第6話 スライム事件 前編

陽もそろそろ落ちてくるのではないかという頃、受付嬢はそろそろ今日の仕事も終わるだろうとアタリをつけて自分の受付の周りを簡単に片付けていた。




「今日もよく働いたなあ・・・・・・」




なんて呟いて軽く伸びをする。


受付の仕事は基本的にデスクワークと冒険者の接客業務だ。


一日座りっぱなしを防ぐために仕事の合間を見て席を立ち、軽く体を動かすこと。という職員マニュアルに従って体を伸ばしたりしているが、それでも凝るものは凝る。


いつだがオーナーの言っていた




「デスクワークは怖いよ。分かりやすく肉体労働してないからこそ怖い。座りっぱなしで楽でしょ?なんて言われてるけどアレは寿命縮む。俺はそれで死んだ。万年肩こり腰痛神経痛、目の痛み!社会はブラックだぜええええ!!!!」




という発言を思い出す。


社会がブラック?黒いって?このギルドのオーナーは頻繁によくわからない発言をする。


それにものの例えとはいえ死んだとはまた物騒な発言である。


現にオーナーは健在だ。


今日も元気にギルドの2階にある自室に引き篭もりながら怪しげな道具でも発明しているのだろう。


元気に引き篭もるとはよくわからないが、とにかくあのオーナーの言うことだ。信頼はしている。


デスクワークは怖い。それを脳裏に浮かべて受付嬢はだらりとデスクに体を預けるのだった。








「こらこら、まだ仕事中ですよー。」




隣の受付にいる先輩職員が苦笑いして注意する。


間延びしたと形容できるおだやかな言葉にトゲは含まれておらず、本気で言っている訳ではない。




「だって先輩、報告にくる冒険者さんもこんなギリギリの時間に駆け込んで来ませんよ。明日の依頼を受けるついでで報告する人がほとんどなんですから。」




<明日できることは明日しよう。無理なスケジュールは生き急ぐよりも死に急ぐ。>


安全マニュアルにも職員マニュアルにも書かれている言葉だ。


ギルドの職員だって人間なのだ、早く帰って休みたい。


ギルド自体が商店などと比べて比較的早めに閉館するので冒険者側はそれを守っているというより、守らざるをえないのが真実である。




兎にも角にもそんな背景もあって閉館するかどうかの瀬戸際に駆け込んでくる冒険者なんて緊急の用事がある場合しかないのだ。


今日はもう来ないだろう、そうタカを括って受付嬢はだらけている。




「先輩~今日ご飯食べて帰りませんか?私美味しいところ見つけたんですよ。噴水通りにあるパン屋さんの隣にある食堂。煮込みがね、ハーブっぽい風味が利いててそりゃもう絶品で・・・えへへ。」




料理を思い出しているのか受付嬢の顔はニヤけている。


口の端から涎でも垂らしそうな勢いだ。


営業スマイルが板についたいつもの彼女からは想像もできないだろうが先輩受付嬢は知っている。


隣でデスクに頬をつけながら夕飯の話をしてダラけている後輩はこれが素なのだと。




「ご飯を食べにいくのは賛成だけど、あと少しで終わるんだからシャンとしなさい。」


「はあ~い。」




あと少しの辛抱だ。おいしいご飯を食べて、家に帰ってダラダラしよう。


そう受付嬢が思っていたその時、入り口が勢いよく開かれた。


ガランガランと大きな音を立てて扉にとりつけてあるベルが鳴り、ギルドに駆け込んできたのは勿論冒険者である。


すぐさま先輩受付嬢が隣を見やると、既に背筋を伸ばしおだやかな営業スマイルを浮かべる後輩の姿があった。


その変わり身の早さを憎らしいやら羨ましいやら複雑に思う先輩だった。


息を切らし、受付に近寄る青年。余程急いできたのだろう。






「ギリギリですみません、まだ大丈夫ですか?」




終業間近の空気を感じたのだろう、青年が気まずそうに聞く。




「大丈夫ですよ、依頼の報告ですね?お疲れ様です。」




受付嬢はにこやかだ。労う言葉も忘れない。




「スライム爺さんの依頼でスライムの納品を・・・。」


「ああ、いつものですね。」




受付嬢の顔がほんの一瞬、引きつる。しかしそれを相手に悟られる前に気合で戻す。彼女はプロだった。


スライム爺さんとは、この街に魔物の研究をするための施設を構えている老人のことだ。


オーナーの古い友人で、昔は高名な魔法使いだったと聞いている。


魔物の生体調査や分布などを頻繁に依頼してくれるため、ギルドとしては大口の取引先でもある。


その頻繁に依頼してくるものの約半数近くがスライムの落とす粘液の納品ゆえ、冒険者達からはスライム爺さんなどと呼ばれていた。


彼がスライムの粘液を一体なんの目的で集めているのか受付嬢は知らないし知りたくもないが、こうして簡単な依頼でランクの低い冒険者達に経験を積ませてあげられていることには感謝しているのだ。




しかし、いつもならばこの手の納品依頼は直接依頼者に渡すことになっているはずである。


息を切らし、ギリギリの時間に駆け込む必要はない。


なにかあったのだろうか?


困惑している受付嬢に青年はワインなんかを保存するための大きな皮袋を持ち上げて見せる。




「いつも通りスライムを狩っていた最中、池の中に色の違う奴がいたんです。近くには魚が腹を見せて浮いていて・・・様子がおかしいので水に浮いていたのを袋で掬って生け捕りにしてきたんです。」


「い、生け捕り!?」




うにょり


目の高さに掲げられた皮袋が動く。


ひっ!と後ずさる受付嬢。




彼女はスライムがちょっとだけ苦手だった。本人曰くちょっとだけ。


うにょりうにょりと蠢く姿が生理的に受け付けないのだ。


あと微妙に消化器官が透けて見えるのが気持ち悪い。




とにかく確認して見てくださいと青年は真剣な顔をして皮袋を床に下ろし口を広げてみせている。




受付から回り込み、おそるおそるといった表情で中を確認すると、袋の底には半透明の物体がうにょんうにょんと揺らめいていた。


しっかり生きているのを見てしまい思わず呻いてしまう。




「う、うへえ・・・あ、いえ。スライムですね・・・紫色の。」


「そうなんです。普通スライムは青か緑色をしてますよね。近くで魚が死んでいたことも無関係ではないと思って、急いで報告をしに来たんです。」


「な、なるほろ・・・。」




ええと、こういう時の対応は・・・どうすればいいんだっけ。


生きたスライムを目の前に固まる受付嬢に見かねた先輩受付嬢が助け舟を出す。




「ご報告ありがとうございます。確かに毒があるかもしれませんしこれは問題ですね。ギルドのほうで調査致しますのでそのスライムはお預かりしてもよろしいでしょうか。」


「わかりました。調査お願いします。」


「ほら、受け取って。」


「ひゃ、ひゃい・・・ごほーこくありがとうございまひた。」




先輩から小突かれて袋を受け取る受付嬢はもう涙目だった。口もうまく回らない。


微妙に袋の中でスライムが動いている振動が手に伝わってくるのが最悪だ。


無理やり笑顔を作って青年を見送る。彼女はプロだった。








青年の姿が見えなくなったあと、職員達は扉の施錠をする。


もう閉館する時間だった。


自分のデスクを片付けながら先輩は言う。




「今日の夕飯行く話はナシね。それ、早いところスライム爺さんのところに持っていかないと。」


「そ、そ、そんなあああああ。」


「またいつでも行けるわよ。オーナーには残業ってことで報告しておくから早く行きなさい。」


「私が行くんですか!?いやああああ先輩いいいい助けてください!」


「あんたの仕事でしょ!」


「だってスライムですよ!オマケに生きてる!そんなの持っていける訳ないじゃないですか!」




受付嬢は駄々を捏ねている。


スライムはちょっとだけ苦手、なのではなかっただろうか。


泣きべそをかいて自分に縋り付く姿に冒険者達にはとても見せられないなと思いつつ、先輩は呆れ顔で裏口から受付嬢を追い出すのだった。


先輩は仕事には厳しいのである。








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「・・・気持ち悪い・・・。」




受付嬢は人通りのない裏通りを歩いてスライム爺のいる魔物研究施設を目指していた。


なるべく体から離しておきたいのだろう、前に腕を目一杯伸ばして件のスライム入り皮袋を握り締めている。


万が一落として逃げでもしたら大変だ。袋を握り締める手に力が入る。


時折皮袋から自分の歩行からくるものではない振動が伝わって、その度にうええ・・・と呻き、悶える受付嬢。




スライムとはいえ生きている魔物だ。あまり人目に触れていいものではない。


それにニッコリと営業スマイルを浮かべる普段の自分のイメージを守るためにもどうか人に見られませんようにと祈りながら受付嬢はへっぴり腰で歩くのだった。

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