あのあと電気ウナギについて調べてみた。発電するための器官が体の大部分をしめるため、それ以外の内臓がだいぶ前のほうにつまっているらしい。そのせいでエラの真下あたりに肛門があるとか。なるほど、早坂の肛門がデコルテに存在しているわけだ。発電器官のせいで筋肉もほかの魚より弱いらしい。だから早坂は運動が苦手なんだ。いろいろ納得がいった。


 昨日はそのあと早退したが今日はいつも通り登校した。ホームルームの15分前には教室につくだろう。こんな早く学校に行く必要はないのだが、もたもたしていると朝練を終えた野球部が校門に並んで登校してきた生徒に挨拶を始めるのだ。一列に並ぶ野球部がこわい僕は毎朝早起きをして速足で登校しているのだ。学校が近づくにつれ風に舞い上げられた校庭の土の埃っぽい臭いが濃くなってきた。予定通り誰もいない校門をくぐって誰もいない教室の自分の席に座って暇つぶしにソシャゲのスタミナを消化する。半ば義務感のような気持ちと惰性だけでプレイしているのだが、ここまで時間をかけてしまっている以上やめるわけにもいかない。ソシャゲは呪いである。


 全く一文も得をしない早起き。単語帳でもみてたら少しは時間を有効活用できるのかも知らないが、明日からそうしようかな。ガラガラと扉が音を立て、エアコンが効いてきて涼しくなった教室にねっとりした温風ぬっぷうが吹き込んできた。

 「おはよ」

 「おう」

 こいつは葉山仁。吹奏楽部。高身長、重量級。声が低い。以上。僕と似たような暗いヤツ。俺が一番に登校したら、二番目だいたいこいつだ。別に友達でもないし共通の趣味もないから最低限の挨拶しかしない。そういう関係もいいんじゃないかと思います。


 スタミナをあらかた消費し終えるころには教室に人も増えてきて、教室の温度も明るさもぐっと高くなった。雑音も増えた。机に座るな野球部、ボールをしまえバスケ部。居心地の悪いにぎやかさに耐えきれずトイレに避難した。悪臭をこもらせないために開かれた窓からは、日の当たらない薄汚れた体育館の壁しか見えなかった。じめじめした草の臭いがもわっとただよってくる。僕にぴったりの場所だな。予鈴が鳴るまでここでジャンプ+でも読んでいよう。


 スライムライフに夢中になっているとすぐにチャイムが鳴った。教室にもどらなくては。運動部のやつらもおとなしく席についてくれているだろう。漫画を読んでいただけだが手を洗った。なにもしていなくてもいるだけでなんか汚れた気がしたから、念入りに洗った。廊下にはもう誰もいない。みんな遅刻しないでえらいな。底辺校のわりにそこはきちんとしている。と思っていたらドタバタ騒がしい足音が聞こえてきた。

 「凡野も遅刻?」

 一人分にしてはずいぶんにぎやかな足音の正体は早坂だった。首に巻いた涼し気な青っぽいストール。遅刻したくせに金色の髪はやたら整っていて、早起きなのに寝癖をそのままにした僕とは正反対だった。

「凡野、昨日はごめんな。」

 昨日僕に電撃を浴びせ気絶させたことだろうか。だとしたら気にしていないが。

「うん。全然なんともない。俺のほうもごめん、あの、えーと」

 肛門を見たこと、ごめん。というわけにもいかないので、言葉につまる。女子の肛門ってなんていえばいいの?というか僕は早坂に見せられただけなんだが。

「ああ、アナルはうちがみせたんだし。気にしないで、ほんと。」

 あ、アナルっていうんだ。なるほど。

「でも誰にも言わんといてね、内緒にしといてよ」

「うん」

 安心してほしい。しゃべるような友達もあんまりいないから。

「チャイムなってるぞー。教室はいっとけ」

 隣のクラスの担任の声が廊下の反対から響いた。

「はよいこ」

 早坂はそういうとゆっくり教室に向かった。なんとなく同時に入りたくないので僕はさらにゆっくり歩いた。教室は相変わらず騒がしくて遅刻した早坂へのくだらない冗談が飛び交う。さすが人気者。僕は教室の後ろのドアから入り、誰にも気づかれず席に着いた。


「内緒にしといてよ」

 早坂は僕にそういった。アナルが首についていることは僕と早坂の秘密。今もバスケ部の男子と笑っているが、あの男子は早坂の首になにがあるかを知らないんだ。ふーん。首に巻いたブルーハワイ味のかき氷みたいな布のしたにはアナルがあるんだぜ。

 担任いわく今日の午後は全校集会があるらしい。どうせ退屈な集会になるんだろうが隠れてスマホを触れるぶん授業よりいくらかましかな。担任の連絡も聞かずに早坂はずっと話し続けていて、葉山に睨まれていたが気づかない様子だった。葉山よ、言わないと伝わらないこともあるんだぞ。静かにしてほしいなら声出してこう。


 あっというまに午後。授業はノートを書くだけ書いて物思いにふけて、昼休みは葉山と声がでかいオタクと三人で弁当食べた。このオタクは食いながらしゃべるものだから口から米が飛ぶ。でも昼休みまで一人なのは嫌だし、たまに相槌を打つだけ打ってやる。なんかカードゲームの話をしていたような気がした。

 そんなこんなで午後の集会、場所は体育館。まだ誰もいない体育館のだいたい僕のクラスはこの辺だろうというところでまた溜まったスタミナを消化する。

 友達の少なさと移動の速さは比例するのだ。早坂なんていつも最後のほうにやってくる。結局そこから全員の整列が済んで会が始まるまで7分かかった。

「だるいな」

 早坂の声が隣から聞こえてきて少しびくっとして、スマホを閉じた。この声は僕に向けられたものか?違ったらなかなか恥ずかしいから、ここはスルーだ。

「だるいね~。てか海いきたくね?」

 違った。早坂の前に座っている女子と話していた。危なかったな。

「いきて~」

「いこうな」

「いくいく~。そういえば加藤ちんの彼氏が――」

「えー!それってあの――」

 ん?海にいく計画の話はいいのか?なんの確認なんだ。いつ行くとか話さないんだ。というか早坂的に海はNGなんじゃないのか、電気ウナギ的に。だからスルーしたんだな。全くデリカシーのないやつだ。きっと心を痛めているぞ。ほんとは行きたいだろうし。

「シー行きたくね?」

「行きてえ」

「行こうな」

「うんー」

 早坂にはランドだろ。そういうところだぞ。まじで。というかなんの確認なんださっきから。集会が終わるまでこの二人は僕の隣で謎の確認をしあっていた。僕はスマホを触る気にもならず、校長の話をまじめに聞くふりをしていた。


 集会が終わって教室で担任からプリントが配られたら今日は解散、各々部活に行く。僕はもちろん帰宅部なので即下校だが。今日使った教科書を全部ロッカーにしまう。家で使わないから持ち帰るだけ無駄だし、重い荷物のせいでこれ以上背が縮むと困るし。

「凡野」

 僕の二列右のロッカーに配られたばかりのプリントをぶち込んでいる彼女は僕をみて僕の名前を呼んだ。

「あ、早坂さん」

 急に名前を呼ばれて教科書を落としてしまった。急に声をかけないでくれ、びびるから。僕の日本史Bを拾うためにかがんだ彼女のつむじを見下ろすと、髪の根元まできれいなブロンドで、それが地毛であることがわかる。この学校は染髪禁止だが天然なら金髪でもいいんだ。

 はい、と日本史Bを僕に差し出して、ドジやな、と笑う。

「ありがと」

「うん。じゃ、また明日な」

そして早坂は別のクラスの女子のもとへ走っていった。この後カラオケにでもいくのだろうか。

 「ドジやな」

 彼女の笑いを含んだ言葉は嫌味を感じさせない、否。僕をドキッとさせた。

 

 「ドジやな」

 家に帰ってからも彼女の言葉と笑顔を反芻して噛みしめた。スマホを開くとスタミナが満タンになっていたが、なんだかやる気にならくて、アンインストールした。

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