木之瀬ゆづなと言えば、超お金持ちのお嬢様で有名だった。クラスメイトは入学当初、そんなレアな存在の木之瀬さんとなんとか仲良くなりたいと言って、話しかける者も大勢いた気がする。

 ちょうど俺はその時、いわゆる嘘でできた「キャラ」が浸透しかけて、思ったより友達が出来ていった生活に戸惑っていたから、その場を取り繕うだけで精一杯だった。

 ちょっと愛想よくするだけで、クラスメイトはすぐ俺みたいな元不良の一匹狼と言葉を交わし合うのだから、試してみよう……という単純な気持ちで始めるものじゃなかったと思っている。

 そんな中、クラスメイトたちの木之瀬さんと仲良くなろう作戦は、しばらく続いていた。


 しかし、そんな和気藹々とした雰囲気は、だんだんと崩れることになる。


「私に触らないでいただけますか? 貧乏がうつるので」


「木之瀬家の私と、貧相な皆様では、釣り合いません」


 彼女は容赦のない毒舌で、話しかけてくるクラスメイトを一気に減らしていった。

 クラスメイトは彼女の嫌味や妬みを次々と言うようになり、避けるようになった。さすがにいじめはお嬢様というだけあって、手を出しづらかったようだが。


 だけど俺は知っている。


 ――この木之瀬ゆづな孤立現象は、彼女が望んでやったことだと。


 毒舌で他人を追い出す彼女の声が、確かに震えていたから、すぐに分かった。俺も同じだから。一人で過ごしてきた俺にとって愛想よく他人と喋ることは緊張でしかなかったから。

 だとしたら、彼女も、同じように慣れないことをしているのではないか……と。俺は考えたのだ。


 だから、木之瀬ゆづなのことは気になっていた。


 そしてそんな木之瀬ゆづなを貶すクラスメイト全員が、心底気に入らない。今でもそう思っている。


 と、そんなことを考えながら放課後、なんとか山崎達の一緒に帰ろうコールをスルーして、校舎に誰もいなくなるのを待っていた。

 誰もいなくなったところで、俺は教室を出て、鏡の前に立つ。 


「噂されてるぞ」


 鏡の中をしばらくみていると、鏡に写る教室の中から、少女が出てきた。無論、こっち側ではドアすら開いていない。


「鏡の中へ引き込むのは……自分自身です」


 そう言う彼女の目は、どこか遠くをみているようだった。


「自分の思いに、反射した嘘をつき続けていたら、高塩くんもいつか、私と同じ目にあってしまう……だから、もう自分の気持ちを隠さないで……」


「自分の思いに、反射……」


 俺と木之瀬さんは、全く逆の嘘ではありながらも、やっていることは同じだった。

 嘘をついていながら、自分のためになっていない。

 

「昔、私と仲が良かった友達がクラスメイトに言われたんです。『調子に乗ってる』って。だから――」


「それで毒舌か」


 本当の木之瀬ゆづなは、こんなにも素直な女の子だった。

 確かに人が寄り付かなくなれば、自分自身が嫌な奴になれば、調子に乗ってるなんて言われる友達もいなくなる。

 でも、その結果、こうなってしまった。自分の気持ちに反射した行動が、姿が反射した鏡の中の自分と一体化してしまった。そんな所だろうか。


「前から、高塩くんのことは気になってました」


「へっ!?」


「高塩くんも、自分に言い聞かせるように、沢山嘘をついてたんですよね……?」


「ああ、そういうことか」


「そういうこと……?」


「いいやなんでもない!」


 純粋な目で聞いてこられると恥ずかしいからやめて……。

 それよりも。


「嘘、ついてた。今も。でも……こういうのは高校生として皆がやってることなんじゃないのかよ?」


「自分が少しでも心地いい環境だと思えば……それは嘘じゃないのだと思います。でも」


 ――高塩くんは、そうじゃないですよね?


 俺は何も言えない。

 正直、今の自分は何をやっているんだかわからない。山崎たちも仲良くやってる風で、俺にとっては『友達(仮)』だし、相沢さんなんて一番嫌いなタイプだ。本当、何やってるんだ?

 ちょっと楽しそうだな……ってやってみた結果、どうしようもなく辛い日々になってしまった。彼女のような明確な理由がない分、辛い。今すぐやめたい。

 でも、俺は思ってしまった。


「木之瀬さん、鏡の世界には、鏡の中の皆はいるの?」


「いいえ、いません」


 鏡の中に入れば、こんな世界とはさらばできるのではないか。。

 嘘をつくことをやめて一人になるのも、鏡の世界に取り込まれて一人になるのも、同じではないのだろうか。

 だったら俺は、誰にも邪魔されず、自由に生きられる鏡の世界になら、一生いてもいいと思ってしまう。

 あと少し、嘘を続けていれば、この世界から抜け出せる……。


 ――それは、一瞬だった。


 俺の視界が、急に反転し出したのだ。自分が今、どこにいるのかがわからなくなっていく。

 目の前にあるのは鏡だけ。ただ違和感なのは、そこに自分の姿が映っていなかったことだった。

 俺は、鏡に手を当てる。

 すると、俺の手はそのまま水の中に入るように、鏡へ吸い込まれていく。


 ああ、これで終わりだ。

 これで、やっとあの落ち着かない日々から抜け出せる。

 俺は、その足を、鏡に向かって踏み出す――。


「――だめっ!」


 木之瀬さんが鏡の世界へ向いていた俺の足を無理に押し込み、突き飛ばした。


「……いってぇ。何するんだよ!」


「言ったはずです。鏡の世界へ引き込むのは、自分自身だと」


 だからなんだよ。俺の勝手だろ。

 そう、言いかけた所で、俺は言葉を詰まらせた。

 木之瀬さんが、手足を震わせて、座り込んでしまったのだ。

 ――涙を流しながら。

  

「私は、ひどい人間です……」


 俺は、何も言えなかった。

 彼女はこの世界と鏡の世界の境い目に、見えない壁に、自分の掌を、頭を、足を、自分の全ての体重をのせる。


「自分で現実から逃げ出したのに……」


 それでも、彼女はそのかがみの中から、出てこられる様子はなかった。


「……助けてもらいたいと思ってるなんてっ」


 それは、紛れもない、木之瀬さんの本心だった。

 俺は、何を考えていたのか。

 助けてほしいという心の叫びに、気づいてあげられなかった。

 自分のことしか、考えていなかった。逃げて、逃げて、目を背けて……クラスの、周りの空気に合わせて一緒になって木之瀬さんを無視して。その結果、彼女はあんな世界へ入り込んでしまった。

 逃げてる場合じゃない。だって俺は。


 ――木之瀬さんのことが、好きだから。


「待ってろ。俺がなんとかする」


 俯いた彼女は、涙を拭ってゆっくりと顔をあげる。


「助けて……助けてくださいっ!」


 他人のために嘘をつき続けてきた彼女が。

 どんなに孤独になっても弱音なんて吐かなかった彼女が。

 自分の全ての感情をさらけだして泣き叫ぶ。

 なら、俺も逃げている暇じゃない。


「助ける。絶対に」


 俺は、嘘ひとつない真っ直ぐな声で、はっきりとこう言った。

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