1-1-2 MCG機関
思い出した。
あの時だ。
俺という無銘に【四藏匡人】の名が付いたのは、あの時――
*
「……」
「……」
あの日、日本本土には台風18号だか19号だかが直撃していて、俺の滞在していた街も土砂降りの天気だった。誰も彼もが家に留まり、大人しく過ごす予定を決め込んだ事だろう。
そんな中にあって、俺と、そして彼女だけが雨に濡れていた。
俺が雨に濡れていた理由?
それは単純明快で、単に行く所が無かったのだ。
宿に泊まるぐらいの小銭はあった。
だが、せこせこ盗んで貯め込んだケチ臭いなけなしの金を、宿だの、雨具だの、腹に貯まらない物なんぞに使う気はさらさらおきず、『CLOSED』のシャッターが降りた店の軒下に座り込んで、各々の家路に就く人々をただ眺めていた。
――やがて陽も落ち、人の往来も途絶え、雨風の音以外には何も聞こえなくなった頃。
「……」
「……」
彼女はそこに立っていた。
強風に煽られた所為だろうか、骨がバキバキに折れて使えなくなったビニール傘を両手に携えて、彼女は土砂降りの中心に儚く立っていた。
*
――シャリ、シャリ。
暗闇に、そんな水っぽい音が染み渡る。
此処は……何処だ?
徐々に、意識が浮上してゆく。
感覚の定かではない手で、掠れた視界を僅かに擦ってみるが、映るのは輪郭のぼやけた一面の白だけで情報に乏しい上、耳に届くのも先程から続く「シャリシャリ」という音ばかりである。
鮮明に見えてくる天井、壁、パーテーション、そして俺が寝ているベッド……そのいずれもが真っ白……。
ここは病院なのだろうか……?
その時、ふと鼻をくすぐるラベンダーに似た香りの存在に気付いた。病院という空間には場違いな程に爽やかで猶且つ華やかな香りに、俺は覚えがあった。どうやら、その匂いは音の発生源からほど近く漂っているのだと悟り、追って枕元へ振り向いたのと、可憐な声が俺に降り注いだのは同時だった。
「あ……匡人さん」
そこで、俺の隣で、柔らかく微笑んでいた栗色の髪の彼女は――
「――瞳さん!?」
「わ……」
視覚情報に反応し、意識は急激に覚醒した。
思わず飛び上がる様に身を起こした俺の正面で、目を丸くした瞳さんが後頭部の辺りで纏めた栗色の髪を揺らしている。
安っぽい備品であろう丸椅子に腰掛ける彼女には、見たところ外傷の類は無い。小奇麗な白色基調の制服の様な服装を身に纏い、右手には爪楊枝に刺さったリンゴ一切れを携えている。
ついさっき皮を向いたのだろう。彼女の横に設置された白い棚には、破片状になった皮がナイフと一緒くたに白い皿の上に堆く積まれていて、その隣には不格好に切り分けられたリンゴ数切れが、せせこましく並ぶ。
意外と不器用なんだな……じゃなくて!
「……え、生きて……?」
「はい。生きてます、よ……?」
瞳さんはトボけたような表情で、さっきから持ったままだったリンゴにかぶりつく。大袈裟な動作に、後頭部で纏めている彼女の長い髪先が揺れた。
――シャリ、シャリ。
どうして生きてるのか、ここは何処なのか、怪我はないのか……。
様々な疑問が脳裏に浮かんでは消えて行く。
混迷の果て、こんがらがった思考の果て、最終的に口をついて出たのはどうしようもなく下らない言葉だった。
「じ……自分で食べるんだ。リンゴ……お見舞いとかじゃなくて……」
「匡人さんも食べますか? 二週間も寝てたから、胃がビックリしちゃうかもしれませんけど……」
「二週間!? そんなに寝てたのか……?」
瞳さんの言葉に、土壇場の光景がフラッシュバックする。
あの時の、色濃い死がじりじりと迫りくる感覚は、未だ身体から抜けきっていない。
奴の笑み、言葉。
脚元を万力の如く締め付ける水の感触。
全身を覆う水。
そして――暗転。
脳裏に焼き付いてしまった鮮明過ぎる光景達が俺に錯覚させる。
それらは、ついさっき起こったばかりなのではないか、と。
……あの敗北は現実の筈。
だが、目の前で呑気にもリンゴにかぶり付く瞳さんの姿が、正常な思考をかき乱す。
それに、その格好はなんなんだ。
「あの、瞳さん。さっきから気になってたんだけど、その格好って……それに此処は……?」
「これ? これは――」
――と、その時だった。
瞳さんの言葉を遮る不意討ちの声音と共に、奴は白いパーテーションの向こうから現れた。
「MCG機関の制服だ」
「ッ! お前は――!」
「あ、天海さん」
間違いなく奴だ。
瞳さん同じ意匠の制服を身に纏っているが、見間違える筈も無い。
瞳さんに天海と呼ばれた奴は、ベッドのそばまで悠々と歩み寄って来て、瞳さんの隣の壁にもたれかかった。すると、瞳さんは朗らかな笑みを浮かべて、天海とやらに挨拶と会話を始めた。
一体、俺が昏睡している間に何があったのだ。
状況に付いて行けていない俺の疑問に答えるように、瞳さんが話し始めた。
「天海さんと少しお話したんだけどね。それでなんやかんやあって……私は、MCG機関の事務員になりました~」
「なんやかんや?」
ぶい、と瞳さんは二本指を立てて微笑む。
いやいや、事情が全く飲み込めない。と言うか、瞳さんはその天海とかいう奴に殺されかけてるんだぞ。何でそんな朗らかなんだ。
それに、未だ信じられていないんだ。
あの時、瞳さんは確実に息絶えていた。
少なくとも俺にはそう見えた。
「……ふむ、仕方ない。
なんやかんやの一言で「説明」という概念そのものに喧嘩を売る瞳さんを見かねたのか、天海がバトンを引き継いだ。
「ひとつずつ話そう。まず、ここは『MCG機関』の『医務室』だ」
「MCG……機関?」
「『正義実現』を標榜する各国政府基金の秘密機関だ」
《MCG機関》
《Maintaining Confidentiality f Generator》
この機関の設立は、十数年前(つまり空に別地球が現れるよりも前)に、次世代型変異の罹患者である
その主な業務内容は、
一、おおよそ十万人に一人の割合で発生する
一、
一、そして、それらを世間から隠匿する事。
の三点に要約される。
但し、今はこの他に、空に浮かぶ二つの『別地球』に関する案件にも携わっているらしい。その為、日本での正式名称は『第三次元宇宙機関』と変更されたのだが、専ら前名称である『MCG』か『MCG機関』で呼ばれるらしい。
……どうやら、聞く限りではモルモットにはならずに済みそうだ。
それは一安心。だが、同時に新たな疑問も生まれる。
あの闘いの目的が俺の『保護』だと言うのなら、その為に齎した被害が甚大過ぎるのではないか、という疑問だ。街は壊滅状態であったし、瞳さんの様な一般人の死傷者(?)も出ている。
到底『正義実現』を標榜する組織のやる事とは思えない。
そう尋ねてみた所、
「身の程を知れ。お前程度の小悪党を連行する為だけに街並や
「……パフォーマンス?」
「殺してなどいない。傷付けてすらいない。誰もな。街だってそっくりそのまま今もあるさ。可愛川瞳も此処に居るだろう。アレだけの量の水を操作し、
と、そう返って来た。これもは俺も「はぁ」と生返事。
どうにも腑に落ちない説明だ。確か、さっきは『隠匿が目的だ』とか言っていなかったか。
俄には信じがたい。信じ難い、が。
「……? 匡人さん、どうかしました?」
目の前で首を傾けてみせる無傷の瞳さんを見ていると、納得して飲み込むしか無いようにも思えた。
確かに彼女は無傷。死んでなどいない。「そうなのだ」と言い切られてしまうと、それまでで、追求の言葉なんて出てこない。
「瞳さんが生きてる理由はわかった。けど、どうして事務員なんかに? 話を聞く分には俺だけ誘えば良い様に思えるん……ですけど」
再度、疑問をぶつけてみると、天海は鼻をならして見下した表情を作った。
……いけ好かない顔だな。
「利害の一致と高度な政治的判断だ。本来であれば、異能の存在を知った一般人には記憶処理が施されるのだが……。……」
「天海さんがね、『MCG機関の職員は公務員扱いだ』って言うから」
「……瞳さんは、それで良かったの……?」
「う~ん……と言うか、あのボロアパートって匡人さん以外の人はもう出ていっちゃってますし……新しい入居者は全然来ないし……」
「そうだったの!? 俺以外に居なかったんだ……」
「もともと、親から引き継いだ道楽みたいなものだったから。いい機会かな、って……」
態度から薄々察しはついていたのだが……やっぱり、お金には困ってなかったのか。いつも多めに家賃を渡していたのは迷惑だったのかもしれない。自己満足と自覚していたとは言え、ちょっと気まずい。
けど――
「あ、天海さんもリンゴ食べます?」
「ふむ、一切れ貰おう」
「どうぞ!」
瞳さんは無事で此処にいる、そして笑ってる。
それだけは確かな事なんだ。
……それでいいじゃないか。
現状を把握し、俺は少し気が軽くなった。……気がした。
「なぁ、天海……さん? 今後、俺と瞳さんはどうすればいいん……ですか?」
「さっきも言ったが、
天海は懐から一枚のコピー用紙と、道行くサラリーマンが首から下げている社員証の様な、赤い紐に括り付けられた長方形の薄い物体を俺のベッドに向けて投げ寄越した。
突然の行動に驚いたが、俺は右手で握り込んでそれらを受け取った。
《四藏匡人》
MCG機関 東京支部/交渉部
クレジットカードぐらいの大きさで、全体に赤色があしらわれた社員証的なカードには、簡潔にそう記されていた。右半分が大きく空いているのは、写真用のスペースであろうか。
しかし、交渉部か……どのような業務内容なのだろう。
「MCG機関の管理下に入った証だ。なくすなよ」
「私も持ってますよ」
そう言って、瞳さんは黄色の紐に括り付けられた黄色のカードを懐から取り出して見せてくれた。
《可愛川瞳》
MCG機関 東京支部/事務二課
「さて……明日には他の『交渉部』の連中に引き合わせるから、それまでにはそっちの紙の内容を覚えておけよ」
「私もそろそろ戻りますね。病室に長居するのも……ね?」
「あぁ……はい。瞳さんも、それじゃあ……」
目的は終わった。と、そう言わんばかりに天海はさっさと退室して行き、瞳さんもそれに続いた。
ふと見ると、正面の壁に掛かっていた時計は十三時丁度を指している。瞳さんは昼の休憩時間に見舞いに来てくれたのだろう。天海の方はどうだか知らないが、瞳さんは事務作業に戻ったのかもしれない。
……ヒマだ。
天海は情報を伝えるだけ伝えて去っていってしまったし、考えを纏まる時間は腐るほどありそうだった。
「取り敢えず、もらった紙でも……読むか?」
急に静かになってしまった医務室で、俺は所在無げに手元のコピー用紙を眺めた。
*
┌ ┐
以下は、それらを段階別に分別した物である。これを
↑ 浅層
Phase.0
無能力者が属する。
呼び名は無いが敢えて呼称するならば
Phase.Ⅰ Α《アハサ》
【次世代型変異】の無自覚な罹患者が属する。
この段階では、日常生活に於いて不可思議な事件や現象が頻発する程度。
Phase.Ⅱ Β《ベルカン》
自らの特異性と異能の性質を制御下に置いた者が属する。
Phase.Ⅲ Γ《ギバ》
能力が大規模性を帯びている者が属する。
下記ダグスとの違いは後述。
Phase.Ⅳ Δ《ダグス》
能力が更に大規模性を帯びている者が属する。
具体的な線引きとしては、視界外にまで能力を行使できる点が挙げられる。
五感に頼らず、イメージのみでの行使を可能とする者。
Phase.Ⅴ Ε《エイフゥース》
更なる段階へ到達した者が属する。
Phase. - Ω《オーサル》
階位の枠組を超越した者が属する。
全知全能の神に限りなく近い、万能の存在である……筈だ。
↓ 深層
最後の
深化の果てに至るまで進化を続ければ、最後には神化するだろうという寸法。
これは予測というよりは希望的観測に近い。
未だ研究も進んでいない分野における呼称。忘れてもらって構わない。
└ ┘
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