邂逅
紅の巨龍が大地から空を見上げ、その先では無数の航空機が舞う。龍の巨躯からすれば、それらの航空機は羽虫のような存在でしかないだろう。しかし、龍はその存在を見定めるかのようにじっと航空機を見ている。
相手を観察するのは龍だけではない。航空機隊は神話の世界から飛び出してきたような巨龍の観測を続ける。どのような原理で二足でその体を支えているのか、見当もつかなかった。
「攻撃してこないようだが」
「翼が生えているが、飛ばないのか?」
パイロットたちが口々に感想を述べていく。龍は顔や目を動かしてこちらを見ているだけであった。
そんな龍が何を考えているかはわからないが、互いが相手の出方を窺い、切っ先を突き合わせているような不気味な静寂がその場を支配していた。不用意に動き出せば、一刀のもとに切り伏せられる、そんな気配。
「作戦を立てた連中は爆弾を当てれば倒せると思っているようだけど、そう上手くいくかね?」
「そうは言っても、このまま見物して帰るわけにも行かんのだろう?」
リディアのため息交じりの声に、苦笑の気配を滲ませながら返したのはクロイワと呼ばれる東邦の国家から派遣されてきた部隊の爆撃編隊長だった。先の大戦からパイロットをやっていたとのことで、その経験と人柄から若いパイロット達からおやっさんなど呼ばれ慕われていた。
「それはそうだが、迂闊に間合いに入ればどうなるかわかったもんじゃないよ」
「だが、誰かしら行くしかあるまい。ならば、我々が先陣を切ろうかと思うのだが」
何をするかわからない相手には運動性能が必要だろう、とクロイワは付け足す。彼らが登場するのはトツカという急降下爆撃機であるが、そこらの戦闘機と比べて遜色ない加速と旋回性能を有していた。
「……わかったが、威力偵察までだ。当てるだけで深追いはしなくていい」
「心得た」
リディアの令にクロイワは応じるとスッと高度を落とし、二機の僚機がその後を追う。巨龍の直上で一度水平に戻る。
辺りには航空機のエンジン音などが絶えず響いているのだが、その場にいた者はその瞬間、周囲一帯が静まり返り、サムライたちが腰に差した刀に手を添える気配を感じた。
「……参る」
極限まで研ぎ澄まされた気配が、クロイワの一言により抜き放たれる。直上からの急降下。その距離が警戒範囲を割ったのか、それまで空を見上げるだけであった龍がその口を開き、クロイワ隊に炎を浴びせる。クロイワ隊は散開し回避するが、龍の炎がクロイワ機を追っていく。
クロイワは背後から迫る炎に対し、ロールや横滑りを複雑に織り交ぜた機動でヒラヒラと舞うように回避していく。龍がクロイワに集中している間に、僚機二機が龍に迫った。
だが、爆撃体勢に入ろうとした直後、龍は近づく機体に気がつくと体を大きく翻す。龍の尾が猛スピードで二機のトツカに迫り、彼らは回避のために爆撃を諦め上昇する。
しかし、一連の動作で今度はクロイワが自由になっていた。その隙を逃さず、クロイワは機首を龍に向けると突撃する。龍がそれに気づき再び尾を振り回すが、クロイワのトツカは機体を沈み込ませて回避。突撃を続け、巨龍に衝突する寸前に爆弾を投下した。
ほぼ最高速で投下された爆弾は、勢いをそのままに龍の胸の辺りに衝突し、大爆発を巻き起こす。周囲が爆炎に包まれる中をクロイワ機が飛び出し、その後を龍の咆哮が追う。それは1トンの爆弾を喰らってなお、龍が健在なことを示していた。
「まるで要塞だな」
クロイワは息を整えつつ、呆れた調子でそう評した。強固な鱗による防御力に、質量そのものが武器となる身体、数百メートルを優に超える射程を誇る炎。生物というよりはタチの悪い兵器と言われた方がまだしっくりきた。
クロイワが巨龍へのダメージを確認しようとし、その刹那。
「クロイワ! 避けろっ!」
「ぬっ!」
爆炎の中、紅の尾が高速で振り回される。リディアの叫びも遠く、尾の中心が確実にクロイワ機を捉え、弾き飛ばす。クロイワ機はバランスを失い、水平に回転しながら吹き飛び、そのまま地面をすべるようにして墜落した。
そして爆炎が晴れ、紅の龍が姿を現す。
「無傷……?」
クロイワ隊の僚機が、煙の中から現れた姿を見ながら呆然と零す。確かに一トン爆弾は命中したはずだが、龍は無傷で立っていた。龍は吹き飛んだクロイワ機に視線を向け、それがもう動かないことを確認し、空を見上げると大きな咆哮を上げる。すると、その声に呼応するように周囲から無数の翼竜が集まってきた。
「くっ……これ以上はジリ貧か。総員、撤退を――」
「待ってください! そしたら、クロイワ隊長が!」
「だが、我々にはこれ以上の強力な攻撃手段がない。消耗を最小限に抑えるためにも、ここは退く!」
リディアの強い口調に、クロイワ隊の僚機は押し黙る。それが戦略上正しいことは理解しているが、簡単には割り切れない。割り切れないことがわかるからこそ、リディアは譲らなかった。後で何と言われようが、まだ守れるものは守らなければならない。
「少佐、あの蜥蜴達、体の中まで頑丈なんです?」
「……いや、器官などに多少の例外はあるが基本的には普通の生物と変わらないらしいが」
そんな、リディアの思いを知ってか知らずか、状況にそぐわぬ飄々とした調子でヴァイスが尋ねる。一瞬呆気にとられつつも、リディアは上陸作戦の後の各種調査結果を思い出した。強靭な鱗や外皮と裏腹に、体内器官については、普通の生物と強度の面では大差はなかったらしい。
「おい、まさか」
「……そろそろ空腹だろうと思いまして、餌やりに行こうかと」
軽い調子で答えると、ヴァイスは集団から外れ高度を下げていく。龍から距離をとったままの降下。先ほどのクロイワ隊の戦闘でおおよその間合いはわかっている。龍が吐く炎の射程はおよそ1キロ前後。火炎放射器としては破格だが、航空機なら十秒足らずで進む距離だ。その倍以上の距離をとりつつ、慎重に体勢を整える。
「クレイド、ハンナ。すまないが牽制を頼む」
「了解、リーダー」
「さっきの借りを返します!」
二機の僚機は、意を得たりと龍の直上に移動する。
龍の口内に爆弾を落とす。それは、自機を照準する砲口に爆弾を放り込むようなものだ。実行するためには、敵がこちらに狙いを定めた瞬間に、爆弾を放たなければならない。それまでは陽動が必要となる。
さて、とヴァイスは座席と装甲板の向こうにいるニーナに視線を向けた。その姿は見えないが、存在は確かに感じる。だが、これ以上は巻き込めない。
「ニーナ。わかっているだろうが、今からやることはマトモじゃあない。ここから先は俺だけで……」
「お断りします」
こんな無茶で死地に赴くのは自分だけでいい。だが、その思いに返ってきたのは明確な拒否。
「ダメだ、これからどうなるかわかっているだろ?」
「わかっています!」
いつにない強い口調に、ヴァイスは返事を見失う。
「でも……だけど、ここに座るときに決めたんです。最後まで、貴方を護ると」
ニーナの揺るぎない口調にヴァイスは押し黙り、そして息をついた。
空には時々、この手の人種はいる。誠実で愚直で、勝手だ。
そして、それを非難する資格など持ち合わせていなかった。
「わかった、後ろはよろしく頼む。……行くぞ!」
ヴァイスの声に僚機の二機が急降下を開始する。同時にヴァイスはスロットルを最大にし、加速しながら紅の龍に水平に突撃。彼らの動きに、それまで紅の龍から遠巻きに集っていた翼竜たちが反応し、爆撃機に向かっていく。
「全く……バカどもを基地まで連れて帰るよ。全機、蜥蜴達をやつらに近づけるな!」
リディアの言葉に航空機部隊も散開し、接近する龍たちに向かっていく。
たちまち辺りは乱戦となる。居龍に急降下する爆撃機の後を翼竜が追い、その翼竜を戦闘機隊の機銃が撃ち落とす。
その激戦の下を、ヴァイスはただ前だけを見て機体を走らせる。背中からは絶えず射撃音が聞こえてきており、複数の翼竜が迫ってきているのがわかる。だが、振り返らない。ヴァイスが駆るグラムは森の木々と同じくらいの高度を飛んでおり、死角からの攻撃はありえない。後ろをニーナに任せ、ただひたすら巨龍に近づくことに集中する。
龍までの距離があと半分といったところで、立て続けに爆音が響く。僚機が放った爆弾が龍の翼と足元で爆発していた。相変わらず龍が傷を負った様子はないが、怒りに震えるように空を見上げ、咆哮。これに呼応した翼竜たちが僚機に向かい、それを戦闘機隊が迎撃する。
その間に、ヴァイスは龍までの距離を詰めていく。いつもであれば一瞬で通り過ぎるような距離が、ひたすらに長く感じた。全ての翼竜が僚機の方に向かうわけではなく、一部がヴァイスにも向かってくる。雑兵は相手にせず突き進み、追い抜いた翼竜をニーナが的確に射抜く。前に、少しでも速く。
「リーダー! これ以上持ちこたえるのは……!」
ハンナの機体が龍の翼めがけて機銃を放つ。しかし、龍はものともせず艦砲のような尻尾で薙ぎ払おうとする。まるで歩兵が戦車に挑むような絶望的な戦い。だが、それはヴァイスに貴重な時間をもたらした。
「十分だ、退避しろ!」
その言葉に僚機は一気に高度を上げる。翼竜がそのあとを追うが、後部銃座の銃撃と戦闘機隊の援護により僚機に追いすがることはできない。
その最中、ヴァイスの機体は巨龍の目と鼻の先まで迫っていた。
ヴァイスが操縦桿を引くと、グラムは機首をぐいっと引き上げ、龍の身体のスレスレを上昇していく。龍の頭を越えたタイミングで、ニーナが巨龍に向けて銃撃を加える。爆弾を無力化する鱗に対してダメージはないが、龍の注目を引き、その視線が上空に向いた。
そこには、速度が落ちて空中で制止するようなグラムの姿。ヴァイスがラダーペダルを踏み込むと、グラムはラダーを軸に槌を振り下ろすように機体を反転させた。龍とグラムが真正面から対峙する。既に龍は炎を浴びせるべく、口を開いていた。
「くっ……」
それでもヴァイスは機体の姿勢を維持し、爆弾槽を開く。元より相打ちは覚悟の上だ。
けれど、グラムの更に頭上から降り注いだエンジン音がその覚悟は打ち消した。
「基地に戻ったら覚悟しときなよ」
そんな声とともにリディアの乗るアスカロンが急降下してくる。その翼から、ロケット弾が次々と解き放たれ、巨龍の顔面で炸裂した。威力が十分とは言えなかったが、次々と巻き起こる爆発に龍は一瞬怯み、今にも放たれようとしていた炎が掻き消える。
「合衆国も少しはいいものを作るじゃないか。……さあ、決めちまいな!」
背中を押す声に、ヴァイスは狙いを定める。多くの援護でたどり着いた必中の距離。投下レバーを引くと、スッと機体が軽くなる。満を持して放たれた爆弾は、真っ直ぐ龍の口へと吸い込まれていった。
直後、巻き起こった大爆発により、一帯の空気が激しく揺れた。
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