第70話 野々村家の決断

「あなた、お帰りなさい。忙しいと思うんだけど、ちょっと話を聞いて欲しいの」

ゆりは帰ってきた健に言う。

「あぁ。何か問題でもあるのかい?」

「ええ。ちょっと大変なことになりそうなの」

ゆりはiPadを取り出して、由奈からのメールを見せる。

「どういうことなんだ、これは?」

「ゆんがね、由奈に連絡したようなの。ゆんがアメリカに行きたいようなの」

「詩音に会うためか?」

「違うの、詩音に会わないために、来年春入れ違いにアメリカに行く気らしいの」

「どうなってるんだ?まだ喧嘩したままなのか、あの二人は」

「喧嘩というか…何かすれ違ってしまっているようなんだけど、詳しいことは二人にしかわからないわ」

「うむ。それで寺本君達はどう言っているんだい?」

「受け入れると」

「そうか」

「それともう一つ…ゆんが寺本姓にしたいようなの」

「なんだと?」

「ゆんに聞いてみなければはっきりしたことはわからないんだけど、由奈が言うには、実子できちんと戸籍に乗っていれば、そのほうがアメリカでの様々な手配もやりやすいだろうとは言ってるんだけど…」

「ううむ。確かにゆんは彼らの本当の娘だ。ゆんが望んで寺本君たちが受け入れるのなら反対は出来ないが…いずれゆんは結局野々村姓になるんじゃないのか?」

「あなたったら。わたしもそう思うのだけど、まだ悩みの多い年頃だし、詩音がいなくなってゆんも色々と考えているのよ、きっと」

「わたしとしては賛成出来ないのだが…詩音も何をやっているんだ。夏休みだけで帰ってくるのかと思ったら帰らないと言うし、結局まだ二人はきちんと話も出来ていないんだろう?」

「そうみたい。二人とも変なところで頑固なのよね。どちらも折れるということを知らないみたいね」

「詩音の好きにさせすぎたようだな」

「でもあの子の人生よ。押さえつけてもあの子は行ってしまっていたと思うわ」

「こんどはゆんか…。わたし達の子ども達はどうしてこう難しいんだ?」

「本当にね。今はとにかくゆんが心配なの。すっかり前のようなはしゃぐ姿を見なくなってしまって…」

「一度ゆんにこのことについて話を聞いてくれないか?どうするのかを決めるのはそれからでいいと思う」

「ええ、そうね。ゆんにちゃんと話を聞くべきね」


「ゆん、話があるの」

次の晩帰宅するとゆりはゆんに声をかけた。

「うん、わかってる」

「由奈に連絡したのね」

「うん」

「本当に行くつもりなの?」

「うん」

「ゆん、もう少し詳しく思っていることを話してくれない?」

「由奈さんから話は聞いたでしょ?その通りだよ」

「ゆん。わたし達怒っているわけじゃないのよ。ゆんにはゆんの考えがあるんだと思うから。でもどうしても行かなくてはならないの?今度はゆんが詩音を置いていくの?」

「別に同じことをして苦しめようというわけじゃないの。でもわたし苦しいの。悲しいの。今のわたしは空っぽなの。何をしたらいいのかもわからない。ここにこのまま居ても何も変わらない。お兄ちゃんが帰ってきてもきっと避けてしまう。わたし自分がこんなに弱いと思わなかったの」

「ゆん…」

「もちろん、向こうに行ったからって何かが急に変わるわけではないと思うの。でもここにいてずっと悩んでいるよりいいかなと思ったの。ううん、逃げるんだよね、わたし、それもわかってるの」

「本当にいいの?ここにいて少し肩の力をぬいて詩音と話し合ってみることは出来ないの?」

「それは出来ないと思う。お兄ちゃんもまだ本音を言ってくれないから」

「そうなのね」

「ゆんはなにがそんなにつらいの?」

「お兄ちゃんがわたしを必要としていないってわかったから」

「どうしてそう思ったの?」

「わたしのためにあんなダサい格好続けてたのに、髪の毛切ってカッコいいお兄ちゃんと歩きたいってずっと言ってたのに、ずっといやだって言ってたのに、向こうにいってあっさり髪の毛切っちゃったのがショックだった。それは要するにもうわたしのお守りはしないってことだと思ったの」

「詩音に聞いてみなさい」

「ううん、聞かなくていい。きっとお兄ちゃんはお兄ちゃんの道を歩き始めたんだと思う。それなら邪魔をする気もないし、わたしはわたしで自分でなんとかしなくちゃいけないのよ」

「ゆん…それは違うとお母さん思うけどな」

「そうだとしても…このままじゃつらいの」

「そうなのね。わかったわ。それで、名字を変えるつもりなの?」

「そのほうが便宜上便利だというのであれば。わたし名字はなんでもいいの。わたしはどんな名字になってもここのお父さんとお母さんの子供だから」

「ゆん…そんな気持ちで寺本さんたちのお世話になれるの?」

「正直に言えば、興味はあるの。本当の血のつながったお父さんとお母さんがどんな人達なのか。ごめんね。お母さん。わたし本当にひどいことを話してる」

「ううん、いいのよ、ゆんはいつでもここに戻ってくればいいのよ。いつ帰ってきても、また前のようにここで暮らしてもいいのよ。それだけはちゃんと覚えておいてね。ゆんがどうしても行くというのなら、由奈に連絡して準備を進めてもらうわ。それでいいのね?」

「うん…ありがとうお母さん」

ゆんはゆりに抱きつくとわんわん泣き出した。

ゆんはしばらく泣き止むことが出来なかった。

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