春陽

有川 真黒

 

 漆の箸先がじゃがいもを綻ばせる。いつも適当に味付けをしてしまう煮物を、昨日は何となくきちんと計量して作った。それなのになんだか味がぼんやりしていて煮崩れたじゃがいもの輪郭をさらに掻き消しているように見えた。テーブルの食器は夫が選んだだけあってセンスがいい。載っている料理も私の子ではないように見える。夫は野菜炒めを頬張りながら、「食べ終わったらさ、少し散歩でも行かない?お昼はお弁当持って行ってさ」と言った。夫は優しそうに笑う。そういう薄っぺらさで私の瞼を覆ってくれるから結婚した。

 河川敷には休日らしくサッカーをする少年たちやピクニックに来た親子連れが長閑な風景を形作っていた。夫はご自慢のカメラで子供たちを撮ったり私を撮ったり鳥を撮ったりしているのだった。写真の事をわからないけれど、それこそ名のある人の個展で見たようなもの位上手だと思う。私は残ったサンドイッチとミニトマトを口にしながら文庫本を読んでいた。写真を撮られるのは面映ゆい。美人だったらそれは何をしていても映えるのであろうが、私なんかを砂のひと掬いから見つけた宝石のように大切に扱っているのがありがたいけれどこそばゆい。そして、写真の中の私は本物より少しだけ美しい。撮る人の思いが混ざっているからだと思う。真理、わらって、と言う。春の山はきっと淡く笑っている。

 結婚してこちらに越してきて人の多さにわずらわしさを感じることも多かったがここに私を知る人はおらず、私はストロビラ、海月の木から離れ、透明人間として茫洋たる都会に漂っている。木の芽いろのカーテンを遅めの春一番が揺らすので、中身のない私は吹き飛ばされそうになる。

 風で飛ばされたチラシを追いかけて、引っ越してからもう何年も片付けていない本棚の日焼けて黄色くなった紙が目に映った。

 そこにあったのは、奥底にしまっておいたはずの十年前につけていた私の日記であった。



《八月三日》

 夏の朝は体温くらいの風が髪をなぞる。夏の太陽は気が早いから、たまに飲んで三時半に店を出るともう山の端に差し迫っていたりする。まとわりつく酔いごと溶かした水が空に広がっていく様に刻一刻とその姿を変える。

 日が長いと言ってもまだ日が昇らないうちに出掛けるのがなんだかちょっといけないことをしているような気がして楽しかった。二人だけの世界で手を繋ぎながら、駅へ続く階段を駆ける。転ばないように手を取って、浮いた足を努めて着地させた。誰もが優しい寝息を立てている街を二人で出た。星がちらつく空は刻々と朝日をにじませる。始発の列車には朝練らしき高校生の姿がちらほらあるだけで、それもまた星の一つだと思った。一さんは昨日作ったおにぎりのラップを丁寧に剥がす。その音にまどろむ。列車の揺れがゆりかごの様で、母親のような一さん。幸せというのはあたたかい海に沈んでいくこと。吐いた息は小さな泡になってパンタグラフをちかちかと辿っていく。

 休日の水族館は家族連れが目立ち、昔のレンズ付きフイルムにおさまる幸せの色で溢れていた。南アメリカの大きな魚が丸い水槽で私たちを取り囲みぐるぐると回っている。

「真理さんの名字、俺は結構好きだな」

「どうして?そんなの関係ないよ」柄にもないことを話し始めるので可笑しくなってしまった。

「俺がはじめで、真理さんが、おわり。運命だね。」

 帰りの列車の中で、熱帯魚は自分の鮮やかさに溺れないのだろうかとふと思った。


《一月十一日》

 雪の降らない所の人たちはあのどこにも行けないような閉塞感も、じっとりと重い雪が音もなく降ってくるのを知らないのかと思う。あの降りしきる雪の一粒が唇に落ちて融けていくことも知らないのか。傘にはしんしんと積り、重くのしかかる。冬の山は惨澹として眠っているのか死んでいるのかわからない。チケットを本当に財布に入れたか不安になった。今日はコンサートだ。

 コンサートと言っても、ライブハウス兼カフェバーの様な小さな場所で、インディーズの私の友人がやるものなのだがそれでも少し心が躍る。一さんは行ってらっしゃい、楽しんで。と自分も友人と飲みに出掛けて行った。

 物語には起承転結があった方がいいと思う。事件があって解決するだとか、会社の存続を賭けた一大プロジェクトを完成させるだとかそういう小説やドラマや映画が好きだ。いつまで経っても告白できない女子高生だとか、様々なものを持ったいい男に惚れて不倫してしまう恋愛脳の物語なんかは最悪だ。主人公たる不倫女たちが自分を悲劇のヒロインとして扱うのが理解できない。何故ああやって絶対に無い未来に縋るのだろう。金も時間も労力も無駄にして、甘い言葉に吸い寄せられていく。彼女たちはけして蝶などではない。醜い蛾であろう。私はどちらにもなることはできない。けれど、残念なことに、安堵すべきことに、私の生きてきた過去も今もそしてこれからもこうやって、物語にはならない。

 ミモザを飲むと出会った時を思い出す。一さんは結婚式の二次会の隅っこで友人の傍で静かに立っていて、話しかけてもあまり答えてくれないのでとっつきにくい人だなと思っていたが単に少し飲みすぎただけだったようだった。ほとんどオレンジジュースだからと言われて渡されたミモザで酔う人なんて初めて見たから少し心配で気になってしまった。

 グラスを空にしたところで、コンサートが始まった。スポットライトに照らされるあの子は、本当にあの子の物語の中のゆるぎない主人公なのだと思った。きっと一さんはしっかりしているし、彼もきっと主人公なんだと思う。


 夢を見た。一さんが手にリボンをかけた小箱を手にしている。いつもの様に私にしか見せない表情ではにかみ、私の名前を呼ぶ。「あげるよ、真理さんにだけ」差し出された小箱はあまりにも白かったので、私はおそろしくなりながらそれを受け取った。小箱の中には心臓が入っていた。大きさとして人のそれではなく焼き鳥のハツ串に似た形状であったため小鳥の心臓か何かであったのだろうか。

「真理さんにだけあげる。俺の心臓。」

「でも、死んじゃうよ」

 一さんはいつも通り揶揄(からか)うような声で続ける。

「真理さんは馬鹿だなあ、知らないだけで本当はみんなこうやって心臓を取り出すことができるんだよ。だから、あげる。」

 心臓を見つめた。赤くて綺麗な心臓。私は本当にこれが一さんの心臓だとわかった。小指よりも少し小さいだけの大きさのそれを、丁寧に壊れないように取り出して呑み込んだ。私の鼓動のほんの少しだけ後に力強い音が聞こえる。

 その時から私は心臓を二つ持っている。


《三月四日》

 ひき肉とたまねぎは何の味付けでもおいしいから、前世はさぞ仲の良い恋人だったのだろうと思う。みじん切りをするときの小気味よい包丁の音は二人を祝福するワルツなのだと思う。まだ冷たい鍵を開けて冷蔵庫に買ってきた食材を入れる。一さんはまだ帰ってきてないのかと口にしかけた名前を空気に溶かす。ふと机に目をやると、真っ白なコピー用紙に「別れましょう」とだけ書いてあった。トマトが袋の底で潰れていた。

 目を覚ますと一さんがいたはずの空間がそこだけ切り取られたように存在しない。不思議なことに一度も涙は流れないが、私の二つの心臓は互いに共鳴するようにどくどく打っているのであった。たとえ泣いて縋っても無理だと分かっていた。そういう人だと、私は思っていたから。昔から嫌なことがあると平気で十五時間眠っていた。眠ることのなんと甘いこと。辛いことを見なくてもいいから。あの日々も短い夢だったんだろうな、やさしいやさしい夢。

 仕事を終えて、もう頭からかぶって息ができなくなるくらい飲んでやろうと思った。ミモザを頼んだらシャンパンが丁度半分で切れ、新しい瓶の口切だった。二人で来ていた店に一人で来てあなたが苦手でも飲んでたお酒を私が飲み干してしまうことをある意味運命と呼んでもいいですか。その運命に乾いた笑いを捨ててもいいですか。ほんとは他の店に行きたかったのになぜかここにしたのも、馬鹿め。

 何もしなくても日々は過ぎてゆきます。きっと恋人に変わりはいるけれど、あなたにかわりはいないから。大切なものは一つでいいはずだ。自分が好きな人に自分は選ばれない。簡単だけど残酷なことだと思った。空っぽなんだと思った。ひとりで幸せになれない女でいたかった。強くなりすぎなければよかった。守られる女になればよかった。不幸に幸福を見出すような女にならなければよかった。運の悪い女かもしれない。運の悪い女は美しくない。運の悪さは必然であるから。物事の結果であるから。小さい頃の過去としたもの、大人になってからの些細だと見逃してきたもの。相対的に幸せな人たちのほんの少しの絶対的な不幸せを思い知らされる。

 おそろしい事に、女は望んでもいないのに血が溢れる。悪い事なんてしていないのに、罰の様に。女に生まれて憎いと思う。女に生まれて幸せに思う。苦痛のみが生きている事を思い知らせてくれるから。女は産みの痛みを忘れるために鈍感で男の傷は死につながるから弱いんだろうな、そう涙も出ない私に思った。



 夫の顔がわからなくなってしまった。

 あのおぞましい日記は、結婚を決めたときに私が私の中の一さんを無理やり押し込めるためにしまっておいたのだ。それを手にした時から私が認識することを諦めた彼は、あまりに記号として無意味で、それは私にとって異形とも言うべき姿として、ただ私の生活の只中に君臨し続けるのであった。

 そういえば子供部屋の天井は広い青空だった。多くの人が想像する普遍的な青の背景に雲が書いてあるような壁紙で、雨の日などにはまやかしを見上げて眠りについた。夫の背中越しに見る天井は冷たく無言を貫く。あの頃は自由に飛べていたんだろうと思う。自分で翼を手折ったくせに、まだあの自由な鳥への嫉妬へ執着している。  

 もう一つの心臓が代償の様にせわしく脈打つ。身体の真ん中に大切に仕舞っておいたはずの心臓の輪郭がぼやけていってしまう。

 優しい優しい顔の見えない彼に殴られたいと思った。馬乗りになられて痣が消えないように何度も何度も甚振ってくれれば、この罪悪感ともつかない気持ちが和らぐ気がした。傷つける側は謝るだけで楽だ。あとは忘れても誰からも咎められない。傷つけられる側は、苦しみながら尚赦すことはできるのだろうか。

 子供の頃、周りの女の子たちは将来の夢に可愛いお嫁さんだとか優しいお母さんと書いていた。職業でもないそれを疑いもなくいとも容易く口にしてしまうような女の子たちが不思議だった。

 録画したドラマを見る私に夏の重たい雲が迫る鈍色の夕陽が差す。普段はあまり話題のドラマなどは興味が無いのだが、このサスペンスのような恋愛もののような家族愛のようなよくわからなさが好きで楽しみにしていた。

 ねえ、真理。ここ、もうこんなになっちゃったよ、と仁王立ちで触ったら弾けてしまいそうな水風船のようにぱんぱんに膨らませたものを顔に押し付ける。私は一呼吸おいて笑顔を向けてジーパンのチャックを口で開ける。

 ああ、ドラマ良い所なのにな、と思いながら唾液を絡ませ口に含む。いつも身体の中に入るもの、少しするとしょっぱさが口に広がる。勝手にこんなものを膨らませるなら、私だってこれ《こころ》を勝手に膨らませてしまうぞと思った。私のからっぽの嬌態をを掻き消すように夕立は走ってきた。


 「そろそろさ、子供欲しくない?」

 そうだね、と笑顔を返した。うまく笑えていただろうか。一般的な夫婦として、夫の事が大好きな私の顔を演じられていただろうか。少し前の私であったらここまで動揺する事は無かっただろう。日記を見つけなかった私であれば。翼を持っていた頃の私が高い高い頭上に見えるので、私は憎らし気に見つめることしかできない。

 これは恋ではないので愛し合うのも理由が必要なんだと思う。そうやって唇を重ねて、指が身体の線をなぞって、甘い息が漏れて、蜜が溢れる。皮膚の中は空洞で、薄い海老の殻の様なのに彼は優しいからそれでも私はぱりぱりと潰れる事は無かった。かろうじて人間のあつい内臓に生温かい異物が放たれて、そうやって私のもう一つの心臓は、二度と私を揺らすことはなかった。

 罰のような周期的な痛みがぱたりと止んだ。赦されたのだろうか、子供ができればもう夫を愛する振りをしなくてもいいから。いや、より大きな苦しみの前の嵐の前の静けさなのだろうか。あれから初めて涙が出た。はらはらと落ちるものはただの体液ではなく、傷つけられて傷つけた私の中身だと思う。

 身体が意に反し勝手に変わっていくことは、おそらく背が伸びたとき以来のことで不思議で慄然とする。私の腹も触ると弾けそうに膨らみ、小さい頃遊園地で大きなどうぶつにもらった風船なんだと思った。私には無いその大きすぎる愛とか希望とか可能性など美しいものでいっぱいいっぱいの、私のこども。

 

 私の体の一部だった希望の風船を腕に抱き、萎んでいく腹は茶色くしおれていくようだった。花のがくの部分かのように子宮が硬くあった。風船は真浩と名前を付けた。のびのびと真の、本当の幸せを手にできるといいと思う。

 昔、口紅を引くと幸せな嘘を吐ける女になる気がした。勿論他に比べたら私など高が知れているが、ストッキングの薄い境界で外と隔てられる私の脚、踵の高い靴を履くと背筋が伸びて、鮮やかな指先は魔法をかけたように美しいと思っていた。今はあまり化粧もせず、服も質素で子供を追いかけられるようなスニーカーになってしまった。縋っていれば良かったのだろうか、どれが正しかったのだろうか。

 こんなに複雑でどろどろになる前は、本当はちゃんと好きだったんだけどさ、それはもうあの日に置いてきたから。ごめんねこんなので、子供の私にもこの子にもきっと本当の笑顔は向けられないね。でも私は忘れるのが得意だから忘れて、許して、笑顔を向けるのかな。


 都会の人工的な木々が粧いはじめ、これから眠りにつくはずなのに目覚めたばかりのような、夢をまだ覚えているくらいのような日差しが真浩のまるい頬を暖める。この辺りに来るのは久しぶりだ。

 一さんを見た。十年を長いとみるか短いとみるかわからないけれど、私は一度死んで二度目に人生で見たかのようにもう随分と一さんの姿を見ていない気がした。けれど分かった。勿論雰囲気も変わっていたけれど、たとえ生まれ変わっても、たとえこれが初めて見たとしても間違えるはずがない。自然と早足になる。ママまってよ、と言われ繋いだ手をかなり強く引いていたことに気づく。ごめんねと抱き締めてだっこして走る。

 喉の奥から絞り出すように名前を呼んだ。一さんは嫌な顔はしなかった。その困ったような笑顔はあの時と変わらず、今まで仕舞ってきた言葉がすべて涙になって零れ落ちてしまいそうだった。そして最近あったこと、仕事の愚痴、結婚相手の話、子供の話など他愛のない話を十年前と同じように話した。涙の代わりに言葉が出てきて止まらなかった。

 時間が一瞬に圧縮されてしまった。砂場で遊んでいた真浩が飽きたのかママ―、おなかすいたーと走ってきた。

「ひろね、ももぐみのもねちゃんが好きなんだー」あまりにも「も」が多く、息せき切って走ってきた舌足らずな真浩にひどい仕打ちをさせるものだと思ってしまい少し面白くなってしまった。

「そうなのー、よかったねえ」

「ママは誰がすきなの?」

 これが何かの小説ならば、主人公たる私はきっと動揺し一さんに何かを口走ってしまうだろうが、それはあまりにも陳腐すぎる。一さんを見つめると、陳腐すぎるような物語に沿ったような気まずいような焦っているような表情をしている。

「ママはね、真浩がだいすきよ」

 ほら、少しほっとしたような顔。

 そして悪戯する幼子のような笑みを向け「後はひみつ。」と付け足した。もう一つの心臓はもう二度と動かない。死んだ心臓がただ私の中に在り続けるだけ。私は愚かな主人公にはならない。自分の選んだことだから。けれど。いや、正しい。自分を肯定するのは自分しかいないから。

 春の偽物の太陽が遥か彼方から愚かな私を見下している。

 ―終―


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春陽 有川 真黒 @maguro-yukunazuki

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