第2話 ハンバーグ

 自宅につく頃にはすっかり夜も更けていた。

 ドアはもちろん施錠されているのだが、霊体の慎太には関係ない。

 突き破って家に入る。


 明かりのついていたリビングでは、両親がソファでくつろいでいた。


「――でね、これがその手紙。先生からもらってきたわ」


 言って、母がテーブルの上に置いたのは、先ほど慎太が書いた恋文ではないか。


「そ、それは拙者の恋文!それが何故母上の手にあるのですか!学年集会だけでは飽き足らず、親をも呼び出すとは!教師だからってなんでも許されると思うなよ!」


「ダメだって!いまその手紙に触ったら怪奇現象になるだろ!」


 慌てて奪い取ろうとする慎太だが、キューピットに羽交い絞めにされる。

 小柄なのに慎太よりも力が強く、びくともしない。

 そんな攻防が繰り広げられているのも知らず、母は嬉しそうに


「先生方は誰かの悪戯じゃないかって仰るんだけど、確かに慎太の字よ。いつも見ていたんだもの」


 そう言って、壁にかかっているホワイトボードを指した。


「あれ何?」


「各自、晩ご飯のリクエストを書くホワイトボードです。その中から母上が選ぶという仕組み」


「スマホできけばいいんじゃねーの?」


「その、拙者、母上からの連絡はスルーしておりまして」


「はあ?なんで?」


「思春期ですからなあ」


「自分で言ってんじゃねーよ」


 慎太が死んでから、父は書き込んでいないのだろう。

 今は真っ白なホワイトボードを見ながら、母が


「消さなきゃよかったって思ってたの。確認したら、いつもみたいに何も考えずに消しちゃったから。……最近、慎太ってば全然話してくれないじゃない。でも、あれだけはちゃんと書いてくれのにね」


 涙をこらえて言葉を続ける。


「まだあの子は生きてるんじゃないかって、なんだか現実感がないの。ふらっと帰って来るような気がして。……でも、わかってる。慎太はもう戻らない。だからこの手紙をもらって嬉しかったわ。あの子を感じられるもの。……こんな手紙、私たちに見られて、あの子は嫌がるでしょうけど」


「そうだな」


 笑う父も目が赤い。

 そんな二人の様子に、慎太は押し黙る。

 もう慎太が暴れないのを確認して


「アタシは天界に帰るから。明日の朝、迎えに来るよ」


 それだけ言って、キューピットは去って行った。



●  ●  ●



「はよーっす」


「キューピット殿、おはようございます」


 リビングのソファに座ってぼんやりしているうちに、朝になったのだろう。

 キューピットがどこからともなく現れた。


「そろそろ行こっか。準備できてる?っつっても身一つで行くしかないんだけど」


「あー……少々待ってくだされ」


 慎太の言葉に、キューピットは首を傾げる。

 ほどなくして廊下から足音がやって来て扉が開いた。

 起床した母が朝食を作りに来たのだ。

 何とはなしに壁に目をやった母。が、突然目を見開き口をパクパクさせて


「お父さん!お父さん!ちょっと来て!」


 叫び声をあげた。


「どうした!朝からそんな大声出して」


 母の声で飛び起きたらしく、パジャマのままの父が走ってリビングにやって来た。

 そんな父に、母は興奮しきった様子で



「あの子よ!あの子!慎太が帰ってきたのよ!」



 指さしたホワイトボードには「ハンバーグ」の文字。

 しばらく見ていた父だったが


「…………確かに慎太の字だ」


 それだけ絞り出して、ホワイトボードを見つめる。

 訳がわからないといった様子の父。

 それはキューピットも同じで


「どうやって書いたんだ?物体に干渉できねーだろ」


「ムフフ。紙と封筒は使い切ってしまいましたが、これはまだインクが残っておったのだ」


 そう言って取り出したのは、天使のペン。


「代わりに恋文は処分しましたぞ。あんな物を取って置かれては、恥ずかしくて生きていけませんのでな」


「……ツッコミ入れてやんねーから」


「なんと!」


 大袈裟に驚いてみせる慎太。

 母が壁からホワイトボードを外して手に取った。


「ハンバーグですって」


「ああ。あいつらしいな」


 震える手で抱え込み、泣き笑いする母。

 そんな母の肩を抱いて笑う父の目にも涙が浮かんでいる。

 と、ポンッという音と共に、二人の頭上にハートが生まれた。


「これが噂のハートの宝石!本当に出る物なんですなあ。……ですが、何故出てきたのですかな?拙者の恋は破れましたが」


「家族愛だろ。別に恋愛じゃなくても、愛が一定量溜まるとハートになるからな」


 キューピットはため息を吐いてハートを掴む。

 赤には程遠い、淡いピンクの色をしている。


「アタシは愛を育む恋のキューピットなのによお」


「家族愛も愛ですぞ」


 胸を張って言う、慎太。

 キューピットは手に伝わる柔らかなぬくもりを感じながら



「そーだな」



 そっと瓶に詰めた。



●  ●  ●



 長年住んでいた町なのに、上空から見る景色はとても新鮮だった。

 空に浮かぶ慎太たちは、優しく光る階段を前にして


「この階段を昇って行けば天界につくぜ。アタシはついて行けねーから一人で上れよ」


「何百段あるというのかね。拙者、体力には自信がないのですが」


「心配しなくても霊体だから疲れねーよ」


「霊体とは便利なものですなあ」


「上まで行けば担当の奴がいるから」


 階段の先は見えないほど空高く続いている。

 慎太は改めてキューピットに向き直り


「キューピット殿、ありがとうございました」


「おう、気にすんな。でもせっかくなんだからハンバーグなんかじゃなくて別れの言葉でも書けばよかったのに」


「昨日も言いましたが拙者は思春期ど真ん中。そんな幼気な青少年は、照れ臭くて別れの言葉なんて書けないのだ」


「すげーな。言葉全部に違和感しかねえよ」


 咳払いをして、慎太は話を元に戻す。


「家でのことも感謝しているのですが、先ほど申し上げたのは恋文の件です。森田さん宛てに拙者のアチアチハートを書かせてくれたじゃないですか」


「そっちか。感謝されることなんてねーよ。アンタ振られただろ」


「想いを伝えられたことに意味があるのです。キューピット殿に会っていなければ、彼女への想いは胸の中に閉じ込めたままだったでしょう。そのことを残念だとすら感じていませんでした。見た目も頭も悪い拙者が森田さんと両想いになれるなんて微塵も思っておりませんからな。……ですがキューピット殿に会ってチャンスをいただきました。しかも拙者が初の客だと仰る。今までの我慢などどこへやら。拙者は森田さんに想いを告げたくて夢中で恋文を書きました。お恥ずかしい話、両想いになれないとわかっていながらも、やはりどこか期待していたのです」


結果はご存知の通りですが、と笑う。

キューピットは何も言わなかった。


「森田さんには迷惑だったでしょうが、想いを告げられてスッキリいたしました。それに、拙者が森田さんにこっぴどくフラれたとき、キューピット殿が怒ってくれたでしょう。……本当に嬉しかった。拙者、友達はいませんでしたが、きっとキューピット殿が友達だったらすごく楽しい学校生活だったのでしょうな」


 言って、慎太は満面の笑顔を見せる。



「つまらぬ人生だと思っていましたが、なかなかどうして、素晴らしい人生でした!」



 年相応のあどけない笑顔。

 キューピットは頭を掻き、自分の羽を1本抜いた。


「あげる。これ持ってると天国行きやすくなるんだ」


「それはそれは。お心遣い痛み入る」


「ま、アンタならこんなの必要ないだろーけど」


「もしかしなくとも、いま拙者は褒められたのでは?」


「うるせーなあ。さっさと行けって」


 シッシッと手を払って慎太を追い立てる。

 そんなキューピットもまた笑顔。



「では、ごきげんよう!」



 真っ白な羽根を握りしめ、慎太は階段を上り始めた。

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冷やし恋文はじめました 寧々(ねね) @kabura_taitan

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