第100話 家族
「帰ったぞ」
健がドアを開けて入ってきた。
「あなた、お帰りなさい。レンさん来てるわよ」
「おお、そうか。着替えたらすぐ行くよ」
健はレンにいらっしゃいと声をかけて着替えに行った。
「レンさんも少しお呑みになるかしら?主人の晩酌の用意をするんだけど一緒にいかがかしら?」
ゆりが言う。
「はい、いただきます」
ゆりはニッコリ笑うとキッチンに向かった。
しばらくして着替えて居間にやってきた健はレンに声をかける。
「久しぶりだね。何年ぶりだろう」
「健さんが出張でロスに来た時以来だから…」
「覚えてないくらい前の話だね。ゆんは元気にしているのかい?」
「はい。だいぶあちらの生活にも慣れたようです」
「そうか。それはよかった」
「ゆんがいなくなって寂しいのではありませんか?」
「そりゃ寂しいよ。わたしが忙しいからなかなか会うことも出来ていなかったが、やはり一人いないとなると急に家の中が寂しく感じられるよ」
健は素直に言う。
「それで、今日撮影だったんだろう?どうだったんだい?詩音はちゃんとやったのかい?」
「素晴らしかったですよ。クライアントの社長も非常に満足していました。彼は詩音君のUCLAに出す推薦状も書くと言っています」
「それで大丈夫なのかい?」
「彼はUCLAの出身で、在学中に起業したことでも知られている人です。まだ30歳ですが、面白いことをやっていると業界でも注目されています」
「ほほう。しかしそのような人物がどうして詩音を起用したんだい?」
「僕が撮った詩音君の写真が非常に気に入ったので、僕のスタジオに飾っていたんです。それが周り回って彼の耳にも入って、新作のモデル選びに苦労していた彼が僕が送った写真を見てすぐ起用を決めたんです」
「それほど詩音に魅力があるんだろうか」
「ありますね。まだまだきっと色んな面で驚くこともあるかと思います」
「自分の息子ながら、今まで好きなようにさせてきた。勉強も言わずとも常に上位をキープしていたし、やりたいことがあるならと口を挟むことはなかったが、こういう方面に進むとは思わなかったよ」
「父さん、モデルは続ける気はないよ。僕は音楽やりたいから」
「そうか。やはり音楽を続けるんだな」
「はい。それについてはすでにアメリカでお世話になったジェレミーと先の話もしてるんだ。だから心配しないで」
「お前らしいな。どうしようもなくなった時以外はわたし達に何も相談しないのは昔からだ」
健は苦笑しながらぐいっと酒を呑む。
「俺は父さんに感謝してるんだ。ああしろこうしろと言ったことは一度もないし、色々と心配ばかりかけていたとは思うけど…」
「そうだな。それで一番大事な話だ。ゆんのことはどうしたんだ?」
「ゆんも俺のことが好きだと伝えてくれました」
「そうなのか?」
「レンさんがゆんからの手紙を預かって来てくれました。それに書かれていました」
「レンさん、そうなのかい?」
「はい。やっと自分の気持ちに気付いたようです。詩音君の横にいて恥ずかしくない
「ゆんがそう言ったのかい?」
「はい」
「そうか。だから結局野々村姓のままでいいじゃないかと言ったのに」
健は苦笑する。しかし嬉しそうにレンと乾杯をして酒を飲み干す。
「わたしもゆんが可愛いよ。離れても大事な娘だ。本当の親ではないが、生まれたときからうちで育った娘だ。詩音が大切に見守ってきた子でもある。おかしな話かもしれないが、詩音の嫁に関して心配する必要がないのは親としてもストレスが無くていいものだ」
そう言って笑う。
「父さん、大学を卒業するまでは結婚しないよ」
「そりゃそうだろう。あちらの大学をきちんと卒業しようと思ったら中途半端なことをしていたら無理だ」
「もちろんだよ。でも婚約はしたい。もうゆんを手放したくない」
「まあ気の早い話だな。ゆんはまだ17だぞ?」
「それでも」
「自信がないのか?ゆんが他のだれかになびくかもとでも?」
「そうじゃないよ。ゆんを安心させたいんだ。俺はゆんが自立した女性じゃなくてもいい。でもゆんはそうなりたいと思ってるようだ。それはもちろん尊重するしそうなってくれたら素晴らしいと思う。でも多分俺を取り巻く環境が変わる。今回のモデルを引き受けたことによって。そのために起こりうる何かがあったときに、ないとは思うけど、ゆんが誤解したり傷つくようなことはもう二度としたくないんだ。だから、いつでもゆんのそばにいると、その証をゆんにあげたいんだ。ゆん以外に必要な女はいないと」
「そこまで考えているんだな、詩音」
健は息子を見据えて言う。
「もうあんなに悲しそうなゆんは見たくないから。そいうことでもゆんの心理的な負担を軽く出来るのであれば、俺はそうしたいと思ってる」
「レンさん、どうだね」
「問題ありませんよ。もちろんゆんに聞かなくてはなりませんが」
「不思議よね。こうなるとわたし達はみなわかっていたのに、すんなりとはいかずに色々なことが起こったわ。わたしもゆんにもっと早く話しておくべきだったのかと一時とても悩んだの。不自然な詩音とゆんを見ているのは悲しかったのよ」
「母さん…」
「正直に言うと、ゆんがいなくなってとても寂しいのよ。家に帰ってもゆんがいないの。でもゆんも決心しているのなら、ゆんがわたし達と離れることがないのならとても嬉しいわ。形は変わってもずっと家族でいることが出来るんですもの」
ゆりは穏やかに言う。
「詩音、ちゃんとゆんと向き合って行くのよ。これからは何があっても逃げちゃだめよ」
「はい」
「それでなんですが…」
レンが切り出す。
「詩音君がUCLAに受かるとして…おそらく問題なく受かるでしょう、その大学に通う間、うちに下宿させませんか?」
「レンさん、そこまでは…」
「他意はありません。UCLAならうちからそう遠くないんです。通学の時間を短縮できます。部屋も空いています。これまでゆんを大切に育てていただいたんです、その代わりと言ってはなんですが、今度は僕達に詩音君を預けて下さいませんか?詩音君に毎日会えるのなら、ゆんも安心でしょう」
「そう言われるとそうだな、ゆり?」
「そうね…あの甘えっ子のゆんのことだから、世間に知られる存在になってしまう詩音になかなか会えないとなると不安がるでしょうね」
「ゆんはそこまで弱くないと思うけど」
と詩音。
「でも毎日ゆんに会えるのなら俺も嬉しい」
「もちろん野暮なことは言わないよ、詩音君」
レンは面白そうに言う。
「あ…その…」
「ははは。まぁ、まだ時間はある、まだ先の話だ。ゆんには黙っておくよ」
「そうだな、まだ詩音が受かるかどうかもわからない。願書もまだ出してないくらいだからな。それについてはおいおいまた話をしましょう、さ、もう一杯どうぞ」
健がレンの盃に酒をつぐ。
「これまでもそうだったが、近い将来わたし達は本当の意味での家族になるんだな」
「健さん、ゆんを大切にに育てて下さってありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願いします」
二人は酒を酌み交わした。
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