第6話 幸岐

覚えている最初の記憶は両親ではない。黒い羽根を生やし鴉のような面をつけた男と、空腹。

それが、幸岐が持っている、一番最初の記憶。

正確な年齢はわからない。誕生日も、出身もわからない。鴉のような面をつけた男、斎と出会う前の記憶を、彼女は持っていない。


☆ ★ ☆


斎は覚えている。忘れることはできない。幸岐と出会ったあの日のことを。彼女が最初に発した、あの言葉を。


『——…ころして、ください』


幸岐は覚えていないだろう。いや、覚えていなくていい。忘れていてほしい。

あのうつろな目を見た時、斎は確かに心に決めたのだ。この子を幸せにしようと。この子の歩む道を、幸せの道にしようと。


二度と彼女に、あんなことは言わせない。あんな目はさせない。


死んでも幸せにする、と。


☆ ★ ☆


「…まあつまりぃ…斎は初めて会った時からみゆちゃんを手籠めにしよう"っ」


そこで笙花の言葉は途絶えた。


「あ、あああああの旦那さま…?」

「ああ、気にするな。すぐに裏山に埋めてくる」

「ちょっとぉぉぉ! 勝手に殺さないでくれる!?」


斎からの強烈な脳天直下の攻撃で酔いがさめたのか、埋められる前に慌てて起き上がる笙花。斎は隠すこともせず、舌打ちした。


「静かになると思ったのに…」

「おおおおおいそれが幼馴染にいう言葉か小烏!?」

「あ!? 誰が小烏だ、もう一回脳天行くか!?」

「嫌だ脳細胞が死滅する!」

「もうほとんどねえだろうが!」

「何をぅ!?」


言い争いを始めた二人を前に、幸岐がおろおろしていると、狛がちょいちょいと手招きした。


「おいでおいで。そっちいると危ないから」

「と、止めなくて大丈夫でしょうか…?」

「ああ、大丈夫大丈夫。ていうか、ああなったらしばらく収まらないから、ほっといていいよ」


狛は慣れたように二人の喧嘩を眺めながら、猪口の縁を舐める。


「…旦那さまは、昔から笙花あんとよく喧嘩をするのですか?」

「ん? まー…そうだね。よく喧嘩してたかも。ほら、二人してお互いを揶揄うからさ。手も出るし」

「…そう、なんですか」


落ち込んだような声音の幸岐。拍は顔を覗き込んだ。


「心配しなくても、斎は幸岐ちゃんのこと大好きだよ」

「…」


拍の投げかけた言葉で、幸岐の表情が晴れることはなかった。

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