《新銀河交響曲・ベガ》

 あの子には才能がないと思う。私にはわかる。小さいときから努力してすべてなげうって一心に一つだけを信じて生きてきた。ここにいる人はほとんどそうだと思う。私たちには音楽しかない。けれど本当に音楽だけで食べていける人なんて一握りだ。ある者は才能のなさを早々に自覚して音楽の先生になる道を選んだ。ある人はそれでもあのスポットライトを忘れられずに、ドレス姿からは想像もできないような汚い世界で生きている。


私は光が入るテラスでブラックコーヒーを飲みながら譜読みをしていた。どうしようもなく春は、今日も頼りげのない毎日を嫌味たらしく照らす。楽しそうな新入生の横で就活に必死になっている人びとのコントラストよ、どうか私にまで影を落とさないでくれ。

急に背後からチェロの音が鳴った。振り向くとテラスの真ん中でいきなり弾き始めた人が居て、小柄な体とチェロの大きさがはっきりとしていた。ざわざわとする周りの状況など一切見えていないような素振りでゆれるボブヘアの毛先が光を帯びていた。人々は変に一体感をもち、みな同じように奏者を見つめていた。あるいは賞賛、あるいは奇異の目で。ひとしきり気が済むまで引き終わった彼女は皺だらけの楽譜に赤鉛筆でぐしゃぐしゃと何かを書いていそいそとしまった。同時にまたテラスにコントラストが戻る。こちらに気づいてひらひらと変な手の振り方をして「おー」と間抜けな声を出した。走ってきた彼女に「オリ、また目立ってたよ」といった。「え?あ、そなの」と彼女は自分で切ったばらばらの髪をまとめた。と思うと私の手元を見て、コーヒー私も飲も! と言って駆け出して行った。テラスの真ん中に走っていくオリを見ていたら後ろから「おはようみちちゃん」と声をかけられ、振り返ると四季がいた。彼女からふわふわのいい匂いがした。大柄だから膨張色着るの嫌なんだけどねと言いつつ今日も女の子らしいかわいい服だ。「四季、今日もかわいいな~」と褒めるとやわらかい笑顔を向けた。後ろから「四季がでかい~」と声がした。オリがコーヒーを二つ持って戻ってきた。「はい、四季の分」と渡した。昨日のドラマの話、最近できたカフェの話、教授の愚痴などを話した。私たち、いつも一緒だね。

 

四季に飲みに誘われたから、行ってみたらふたりだった。いつも三人だったから不思議な感じがした。天気予報が晴れだったのに曇って雨の降りそうな時になったような気持だった。他愛のない話をして、スパークリングワインだかサングリアだか知らないけど見た目が可愛くて甘いお酒を手に四季が切り出した。「みちちゃんはさ、就活とかどうするの?」「うーん、私はさ、才能とかないから音楽の先生とかピアノ教室とかの募集見てるかな」四季の表情が曇った。「わたし、わたしね、やっぱり音楽をやっていきたいなって、でも、フルートってあんまりいないし、必要ないし、難しいのはわかってるんだけどね、でも…」思い出したように重力が涙を引っ張った。

言葉の続きを私はわかっていた。四季にはたぶん才能がない。可愛くなるのも、人当たりも、音楽も人一倍頑張っている。

頑張っているけど、好かれない。報われない。不器用で、可哀想な、四季。

自分にも才能がないから、わかっているから、才能がないのにそれでも続けたいという四季が傲慢に見えた。現実見ろよ、とそのぷっくりした頬をひっぱたいてわんわん泣かせてやりたい自分もいた。

涙を隠しながら平然を無理に装って「オリちゃんはどうするのかな」と話した。わかんないし、たぶん考えてないんじゃない?と答えた。ちょっと素っ気無かっただろうか、もう一度ちらりと顔を見た。初めて見せる泣きそうな、憎しみにあふれたような、嫉妬と羨望の混ざった顔を見せた。そうして私の想定した通りの言葉をつづける。

(そんな顔、見せないでくれよ…)

いくら甘く可愛いお酒でもアルコールに苦みがあることを思い出した。


 短い春を消費して、わたしたちは無駄なことをしているのかもしれない。夜に遠い遠い月を眺めて必死に手を伸ばそうとしているだけかもしれない。けれど私たちは三人でいる。恒星になれなくたって惑星は惑星なりに生きていくしかないのだ。「オリってなんでオリっていうの?」「んー、なんかさー、織姫なんだって、ベガだよ。」「星の名前なんてロマンチックだねえ~。憧れちゃうね。ね、みちちゃん」「そう!宇宙だよ!宇宙!わたし宇宙を演奏したいの!」というと、うちゅう~~!と叫びながら走り出してまた場所も考えず演奏しだした。オリちゃんはいつもだね、と笑いながら四季にはまた重力が重くのしかかったようだった。

あの子には才能が有るんだと思った。ベガ。


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