第11話 幸岐と斎

「すまん幸岐、隣の山に呼ばれた。ちょっと行ってくる」

「はい。お気をつけて」


斎が家を出たあと、幸岐は家事をすべて終わらせ、縁側で流れていく雲を眺めていた。


今日は休みだと言っていた斎だったが、急な呼び出しでは仕方ない。よくあることだ。今隣の山では数人の行方不明者が出ていて、麓の村では「妖のせい」だとまことしやかに囁かれているらしい。しかし現実はただの遭難で、隣の山の鬼は何も手を出していない。このまま麓の村人が鬼退治だの人柱だの行動を起こし始めてもめんどくさいので、遭難者を見つけて、少し記憶をいじって村に返そうという算段だ。遭難者を探すために斎の翼が必要らしい。


「…旦那さま、早く帰ってこないかな…」


そろそろ八つ時だろうか。小腹も空いてきたので、幸岐は立ち上がって台所へ向かった。

この間笙花に教えてもらった「くっきー」というものに挑戦しようと、作り方の書かれた紙と材料を広げる。

家の中には、幸岐が料理をする音しかしない。それに気づいた時、幸岐はどうしようもない不安に襲われた。


「…」


不安を払拭するように料理に没頭する。一人だということから目を背けるように料理を続ける。しかし耳に音が入るたび、一人の恐怖と不安がぐるぐる渦巻く。挙句、このまま帰ってこなかったらどうしようという考えまで浮かんでくる。

粉と牛乳を混ぜていた手が止まった。じわりと視界が歪む。


「…だんなさま」


小さく呟いた声に反応してくれる斎はいない。


「お、何作ってるんだ?」


その予想に反して、ぬっと真横に現れた斎を見て、幸岐はひゅっと息を詰まらせた。同時に、視界を歪めていた涙がぽろりと落ちる。


「…ど、どうした? なんで泣いてる? 手切ったか?」


おろおろと幸岐の手を取る斎に、彼女は首を振った。


「いえ、違うんです。…びっくりして」

「ああ、悪い…玄関の時点で声かければよかったな」

「いいえ、…早く帰ってきてくれて嬉しいです」


零れた涙を指先で拭う斎を見て、幸岐は先ほどの不安が霧散していくのを感じた。


「何作ってたんだ?」

「この間笙花さんに教えてもらった『くっきー』を作ってみようと思って」

「くっきー…?」


なんだそれはと反復する斎を見て、幸岐はくすりと笑った。


ああ、私。

私、一人になりたくない。一人じゃいられない。旦那さまと一緒に居たい。その為には、やはり。

私が不老不死にならなきゃ。


再度そう決意した幸岐の心中を、斎は知らない。

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