第14話 第四章 新居は神社(4/6)
約20年前の春、場所は第一帝都大学総合キャンパス、その学部棟の3階にあった302講義室が、入学オリエンテーション授業の開始を待っていた。
4人掛けの座席が整然と並んだ講義室。一番に目立つ中央最前列の座席。その右端の席にJS(小学生の女の子)が、背伸びをした服を着て1人で座っていた。
違う、違う!
見た目は今と変わらないが、大学に入学したばかりの母親が1人で座っていた。
背筋を伸ばし、キリッとした顔だった。しかし、浅く腰掛けてる割に、足がプラプラと床に着いていない。JSが間違えて、入ってしまったようにしか見えなかった。
お陰で、その講義室には異様な空気が垂れ込めていた。
誰も母親に声をかけられないでいたのである。
そこにいる学生たちは、全員入学したばかりの1年生だから、まだ大学になじんでなかった。もし間違っていたら、恥をかいてしまうし、ハブられるかも知れない。それに、その女の子を傷つけてしまうかも知れないとも思っていた。
特に、男子学生は、自分からJSに声をかけるという行為が、JSをこよなく愛する男と誤解され、以後犯罪者扱いされてしまう、と心配していた。
誰も、入学早々面倒に巻き込まれたくなかったのである。どうせ、先生が来れば何とかしてくれると誰もが思っていた。
そこへ、ヨレヨレの服を着たヒョロヒョロのメガネ男がやってくる。
父親である。
「隣の席ってぇ、空いてるぅ?」
空気の抜けた声で母親に聞いてきた。
「空いてるのだ。好きに座るといいのだ」
と、言いつつ母親は警戒する。小さな女の子が好きな変態男子学生と疑ったらしい。
しかし、父親はそんなことなんて全く気にしないどころか、4人掛けの座席なのだから、反対側の端に座ればいいのに、スススと奥に入って母親のすぐ隣に座ってしまう。
「君って、小さいですねぇ。飛び級ですかぁ? 僕は現役なんですよぉ」
いきなり、自慢しながら、立ち入ったことを聞き始めた。JSとは思ってなかったようだ。
ドンッ!
母親の小さな拳が、一発! 怒りをもって、4人掛けの机を叩いた!
「同い年なのだ! 失礼なやつなのだ!」
「ご、ごめんなさいぃ。許してくださいぃ」
父親は情けないくらいに縮こまる。
ドンッ! 2発目!
「謝るくらいなら、家来になるのだ!」
年端もいかないわがままお嬢様が降臨したかのようだった。
同い年の男子なら『家来』という言葉で、子供っぽい面倒な女子と思い、身を引いていくという経験が、母親にはあった。
引かなかった場合も、返答や次なる行動で、そいつが小さな女の子が好きな変態であるのか否かを、見分けることができた。
「家来ですかぁ? 子供っぽいなぁ」
父親は小バカにした反応であるが、引いてはいない。
そして、『子供っぽい』と言った。『ぽい』なので、自分をまるっきり子供と思っていないと、母親は読み取った。
つまり、母親は父親のことを、小さな女の子好きな変態ではないと判断したのだ。
さらに、間抜けな声だったので、強く出ればマジで家来にできると方針を定めた。
ドンッ! 3発目!
「子供って、言ったな! お前はこれから、ずっと家来なのだ! いいな!」
ドンッ! ドンッ! ドンッ!
威嚇の4、5、6発目!
「そ、そんなぁ」
父親の声は、他人に振り回され易い体質を、あらわにしていた。
「ママとこの男とは、こんな
母親は赤らめた頬に両手を当てている。
典高は茶々を入れなかった自分を悔いた。馴れ初めまで聞くつもりはなかった。
「母さん、そこまで遡らなくたっていいよ」
「なら、途中はすっ飛ばすのだ。ママは首席で卒業、この男はビリッケツだったのだ。ママが勉強を教えてやって、やっと卒業できたのだ」
エッヘンと威張ってみせる。
典高からはハァと吐息が出た。すっ飛ばすって、学生時代を省略しただけだった。
「えっと、俺ができる辺りからでいいよ」
本当は上司のことだけでいいのだが、母親が馴れ初めまで語ったので、自分が誕生したいきさつも聞きたくなったのだ。
「Hなのだ!」
母親は赤インクをまき散らした顔で、典高に迫った!
「ごめんごめん、Hな部分はカットしていいから」
それを聞いた母親は、落ち着いた顔を取り戻して腕組みをする。
「それなら、いいのだ! 2人とも国家公務員になって、同じ部署になったのだ。それで、結婚してしまったのだ」
あっさりが過ぎていた。
「母さんは父さんのどこが気に入ったの?」
典高はグッと立ち入った。
「この男は最初だけしか、ママを小さいとか、子供とか、と言わなかったのだ。そんなやつは女も含めて初めてだったのだ」
案外と真面目に答えてくれた。
「照乃さんが嫌がったからぁ、僕は気をつけたんですよぉ」
父親は頼り無さそうだけど、優しいみたいだ。
「それになのだ。4年間と少しの時間、家来としてよく尽くしてくれたのだ。なので、『ずっと家来』を名実共にするために、結婚してやったのだ」
家来というのは、就職してからも続いてたようだ。
それに名実共にとか、結婚は主従関係ではない、と典高は声を上げたかったが我慢した。
でも、これが結婚した理由だった。
この日まで、母親は結婚していたかどうかも、典高に教えていなかった。曲がりなりにも結婚はしてたのだと、典高は少しの時間幸せな気持ちに浸った。
「なら、どうして、離婚したの?」
典高が質問すると、母親はピクンと、身を揺らして父親を睨みつけた。
「そうなのだ! 思い出したのだ! 離婚したのだ! 堂々と浮気をしたから、離婚届を叩きつけてやったのだ! そしたら、あっさりと印を押したのだ。薄情なやつなのだ! 普通なら泣いて謝るところなのだ!」
母親の怒りに、赤いジャージも追い討ちをかけるように迫る。
「僕は泣いて謝りましたよぉ」
父親は長身をかがめて、情けない顔を母親に寄せる。母親はそれを押し返す。
「もっと、もっと、もーーーーっと、泣いて謝る場面だったのだ!」
「そんなぁ」
父親はたじたじだ。
離婚のいきさつが分かってきたが、典高には父親の記憶はない。
「父さんの浮気って、俺がいつくらいの時なの?」
「典ちゃんが3歳の時に、発覚したのだ!」
そう言うと、母親は父親を睨む。
3歳の時に浮気をしたのではなくて、発覚だったようだ。
「発覚と、言うことは、浮気はもっと前からだったってことなの?」
「結婚してすぐから、浮気していたのだ! それから3年以上も経ってから発覚したのだ!」
「あれは浮気じゃなかったんですよぉ」
父親は正座して、母親の腕にすがる。
バンッ!
「放すのだ!」
母親は、父親の思いを払いのけて、続ける。
「あれは、浮気なのだ! 浮気だから、お前は泣いて謝っていたのだ!」
その時の怒りが蘇っている。
「だからぁ、あれは誤解されるような、軽率な行動を謝ったんですよぉ」
「同じなのだ!」
父親は浮気と言っていない?
「えっ? 浮気じゃなかったのに、勘違いで離婚したの?」
「そうなんですよぉ、典高君ぅ」
困り果てた顔を息子に向ける。
勘違いで離婚しただなんて、あ、あんまりだ! そんな感情が典高の心に渦を巻き、応える台詞が出てこない。
代わりに母親が発言する。
「違うのだ! 子供まで作っていたのだ!」
「僕の子供じゃないんですよぉ」
ドンッ!
母親の小さい足が、床を1つ踏み鳴らした。
「ウソなのだ! DNA鑑定までしているのだ! 70パーセントの確率で父子関係があるって結果だったのだ!」
母親は、両方の拳に力を入れていた!
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