第97話 撮影中の詩音の変化

レンはカイルに声をかけて少しの間詩音を一人にしてやって欲しいと言い、ふたりは控室を出ていった。

「一体どうしたんですか?」

「大事な手紙を預かって来たんだ。それを今渡したんだ」

「それが撮影に影響しますか?」

「すると思うよ」

レンは大丈夫だとカイルに言う。

「しばらくしたら控室に戻ってすぐに髪の毛のセットを頼む」

「わかりました」


詩音は控室に一人になって、ただゆんからの手紙を手に持って呆然と佇んでいた。まさかレンから手渡されるとは思っていなかったのだ。それも今、この時に。それでも読まなければという気持ちは抑えきれず、軽く止めてあった封を開いた。


ゆんがわたしの気持ちを託すと書いている曲を詩音はよく知っていた。詩音も一時期良く聞いていたからだ。こんなふうにストレートに言えたらどんなにいいだろうと。その曲を俺に贈ってきた…。

「ゆん…それは俺の気持ちでもあるんだ」

詩音は泣きそうになったが、今まさに撮影中だということは忘れていなかった。嬉しくて仕方ないのに逆にどうしていいのかわからなかった。でも心の中にずっとあった重くて暗い感情はすっと軽くなったようだった。今すぐに会えなくても、ゆんは待っていてくれるんだと思っていいんだよな?ゆんのことを好きだともうはっきり言っていいんだよな?そしてゆん、君も俺のことが好き、それで合ってるんだよね?ずっと待っていたゆんの気持ちを今は正面から受け止めていいんだ…そう思うと力が抜けるようでもあった。


ノック音がしてカイルが入ってきた。

「詩音、大丈夫?そろそろ撮影再開だから」

「うん」

詩音は手紙を胸に抱きしめて立ち尽くしている。

「詩音?」

「え、あ、すぐセットお願いします」

そういうと詩音は鏡の前の椅子に座る。

「表情が柔らかくなったね」

「そう?」

「何かとてもいいことが書いてあったんだね?」

「うん」

「じゃぁ、あの社長をぎゃふんと言わせるようなショットが取れるように行こうぜ」

「もちろん!」

詩音は気持ちを切り替える。他の誰よりもゆんにカッコいいと言ってもらいたい。今度こそ胸を張ってゆんに会いたい。なら頑張るしかない、今はレンさんに良い写真を撮ってもらうことだけに集中しよう、そう思った。


「撮影再開します!」

スタッフが控室に言いにやってきた。

「今行きます」

詩音はUSBメモリーを持って出た。

ジェフのところに向かうと言った。

「これ、俺が作った曲とかジェレミーと作った曲をBGM用にしてみたものです。よかったらかけてみてください」

ジェフの目が光る。

「ほう。用意してきたんだ」

「今回のコンセプトに合わせたわけではないんです。詳しいことがわからなかったから。でも音楽は任せて欲しいと言ったんだから、最低限のサンプルでも披露しておかないとと思って」

「オーケー。これに入ってる曲を流してくれ」

ジェフはスタッフに指示を出す。

ジェフもまた詩音の表情が変わっていることに気付いていた。


詩音の持ってきた曲をスタジオ内に流しながら撮影は再開された。

休憩前とは打って変わって詩音はとても自然にカメラの前に立っていた。レンの出す指示に対して的確にポーズを作っていく。表情も生き生きとしていてハンサム度が倍増する。ほうっと見守っているスタッフが感嘆の声をあげる。

BGMもセンスが良く、様々な感じの曲があったが、それらが次々に流れても違和感がないように編集されているようだった。ジェフはこちらの欲しいものを提示すればきっちり仕上げてくるだけの力量はありそうだと思いながら聞いていた。


「オーケー。それじゃ少し休憩を挟んで今度はシックな新しいラインの服とそれに合う時計での撮影といこうか」

ジェフが合格をだした。


「レン、何をしたんだい?」

ジェフはレンに聞く。

「手紙を渡しただけだよ」

「ほう、誰からの?」

「娘からだよ」

「なるほどね。あの可愛い妹が大事なんだな」

レンはそれ以上何も言わずただ微笑むだけだった。


Into The Caveが満を持して発表する新しいライン。ストリートカジュアル系がメインのブランドではあるが、それを好んで着る年代でも少し上の働く層に向けた、遊び心のあるデザインが入りながらもオン、オフどちらでもシックに決まる挑戦的な新しいライン。ジェフはこのために随分と長い間準備をしてきていた。


その新しいラインの服、プレーンなズボン、と言ってもポケットなどにアクセントが付けられているが、の上にシンプルではあるが、少し遊び心のあるデザインが入っているシャツを着た詩音が出てきたのをみてジェフは唸った。

「これを問題なく着こなした上に、服もよりかっこよくみせるとはな」

ジェフは目を細めてほくそ笑む。俺の目は間違っていなかったと。


シックな服なので、シリアスな表情も多いが、時折無邪気に笑う詩音の表情にみんながうっとりしていた。腕を曲げて顔に時計を近づけて撮ったショットを確認した時には誰もが唸った。詩音がニヒルにカメラを見ているショットと、柔らかく微笑んでいるショット。同じ人物なのだが、どちらも素晴らしかった。TWTのスタッフも興奮していた。「彼のつけている時計を欲しがる人が続出しそうだ」と満足げに頷いていた。


そうして撮影は無事終了した。朝早くから日が沈むまでかかった撮影だった。


レンは詩音に話しかける。

「お疲れ様。疲れただろう?」

「あ、大丈夫です。楽しかった」

「ゆんの手紙は効いたようだね?」

レンはいたずらっぽく笑う。

「はい、とても」

「ゆんは待ってるよ。ちゃんと受け止めてやってほしい」

「もちろんです」

「もう二人の心配をしなくても大丈夫なんだね?」

「はい」

「それを聞いて安心したよ」

そこへジェフがやって来た。

「シオン、良かったよ。ありがとう」

ジェフは手を差し出した。詩音が握手をするとジェフが言った。

「UCLAの推薦状は誰に頼むんだい?」

「あ、え、学校の校長と…あとはまだ…」

「それじゃ、僕が書けばいい」

「は???」

「僕はUCLA出身だ。人脈もある。在学中に起業したことでも知られている。後で君の成績データを見せてくれ。それと今回のことなどを加えて僕が書こう」

「いいんですか?」

「これもギャラの一部だと思ってくれればいい」

「はい」

「それと、だ」

「何ですか?」

「うちと専属契約しないか?」

「は???」

「今回単発と言っていたが、あまりにももったいない。それに君ならきっとどのブランドでも着こなせるだろうが、他に渡したくない。だからうち専属のモデルになってもらえないか?」

「そ…それは…」

「うちだけだからそんなにしょっちゅう撮影があるわけじゃないし。うちがやとえばモデルエージェンシーなどに関わる必要もない。君のやりたい音楽活動の支障にもならないと思うよ。おまけにギャラも入る。LAで生活するなら助けになるとも思うが?」

「あ…それで釣りますか」

「当然だね。まぁ、返事はいつでもいいよ。早いほうが助かるけど」

「あーすぐに決心はつきそうにないです」

「じゃ、君の妹に相談してみてくれ」

「は???」

「むっちゃ可愛いよな、君の妹」

「会ったんですか?」

「彼女もモデルに引っ張りたいくらいなんだが」

「それはダメです」

「今日もその妹のおかげなんだろう?途中から変わったの」

詩音はレンを睨む。

「聞いたんですね」

「そりゃ僕は責任者だし社長だしね。彼女の意見も聞いてみたいところだ」

ジェフはニヤリと笑った。


「詩音君、僕も野々村さんにご挨拶に伺ってもかまわないかい?」

「もちろんです」

「それじゃ一緒にタクシーに乗ろう」

スタジオの片付けをしながらレンは詩音に言った。


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