1-2-2 トリヴィアル・アクト / 致命的擦過傷 その1



 古びた民家が石垣の如く両側に立ち並ぶQ-39地区の細道に、極めて濃い群青色の頭巾が鞠の様に跳ねていた。俺は、その様を漠然と眺めながら、歩き通して棒のようになった足を労った。


 ――事の起こりは今朝方に遡る。


 割り当てられた部屋――東京支部十六階A-007――にて目を覚ました俺は、東京支部内の閑散とした食堂で朝食を済ませた後、支給された制服を纏い、同じく支給されたタブレットを支給されたカバンに入れ、完璧なMCG職員の装いで交渉部レッドチームの部屋に赴いた。

 散らかる廊下をどうにかくぐりぬけ、扉を開く前に右手の赤いバンドの腕時計をチラッと確認する。時刻は世間一般でいう所の出勤時間帯である……完璧。そして、期待と、ちょっぴりの不安を胸に意気揚々と扉を開いたのだが、中に居たのは神辺さん一人だけだった。


「お早う御座います。制服、似合ってますよ」

「あ、どうも。ありがとうございます……?」

「ふふ……」


 神辺さんは『南無阿弥陀仏』と書かれた折り本を片手に、莞爾かんじと微笑んだ。

 カバンを手近な場に置きながら、姿の見えない灰崎さんと六道さんの所在を尋ねると、


「彼は時間にルーズなタチなのです。ま、それも責められません、REDは時間で拘束されていませんから。六道鴉りくどう あは知りません」


 と、返って来た。

 灰崎さんは時間にルーズ……ね。失礼かもしれないが、確かにそんな印象もあるなとちょっと納得してしまった。しかし、昨日から六道さんは何処に居るんだろう。天海も知らない様子だった。

 受け取った言葉を咀嚼しつつ、未だ交誼こうぎの浅い同僚へ思いを馳せていると、神辺さんが「そういえば」と口を切る。


「昨日から思っていた事なのですが、どうやら、敬語がしっくり来て無い様で……。無理せずとも私は気にしませんよ?」

「あ、いや、今まであんまり人と話さずに生きてきたから……。ちょっとした練習だと思ってやってるんです。折角、お給料で食べていける身分になったので、『社会人』としての心構えというか……何というか……」

「なるほど! そういう事でしたか」


 余計なお世話でしたね、と頭を下げて謝る神辺さんに、そんな事ないですよ、なんて返しつつ、時間を潰す為に床に落ちていた漫画雑誌を拾い上げた。

 結局、昨日は十二階以降の施設を一通り案内してもらっただけで仕事らしい仕事は終わり、その後は雑談だけで過ごしてしまった。更にその後は、人も疎らな食堂で彼らと共に夕食をとり、割り当てられた部屋に案内されて就寝。朝に顔を合わせた六道さんとは顔を合わせずじまい。

 聞くところによると、交渉部レッドチームには六道さんの他に“二名”所属しているらしいのだが、おりしく今は仕事で遠方に出向いているそうだ。仕事が無いフリーの六道さんが何をしているかは「謎」……らしい。

 彼女から貰った認識票ドッグタグは今も持ち歩いているが、この意味を彼女に問いただせる日は果たして来るのだろうか。


「そう硬くなるな! 楽に構えとけ!」


 昨日、施設を回っていた時、灰崎さんが俺にそう言ってくれた。


「俺達に回されるのは平穏無事に終わるような『交渉』じゃねぇ。そういうのは青とか黄とかがやる。俺達がやらされるのは、俺達と同じく一発でレッドカード認定されるような奴の相手ばかりなのさ! 偶に黄色イエロー

「いわば尖兵や捨駒に近い役割なのです。危険人物には危険人物をあてて対処しようという事なのでしょうね」

「まぁ安心しろよ! 俺たちレッドチームが五人……あー、いや、もう六人か! 六人しか居ねぇのを見ても分かる様に、仕事は少ねぇ。一度に二人も揃って出向くなんてのはレアケースなんだ」

「なるほど……」

「つか、ジャ◯プ読む?」


 ――そんな訳で、「すぐに仕事なんて来ないだろうし、暫くは大丈夫かな?」と完全に油断しきっていた俺に、十全な心構えが出来ていなかった事は確かだ。

 だから、唐突に降って湧いた天海の分体が、


「お前らでコイツをしてこい」


 とかなんとか言いながら、唐突に投げ寄越した紙の資料を受け取り損ねてしまったのは、何も、俺だけの瑕疵かしでは無いはず。


「相変わらず唐突な……」

「何を落としている。四藏匡人よつくら まさと、拾え」


 何時も通り、全てを見下した様な表情で天海の分体はそう宣った。いけ好かないなぁ。

 しかし、部屋A-007においてあった支給品のタブレットにでは無く、紙の資料? MCG機関に対して抱いていた先進的なイメージを裏切る様な、前時代的な媒体。それが、俺に言いしれぬ不安を抱かせた。

 ひとまず、言われるがままに床に落ちた二枚組の紙資料を能力で拾い上げてみる。すると、それを見ていた神辺さんが感嘆の声を挙げた。


「おお! 匡人さんの能力はそんな感じなのですね。いわゆる転移テレポート……とは少し違いますか? 引き寄せてる感じですものね」

「あはは、そうですね……」


 嬉々として絡んでくる神辺さんを適当に受け流しつつ手元に視線を落とす。が、その内容は筆舌に尽くし難く、上手く呑み込めない。掻き乱された思考は、しどろもどろな言葉を紡いでゆく。


「……ん? え、ちょっと! これってどういう――」

「新人研修だ。精々励めよ」

「あ、天海! ……えぇ」


 だが、縋る様に瞳を振り上げた時、天海は既に床に沈み始めていた。そして、短い言葉を発すると、天海の分体は完全に床へ溶け入る。部屋には、沈黙が流れた。

 鏡を見ずとも分かる、眉根に皺が寄ってゆく感覚。毎度のことながら勝手な奴だ。神辺さんも似たような心境に至った様で、横隣から溜息の声が漏れる。


「匡人さん、あの者に対しては何を言っても無駄なのです。きっと、彼女には神の声すら届かないのでしょう……それで、二枚目にはなんて書いてありました?」

「二枚目? えーと《Q-39地区付近にて感応波を探知した》……?」

「Q-39地区ですね、分かりました」


 二枚目に記述されていた情報を読み上げると、神辺さんは憂いの息を漏らして立ち上がった。その足で何処へ向かうのかとみれば、俺の持つ資料に目もくれず、扉へと歩みだした。俺は、思わず彼女を呼び止めた。


「神辺さん、資料、見ないんですか?」

「見ても……あまり意味はないと思いますよ。天海が持ってくるのはそういうのばっかり! 危険な能力者ジェネレイター相手に、万が一でも貴重な情報部の人員を削られたくないのでしょう。勝手すぎますよね……ほんと」


 神辺さんはくるりと振り向いて目を伏せた。諦観の滲むその声音は今にも消え入りそうで、否応なく、この紙資料に書かれている事が、間違いでもなんでもない、意図的な『戯言』なのだと悟らされる。


「――では、私は情報部の能力者ジェネレイターに渡りを付けておきますから、匡人さんは準備を整えておいて下さい」


 退室する直前、神辺さんは曖昧な笑みを浮かべた。



    *



《調査報告書》

レベル5資料

最終更新日:-


氏名: -

性別:女

年齢:65

住居:外宇宙


階位フェーズ:Level - Ωオーサル

能力名: -

能力:全知全能


備考0:与太郎よたろう

 天に逆立ち、地を仰ぎ、後ずさりの空中散歩。

 血中かけるヘモグロビンは二酸化炭素と結合し、呼気の酸素濃度は吸気を凌ぐ。


 右胸に宿る鼓動は連なる外宇宙の統一意識体。



    *



「訳わかんないな……」


 なんど見返してみても、なんど思い返してみても、天海から貰った資料は全く要領を得ない。というか、Ωオーサルは机上の存在じゃなかったのか? だが、さっき神辺さんに伝えた様に、二枚目の資料には《Q-39地区付近にて感応波を探知した》とのお役立ち情報が簡潔に記されていた。

 ……感応波ってなんだよ?

 疑問はさて置き、他にあてもない。そのため、俺と神辺さんは赤樫浮葉あかがし うきはさんという能力者ジェネレイターの手を借り、僅かな情報を頼りにして実地Q-39まで赴いたという訳だ。


「――と、ヒンドゥー教で於ける天地創造はこの様になされ――」

「へー……」


 眼前を右へ左へ跳ね続ける群青色の頭巾を眺めながら、長々と語られる宗教話に適当な相槌を打つ。

 たった今、ヒンドゥー教の天地創造神話である『乳海攪拌にゅうかいかくはん』を神辺さんが語り終えた所だが、その殆ど聞き流していた為に内容はあまり覚えていない。「道中で退屈せぬ様に」という純粋な気遣いなのだろうが、欠伸あくびも枯れてしまう程に興味が湧かなかった。

 それもこれも、あてもなく、拘りもなく、なあなあの内にこの細道を選んだのが全て悪いのだ。“聞き込み”をしようにも、こんな所に人などいる訳がない。誰でも良いから責め立てたい気分だが、「ちょっと、あっちに行ってみませんか」なんて言い出した阿呆は俺なのだから救いようがない。

 神が居るというなら、まずこの状況をどうにかしてくれないか、と日本人らしく分別無く祈りを捧げる三歩手前で、救いは賑やかな往来として現れた。道がぐんと広がり、都会のそれとはくらぶべくもないまでも活気に満ちている。どうやら、俺達はこの寂れた街Q-39地区の商店街に出たようだった。

 細道を抜け出ると同時に、先導していた群青頭巾がピタリと止まる。


「匡人さん見て下さい! たい焼きの屋台ですって、食べましょう!」

「屋台?」


 駆け寄って来た神辺さんの真っ直ぐ伸びた指先を辿ると、そこには長い行列と「タイヤキ」の暖簾を揺らす小綺麗な屋台があった。

 他でもない先達せんだつからの誘いである、是非とも御相伴ごしょうばんにあずかりたい所だが、ついさっきイタリアンレストランで食べたプッタネスカ・スパゲティが俺の胃袋に重く伸し掛かる。

 快諾したい思いとは裏腹に、俺の口をついて出たのは軽い非難の声だった。


「さっき昼食を取ったばかりじゃないですか。それに、すごい行列ですよ」

「……スイーツは別腹です。長い行列は美味しさの傍証! どうです、休憩も兼ねて食べませんか? あれだけの行列ですから、並んでいる間に隙間が出来るかもしれませんよ」

「う~ん……あ、あの屋台、手作業で会計してる様に見えますけど、MCGのカード使えるんですか? あれが無いと経費で落ちないんですよね?」

「それくらい奢りますよ! 先輩ですから!」


 角度を変えながら突っついてみたが、それでも一切ブレない神辺さんの食い意地は相当なものらしい。神辺さんは、修道服の下から取り出した財布を揺らして、俺の言葉を待っている。

 俺だって、初仕事の最中にあまりネガティブな事ばかり言いたくはない。だが、それでも、やっぱり、腹に隙間はできそうにないのだ。申し訳なく思いつつも、遠慮することにした。


「あ~いや、俺は遠慮しておきます。ちょっと……入りそうにないので……」

「そうですか……では、私だけで買ってきますね。匡人さんは休んでいて下さい」


 トテトテと寂寞を背負った後ろ姿が、あっという間に遠くなるのを見届けながら、近くにあったベンチに腰掛けた。

 悪いことしたかな? でも、入りそうに無いのは本当だ。

 それに、手隙てすきも悪い事ばかりじゃない。こうして腰を落ち着ける事で、方々をあてもなく彷徨い歩きながら聞き込みをしていた時とは違う視点からの思考が湧いてくるかもしれない。

 ふと見れば、意外にも商店街は盛況である。そこで、漸く今日と言う日が「休日」である事を思い出した。Q-39地区に対しては「寂れた場所」以上の感想を抱いていなかったが、居る所には居るものだな、人。

 変な感慨を抱きながら、思う。


 見つけられっこないだろ。


 寂れているとはいえ森で木を探すようなもの。砂漠で砂粒だ。

 神辺さんの呑気な態度を見るに、彼女も同じ様に思っているのかも知れない。今も、楽しそうに前後の行列客と会話している神辺さんを見ていると、そんな風に邪推してしまう。

 昨日の灰崎さんの話によると、他の交渉部と違って赤色レッドチームに回される仕事は、情報が不十分な事も多いらしい。「明確なのは“所在地”ぐらいだ」と。普段、どれほどの情報が与えられるかは知らないが、今回のそれは明らかに不十分だと思う。

「危険な能力者ジェネレイター相手に、万が一でも貴重な情報部の人員を削られたくないのでしょう」と、神辺さんはそう言っていた。特に、今回は『新人研修』の名目かつ天海から直接やらされている仕事だ。所在地すら不確かなのは一種のイレギュラーなのだろうか。

 果たして……これを試金石とするつもりか?


「……続報待ち、かな……」


 この件、俺達だけに調べさせているとは考えづらかった。神辺さんの能力も少し見せてもらったが、それも捜索に向いている訳じゃない。

 天海は、本気で俺達に見つけられると思っているのかな。

 いや、思っていないだろう。恐らく、別に動かしている人員が既に居場所を掴んでいたりして――と、そんな事を考えていた時だった。

 あまりにも唐突に、彼はそこに居た。

 それこそ天海とタメを張る唐突さで、悠々と、彼はそこに居た。


「『いい天気ですね』」

「えっ……」


 気付いたのは、その呼び掛けによってだった。声に釣られて左隣を見遣れば、確かに、声の主はそこに居た。

『何時の間にか』である。

 とてつもなく胡散臭い見た目をした青年が、がっつり寛いぎながら座っていた。まるで意識の間隙を狙い澄まされたかの様に、俺は彼の存在に気づけなかった。彼が左隣にした動作を全く感知できなかった。

 一見して詐欺師を想起させる風貌。でなければ、ポン引きか。そんな彼が話しかけたのは、周囲を見渡す限り俺で間違いないようだった。


「はぁ、まぁ、『いい天気』ですね……?」


 考えようにも頭がまわらず、半ば反射のみでそう返す。

 そんな訳がないという事は十全に理解している。天には、気分までも沈む重くドス黒い曇天が、二つの別地球すら覆い隠しているのだ。

 だが、彼は、俺の心情を引っくるめた全てを肯定した。


「『でしょう』? この辺りは盆地になっていましてねぇ……ふふっ、今日はどうされたんです? ここらの人じゃあないですよね」


 俺は、薄笑う青年を見ている内に、なぜ彼が話しかけて来るまでその存在に一切気付けなかったのか、最終的な結論に至った。

 彼は、存在そのものが“希薄”なのだ。目の焦点を少しでもズラせば、途端に、その姿は背景の大多数にまじり、そして何時しか消えているのである。意識から、思考から。

 身なりから醸し出してくる怪しげな雰囲気も、やけに丁寧すぎる物腰も、気安さなんて、親しみやすさなんてごうも微塵も感じる事が出来ない。しかし、なぜだか分からないが、俺は、彼を構成する全てから放たれる不思議な引力を無視できず、応対を続けてしまっていた。


「……仕事です」

「へぇ、そうなんですか……と、申し遅れました、僕はこういう仕事をしている者です」


 彼が薄っぺらな言葉と共に差し出した芍薬の香りには、わずかばかりのテキスト情報が付与されていた。短文である故、秒も掛けず、俺は内容を把握した。


  【不仲屋ふなかや】 螺子法大ねじ ほうだい


    東京都青梅市 xx xx-x-x


「ふ、不仲屋……?」

「はい」


 思わず読み上げてしまった小さな声に、不仲屋の法大とやらは嬉しそうに返事をした。


「ふ、な、か、や……」


 名刺に印刷された文字をなぞり、手に触れる感触を確かめながら再度読み上げてみるも、その商売の全容はさっぱり想像が付かない。

 ……やはり、彼は胡散臭い見た目どおりの詐欺師なのだ。クリスチャン・ラッセンの絵とか、安っぽい壷とかを高値で売りつけてくるつもりなんだ! と、そんな下らない冗談はともかく、俺の手に余る人物である事は確かだ。

 頼むから早く戻ってきてくれと神辺さんの方を睨むも、行列は未だ半ば。落胆の念を隠しきれずにいると、彼は嬉しそうに喋り始めた。


「あ、いま、胡散臭いって思ってるでしょう! でも『これはインパクト重視で付けただけなんです』よ? 僕はね『全人類同士で友達になりたいだけ』……ただ、それだけなんです」


 余計胡散臭くなった。

 その言い訳で信用する人間は居ないだろう。しかし、詐欺師じゃなくて宗教家だったのか、もしかしたら神辺さんみたく……やばい人かも。


「フフフ、そんな顔しないでください。素直な人ですねぇ。そういう人って僕は好きですよ」

「宗教の勧誘なら――」

「違いますよ! どうせお暇でしょう? 暇つぶしをしましょうよ、暇つぶし。コスプレをしたお連れの方なら暫く戻ってきませんよ。あの行列の長さです」


 彼の言う事は尤もらしかった。あの行列、さっきから助けを求めて頻りに眺めているのだが、全く進んでいない。暫く、神辺さんは戻ってこないだろう。

 ……つまり、俺一人で彼の相手をしなきゃいけない訳だ。


「ところで、不思議に思いませんか? こんなくたびれた街の商店街で、あのたい焼き屋台だけが妙に大人気。不思議ですねぇ」

「……」


 言われてみれば、確かに不思議ではある。ずらずらと、現在進行系で更に伸び続けている行列は、常に「きゃいきゃい」と楽しげな声で満ちている。客層は若い女性が中心の様で、丁度、いま神辺さんと写真を取っている二人組も、学生ぐらいにみえる若い女性だ。


「簡単な理由ですよ、それも極めて現代的な理由です……あの屋台 “SNS” でバズったんですって。暖簾の横の看板が見えますか? あそこに彩り豊かな賑やかしメニューが置いてありましてね、形とか選べちゃうんです」


 基本形のタイの他に、ヒラメ、マンボウ、人魚にイルカ。加えて、色まで変えられるらしい。白たい焼き、黒たい焼き。彼らのサービス精神はそれだけに留まらず、手間暇かけて食えもしない飾りまで付けてくれる。邪魔ですねぇ! 彼は、一息でそこまで話し切ると大きく息を吸い込んだ。


「はぁ~、そのお陰で行列が進まないのなんのって。見て下さい、みんな写真を取ったあと、あそこのゴミ箱に色々と捨てているでしょう? 実はアレもまた “SNS” で映えるんですよ」

「……嫌いなんですか? 流行りモノ」


 あまりにも熱意を持ってたい焼き屋台の欠点を語るので、てっきりそうなのではないかと尋ねたのだが、彼は仮面の様な表情と大袈裟な身振りで否定した。むしろ、そういうのは大好きです、と。


「資源の無駄だとか、どうせ美味しくないとか、そんな無粋な事を言ったりしませんよ。ただ “SNS” ……『あれは良くありません』」


 そう言った瞬間、彼の横顔が深い憂いを帯びた様に見えた。しかし、すぐに胡散臭い印象に塗り潰される。


「あれに心を狂わされ、行動の全てを振り回されてしまっている人を見ると……どうにも『哀れでなりません』。それに、時に要らぬ憎悪と諍いの種にもなり得る。『不仲屋を興した目的は全人類同士で友達になる事』ですからね、僕は気をもんでしまいますよ。どうして人という生き物は自ら不幸に突き進んでしまうのでしょうか……」

「はあ……そうですか……」


 それを言うのは二回目だ。

『全人類同士で友達になる事』

 分からない。

 本気で『全人類同士を友達にさせたい人間』ってのは、一体どういう商売を始めるのだろう。全く想像できなかった。その上、名前を「不仲屋」にする感性も分からない。センスが混線してるんじゃないのか。

 そんな思考も、彼の混沌とした瞳に、全て見透かされている様に思えて仕方がない。その瞳で以て顔を覗き込まれると、俺は促されるまま、責付かれるままに口を開くしかない。


「……それで、どういう商売なんです? 不仲屋って……」

「よくぞ、聞いてくれました! 『不仲屋が最も多く携わる案件についてご説明いたしましょう』!」


 聞いてほしそうな雰囲気を出してたくせに、とは言わない。

 急にノリノリになった彼は、時々顔を変に歪めつつ緩急を織り交ぜながら、滔々とした語りを繰り出してきた。


「現代日本人の抱える心配事の中で、最も深刻かつ身近な物はなんでしょう」

「……お金ですか?」

「そう! コミュニケーションの問題です。最近はそういった事に関して悩む人が非常に多いのです。友人と喧嘩した、恋人との仲が冷え切っている、上司や部下と上手く付き合えていない……等々。しかし、それ等の問題を自らの持つコミュニケーション能力だけで解決するのは容易ではないのです。何故なら、解決できるのならそもそも困っていないからです」


 ――そこで、僕の出番なのです、と彼は自信を持って言い切った。


「『気持ちばかりの金銭を対価』に、僕が間に立ってかわりにお話をさせて頂きます。不仲を撲滅する商売――つまり『本来であれば「仲直り屋」、「仲介屋」と称すべき』ですが、これは『インパクト重視なのです』よ!」


 はぁ、『インパクト重視』……やけに押してくるな、妙に頭から離れなくなってしまったじゃないか。しかし、聞く限りでは慈善事業の様に聞こえなくもない。果たして、それで食っていけるのだろうか、と考えたところで俺に話しかけた理由も察しがついた。


「詰まる所、これは営業って事でいいんですか? これだけ長々と話して……」

「『そんなところです』……貴方、悩んでいるでしょう。仕事の事……いや、それ以外でも悩んでいる筈だ」

「そんな事は――」

「『僕には分かります』」


 彼が完璧に詐欺師然とした顔で、ずいっと俺の顔を覗き込んでくる。すると、俺はその極めて胡散臭い表情が放つ迫力に押されて、遮られるままに口を噤んでしまう。


「言ったでしょう! 僕は『全人類同士で友達になりたいだけ』なんです! しかし、同時にその難しさも理解しています。ですから、まずは身近から! 泣いている人を見捨ててはおけないのです! ――どうか聞かせてはもらえませんか。『必ず、僕が力になると誓います』」


 勢い良く早口で捲し立てた彼は、悪魔のような笑みを浮かべて俺の両手を取った。視界に広がる彼の表情は、途方もなく胡散臭くて、カエルを取って食う直前の毒蛇の様な危うい気配を纏う、生命の危機すら感じる笑みだった。

 それでも、確固たる疑心を胸に抱きながらも、「詐欺師」だ「毒蛇」だと心中で罵りながらも、『彼の言葉』を心から信じてしまっている自分がいた。

 また、俺の口がひとりでに開いてゆく。


「俺――」

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