第18話 笙花と狛

「よ。笙」

「お、狛じゃ~ん! どうしたの? 仕事は?」


チャイムに呼ばれた笙花がアパートの部屋を出ると、共同廊下に狛が立っていた。

ひらりと片手を上げる狛に、笙花はぱっと顔を輝かせる。


「今日は定時で終わったんだ。飲みに行かないか?」

「え、行きたい! …と、言いたいところなんだけど…これから仕事でさあ。ごめんねえ」

「ああ、大丈夫だ。そっちの事情は全然考えてなかったからな。実家の仕事か?」

「そーなのー。まったく、めんどくさい仕事ばっかり振るんだからあのババア共」


わざとらしくため息をつきながら、笙花は自室の鍵を閉める。その後ろ姿を観察しながら、狛はすんと鼻を鳴らした。


「今なんか匂い嗅いだー?」

「…え? ああ、…美味そうな匂いしたからさ。なんか食った?」

「うーん、ワンちゃんかな?」

「おい誰が犬だよ」


ははは~と笑って、笙花は敷地を出る。歩道に出たところで、笙花は振り返った。


「んじゃ、また誘ってねえ」

「ああ、仕事がんばれよ」


手を振って別れる。笙花が夜闇に姿を消したのを確認して、狛も同じ方向に歩き始める。暗く、街灯もないが、金色の彼の瞳はしっかりと先を歩く笙花の姿を捉えていた。この距離なら、いくら笙でも気づくことはない。足音も気配も殺して、狛は笙花の後を尾行した。


先ほど匂いを嗅いだ時、笙花から嘘を吐く時の匂いはしなかった。心音もそこまで変化はなかった。嘘は吐いていない。これから実家の仕事をしに行くのだろう。そこが少し、気になった。

確か笙花は、ここ何百年か本家には帰っていない。しかも本家との関係はよくなかったはずだ。仕事を押し付けられているのは、過去に何回か見たことあるが、そのどれもが最初に「やりたくないなんで縁切らせてくれない上に仕事振ってくるんだ狛か斎やってあたし無理」と押し付けていた。それが、今回ないのだ。口ではめんどくさいだのババアだのぶちぶち言っているが、以前と比べると文句一つなく、むしろ進んでやっているように見える。


「…」


笙花がネオンに照らされ浮かび上がった。

都市部は夜も煌々としている。その灯りの中を、笙花は明るい茶色を揺らしながら真っ直ぐと歩く。夜の繁華街で、女の一人歩きは危ないんじゃないかと一瞬過った。しかしすぐに考え直す。笙花は淫魔だ。危ないのは声をかけた方。


笙花が細い路地に入る。少しして、狛も同じ道に入る。視界の先で、笙花が古びた建物の中に入って行くのが見えた。

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