六道さんをお願いします」
「わかったわ、お大事に~」
問診が始まったので、俺はもう一度礼を言って自室を後にした。
リビングルームに戻ると、天海の操る清水によって床に磔にされた半裸の男二人が、俺を出迎えてくれた。
チンピラの方は大した情報も持っていなかったので、尋問もそこそこに終わった様だが、
彼からどれだけ聞き出せたのかを知りたかったが、生憎、岸さんの姿はリビングになく、千覚原さんは天海の分体とテーブルで何やら話し込んでいる。
なので、仕方なく、俺は跳ねる様な忍び足で、無抵抗な伊秩の胸板を撫で続けている香椎さんの元へと歩み寄った。
「……何か分かりましたか? 香椎さん」
「だいぶ、ね」
見てて、と香椎さんは、側のラックに置いてあった果物ナイフを手に取り、男のごわごわした胸板に落とした。すると――ガーンという聞き覚えのある音と共にナイフが停止、胸板の上に直立した。よく見ると、ナイフの刃先が少しだけ肌にめり込んでいる。その痛みを感じてか、彼が猿轡の向こうで歯噛みするのが分かった。
暫く、ナイフは直立し続けていたが、ある所でコテンと倒れた。床に落ちたナイフを香椎さんが拾い上げ、ラックに戻した。
「名前は
今日の戦闘を思い起こす。俺の能力と六道さんの放った弾丸、これらの齎した効果が今ひとつだったのは、その所為なのだろう。想像通りだ。
徐に立ち上がった香椎さんは、ラック上のナイフの山を撫で始めた。
「すごい忍耐だよね。目覚めてからずっとだよ。全力疾走で駆け抜け続ける様なものだろうに……」
香椎さんがそう言うと、後の言葉を受け継ぐ様にテーブルの千覚原さんが立ち上がり、手元の資料を見せてくれた。
「でも、やっぱり
それによると、アジトの位置ばかりか、間取りまで完璧にマッピングできており、所属している能力者の数、名前と素性まで割れているらしい。だが、彼らの持つ能力に関しては不明瞭な部分が多い。どうやら、仲間内でも能力は秘密にしていた様だ。
「……どぉ?」
「どうって――」
一瞬、千覚原さんに何を尋ねられているのか分かりかねたが、彼女の期待した表情を見て察した。「スゴイデスネ」と心ばかりの称賛の言葉を投げかけてあげると、千覚原さんは身体をくねらせて喜んだ。このやり取り、他の人にもやってもらうのだろうか……REDに負けず劣らずの変人だな。
目を通し終えた資料を千覚原さんに返すと、それに前後してリビングルームの扉が音も立てずに開かれた。入ってきたのは、バッグを小脇に抱えた六道さんだった。
その姿を見て、天海が香椎さんを名指しし、「お前も治してもらってこい」と命令した。これには、俺でなくとも引っかかりを覚えた事だろう。
香椎さんは怪我なんてしていない。恐らく、同じ考えだろう当人も、困惑気味の表情だ。
「え? でも、私は怪我なんて――あぁ! そうだね、行った方がいいかも」
「初めからそのつもりで鉤素を呼んでいる。『患者は三人だ』と伝えてあるから、はやく行け」
「はーい」
香椎さんに「鉤素さんは俺の自室に居る」と伝えると、彼は後ろ手をヒラヒラとさせながら速やかに退室していった。淫気を纏うその背中がドアの向こうに消えてゆくのを、何の気なしに見詰めていると、今度は俺が呼ばれた。
「四藏、こっちへ来い」
隣の千覚原さんと一緒にテーブルに着くと、天海の分体は、唐突に服をはだけさせて、体内から小さなジュラルミンケースを取り出した。
「これを、貴様にくれてやる」
そして、俺の手元へ差し出し、開けろと雰囲気で催促して来た。分体の中に保存されていたからだろうか、触れるとほのかに湿り気を感じた。
この時の俺は、中身に大きな期待をしていなかったが、考えても見れば、天海が下らないものをわざわざ渡しにくる訳もない。
彼女は、どうしようもなく多忙な女なのだから。
側面に付いていた二つのロックを弾き、中に収められていた鈍い輝きを視界に捉えた途端、俺は目を見張った。
「ニューナンブM60だ。昔なつかし、日本人には馴染み深いだろう?」
日本警察が採用していた事で有名なリボルバー式拳銃ニューナンブM60。それが、5×3発の弾丸と共に黒い緩衝材に埋もれていた。
俺は、隙間に手を差し込んで慎重に取り上げた。その様を見た天海に、笑いながら「弾は入っていないぞ」と言われてしまう程、慎重に。装填されていない事は、持った時に弾倉を見て理解している、それでも「もしかしたら」と杞憂を抱いてしまう様な持ち慣れない重みを、俺は両手に感じていた。
「使い方は六道にでも習え」
その言葉を受けてソファに振り向くと、テレビのバラエティ番組を眺めていた六道さんが軽く手をあげて応えてくれた。その姿にすっかり気の抜けた俺は、大分、平静の心持ちで銃をジュラルミンケースに戻した。
「なんだか、最近、良くしてくれるじゃないですか。『手厚い』というか、何というか……」
「フン、それだけ厳しい戦いになるという事だ」
それは、前回、前々回の新人研修よりも“もっと”という事なのだろうか。今まで超然な振る舞いを見せてきた天海の唐突な危機感に、俺の身も引き締まる思いだ。
「あ、あの~……天海さ~ん……?」
その時、隣の千覚原さんが、か細い声を発した。チラと見遣ると、千覚原さんはへつらいの表情で背を丸め、ゴマすり役人の貫禄で揉み手をしていた。
「私にはぁ~……?」
その視線はチラチラとジュラルミンケース、正確に言えば、そこに収まる拳銃へと向けられている。彼女も銃が欲しいのだろう。彼女の能力は、対象體へ直接的な害を与える能力では無いから理解は出来る。
天海も、すぐにその意を察した様だが、
「精神に問題がある者には支給できない」
と、バッサリと切り捨てた。その余りにぞんざいな口調に憤りでも覚えたか、千覚原さんは熱り立ち、声を荒げる。
「えぇ!? あ、あのヤバいチビっ子でも持ってるのに!?」
「ああ」
しかし、即座に返ってきた頷きを見ると、千覚原さんは憤りを通り越して愕然とし、僅かに涙ぐむ。
六道さんより危ない扱いなのが、そんなにショックなのか?
「わ、私、何も出来ないよ! 攻撃手段ないよ!?」
「異能がある」
急いで目元を拭い、なおも食い下がった千覚原さんだったが、天海は全く取り合わずに席を立った。
「四藏、香椎康が戻ってきた夕飯にするから、今のうちに岸刃蔵を呼んできてくれ。今日は貴様がうるさいからイタリアンにした。パスタもあるぞ」
意気消沈の千覚原さんを慰めても良かったが、パスタの言葉にまんまんと釣られた俺は、恐らく自室にいるであろう岸さんを呼びにリビングルームを後にした。
二階へ上がり、三つ並んだ扉の真ん中をノックする。すると、扉を開いて現れた岸さんは珍しくゴネもせずに「何だ?」と聞いてきた。妙に神妙な態度だ。彼も、ある程度の流れを把握している為だろう。「夕食です」と告げると、岸さんは無言で階段へ向かい始めた。
その年の割にガッシリした背を追ってリビングへ戻ると、治療を終えた香椎さんも既に席に着いていた。俺は、千覚原さんと香椎さんの間の席に座った。
そうして、食前の挨拶も、祈りもなく、なあなあに晩餐は始まったが、テーブルは嫌になるほど粛々とした空気感が漂っていた。六道さんは千覚原さんに絡まないし、香椎さんと岸さんも一切口を開かない。緊張は俺にも伝染していた様で、口中に含んだパスタの味がよく分からなかった。
結局、最初に口を開いたのは、遅れて配膳を終えた天海だった。
「食事をしながら聞いてくれ。我々『対麻薬チーム』は、食事を終えたら岸刃蔵以外の四名で、伊秩半七から聞き出した麻薬組織『MUL.APIN』の持つ唯一のアジトへ攻め入る」
それは、作戦会議やブリーフィングというよりも、一方的な通達の口調だった。これに、真っ先に香椎さんが反応する。
「そんな、すぐに行くもんなの?」
「順を追って説明する」
天海は「本来であれば、不意を打って一網打尽にするのが理想だったが……」と前置きしてから、話し始めた。
「伊秩半七の拉致は、直に相手方の知る所となるだろう。その時、相手は警戒を強め
、大きく二つの道を選択すると思われる。一つはアジトの『投棄』、もう一つは『堅持』だ」
その、どちらの場合であったとしても、迅速に攻め入る事が重要だ、と天海は繰り返し説く。投棄していた場合、アジトに残った思念が薄れる前に千覚原さん能力で行き先を知らねばならないし、堅持していた場合、相手方が十全な備えを整える前に叩かねばならない、と。
「それに加えて、麻薬カルテル内は上と下が隔絶されている可能性が高い。恐らく、上層部の保身の為だろうが……そうでなければ、千覚原がもっとはやく核心に至った筈だ」
要するに、これから俺達が攻め入るのは、大量の兵隊達が待ち構えている軍事基地の様な場所ではないという事だ。それを聞いて少し安心する。まあ、そんな風に目立つ行動を取る奴、場所があれば、とっくの昔に千覚原さん感知していただろう。
天海の説明に、テーブルの面々は皆、納得の表情を浮かべる。
だが、一人だけしかめっ面を続ける岸さんは、釈然としない風な口調で唸った。
「……天海ィ、俺が待機なのは何故だ?」
先程、天海は「岸刃蔵以外の四名で」と言っていた。岸さんの引っ掛かりはどうもそこらしい。
「自慢じゃないが、この中では俺が最もお前の我儘に付き合って来た。どんな判断だ?」
岸さんの剣呑な視線と言葉は、喉元へ刃を突き付ける行為と同じ意味を持っている。だが、天海は分体である為か、「そう言うな」と飄然といなしてみせる。
「拘束しているとはいえ、伊秩半七をセーフハウスに置き去りというのも心許ないだろう? だが、移送しようにも、ちょいと込み入った事情があってな。見張りが必要なのだ」
その言葉に俺は心中で同意する。それならば、確かに、見張り役は誰かが受け持つべき仕事だろう。しかし、同時に浮かんだひとつの疑問が俺の口を衝いて出た。
「あ……さっきの男の人では駄目なんですか? あの人は転移系の能力だと聞いてますけど……」
「アイツの能力には制限が多いんでな」
はあ、なるほど~、と小声で返し、パスタを貪る。
天海は嘘をついた。
こう何度も騙くらかされては、いい加減にそのパターンも読めようと言うもの。天海が説明を端的に済ませる時は大体そうなのだ、と俺は学習している。
しかし、それをここで指摘するのは止めにした。暖簾に腕押し、糠に釘。適当に流されるか、強引に押し切られるのは目に見えていた。それに、状況が状況だ。
他方、未だ納得していない岸さんは、手にしていたフォークをテーブルに放りながら、なおも言い募る。
「違う! 何故、俺なのかという事を聞いている!」
「それは岸刃蔵という能力者が、この場で最もシブトイ能力者であるからだ」
ほらね、と得意げに自慢したい気分だ。
天海は地の口が上手いのに加え、立場、知識のアドバンテージも兼ね備えている。もしもの時は、そういう面を十全に活用して強引に押し切ってくるだろうし、レッドチームの面々では言い負かすのは不可能に近いだろう。
「お前の能力なら、万が一の場合でも死ぬ事はない」
「チッ……」
恐らく、ベストなのだろう返答に、不満を飲み込まざるを得なかった岸さんは、フォークを拾って口を噤んだ。それを見て、天海は口角をつり上げた。
「最後に、ちょっとした贈り物がある。夕食を取り終えたら確認しろ。使い方は六道が詳しいはずだ」
天海の指をさした先には、小さな箱が四つ積まれていた。皆がそれを確認すると、何時もの様に分体が足先からフローリングに解け始める。どうやら、ブリーフィングは終わりらしい。
意識は自然と料理に集中していくが、この後、天海が放った不吉な呟きに、俺は思わず笑ってしまった。
「食事はゆっくりで良いぞ。それくらいの時間はあるだろう。……最後の晩餐になるかもしれないのだからな……」
香椎さんは凍りつき、岸さんは眉をひそめ、六道さんは無表情、千覚原さんはおそらく緊張から嘔吐した。
天海が言う不吉な発言は洒落にならない。俺たちは信用せざるを得ない立場なのだから、せめて、嘘でも堂々と送り出してくれよ……。
こうして、麻薬カルテル剿滅作戦は、共同生活と同じく前途多難にスタートした。
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