第一章
第1話
二〇一八年 一一月三〇日 午後一一時一〇分 アメリカ合衆国
カリフォルニア州 ビール空軍基地
灰色がかった質素なブリーフィングルームに、これまた飾り気のない質素なパイプの机と椅子。そこには6人の男達がなにをする訳でもなく押し込まれていた。
CIA
甲高い轟音を響かせながら離陸していく
離陸した
「呼んでおいてこんなに待たせるって、ケネスはなにしてんだろうな?」
その隣に座るアレックス・ジョナサンが、無精髭でざらざらした自分の顎を撫でながらグレイソンに話を振る。何を考えているのかへらへらした表情だが、不満があることに違いはない。
「さあな。俺もケネスが考えることはよくわからん」
「おめえアイツと面識あるんじゃねーのかよ」
「13班の中では一番話したことがあるってだけだ。人柄把握できるほど付き合いはない」
「ほーん、そっか。お前も似たようなもんか」
まぁいいや、とアレックス。
「しっかし早くしてくれないもんかねぇ。明日の家族キャンプの準備がまだなんだ、少しでも早く帰ってやんなきゃ嫁さんが怖えんだ」
「家庭持ちは大変なんだな」
「おめえみたいな独り身が羨ましいこったよ、まったく」
「……そうだな」
家族か、最後にあったのは何年前だったかとふと思う。よく考えてみれば既に10年近くは会っていない気がするが、だからと言って会いたいという訳でもなかった。
「おいおい、どうしたんだよ急に怖え顔しちゃって」
ジョナサンに言われ、窓に映った自分の顔をみてはっとする。この手の会話はどうもよろしくない。
「……いや、ちょっと嫉妬してな、気にするな」
「なぁんだ嫉妬かよオイ。ま、ピッチピチの嫁さんと4人のかわいいガキがいりゃ誰だって嫉妬するさ、気にすんな」
「バーカ言ってるんじゃないよ、ノロけちゃって」
2人の後ろから話に割って入って来たのは、ゲイリー・スミスだった。苛立ちというよりも、心底呆れたような顔をしている。
「ピッチピチというよかムッキムキだろ、ぜってー。元SFの大男を尻に敷く女だぜ? どんな化け物か想像しただけでたまったもんじゃねーよ」
「はぁ? バカ言ってんのはおめえの方だぜゲイリー。化け物なんかと俺が付き合うと思ってんのか?」
「付き合いそうだからそー言ってんだよ、おまえ何かと悪趣味だかんな」
「うっせえ、ほっとけやい。そもそも悪趣味なのはお前もだろがよ、この前なんか……」
彼の妻が化け物か否か、グレイソンにとっては正直どうでもいいことだった。しかし最後の
「なにやら面白そうな話をしていますね?」
前席に座っていたリチャード・フォーカスが、良い争いをする二人を置いて話に釣られて振り返る。軍人と言うより学者と言われた方がしっくりくる、鋭敏ながらも穏やかそうな瞳は少年のようにキラキラと光り輝いていた。
「あー、お前そういえば化け物とかそういうの好きだったっけか」
「ええ、しかもこんな大男を支配下に置くなんて、どんな異形か想像しただけでグレイもワクワクしませんか?」
「……たぶん、ゲイリーの言ってる化け物とたお前が言ってる化け物だと意味合いが違うと思うけどな」
「? さして違いはないと思いますが」
「おまえらなぁ……」
アレックスの妻がどんな人物か、どうせ化け物ならこんな容姿がいいだとか、果ては結婚するならこんな女が良いだとか、彼らが呼び出された理由とはおおよそ関係の無いであろう与太話で、ブリーフィングルームは謎の賑わいを呈していた。
その時だった。ブリーフィングルームの盛り上がりをかき消すかのように、窓の外から甲高いエンジン音が響く。しかし飛び立って行った無人機達のそれとは違い、バタバタと風を切るローター・ブレードの音が混在していた。与太話で盛り上がっていた男達が窓の外へ視線を向けると、まるでクリスマスの飾り付けのようにライティングされたヘリパッドに、
「見ろ、ようやく俺達の指揮官様がお出ましだぜ」
アレックスが指差しする方を見ると、その
「13班全員揃っているか」
そう言いながら、ケネス・ベイカー情報収集管理担当官が入室してくる。彼らからの返答を待つ間もなく頭数を数え、13班のメンバーが全員集合していることを即行で確認し終えると、手に提げてきた真っ黒な大型のアタッシュケースから地図やらマグネットのマーカーやらをいそいそと引っ張り出し、それらをグレイソン達と向かい合って起立するホワイトボードにテキパキと貼り付けて行く。
「招集掛けた割には随分と遅かったなぁ、タクシーでも拾い損ねたか?」
遅れてきてもなお自分たちを待たせる古老に、全員が抱いているであろう不満をアレックスが冗談交じりに代弁する。それを聞いたケネスは、険しそうな表情のまま手を止めずに答えた。
「空飛ぶタクシーか、いいな。タクシー会社がヘリを使い始めたら
彼らから苦笑いが漏れる。加齢のせいで強面に見える彼だが、中身は外観ほど気の張った性格ではなく、決して怖がるような必要は何一つないことを彼らは知っていた。
彼を取り巻く数々の恐ろしい噂を除けば、だが。と言うのも彼ら13班を初めとしてSAD内では、CIA入りする前の経歴に関する噂が絶えないのだ。ベトナム戦争で民兵100人余りをちぎり投げした元海兵隊員だったとか、湾岸戦争で数少ない"スカッド狩り"の成功例を生身で挙げた元陸軍特殊部隊員だとか、他にも挙げたらキリがないくらいある。どれも一聞すれば冗談としか取れないようなものばかりではあるが、数ヶ月前にケネス1人を相手にした模擬戦闘で特殊部隊出身者ばかりの13班が敗北を喫しているのだ。その事実があるだけに、どの噂も信憑性を帯びて来るのだから恐ろしい。
「さて、冗談はさておきだ。特別休暇を取り上げてまでカリフォルニアに呼び出したのにはもちろん理由がある」
まずはこれを聴いてくれ。ケネスはそう言うと、地図を引っ張り出したアタッシュケースから手のひらサイズの機械を取り出す。小型のレコーダーだ。それの側面に並べられたスイッチが押されると、記録された音声が流れ始める。
最初に流れ始めたものは、銃声を背後に撤退と救援を求める怒号だった。どうにか抗戦してはいるものの、善戦とは言い難い戦況であることは、声の主たちの悲痛な叫びから嫌でも伝わってくる。しかしそれも再生時間が進むに連れて徐々に減って行き、そして……
『バケモノがぁ! 来るな、来るなぁぁぁぁぁぁ!!!!』
この断末魔を最期にして、雑音混じりの音声記録は停止した。この通信を聞いた13班のメンバー達はどよめくが、ただ一人、グレイソンだけは言葉もなく唖然としていた。
「今しがた君たちに聴いてもらったのは、三時間前に記録されたSEALsのチーム8との通信記録だ。彼らはロシア領内で作戦行動を行っている途中、敵性不明勢力と交戦状態に入り全滅。作戦は失敗に終わった」
「チーム8が全滅したのか?」
「残念だが事実だ、グレイ。この通信を最期に彼らとの通信は途絶、GPSの反応も消失した。生存の可能性も見込めないだろう」
「SEALsのチーム8と言えばおめえの古巣だったか」
「古巣の古巣だ、正確にはな。でもまさかあいつらが……」
自分が軍を辞める前、2つほど前に所属していた部隊こそがSEALsのチーム8だった。それ故に、彼らは家族同然と言えるほど信頼を寄せ合い、数多くの作戦を共にこなした彼にとってその情報は、他の誰よりも彼に大きな衝撃を与えるには充分過ぎるものだった。
「心中を察するが本題に入らさせてもらう。君たちに行ってもらうのはチーム8の遺品の回収だ。ここ数年で我が国とロシアの関係は冷え込むところまで冷え込んでいる。そんな情勢下で我が国の特殊部隊員の死体がロシア領内で見つかりでもすれば……極めて良くない結果になるのは火を見るより明らかだろう」
ケネスは極めて良くない結果、と言葉を濁して言うが、つまり第三次世界大戦のことである。何があっても絶対に回避しなければならないことだが、下手をすれば自分たちもその引き金になりかねない。そう考えると彼らに戦慄が走った。
そんなことはお構い無しにカチン、カチンとホワイトボードの地形図上でマーカーを動かす音が小さく響き続ける。
「チーム8が降下したポイントへ輸送機で向かい、そこから高度3万6千フィートよりHALOを行い当該地域に潜入。彼らが偵察目標としていた施設、BS-603までの予定ルートを移動する。彼らを発見次第、遺品の回収と遺体の処理を行い、同施設より南東12キロのポイントでフルトンシステムを使用、当該地域を離脱し帰還する……以上が本作戦、“クリーンダイバー”の概要だ」
説明が終わると共に、マーカーを動かす音も止まる。カリフォルニアの冬風に晒された窓ガラスだけが、ガタガタと音を立てて震えている以外に部屋は静かだった。
その冬風に晒されたかのように、グレイソンは寒気を感じていた。肌寒い故の寒気ではない、嫌な予感が過ぎった時に感じるあの不快な寒気だった。彼はその不快感の原因を突き止めようと質問を投げかける。
「二つ、質問してもいいか」
ケネスは無言で質問を促す。
「回収するその遺品って、まさかあいつらが懐に収めてるヌード写真のことじゃないよな?」
「ああ、そこを説明していなかったな。彼らがそのようなものを持っているか定かではないが、回収する遺品とは
「もう一つ、あんたは遺体を“処理しろ”と言ってたが」
「そのことだが……遺体の処理は事前に説明を受けたリチャードが行うことになっている。そのためこのブリーフィングでの説明は不要と判断した」
これだ、寒気の原因は。
「リチャードには説明して俺達には説明しないのか、それはどういう見解だケネス?」
「そんなに知りたければ輸送機搭乗後にリチャードから聞いてくれ。今は少しでも時間が惜しい」
「時間が惜しい……?」
散々待たせておいた癖にこれか。その言葉が苛立ちと共に喉まで出るが、留める。無論このような答えで納得した訳ではないが、遥か8,000キロメートル彼方の極寒の地で戦死した旧友を、少しでも早く弔ってやりたい彼にとっても同じことだった。内心やりきれない彼の心情を察したのか、それともただばつが悪いと言うだけであったからか、“すまない”と短い一言でケネスは彼の質問を締めた。古老は彼らを一瞥するが、そこには質問がある素振りを見せる者も、腑に落ちた表情を見せる者も、誰一人として見受けられなかった。
「各々少なからず不満はあると思うが、このような時のために君たちSADは存在している。だが今はそのことについてとやかく言うつもりはない、こうして作戦に参加してくれることに感謝する」
「ま、そりゃあこれで嫌です参加しませんなんか言ったら牢屋に突っ込まれるからな」
再び苦笑い。今まで緊張していた空気が、茶々を入れたアレックスにより一気に崩れた。グレイソンはまたかと呆れ気味ながらもつい、つられて笑ってしまう。その光景を見たケネスの表情も激励は不要だったかと、一瞬和むが直ぐに鷹の顔に戻る。
「装備は隣の部屋に用意してある。準備が整い次第、間もなく到着する輸送機に搭乗せよ。では、解散」
グレイソン達は一斉に立ち上がり、彼に背中を見送られながら次々と足早にブリーフィングルームを後にする。だがグレイソンは、どうにも払拭し切れない寒気に違和感を覚えていた。先程の質問のそれとは違うなにか、それが自分たちを待っている気がしていたのだ。
「……どうも嫌な予感がする」
再び静寂が訪れた部屋には、ただ窓ガラスが震える音だけが響いていた。
同日 午後一一時四〇分 ロシア連邦
サハ共和国 樹海の中のとある施設
黒色のビニールでできたソファと木目調にプリントされた机。安物の大量生産品という趣きだが、コンクリートで打ちっぱなしの部屋にはどれも違和感なく調和する。しかし、この部屋で会話を交わしている二人の男は、この場には不釣り合いなほど上等な黒い軍服を見に纏っていた。
「初の実戦で兵士12名を3分足らずで殺害、おまけにNo.9自身は無傷、ですか。数値だけの最高傑作でないことは証明されましたね」
顔面にいくつもの縫合跡が走る青年が、先程挙がってきたばかりの報告書を満足そうに読み上げる。一方、窓際に立つ背筋の伸びた老人は、その報告に喜色を微塵も表すことなく口を開き始める。
「それくらいの結果を出せなければ困る。役立たずの失敗品は三体も必要ないからな」
「やはりマルコフの方針が間違っていたのでしょう。奴が執ったフォースシリーズよりも、閣下がフィフスシリーズで執られた方針が正しいことが今回の戦闘で証明されましたね」
「当然だ少佐。化け物を兵士として扱うから破綻するのだ。あくまでビェールイ・サルダートは兵器でしかない」
閣下と呼ばれた老人はそう言うと、少佐と呼んだ青年と同じようにソファに腰を掛ける。対面する形となった少佐から報告書を受け取り、 彼が読み上げなかった暗い部分に目を通す。
「No.9自体は無傷ではあったが、兵たちは18人が死亡し6人が負傷……か。No.9が投入されるまでの10分間でここまでやるとはな」
「どこの部隊でしょうか? 相当な手練と見受けましたが……」
「間違いなく合衆国の差し金だろう。中東だけを見ているとは思わなかったが、まさか直接来るとはな」
「合衆国……では我々の計画が漏れている可能性があるということでしょうか」
いや、それはないだろうと老人は首を横に振る。
「モスクワの連中でも我々の存在を知る人間は片手で数える程だ。ましてや我々の計画は、概要ですら我々組織内の人間しか知りえない」
「では、今回の戦闘は偶然であったと?」
「そうとも言えん。この様な辺境にこれ程の熟練兵を、なんの宛もなく送り込んでくるほど合衆国も余裕はない筈だ」
計画が漏れている可能性は少ないとしても、何かしら我々の動きが合衆国に感知されているのは間違いない。自分達の行動は物理的に秘匿されているにも関わらず、だ。だとしたら可能性は一つ、内通者の存在しか考えられなかった。
「ですが閣下の提唱された計画は完璧です。この程度のことで揺らぐものではないかと」
「過ぎる賞賛は不快を生むぞ、少佐。過信もそうだ、隙を生じて取り返しのつかない事態を引き起こす」
「は……失礼致しました。どうか不躾をお許しください」
「自信家であることは悪いことではないのだがな。まぁ良い、そろそろ本館へ戻るとしよう」
「No.9を視察していかないので?」
「観光をしている訳ではなかろう」
老人がそう言って立ち上がると、少佐も立ち上がりその横に着く。少佐が老人の手を煩わせまいと扉を開けると、その先の廊下には彼と同じ全身黒ずくめの装備をした親衛隊が、壁際に沿って整列をしていた。老人が一歩一歩と進むにつれ、親衛隊がその後ろに一人、また一人と続いて歩いていく。
「No.9は如何致しましょう」
「アレはこの演習場に残す。実戦後のデータサンプリングは終わっていない筈だ。それに、奴らはまたここに来るだろうからな」
「では合衆国の部隊のことは本国に?」
「いや、本国の穏健派連中に我々の行動も知られる恐れがある。そうしたら連中はことなかれと我々の計画を妨害してくる筈だ、そんなことになってしまえば計画は最悪、頓挫してしまう」
親衛隊の一人が玄関扉を開放すると、
「本館に戻ったら内通者狩りの準備を行う。マルコフ派の中に何人か疑わしい者がいただろう、そ奴らを拘束して尋問を行うのだ」
搭乗早々に着用した機内通話用のインカムを使って、親衛隊員達に指示を飛ばす。老人の着けたインカムから"了解"の返答が連なって耳に入る。そのタイミングで
「私の計画は誰にも邪魔させん……合衆国だろうと、例えわが祖国であろうとも……」
インカムにも拾われず、轟音に切り刻まれた呟きは誰の耳にも届くことなく、誰にも見送られることのない
鮮血で染め上げたかのように真っ赤なその瞳はただ、漆黒の虚空を見つめ続けていた。
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