第2話『妖世界』

 楽という少年が現れて、私が聖妖様だと告げられて、今はもうヒトではなく妖だと言われて。

 頭の中の情報処理が追い付かない。


 "仕事行かなきゃいけないのに"と呟けば、それが聞こえたのか、「行っても誰も貴女様を見ることが出来る方はいませんよ」なんて言われてしまう始末。

 そもそも、急に私が見えなくなったのなら家族や友人、職場の人が心配するし、下手したら捜索願いが出されてしまう可能性だってある。

 しかし、その考えをまた読んだかのように彼は「あ、そうだ」と声をあげて私に話始めた。


「申し訳ありません。これを言うのを忘れていました」

「な、何」

「もう、貴女様はヒトではないので、人間世界にはもう"三好陽菜"は存在していないことになります」

「……は?」


 彼の言葉で開いた口が塞がらなくなってしまう。何を言っているんだこの子は。そう言いたいが言葉が出ない。


「なので、貴女様のご家族や友人、職場は貴女様がいない状況になっています。例えば、陽菜様が四人家族だった場合、貴女様が消え、三人家族が"当たり前"の世界になっているのです」

「え、……じ、じゃあ……もう、お母さん達は私の事を覚えてないって……事?」

「はい。 たとえ、妖が見える方でも貴女様を見ても"三好陽菜"だとは思いません」


 彼は当然のように話しているが、そんな事すぐに「はい、そうですか」って納得できるわけがない。


 ──家族とは27年間、一緒にいたんだ。だから私の事忘れるはずないよ。


 しかし、頭でそう思うのに体は震え、視界が霞みボロボロと涙が溢れ出てきている。まるでこの現状を悲しんでいるかのように。


「なので、陽菜様には妖世界に行くしかないのです。ここいにいても、妖扱いしかされません。今までのようにヒトとして暮らせません」

「う、嘘だ!!」


 彼の言葉は本当か嘘かはわからない。だから、私は慌ててテーブルに置いてあったスマホを取り、実家に電話を掛ける。


 プルルル──。


 ──お願い、出て。


 心の中で祈りながら、震える手でスマホを耳に当て、実家の誰かが電話を取るのを待つ。

 今はまだ7時だ。母もいるし、恐らく妹も家にいるはず。

 最近会っていなかった家族の顔を思い出していれば、ガチャと音がした。


〔はい、三好です〕

「!!……もしもし!」


 電話に出たのは母だ。懐かしい声だと、思いつつも母に声を掛けてみる。


〔もしもーし〕

「お母さん! お母さん! 聞こえる!?」

〔何、もう……誰ですか? 悪戯はやめてください〕

「え……」


 しかし、母の言葉を聞く限り、私の声は届いていないようだった。

 母のその様子に、彼の言葉が本当なのだと信じざる終えなくなっていき、バクバクと鼓動が早まる。


〔お母さん、どうしたの?〕

〔無言電話みたい、気持ち悪いわ〕

「お母さん! 私だよ! 陽菜だよ!」

〔番号は? 知ってるの?〕

〔知らない番号よ〕

〔じゃあ早く切りなよ〕


 母の異変に気が付いたのか、近くにいたらしい妹の声が電話越しから聞こえてくるも、私の声は届かず、二人の会話だけで勝手に電話は切られてしまった。

 しかし、実家だけでは納得できなかった私は友達や、職場や職場の先輩までにも電話を掛けたが、結局、みんな母と同じように"無言電話か"と気味悪がりながらも切ってしまったのだ。


 ──これもう、信じなきゃダメなの?


 とても受け入れられるものではないけど、でも今までの話を聞いて、皆に電話をしてみて、彼の言ったことが真実だと突きつけられたようで、私はその場に崩れ落ちるように座り込む。

 なぜ、私が。それは聖妖様の話を聞いたときからずっと思っていた。


「な、何で私が選ばれたの」

「それは僕にもわかりません。 前の聖妖様にもわからないことなのです。 だから運命としか……」


 "運命"ね。確かに、そう言えば簡単に説明がつくだろうし、人間は運命と言われれば納得するとでも思っているんだろう。


 ──だからって、私は納得できない!!


 なんて言っても、今さら人間に戻れる訳でもない。仕方なく彼の言うことを聞いた方が良いのかもしれないと思い始めていた。


 ……きっと前の聖妖様もこうして辛い状況の中、妖世界とかいう場所に行ったのだろう。



 夢でしか見たことない青髪の前聖妖様の事を思い出しながらも私は、涙を堪えながら立ち上がる。


「本当にもう"三好陽菜"は消えてしまったんだよね?」

「はい。 貴女様はもう聖妖様なので」

「そう、……わかった。 あなた達の世界に行きます」

「ありがとうございます! 聖妖様!」


 私の言葉で、今まで無表情だった楽くんは、とても嬉しそうに笑顔を作り、喜んだ。それを見てつい私までつられて笑ってしまう。

 本当は少しだけ、"この子の話は嘘で、まだ人間じゃないのか"とか"何かのドッキリなんじゃないか"とまだ思ってしまっている。

 でも、今の彼の様子を見てこれは事実なんだと思わせられた。そして夢でとても慕われていた前聖妖様、それをも見て聖妖様という存在がどれほど大事なのか、とても伝わってくる。





 ***





 "三好陽菜"という存在が消えたという話は、部屋を出た直後にハッキリした。

 楽くんと巫女服で部屋を出た私。しかしその直後、誰もいないはずの部屋からは、全く知らない見ず知らずの若い女性が現れて、恰も自分の部屋のように鍵を閉めたのだ。

 それにも驚いたが、それ以上に驚いたのは私の体が彼女の体を貫通してしまったこと。楽くん曰く、妖力がない人間……つまり妖が見えない人間には、触れられないんだとか。

 外を出て、改めて私は人間ではなく妖になってしまったんだと思い知らされた。



 巫女服のまま、外を歩いてみれば、確かに私たちを見る人達なんて居なく、このなんとも不思議な状態のまま彼に着いていけば、近くの大きな公園へと到着する。


「公園に来てどうするの?」

「ここから、我らの世界へと行けるのです」


 そう言って、楽くんは公園内を歩いていくのだが、突然公園の奥まった場所にある茂みに足を踏み込む。この公園は住んでいたアパートから近いけど、こんな場所まで来たことがない。

 だが、楽くんは慣れた足取りでどんどん進んでいってしまう。

 こんな奥の方に妖世界とかいう場所があったなんて。子供とかが迷い混んでしまったら大変だ。

 そんな事を考えながらも、彼に着いていくも周りの木々は多くなっていき、陽はあまり差し込まず少し薄暗いし、大きな木の根があったり岩に苔が生えていたりと足場も悪くなってきた。これはもう森の中にいるような錯覚に陥ってしまう。

 私の住んでいた地域は決して田舎ではない。それに公園の周辺はすぐに道路や高層ビルが佇んでいる為、こんな森があるはず無いのだ。


「楽くん、あの公園にこんな森のような場所なんて無いけど……もしかしてここが……」

「えぇ、もう妖世界に入りました」

「そう、なんだ」

「先程入った茂みが入り口なのです」

「あ、そうなんだ」

「はい、因みに茂みの入り口には妖術で妖しか入れないよう結界が張ってあるのです。いくら妖力があるヒトが来ても存在が"妖"でなければ決して入れません」

「……そう」


 なら子供が間違って入ってしまう危険性はないんだ。なんて呑気に胸を撫で下ろしていれば、ようやく森の出口が見えてきて、出口の先の明るさに私は目が眩み、咄嗟に目を閉じてしまった。




「陽菜様、陽菜様」

「ん……」


 楽くんに呼ばれ、ゆっくりと目を開け、私は息を飲む。


「ッこ、ここが……」

「はい。 妖世界です」


 そこは、今まで私が暮らしていた世界とはまるで違う。分かりやすく言うならば、タイムスリップして江戸時代に来たような感覚だ。

 目の前にある町はガヤガヤと賑やかで人間の姿をした者達や動物、生き物の姿をした妖達が行き交っている。

 そして町の周りには野原や山々がたくさんあり、本当に江戸時代に来てしまったのかと思ってしまう。


「聖妖様」

「……あ、え、何」


 まだ、聖妖様と呼ばれるのは慣れていないせいかすぐに反応することは出来なかったが、慌てて返事をすれば楽くんは私の前に立ち、ゆっくりと頭を下げる。


「身勝手な我らをお許しください。 しかし我らは聖妖様がいないと妖が全滅してしまうのです。それをご理解いただきたい」

「……」

「そして、突如現れた私に着いてきて下さりありがとうございます。言葉では現せないほど、感謝しています」

「え、っと……」


 突然、謝罪と感謝の言葉を言い出した楽くんに私はなんて言い返せば良いのかわからず戸惑ってしまう。


「このご恩は絶対に忘れはしません。それはここの国にいる者達全員同じ気持ちです。そして、貴女様に何不自由なく暮らしてもらうということを約束させていただきます」

「いや、そんな……」


 急に頭を深々と下げられて、そんな事を言われても嬉しいなんて感情が出てくるはずがない。

 確かに彼らの勝手で私は人間から妖になってしまったけど、ここへ来ると決めたのは私だ。……あっちの世界で妖として暮らしていく自信なかったし。

 だからといって、「何不自由なく暮らしてもらう」ってちょっと贅沢すぎるような。

 彼らが言うのだから、いいのかな。なんて色んな気持ちが私の中でぐるぐると回っている。


「では、まず四国のおさに会っていただきます」

「あ、はい」


 そしてまた訳がわからないまま、私は楽くんに着いていくしかなかった。

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