第7話 スライム事件 後編
スライム入り皮袋を握り締めた受付嬢は這う這うの体で魔物研究所と看板を立てている建物の扉を叩く。
「こんばんは~・・・所長はいらっしゃいますか~・・・冒険者ギルドからものです~・・・・・・・・・」
叩くというよりも撫でると表現した方がいい訪問をする受付嬢は既に瀕死だ。
ここに来るまでに何度スライム袋を落としそうになったか。
あの時ほど絶望的な気持ちで街を歩いたことはありません。と後に彼女は語った。
ほどなくして扉が開き、隙間から長い白ひげを蓄えた小柄な老人が姿を見せる。
老人はどんよりとした様子の受付嬢に一度驚き、それから扉を開ききって迎え入れる姿勢だ。
「なんじゃ、誰かと思ったら初心者担当の受付ちゃんじゃないか。ささ、入った入った。」
目尻に皺をたっぷりと作って笑うこの老人こそがオーナーの友人であり、元高名な魔法使いであり、魔物を研究する施設の所長、通称スライム爺さんである。
建物の中には天井まで届かんばかりの本棚と、うず高く積まれた紙の山。
それらを忙しなく仕分けている白衣を着込んだ職員達で慌しい。
奥からは「グルグル・・・」と喉を低く鳴らす魔物の声が響いてくる。
街の中にあるはずなのに別世界だ。
「はあ・・・お邪魔します・・・。の前にこれ持ってください!早く!ハリアップ!」
「わ、こら!わかったからそんなに乱暴に押し付けるんじゃない!」
強引すぎるくらいの動作で老人に皮袋を渡し、受付嬢はようやく一息つくことができた。
案内された先でソファに座り込み、ぐったりとしている。
その様子を横目に老人は面白いものを見るように手元の皮袋を見ていた。
「ははあ、この皮袋の中身を調べてほしいってことかの。おっと!動いたぞ!こりゃスライムだな。」
「ええ、冒険者の方が変わった色のスライムがいると生け捕りにして報告しにきてくださったんです・・・。」
「で、それを受けた受付ちゃんがわしのところにこれを持ってきたと。」
「そういうことです。街から北東の位置にある森の中に小さい池があって、そこにいたみたいなんです。近くには魚が数匹死んで浮いてたみたいで。」
「毒性のスライムだと疑ったわけじゃな・・・ふむ、ちょっと拝見。」
老人は皮袋をひっくり返し、四角いガラスケースの中にスライムを入れる。
ドゥルンと卵の白身のような連帯感を持ってケースに落ちる紫色の物体を直視しないように受付嬢はすかさず目を逸らした。
「ほほー、見事に紫色じゃの。どれどれ。プロテクション!」
杖も持たずに自身の手に保護魔法をかける。
生きたスライムの消化器官はそのまま触れば手が溶けてしまうので魔法で保護してやるのだ。
もっとも本来<プロテクション>は衝撃を和らげるための魔法なのでこんな使い方はしないしできない。
魔法使いとして名を上げた老人だからこそできる芸当だ。
丹念にスライムの内臓を調べていく様子だが、目を逸らしている受付嬢にはぐにゅぐにゅという音しか聞こえない。
音声だけなので逆に恐怖を煽ってくるが、見る勇気もないのがつらいところだ。
本当は耳も塞ぎたい。つらい。
受付嬢は涙目だった。
「確かに毒があるようじゃ。胃の中は・・・お、ほれほれ!見てみなさい。」
「絶対イヤです!」
「なんじゃ、そんなに怯えて。ただのスライムじゃよ。」
「スライムなのがイヤなんですうううう!」
「こんなに可愛いのにのう・・・。」
残念がる老人に受付嬢は「このじいさんはヤバイ変態だ」と思った。
スライムの粘液を大量に集めてイケナイ遊びに使っているのだ、とも。
受付嬢はちょっとだけ汚れていた。
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「ほいよ、もう終わったから見ていいぞい。」
スライムを調べ終わったのか老人が声をかける。
「イヤです!スライムが片付くまでは絶対にそちらは見ません!」
「ケースに布をかぶせたから見えんて。安心してこっちを見なさい。」
「本当ですね!?本当に本当の本当ですね!?」
「本当だし本当に本当の本当だから見なさい。」
受付嬢が訝しげになにかの入った小瓶を持つ老人を見る。
どこかで見たことがある小瓶だ・・・確か最近お気に入りの食堂で隠し味だって店主が入れていた小瓶と似ているような・・・。
そんなことをぼんやりと思う。
「それはなんですか?」
「スライムの胃の内容物。」
「ひぇぇぇ・・・。」
「これくらい我慢せい。しかしまだ消化しきれていなかったから助かったぞ。早いうちに持ってきてくれたのがよかったんじゃの。毒性を持った原因もわかったぞい。」
「そ、それで原因は・・・。」
毒性のある新種のスライムが出没してしまったのだ。受付嬢からすれば非常に遺憾なことだがスライムの粘液は調味料として安全マニュアルに載せられている。
原因が分かったら早く戻って報告書も作成して、オーナーに指示を仰いで・・・頭の中でこの後の予定を組み立てる受付嬢。
「胃の中に<死霊花>が見つかったんじゃ。スライムは草食じゃからの。これを食べて毒性を帯び、体が紫色に変色した。」
「その<死霊花>とは?」
「非常に毒性の強い花での。元々スライムは毒の耐性があるから食べても死なないんじゃが・・・水に入ったときに粘液が混ざって池の魚が死んだんじゃな。」
「そんな毒性の強い花が自生していたということですよね。これは厄介な話になりましたね。」
自生する植物は厄介だ。
どこから種子が飛んできたかの経路は分からないし簡単に根絶やしにはできない。
もう(受付嬢にとって気の狂ったとしか思えない)スライム調味料は使用できないだろう。
安全マニュアルの改訂もしなければならない。
まずはどこから手をつけよう・・・頭を悩ませる受付嬢に老人は明るく否定の言葉を述べる。
「それがそうでもないんじゃ。」
「へ?」
「この<死霊花>はの、元はどこにでも種子があるなんの変哲もない花なんじゃが・・・条件を満たすと毒性を帯びて初めて<死霊花>になるんじゃ。」
「その条件とは?」
「アンデットが近くにいること。」
「!!!!」
「アンデットが近くにいる、それで近くの花が<死霊花>に変化する。それを食べたスライムが毒性を帯びて、池の魚が死ぬ。これが事の顛末だの。」
スライムは狭い範囲で縄張りを持つ魔物なのであまり遠くにエサを探しに行かない。
そのスライムがアンデットが近くにいると発生する花を食べたということは・・・スライムを持ち込んだ青年達の近くにアンデットが居たということになる。
アンデットは死体にレイス等の悪霊が取り付き生まれ、生きた血肉を求めて彷徨う厄介な魔物だ。
タガがはずれているのか力は強く、獲物をどこまでも追っていく。
昼間のことだったので出くわさなかっただけだろう。あの冒険者達は運がよかったのだ。
受付嬢は老人に礼をして急ぎギルドに報告をしに戻るのだった。
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―――そこからの対応は迅速だった。
明朝すぐに例の池のある付近へ行く依頼を受けた冒険者達に解決まではしばらく近寄らないように注意喚起。
Cランク冒険者達にアンデットの捜索と討伐を依頼、それから既に<死霊花>へ変質してしまった花を根こそぎ抜く。
アンデットはすぐに見つかり、討伐された。
装備を見る限りは旅人だったのだろう。運が悪かった。
彼は街の協会で丁重に供養され埋められることとなる。
スライム事件から数日後、事の流れを説明するために受付嬢は老人を訪ねていた。
山吹色のお菓子ですって渡すと笑いが取れるぞ。とオーナーに持たされた菓子の詰め合わせは普通に渡した。
「所長のおかげで迅速に解決をすることができたとオーナーも言っていました。ありがとうございます。」
「なになに、普段からスライムは扱い慣れているしの。年寄りの知恵が役に立ったんならそれでいいわい。」
お菓子を頬張っている老人は甘党なのだろう、ご機嫌だ。
「前から気になっていたんですが・・・スライムの粘液を集めてなにをしていらっしゃるのでしょう。」
受付嬢は問題が解決したことで気が緩んでいた。
普段の彼女なら苦手なスライムのことを聞くことは絶対にしないだろう。
「ふむ、企業秘密だが甘味に免じて教えてやるかの。」
「企業秘密?やっぱりイケナイコトに使用したり・・・。」
「確かにイケナイコトかもしれんな。受付ちゃんには刺激が強すぎるかもしれん。」
「し、刺激・・・。」
老人は悪い顔だ。
「スライムの粘液を精製してな・・・小瓶に詰めて売るんじゃよ。」
ほれこれだ。
そう言って老人が見せてくる小瓶は、スライムの胃の中身を入れていた瓶と同じものだった。
瓶の正体を知った受付嬢はわなわなと下を向いて体を震わせる。
「お・・・・・・・・・」
「お?」
「おおおお・・・・・・・・・」
「おお?」
「お前が売ってたのかあああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
研究所に受付嬢の叫びが響き渡る。
「やっぱり刺激が強かったかのう・・・。」
老人はどこ吹く風だ。
後日、先輩受付嬢と夕食を食べに行った店は勿論別の食堂だった。
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