1-1-3 レッドチーム



 閉め切られた医務室のカーテンの隙間から、朝の爽やかな陽気が入り込んでくる。その柔和な温もりは、窓際のベッドで眠る俺の顔にもかかり、眠気を取り払う効果を果たした。


「ん~……」


 徐々に意識が覚醒してゆくのを感じながら「静かな朝だ」と掛け値なしにそう思った。東京支部の医務室という事で、てっきり防音設備が整っているおかげだと思い込んでいたのだが、どうやら立地のお陰らしいと昨日の夜に気付いた。

 都会の騒がしいエンジン音、エキゾースト音は遥か、辺りはシンと静まり返っている。だが、決して不安を掻き立てる様な静けさではない。耳をすませば小鳥がさえずり、獣の息遣いすら聞こえてきそうだ。


「ふゎ~あ……」


 大きな欠伸を漏らしながら、ぐったりとした身に力を込めてゆく。

 体内時計には自身がある。寝起きのそれが正しければ、そろそろ看護師さんに聞いた朝食の時間になっている筈なのだ。

 今日はパンの気分だな、とそんな事を考えながら開いた寝ぼけ眼の視界には、夢にまで出てきた一面の白だけでなく――


 目も醒める様なが混ざっていた。


「うおゎっ!」


 繰り返す瞬きごとに明瞭クリアになってゆく視界の中で、透き通るような黒一点である『彼女』は徐にその小さな口を開いた。


「りくどうあ」

「り、りくどうあ? だ、だれ……です?」


 昨日、瞳さんが座っていた丸椅子は俺の正面――つまりベッドの脚元の方へと移動しており、その上には小柄な少女がちょこんと安置されていた。肩口で切りそろえられた絹の様な黒髪、透き通った黒目、統括して日本人的な風貌だ。身に纏う赤色のラインが目立つ黒いセーラー服には、同じく赤のリボンが結び付けられている。

 そんな彼女が、一切微動だにせず、口元だけを動かして端的な言葉を吐き捨てたので、俺はホラー映画に出てくる日本人形を想起してしまった。ちゃんと見た事もないのに。

 半紙しろに垂れた、一滴のくろ

 そんな組み合わせも相俟あいまって、「りくどうあ」と話しそれっきり黙りこくる少女は、この医務室に於いて決して無視する事の出来ない存在感を発揮していた。

 恐らく間抜けな表情をしているだろう俺の正面で、彼女の口が再度開かれる。


「りくどうあは私の名前。六道りくどう。呼び方は『むっちゃん』でいい。恥ずかしいなら『六道ちゃん』でも可」

「はぁ……えーと、どちら様で……?」

「これ」


 端的な言葉と一緒に無造作に提示されたのは、例の赤い紐が括り付けられた赤いカードだった。


《六道鴉》

 MCG機関 東京支部/交渉部


 交渉部、とハッキリそう明記されている。

 俺が受け取ったカードも、六道さんのカードも、全面に赤色が使われているが、果たして赤が交渉部のテーマカラーなのだろうか。それはさておき、これで彼女が言わんとする所は言葉少なにも理解した。

 つまり、“新人である俺に挨拶に来た”とそう解釈していいだろう。ちょうど今、ずいっと突き出された小さな手も含めて、俺はそう考えた。


「よろしく」

「よ、よろしく……」


 こんな朝早くに、どうも……。

 思わず口を衝いて出そうだった嫌味は飲み込み、差し出された右手を握り返した。握手の経験など少ないが、その中でも、いや、今後一生に渡って、とびっきりにぎこちない握手だろう。


「ん」

「……ん?」

「ん!」


 強引に掌に押し付けられる、冷たい異物の触感。

 何事かと六道さんを見ると、彼女は何やら頻りに口をパクパクとさせ始めた。“何かを伝えようとしている”という事だけは伝わるが……何を言いたいのかはさっぱりだ。

 握手が離れる。

 俺は、手中の握らされた物を見遣った。


《NO.------ ―条――》


 それは、軍人の認識票ドッグタグにも似た金属製の小さなプレートだった。六道さんの小さな手に収まっていたほどの、本当に小さな物。その内容は、鋭利な何かで削り取られてしまったのか、一部しか読むことは出来ない。

 これは一体、何なのか。

 そう尋ねようとベッドの脚元へ視線をやったのだが――


「……って、え? 居ない?」


 そこに六道さんの姿はなかった。安っぽいプラスチックじみた見た目の丸椅子が、何事もない風で置かれているだけである。

 透明な黒一点など、何処にも無い。

 ――その時、不意に俺の耳元を吹き付けた微かな吐息に身体が跳ねた。


「それ、誰にも教えちゃダメ。見せるのもダメ。とくに天海には」


 気が付けば、黒一点は俺の視界の端に移動して、俺の耳元に顔を近付けて立っていた。思わず生唾を飲み込んで、なんとか言葉を絞り出す。


「……えと、これは……?」

「それはえん。同郷のよしみ。きっと私に感謝する」


 六道さんの小さな両手が俺の右手を掴み、認識票ドッグタグらしき物を隠すように、俺の右手を強引に畳み始めた。そして、完全に認識票ドッグタグが隠れたのを確認すると、彼女の透き通った瞳孔が僅かに揺れ動いた。


「じゃ」


 突如、すっと身を起こした彼女は、またたく間にパーテーションの向こう側へと消えていった。あっちには確か医務室の入口があった筈……と、そこでようやく、六道さんは帰ったのだと気付く。


「あ、六道さん、それじゃ、ぁ……」


 別れの言葉を発してはみたは良いものの、果たして届いたかどうか。前後して入口の方角から響いた、ガタン、ガタン、という大きな音に掻き消されていなければ、あるいは。


「四藏匡人さ~ん。朝食のお時間で~す」

「あ、あぁ、ありがとうございます」


 白いパーテーションの向こうから、白いナース服の看護師さんが姿を現した。次いで、おっとりとした声が跳ねるように医務室に響く。

 六道さんと入れ替わる様な形で、重そうな配膳車を押しながらやって来たのは、昨日も夕食を配膳してくれた看護師さんだった。先程の音は、引き戸のレールか何かを配膳車が乗り越えた音だろう。

 見るに、朝食はパンらしい。それは嬉しい事だが……何だか、もやもやする。


「あの~、匡人さん」

「あ、はい。なんですか?」

「もしかして、あそこのドアってずっと開きっぱなしでした? だとしたら、昨日の夕食の時ですよね。でも、夜に見回りに来た時は閉まってたような気が……」

「え? いや、今……」

「……?」


 急に口を噤んだ俺を不自然に思ったのか、看護師さんは配膳を続けながら疑問の表情を隠さない。

 だが、俺はそれっきり口を開かなかった。

 理由はわからないが、なぜだか六道さんの事を口にするのは憚られたのだ。もしかしたら、彼女に「認識票ドッグタグらしき物を秘密にしていてくれ」と言われたのが変に効いていたのかもしれない。

 最近はこんな事ばかりだ。現実なのか、夢でも見ているのか。

 俺は、看護師さんが退室した後も、暫く朝食に手を付けられなかった。


 その日の昼過ぎ、相変わらず唐突にやって来た天海に連れ出されて廊下を歩く。

 二週間も昏睡していたというのに、身体の動きには一切の支障が無かった。だが、聞くのもかえって恐ろしく、きっと能力者ジェネレイターとやらが治療に関わっていたのだろうと無理やり納得しておく事にした。

 道すがら、天海に聞かされた説明によると、どうやら『医務室』と言う言葉はこの建物全体を指していたらしい。曰く、日本のMCG機関が建てた医務室は長野の山奥にひっそりと建てられたコレひとつだけで、態々交通の便を悪くする事で世間からの隠匿としているのだそうだ。

 しかし、長野県?

 俺が配属される予定の支部からは随分と離れている様に思える。その上、交通の便も悪いと来た。だと言うのに、天海は連日訪ねてきているし、昨日は瞳さん、今朝は六道さんが見舞いに来ていた。これはどういう事だろう。

 その疑問は、天海に連れられた先、医務室の地下階層で水に落ちた淡雪の如く寛解する事となる。

 ガタン、と地下直通エレベーターが大きく揺れながら停止し、重苦しい扉が開く。すると、俺と天海を出迎えた薄暗く広い部屋には、幾つもの扉が立ち並んでいた。おしなべて似たようなデザインで、何処にでもありそうな、そんな何の変哲もない扉である。

 天海は、その中でもっとも中央に位置する扉を指差した。


「この扉の先が東京支部だ」

「……この先?」


 確かに、近付いてよく見れば、その扉の目線ぐらいの高さには《東京支部》とそう書かれている。しかし、どう見てもそれは唯の扉だ。

 納得できず、天海に説明を求めると返って来たのは侮蔑的な表情だった。続いて「想像力が足りないぞ」という言葉も添えられた。


「フンッ、MCG機関には転移系の能力者も所属している。この扉は彼らが設置した物だ。行き先が固定されている『どこでもドア』だと思えばいい」

「どこでもドア? う~ん……これ、偶に失敗してバラバラになったりしない?」

「何を訳の分からない事を言っている。行くぞ」


 俺がまごついている内に、天海はさっさと扉を開いて向こう側へと行ってしまった。乱暴に開け放たれた扉が衝撃で揺れており、その先には変色した異空間の断面が、大口を開けて俺を待ち構えている。

 猛獣の檻に飛び込む様な気分だ。しかし、俺に選択権は有ってないような物である。

 俺は、意を決して変色した異空間へと飛び込んだ――



    *



 ――決死の思いも虚しく……という表現で正しいのだろうか。空間を飛び越える大スペクタクルの旅路は、乗り心地なんてものを感ずる間もなく終了した。


「やっと来たか。おい、出入口でボサッと突っ立ってるんじゃない、迷惑だろう」


 それもそうだ。もし、後続が来たらぶつかってしまうだろうと思い、素直にその場を離れた。

 個人的な感情を述べれば、天海に常識を説かれるのはかなり心外である。が、ともかく、天海に続いてまたもエレベーターに乗り込んだ。今度は上へ向かう。


「MCG機関の東京支部は都心に屹立し並ぶ高層ビル群内の一つだ。日本に点在する支部の中では最も規模が大きい」


 へえ、ここにも東京一極集中の波が。


「これから向かう十一階がお前の職場となる」

「あの~、聞いてもいい……宜しいですか?」

「良いぞ、何だ」

「一階から十階は……?」

「偽装用の階層だ。別に立入禁止という訳じゃないが、行っても愉快な気分にはなれんぞ。それと十二階以降には様々な施設がある。そっちは配属先の連中にでも教えてもらえ。さて、着いたぞ」


 天海の言葉に階層表示を確認すると、ちょうど、淡い黄色のランプが十一階のマークを点灯させ、チーンと間抜けな軽い電子音が鳴り響いた。前後して、エレベーターが揺れもなく停止する。

 これから向かう先が俺の職場となる。そう思うと、子供じみた期待感が湧き上がってきた。今回のに対して、思う所は色々とある(半強制的であったし)。とはいえ、渡りに舟というのも本音だった。

 正直に言って、晴れやかな気分である。

 スリだの、置引だの、そういう邪道を行くのは楽だった。それは、精神的にも肉体的にもそうだ。

 ヘドロの様なぬるま湯から、俺は自力で抜け出す事が出来なかった。本当はもっと早くマトモに働きたかったのだ。

 だが、踏み出せずにいた。

 身分証も無ければ、学も無い俺は、温いヘドロに肩まで浸かって、そのまま沈んでいく人生なのだ、とそう思っていた。

 しかし、これからは違う。唐突に訪れたこれは好機なのだ。あの時のイザコザなんて忘れてやってもいい。瞳さんも生きてたし。

 天海の横に並び立ち、開かれてゆくエレベーターの扉の前で待機する。この目で、しっかりと確認してやる為だ。瞬間――俺の目に飛び込んできた溢れんばかりの“光”に、俺は思わず嘆息を漏らした。

 エレベーターホールを横切る廊下は真っ白で、塵ひとつなく、歩いた後に反響するコツコツという足音が心地いい。高い天井に取り付けられたLEDの照明が照らし出すのは、間違いなく、憚る事を知らない正義なのだろう。

 例えるなら、公明正大、或いは清廉潔白の代名詞といった所か。

 頗る良い。第一印象は頗る良いぞ!


「お~……」

「こっちだ」


 天海の先導に従い廊下を右に進むと、徐々に、天海や瞳さんと似たデザインの制服を身に着けた者がちらほらと現れ出した。彼らは、皆一様に“必ず”天海に話し掛ける。それも笑顔で「天海さん」「天海さん」「天海さん」と。そして。


「天海さん、彼が……例の?」

「ああ」


 そして、“必ず”後ろにいる俺をチラリと見るのだ。その表情は、俺の短い人生の中で数える程にしか見たことが無いものだった。

 天海は、俺の紹介もせず、彼らの紹介しないので、多分、彼らは同僚ではないのだろう。会話を取り持たれる事もなく、さっさと進んでしまうので、俺は彼らの首からさがるカードと紐の色しか観察できなかった。その内訳は、青、青、青、偶に黄といった具合で俺や六道さんと同じ赤はあまり見かけない。いや、より正確に言うならば一人も居なかった。

 赤色が交渉部の色なのかと予想していたが、どうもそういう訳ではないらしい。カードにはっきり交渉部と明記されながら青色、黄色の者も居た。

 なら、これはどういう意味なのか、赤色とは……? 自分の首に下がるカードを見詰めても、返ってくるのは目に悪いけばけばしい色彩だけである。その所為か、胸中に言い様のない不安が堆積し始めた。

 なんか、嫌な予感する……。

 当たらなければいいのにと願った。が、しかし、嫌な予感というものは的中して欲しくない時ほどに的中するものである。

 変化、或いは答え合わせは唐突に始まった。ある角を左に曲がった途端、廊下の雰囲気が一変したのだ。今まで淀み無く続いていた天海の歩みも、これには止まる。


「え~と、天海……さん?」

「言いたい事は分かるぞ」


 突き当りの部屋に向かって、真っ直ぐ伸びるこの廊下には、足の踏み場にも困るほど謎の荷物、ダンボールがごった返し、砂やら泥やらがアチコチにこびり付いている。さっきまでの先進的で瀟洒な雰囲気は何処へ。眼前には真逆の荒廃と退廃の雰囲気が漂い、心なしか空気までも淀んでいる。思うに、この廊下には窓が無い事もそんな空気演出の一端を担っているのだろう。

 風向きの怪しさは最早確信的なほどになった。


「MCG機関では一般人の清掃員なども雇い入れているが、彼らにも『この付近には危険だから決して近付かない様に』と厳命してある。職員だって用がなければそうそう寄り付かない。まぁ、つまり掃除する奴がいないのだ」

「へぇ……」

「この先がお前の配属先だ」


 なるほど、そういう事か。

 ここに至って、俺はカードの赤色が示す意味を完璧に察した。

 思わず自嘲の笑みが溢れる。でも、仕方の無い事なのだろう。給金が出るだけでも感謝しておかねばな。

 先を行く天海に倣って足の踏み場を作り出しながら廊下の終点を目指す。そして、

どうにか辿り着いた時、俄に、ドアノブに手を掛けた天海の動きがピタリと停止した。その姿勢のまま、天海はじっと扉の先を睨み付ける。


「……?」

「はぁ、四藏匡人よつくら まさと、少し離れていろ」


 天海は、俺が後ろに下がったのを確認し、扉を開く。

 全く、さっきから言葉が足りてないぞ。癖なのか? それとも、俺程度の『小悪党』なんかには時間や意識を割いてやる必要は無いとでも言いたいのか。だが、そんな風にふつふつと湧き上がってきた文句も、次の瞬間にはすっかり吹き飛んでしまう事となる。


 ――突如、天海の頭部が、首から上の部位が、全て消失した。


 遅れて、「パン!」と小気味良い破裂音が響き、弾け飛んだ血飛沫が俺の頭上にも降り注ぐ。喉から、声にならない声が漏れ出た。


「いぃ……! 天海!」


 まるで、木の棒を叩きつけられた西瓜スイカの様に、天海の頭部は弾けたのだ。今も直立し続ける天海の、脳天から首元までが真っ二つになり、皮を向いたバナナの様に左右に泣き別れている。

 突き刺さるアレはなんだ? 持ち手は木製だ、断面から覗く濡れて、ぬらぬらと妖しき光に満ちているのは扇状の片刃――

 斧か!?

 部屋から手斧が飛んできたのか!?


「騒ぐな。所詮この身は私が操る分体の一つに過ぎない」


 焦る俺をたしなめる様な平静な声音がち割られた断面より響く。それと時を同じくして、泣き別れた両断面から細い水の触手がチョロチョロと伸び、互いに手を取り合ったかと思うと物の数秒で結合した。

 そのあまりにも冒涜的な光景に、俺は驚愕を引っ込めて眉を顰めざるを得なかった。


「グ、グロ……」

「幾ら破壊されようとも、そもそも構成する物質が能力なのだから、どうという事はない。欠点といえばここからの能力行使は限定的というぐらいだ。まぁ……諜報だの意思伝達だのの手段としては中々どうして便利だと思わんか?」


 断面を結合し終えた天海は、なおも突き刺さっていた手斧を引き抜きながらそう述べる。だが、俺は何の言葉も返せなかった。そりゃあ、閉口もするだろう。

 この天海が分体である事実、そして本体が無事である事実を、部屋の中の襲撃者もみとめたのだろう、舌打ちと落胆の声が部屋から漏れ聞こえてきた。


「チッ……! 分体でしたか……!」

「ハハ! 全くオメェも懲りねぇな。本体で来るわけねぇだろ」

「はぁ……罪深き燃えッカスよ」

「何だ、似非えせシスターさんよ」

「貴方に霊的な訓言を授けましょう。 “失敗は恥ではありません、挑戦しないことが恥なのです” ――天海祈あまみ いのりは自ら交渉に赴く際、本体で出向く事が多いのです。今日も、もしやと思い……」

「だ~かよぉ、俺が言いてぇのは……『毎回毎回、光物ひかりもんが飛んでくるってのに、どうしてヤロウが警戒しねぇと思うんだ?』ってコトよ」

「……っ! それは盲点でした……!」

「マジか! ハハハハハ!」

「ウフフフ!」

「……」


 入口の前で、無言のまま立ち尽くす天海の顔を覗き込むと、何やら妙ちきりんな顔をしていた。今、ちょっとだけ、天海を身近に感じた。

 俺は、天海の背後から顔を覗かせて、笑いの飛び交う部屋内を伺ってみた。

似非えせシスター』と、そう呼ばれたのは、聖職者シスターの様な格好をした女性だろう。彼女の朗らかな大笑いに、首元に提げられた鶏卵けいらん大の赤い宝石が嵌められたネックレスと、ルーズに被った頭巾から溢れる品の良い金髪が揺れていた。

 会話から察するに、手斧を投擲したのは彼女なのだろうか。もし、扉を開けていたのが俺だったらと思うと……ぞっとする。

 中には二人しか居なかったから、『罪深き燃えッカス』とは、似非シスターの隣でパイプ椅子に座る男性だろう。道中で何度も見たMCG機関の制服をだらしなく着崩して、中に着ている真赤なTシャツを晒しながら、ギシギシと軋むパイプ椅子に寄っかかって笑っている。寝癖の残る黒髪と黒目の日本人的な風貌だが、その瞳の奥には何か得体の知れない炎があるような気がした。


「――静まれ愚図共!」


 しびれを切らした天海によって、俺は未だ笑いの余韻が残る二人の前へ押し出され、部屋内のゴミ山から適当に引っ張り出してきたパイプ椅子の上へ座らせられる。そして、天海は俺の肩をガッチリと掴んだ。


「愚図共、コイツが例の新入りだ。あらかじめ配布した《人事ファイル》には目を通してあるな?」

「い~え!」

「見てねぇよ」


 ほんの確認のつもりだったのだろうが、シスターは明るく、燃えッカスは気怠げに否定した。天海の機嫌が加速度的に悪化してゆくのが振り向かなくとも分かる。


「チッ……。おい、六道鴉りくどう あのヤツはどうした。ここへ来るよう行った筈だが」

「知らねぇ、何時も通りその辺でもほっつき歩いてんだろ」

「全く……協調性の欠片も無い奴らだ! 仕方ない、欠員もいるが……四藏匡人よつくら まさと、取り敢えずお前の同僚チームメイトを紹介し――」

「へぇ、貴方は四藏匡人よつくら まさとさんと言うんですね!」

「あ、はい」

「どんな漢字? ちょいここに書いてみ?」

「え、えーと……」

「――後で《人事ファイル》でも閲覧しろッ!」


 天海って以外と苦労してるのかも。最初にあった時のアレは「格の違いを見せつけるため」って言ってたけど、こういう感じで反抗的にならないように……ぎょやすくする為だったのかもしれない。

 声を張り上げたが、それでも未だ纏まる気配の感じられない場を前に、天海は、もう強引に進めてしまう事にしたらしい。


「まずはソイツからだ。そこに居るシスターのコスプレをした女は『神辺梵天王かんなべ ブラフマー』だ」

「ブ、ブラフマー?」

「聞き違いじゃないぞ。日本人離れした金髪と名前だが、勘違いするなよ。ソイツは長野生まれ長野育ちの純日本人で髪は染髪せんぱつだ。確かに変な名前だが、これを馬鹿にすると――」


 パン! と、天海の頭が弾けた。

 眼の前で振り被る神辺さんの動きが見えていた為、今回のそれに驚きはない。それに、蠢く断面から声は響き続けている。


「こうして手斧フランキスカが飛んでくるから気を付けろ。それと『宗教』――言い換えれば、『神』だとか『真理』とかを否定する事もやめておけ、手を付けられなくなる」


 分体の再生に伴い、刻一刻と鮮明になってゆく声。数秒もすると、すっかり元に戻った。


「元は『真理の光』という長野県に本部を置く新興宗教の単なる二世信者に過ぎなかったが、何の因果か変異ジェネレイトにより異能を持ってしまった事が災いした。神辺梵天王かんなべ ブラフマーは弁舌と異能による演出を駆使し、ついには教祖の座を乗っ取ったのだ」

「『乗っ取った』とは随分と人聞きの悪い言い方です。あれは簒奪でも放伐でもなく禪譲ですよ。『受け継いだ』と訂正して下さい」

「……前任の教祖は単なる詐欺師に過ぎなかったが、悪意に満ちていたからこそのブレーキを持っていて、信者から金を巻き上げる以上の事はしなかった。だが、コイツにはそれが無かったんだ。加減というもの知らなかった。これは、純粋な信仰心による暴走と言っていいだろう。新たな教祖となったコイツは、信者に対して修行荒行カトゥーの名目で拷問じみた自傷を強いたり、病人の信者に対してインチキ療法を施したり……と、枚挙に暇がないが、とにかく幾人もの死傷者を出した」

「彼らは信心が足りなかったのです!」


 良く分からない自己弁護をする神辺さんに向けられる天海の視線は、これでもかという程、目一杯の侮蔑に満ちているのだが、彼女は全くに意に介さない。恐らく、このやり取りとて食傷気味なのだろう。そんな雰囲気が漂っている。


「約二年前、MCG機関が介入した。生きていた信者には医療チームが責任を持って治療を施し、遺族にも金を渡し、都合が悪ければ記憶、意識などもいじって黙らせた。そういう処理にMCGが被った手間もあり、信者の被害もあり、そして何より事が露呈してもその「悪意なき独善の正義」には全く改善の余地がない……当然ごとく、分類クラス・コードREDとなった」


 今まで明言されなかったが、やはり赤色とはそういう意味合いなのか。

 ショックと言えばショックだ。しかし、それよりも神辺さんのエピソードが壮絶すぎて何を思えば良いか分からないぞ。

 というか、今日から俺もココでやっていくのか……。


「私としては全く! 納得いっていないのですがね!」

「いや、当然だろ。反省しろよ憚れよパチモンシスター」


 憤る神辺さんに、燃えッカスさんは反省を促すが、それはかえって神辺さんを憤らせただけだった。


「フン! 燃えっっっっカス! 貴方もここに居る時点で似た様な評価でありという事をお忘れなく!」

「はっ! お前と一緒にされたかねぇな」

「そうだな。灰崎炎燿はいざき えんようの方は神辺梵天王かんなべ ブラフマーよりは救いがある」

「えぇ!」


 天海からの追撃は予想外だったのか、神辺さんは糸目を丸く見開いくオーバーリアクションを披露した。その糸目の中に隠れていた金色の瞳は、思わず見惚れてしまう程に綺麗だった。黒い瞳の中に金のコントラストが光って、神性すら感じる美しさ。

 だが、天海は既に見慣れているのか感性が違うのか、気にもとめずに紹介を続けた。


「先も言ったが、そっちの男は『灰崎炎燿はいざき えんよう』という。こいつも出身は日本だが、父親がフランス人のハーフだ。その縁で六歳の頃からはフランスに移住した。暫くは、まぁ普通に過ごしていたんだが、十二、三歳の頃に現地のフランス人と揉め事を起こしてな。当時住んでいた田舎村と周囲の森、山、近隣の街二つをうっかり焼き払ってしまった」

「それ……ついうっかりでなる規模ですか……?」

「死傷者の数はその燃えカスの方が多いんですよ!」

「……」


 神辺さんが信者という内々でのアレに対し、灰崎さんはかなり広範囲に被害を撒き散らしている。一度だけの過ちだが、そこを咎められて「赤」という事なのだろうか。


「自覚のない能力者ジェネレイターが、能力を制御できず大惨事を引き起こしてしまう事故はよくある。灰崎の件が大規模な火災になったのは、偏に後手に回り続けたMCGフランス支部の不手際の所為だ。最終的には私が消火したしな。フランス政府からは、MCG機関全体が随分と詰められた事を覚えている。色々と難儀させられたが、どうも調べてみると事の発端である“揉め事”に関して、現地のフランス人に全く非がない訳ではなかった。よって黄色YELLOWに分類される予定だったんだが――」

「問題は性根! 反省を知らぬ性根なのです!」

「……神辺梵天王かんなべ ブラフマー、少し黙っていろ」

「む! ご、ごぼごぼ……」


 神辺さんにすっと差し向けられた分体の右腕が解け、肉体を構成していた水が口元に飛びついた。神辺さんは取り除こうと掻き毟るが、捉えどころの無い液体は指の隙間から戻っていってしまう。

 神辺さんの顔が赤くなって来た頃、天海が呆れた顔で言った。


「鼻で呼吸しろ。気道も塞いでいない」

「……」

「ふぅ……ようやく静かになったか。さて、神辺の言う通り問題は性根でな。どうもその一件以来『フランス人』というか『外国人全体』に対して歪んだ差別意識持ってしまった様なのだ。意識的にではないのだが、外国人とみるや能力を発現させてしまうんだ、困った事に」


 それはそれは……まるで歩く国際問題だな。

 ばつが悪いのか、灰崎さんはさっきまでとは違い口を開かない。


「MCGはグローバルな組織だからな。日本の支部にも外国籍の変異者ジェネレイターや研究者、お偉いさんも頻繁にやってくる。その度に問題を起こされては堪ったものではない、と」

「……チッ」

「付け加えて言えば、改善の傾向も見られない。そういう訳で分類クラス・コードREDとし、無意識的に発動してしまう異能には諸々の処置を施した」


 処置……? その処置とやらの内容に少し興味を抱いたが、すぐに話題が移ってしまったので諦める事にした。


「他に、六道鴉りくどう あを含めた三名が交渉部レッドチームに所属しているが……そっちは追々紹介するとしよう。今日の所は勝手に親睦でも深めあえ。灰崎炎燿はいざき えんよう、仕事内容と施設の紹介だけはしておけよ」

「あ、ちょっと、天海!」


 頼りなく上げた制止の声も虚しく、天海の分体は床に溶け、俺はこの部屋に置き去りにされてしまった。ぎこちなく向き直ると、じっと俺を見詰める二人の視線に面食らう。

 どうしよう、何を話せば良いんだろう。俺は瞳さん以外とあんまり会話せずに生きてきたから……。

 話題も思い付かず、ただ二人の方を見詰めて黙り込む。

 気が付けば、神辺さん口元から水は消えていた。どうやら、天海は同時に神辺さんの口に入っていた水も解除していった様だ。しかし、これは話題としてはどうなのだろう、これでいいのか?

 迷っている俺を見兼ねたのか、灰崎さんが最初に沈黙を破った。


「……あのヤロウの言う通りにするのは気に食わねぇが、まぁ親睦でも深めるか!」

「そうですね。名前以外の事も聞きたいですし」

「え~と、じゃあ、何から話せば……」


 自己紹介をしてくれと言われても、俺は短い人生の中で一度も自己紹介をした事が無い。すぐに言葉に詰まってしまった。

 そんな俺の様子を見て、灰崎さんがリードしてくれる。


「じゃあ、能力とか。赤色に振り分けられたって事はよぉ、それで何か悪さを仕出かして来たんだろ? それも教えてくれよ、何が出来んだ?」


 俺に何が出来るのか。そして、何をしてきたか。

 それなら簡単だ。自分で言うのも何だが、俺の人生密度は極めて薄い。文章にしたって数行も掛からないだろう。


「能力は――物を右手に握り込む事、転移させる事ができます。その能力でスリとか万引きとか置き引きとかをして生計を立ててました」

「生活犯罪ですか! それはいけませんね……!」


 俺の告白に、神辺さんが大袈裟に眉を顰める。さっきから妙に演技臭い態度だと思っていたが、その演技臭い態度こそが素の彼女であるのだと気づき始めた。

 しかし、俺にだって言い分はある。


「それはそうですけど……親も居ませんでしたし、家も金もなく……物心付いて始めて覚えたのがそれで、ずっとそのまま……」

「ん?」


 俺の言葉に灰崎さんが疑問の声を上げた。そして、何やら訝しげな表情で顎をさすり始める。


「そういう出自だと『情状酌量の余地アリ』って事で黄色YELLOWになる事が多いぜ? 俺もそうだっただろ? それに犯罪の被害額とかも俺より小せぇだろうし。そこのコスプレ女みてぇに一般人を大量虐殺した訳でもねぇ」

「はい? 『大量虐殺』とは聞こえが惡すぎます。彼らは信心が足りなかっただけだと何度言わせれば……それだけの事です!」

「あの、一応確認しておきたいんだけど、赤色とか黄色とかって言うのは……」

「あん? 天海から説明されてねぇのか? 青、黄、赤。信号機をイメージしたら分かりやすいだろ。青が健全、赤が危険、黄色はその中間で様子見って所か」


 その説明を聞いて、聞きたい事が幾つも湧いてきた。しかし、その殆どを今は捨て置くとして、確かに犯罪スケールの大小で言えば俺の犯した物は彼らの物より遥かに小さい。

 極力、目立たぬ様に。

 俺は、そう心掛けて生きてきたからだ。

 ではなぜ俺が赤色になったのか。その答えに、俺は一つだけ心当たりが有った。


「じゃあ、あれの所為かも……」

四藏よつくらさん、何か他にも犯罪を?」

「まぁ犯罪と言えば犯罪ですが……俺、天海とは勧誘された時に一悶着あって、その時に心臓を能力で取っているんです。その所為かも……」


 俺なりに真面目に心当たりを打ち明けたつもりだったが、彼らの反応は想像と少しズレていた。瞬く間に、嬉しそうな二つの顔がずいっと俺に迫ってくる。


「へぇ! 私怨かよ! あのヤロウ意外とみみっちいな!」

「どんな感触でしたか! 奴の心臓は!」

「えぇ……生暖かかったけど……」


 と、素直な感想を伝えると、「キャー!」「ハハハ!」と彼らは歓声を上げて一気に色めきだつ。

 ……何だか、ここでやっていけるかどうか益々心配になってきた。

 先に盛り上がりから帰ってきた灰崎さんが、俺に向き直る。


「なぁ、見えねぇ心臓分捕れるってコトはよ、位階フェーズは3のΓギバか? 4のΔダグスか?」

「あーっと、確か……天海はΒベルカンだと言ってた。2かな? 普段は射程二、三メートルで視界内の物しか取れないんだけど……あの時だけは違って……」


 二週間ほど前になるであろう出来事を、掻い摘んで話した。

 管理人である可愛川瞳えのかわ ひとみさんの事、突如現れた天海の奇行、そして握り潰した心臓の感触……忘れようにも忘れられない敗北の思い出は、あまり会話をこなさずに生きてきた俺の口から驚くほどすらすらと飛び出して来た。


「あ~なるほどね。それは火事場の馬鹿力みたいなモンだろ。生命の危機に瀕して一時的に位階深化フェーズシフトが起こるってのは良くあることだぜ、俺にも覚えがある。しっかし、会話の通じる奴で良かったぜ。此処に居ねぇ他の三人みてぇに性根がひん曲がってる訳でもねぇし。犯した罪も生活犯罪だけなら可愛いもんだ。それに誰かの為に怒れるときたら……上等だぜ」

「燃えっカスに同意するのは癪ですが、その通りです。キリスト教倫理では “汝、隣人を愛せよ” とも言います。貴方が可愛川瞳えのかわ ひとみさんに対して抱いている感情は、隣人愛アガペーの一種で間違いないでしょう。素晴らしい事です! その良心を育めば、貴方はより素晴らしい人間になれますよ。私が、保証します」


 俺の話を聞き終えた二人は、そう言いながら優しく微笑みかけてくれた。

 さっき、天海から物騒な紹介を聞かなければ、もっと素直に喜べたんだけど……けど、他人に認められる、褒められるなんて、今まで生きてきて初めての経験だった。


灰塚炎燿はいざき えんよう、よろしくぅ!」

神辺梵天王かんなべ ブラフマーです。どうぞ、よしなに」


 だから……俺は差し出された二人の手を、すぐさま握り返せたのだろう。

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