《ぶらっくほーる》

 彼女はいつも目を覚ますとすぐに窓際に向かった。最初は外から自らの羞恥が見えないように気にしているのか、あるいはその逆に肢体と猥らな姿を見せびらかしているのかと思っていたがどうやら彼女は単に天気を見ているだけのようだった。けだるげなような憑き物がとれたような不思議な感覚の朝に、シーツを滑るように脚を地につけ、ベッドの下に落ちているTシャツだけをその肌に重ねて窓際で遮光カーテンとレースカーテンを無邪気に遊ぶようにその隙間から覗いてみたり、言葉を発しかけた唇に舌を押し入れるように薄く開いたカーテンから愛しさにあふれたまなざしで外を眺めたりしているのだ。

 彼女の唇が肌を吸うときは赤子のよう、その乳房に包むときは母のよう、不機嫌さは反抗期の少女、話すと学のある人のようだし、それでいてきっと本性は薄汚れた娼婦。この目がお前しか見えなくなればいいのに、と思う。遮光カーテンから差す、雨でも鋭い光が彼女の身体を照らしていてくらくらした。目を閉じると、出会った時を思い出した。

 過剰な音量の音楽が流れる飲み屋に連れていかれ緑色の酒をぐっと飲まされたところまで覚えているがどうやらそこで会った女と、だったそうで最初は驚きもしたが頻繁に連絡が来るようになり、頻繁に会う機会が増え、会ってしまえばそこからは転げ落ちるようにこういう仲になっていたのだった。仲良くなるにつれて出会うきっかけを作ってくれたどうしようもない奴に警告されることが増えた。「あいつはやめとけ」だとか「もっといい女がいるぞ」とか。単純にそいつもこの女が好きなのかと思っていたので、付き合っているわけでも無し、好きにすればいいじゃないかと言ったのだったが「この女の穴に吸い込まれたら最後戻ってこれなくなるぞ」とも言われてさすがに笑ってしまった。そのときはなかなか振り向かない彼女が俺には優しいから嫉妬しているだけかと思っていた。

 一度、同じように薄暗い後朝きぬぎぬに、付き合っている男はいるのかと聞いたことがあった。するといじめっ子のような目でまっすぐこちらを見据え、いなかったら付き合おうとか言うの?と、愚かな仲間に対し確認するように言った。そして続けて「それは、秘密。あなたの事は嫌いじゃないよ。きもちいし、まあかっこいいし、楽だし。だけど今後付き合うとかは、無いよ。今だって付き合ってるわけじゃない。」とあたかもそれが何度も何度も口にしてきたお決まりの台詞のように早口で言い終えた。そして彼女はまた窓際へ行き、気が済んだのか帰ってきて頬を摺(す)り寄せてきて蕾が綻ぶような笑顔を向けた。

「ブラックホールなんだよ、私。ブラックホール、知ってる?あのね、真子はまこじゃなくてまこくなんだよー。黒なの、真っ黒。身体はいいけどね、心まで近づいちゃうとね、時空が歪んじゃうよ、未来もない、過去もない、光さえ出られない。」と言うとあははー言っちゃったー! とはしゃぐように布団を泳いだ。冗談なのか、本当なのか、彼女の輪郭がぼやけている。はしゃいだ顔はまたすぐに作りこんだ顔になって「ごはん食べる?」と聞いてきたとき我に返った。いや、もういいや。と答えて、真子が食べたいかなと付け足した。

 余計なことをせず余計なことも考えずただ一緒に居たいと思った。その肌に触れて、紅潮させて、快楽の沼の底に引き摺り込んで呼吸もできないように沈めてやりたいと思う。他の誰でもなく二人だけの世界で。「そういうこと言うんだ、意外かも」とにやにや笑ってベッドに入ってきた。食べられると困るから逃げるーと布団に潜った。

 この柔らかさは一体何なんだ。

 くすぐったいふわふわの髪の毛から肉であることを主張する身体。ふいに顔に触れて、唾液に汚れる粘膜に指がのみこまれた。体内の熱がじんわり伝わってきた。指が臓腑の熱さを思い出す。いたずら好きな少女が秘密基地に連れて行くように手を引きその肢体を触らせる。はにかむような笑いと溺れる嘲笑が混ざった声がこぼれた。自分の内臓の熱さと彼女の内臓の熱さがぐちゃぐちゃに混ざり合った。この手が彼女しか触れられなくなればいいのに、そうすればしがらみだらけの毎日で霞の中こいつだけをしっかりと掴んでいられるのに。

 ピーンポーンと間延びした音が聞こえた。到底人前に出られる格好ではないので無視していたがもう一度間抜けな音が聞こえたが聞こえないふりをした。誰にも会わず誰の声も聞かずこのままこいつを腕の中で抱いて死ねたらいいのに。

 そういえばこいつは自分の事をブラックホールだとかなんとか言っていたけれど、果たしてそうだろうか、もがきながらも快楽の沼にごぼごぼと沈んでいく感覚があって、甘い甘い液体に包まれていった。彼女との境目がとけていく。

 近づきすぎた憐れな惑星が宇宙に沈んでいった。

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